第124章 魔王、未だ胎動せず
(1571年1月元旦)二条城 大広間
陽が昇る。霜を払った松の香が、張りつめた空気に細く走った。
二条城――天下布武[1]の要。大広間の梁には注連縄[2]が掛けられ、鏡餅[3]が白く据えられている。
伶人[4]が鳴らした一打の太鼓ののち、列座の家臣らは膝を正し、息をひそめた。
やがて、襖[5]がすべり、織田信長が入場する。
直垂[6]の裾が畳[7]を擦る音を立て、鋭い眼が一望のもとに満座を貫いた。
「・・皆の働き、大儀である。畿内[8]は、おおむね平定された」
低く乾いた声が、壁に打たれて返る。ざわめきかけた空気が、すぐに静まった。
「だが、これで終わりではない」
一歩、前へ。盃には手を伸ばさず、まっすぐ言葉だけを置く。
「楽市[9]を畿内一円に徹底する。座[10]は解体し、関所[11]は撤廃する。道は個人の物にあらず、国家の
血脈であると知れ。」
「 これより――田の面積を測り、区画を改め、民の数を数える[12]。これからは銭勘定で国を動かすの
だ。」
「兵役は短く、農作業は長く。 この旗を、日の本の果てまで掲げる。・・これで、ようやく“始まり”だ
」
言葉は石。広間の空気が一段と重くなる。
誰もが沈黙したまま、各々の胸の底で何かが動き始めた。
――羽柴秀吉は、静かに目を閉じた。 (来た。この言葉・・もう“戦だけの男”ではない) (楽市、関所
の撤廃、検地[12]の布石。ここで民の数を把握できれば、街道と港が線として繋がる。硝石[13]は黒田に
任せる。骨格は三つ――民、硝石、港。年の初めに、国家の骨格を定めるのだ)
――柴田勝家は眉ひとつ動かさぬまま、掌の上で指を折る。 (座を解体し、関所をなくせば守りが薄く
なる。ならば詰め所を増やす。街道の要所に番人を、港や渡し場には木戸[14]を設ける。広げるより先
に、締める段取りだ。兵糧の輸送路は太く、戦は短く)
――明智光秀は、扇を伏せ、半歩だけ首を垂れた。 (王たる器か。であれば礼と法を立てねば、ただの
威圧に堕ちる) (楽市の布告は良い。だが、記録が要る。土地と人の台帳、正式な裁判の場、法を犯し
た者への罰則――文字こそが、この国を束ねるのだ)
――竹中半兵衛は、視線を信長に置いたまま、心の算盤を弾いた。 (地図の余白は、まだ広い。それを
埋めるのは勘定と道だ) (秀吉様の異能は物事を火のように速める。だが、速さは秩序を確立する上で
牙をむきかねない。関所の撤廃で人や物の流れは増す。港と関所に代わるもの――帳場[15]での管理手順
を先に広げねば)
信長は座をなめるように見回し、最後に言葉を継いだ。
「堺・大津・草津――これら港湾都市の法を一つに統一する。通行税[16]は一定とし、私的な関所の設置
を禁ずる。 硝石・木炭は許可なき売買を差し止め、組合を一つに束ねる。火薬の源は、わしが抑える。
この二月、楽市の認可証[17]を諸々の町に回す。春には検地のための縄を各地へ送る。・・異論があれ
ば、ここで申せ」
広間はなお静かだった。
誰も盃に触れないまま、言葉だけが心に沈んでゆく。
秀吉は瞼を上げる。(二月に認可証、春に検地――早い。データを集める人手が要る。記録係や村役人、
案内役との繋がりを今日のうちに作る。黒田には硝石の買い上げ方法を指示する。堺の今井宗久[18]には
港の帳場を頼もう)
勝家は(やるなら今だ)と短く結論づける。(番所、渡し守、兵糧蔵――三つを増やす。広げてから締
める)
光秀は(儀礼という殻だけでは足りぬ)と思い、扇をわずかに返した。(法令は簡潔に、罰則は明確に、
赦免の道は狭く――秩序という美で、乱暴さを包み込むのだ)
半兵衛は秀吉の横顔を盗み見て、心中でひとつ頷く。(国家の骨格となる言葉が、信長様の口から出た。
ならば、我らはこちらで骨組みを仕上げるだけだ)
伶人が笙[19]を吹き、太鼓が二度打たれた。新年の儀そのものは簡素だ。信長は盃を取らず、ただ一通の
書状を側近に渡す。
「楽市の認可証を、今より彫らせよ。検地の縄は、備中[20]の職人に命じて作らせよ。民の数の調査は羽
柴、硝石は黒田、港の帳場は宗久の名を借りて進めよ」
秀吉は深く頭を垂れ、「畏まりました」とだけ答える。胸のうちで、(最初の三十日で“形”だけでも作っ
て見せる)と手順を刻む。村々に走らせる記録係、検地の道具、帳場の帳面、通行許可証――すべてが一
枚の“設計図”に収まる感覚が、背筋に灯った。
信長は最後に、短く、静かに言った。 「・・この年、わしは道を作る。道があれば、人は歩く。人が歩
けば、国は成り立つ」
その一語に、秀吉は前章の夜を思い出す。焼けた山の匂い、いつまでも消えぬ煙。国家の骨格を作ると誓
った自分の声を。 (間に合う。いや、間に合わせる)
新しき年は、静かに幕を開けた。平穏な静けさではない、嵐の前の静けさだ。 ――魔王、未だ胎動せ
ず。ただ、その鼓動の拍動だけが、確かに増していた。
注釈
[1]天下布武 (てんかふぶ): 織田信長が使用した印章に刻まれたスローガン。「武力をもって天下を統一する」という意味で知られる。
[2] 注連縄 (しめなわ): 神聖な場所と俗な場所を分ける境界を示すために張られる縄。正月飾りにも用いられる。
[3] 鏡餅 (かがみもち): 正月に神仏に供える、大小二段重ねの丸い餅。
[4] 伶人 (れいじん): 宮中などで雅楽を演奏する楽人。
[5] 襖 (ふすま): 和室の仕切りに用いられる、木枠に紙や布を貼った引き戸。 [6] 直垂 (ひたたれ): 鎌倉時代から江戸時代にかけて武士が着用した、上衣と袴が同じ布でできた礼服。
[7] 畳 (たたみ): 日本の伝統的な家屋で床に敷き詰められる、い草で編んだマット。
[8] 畿内 (きない): 古代日本の行政区分。山城、大和、河内、和泉、摂津の五カ国を指し、現在の京都・奈良・大阪周辺にあたる日本の中心地。
[9] 楽市 (らくいち): 楽市楽座政策の一部。誰でも自由に商売ができるように市場の税や規制を緩和・撤廃したもの。
[10] 座 (ざ): 中世の日本で、特定の商人や職人が結成した同業者組合。座に属さない者の営業を制限する特権を持っていた。信長はこれを解体し、自由な経済活動を促した。
[11] 関所 (せきしょ): 交通の要所に設けられ、通行人や物資を検問し、税(関銭)を徴収した施設。信長はこれを撤廃し、物流の活性化を図った。
[12] 田の面積を測り~: これらは「検地」と呼ばれる土地調査の要素。田畑の面積や等級を測量し、予想収穫高(石高)を算出して、年貢徴収の基準とした。これと同時に行われる人口調査(人掃き)も含まれる。
[13] 硝石 (しょうせき): 火薬の主原料(硝酸カリウム)。当時の日本ではほとんど産出されず、主に海外からの輸入に頼っていたため、極めて重要な戦略物資だった。
[14] 木戸 (きど): 街道や町の出入り口に設けられた簡易的な木の門。通行を管理する役割があった。
[15] 帳場 (ちょうば): 商家などで、帳面の記入や金銭の出納を行う場所。ここでは管理拠点や役所のような意味合いで使われている。
[16] 通行税 (つうこうぜい): ここでは原文の「口銭」を指す。港や関所で徴収された税。
[17] 認可証 (にんかしょう): ここでは原文の「印判」を指す。権力者が許可を与えたことを示すための判子や、その判が押された文書。
[18] 今井宗久 (いまい そうきゅう): 堺の豪商であり、茶人。信長に接近し、その御用商人として活躍した人物。
[19] 笙 (しょう): 雅楽で使われる管楽器の一つ。
[20] 備中 (びっちゅう): 現在の岡山県西部にあたる旧国名。




