第119章 比叡山焼き討ちと謙信の死
第119章 (1570年9月後半)金沢御坊
永禄十三年(1570年)九月後半。金沢御坊に、ついに比叡山焼き討ちの報が届いた。
「・・まさか」
報せを読んだ秀吉は、呆然と立ち尽くした。
恐れていたことが、現実となっていた。比叡の山々が炎に包まれた光景が、まるで目の前に広がるかのよ
うに脳裏に焼き付く。
信長の容赦ない決断に、秀吉はただ言葉を失った。
彼の胸には、比叡山の民を救えなかった無力感が、鉛のように重くのしかかっていた。
この頃になると、金沢御坊を包囲する上杉軍の状況にも変化が見られ始めていた。
近くに略奪するものがなくなり、兵たちは遠方まで略奪に出かける者が続出しだす。
手紙が届いたのも、そのおかげだった。
謙信自身は動いていないが、その他の将兵たちの統制の無さが、いかに惨いものかを見て取れた。
兵たちの勝手な行動は、軍全体の規律を著しく乱していた。
それは、上杉軍を覆う「空気」が、すでに乱れ始めていることを示していた。
そんな様子に業を煮やしたのか、上杉謙信自身が時折、憂さ晴らしのように弓を射かけてくることさえ出
てきた。
それはまるで、自らの焦りをぶつけるかのような行為だった。
そんな日々が、一週間ほど過ぎた日のこと。
謙信がいつものように無風状態の時を見計らって弓を射かけている。
三本目の弓を引き絞った、その刹那——。
パン! パン! パン!
三発の銃声が、金沢御坊の周囲に木霊した。
その銃声は、謙信から二百五十メートル、およそ二町余りも離れた場所から放たれていた 。
上杉兵たちがざわつき、謙信もまた、その音の出どころを訝しむように見つめた。
まさか、この距離から狙われるとは。
弓が止まった刹那、謙信の左太ももに熱が走る 。
その直後、銃声が3発。
謙信は自分が撃たれたとは夢にも思わず、銃声のした方を見ようと顔を向けたその時、足から力が抜け、
そのまま地面に崩れ落ちた。
彼の目には、理解できない「天からの攻撃」への、困惑と恐怖が浮かんでいた。
この狙撃は、上杉軍の間に「天からの攻撃だ」「神罰だ」という「空気」を一瞬にして作り出した。
それは、織田軍の生み出す新兵器に対する具体的な脅威だけでなく、”まだ何かあるのか”という精神的な
動揺を呼び起こす見えない力だった。
謙信が倒れた直後、急に上杉本陣が騒がしくなり始めた。
狼狽した声が飛び交い、それまで遠巻きに陣取っていた兵たちが、慌ただしく動き出す。
およそ一刻(二時間)後。
上杉軍は包囲を解き、蜘蛛の子を散らすように、てんでバラバラに引き始めた。
規律の乱れが常態化していた上杉軍では、総大将の異変は瞬く間に混乱を生み、逃避へと繋がったのだ。
謙信という絶対的な「核」が崩れたことで、規律の緩んでいた上杉軍の「空気」は一気に崩壊し、統制を
失った集団はただ「逃げる」という行動に収束した。
秀吉は、その様子を部下と共に、金沢御坊の高台から静かに見守っていた。
「見事なり・・」
誰かが呟く声に、秀吉は小さく頷いた。
狙撃が上手く行ったことを確信し、その顔には安堵と、かすかな笑みが浮かぶ。
上杉軍が完全に視界から消えるまで、秀吉は目を離さなかった。
この一撃が、我らの窮地を救い、そして上杉家の命運を大きく変えることになるだろう。




