第117章 米伏の毒
(1570年9月 )落合川砦
永禄十三(元亀元)年(1570年)九月。
落合川砦を包囲して二週間が経ち、武田軍の兵糧は厳しさを増していた。
その頃、織田方は手筈通り、恵那城から兵糧を運ぶ輜重隊を落合川砦に送り込んだ。
一人につき一俵の米を、十人の兵が護衛し、別の十人の兵が運ぶ。
その様子を、武田の侍大将が望遠箱(遠眼鏡の代わりの箱)で覗くのを見ていた伊賀の忍びは、武田がそ
の様子を見ていると認識。
忍びから報告を受けた小西行長は恵那用に合図を送る。
輜重隊は、運ぶ米を毒入りのものに切り替えた。
二度目の輜重隊が落合川砦に近づいたその時、遂に武田の兵三十人ほどが奪いに来た。
打ち合わせ通り、織田方の兵は米俵を投げ捨てて一目散に逃げ帰る。武田兵は労せずして米俵を手に入
れ、歓声を上げた。
■ 馬場信春視点
砦の南側の山中、道なき道を通り抜けていた馬場信春は、輜重隊が目の前を通り過ぎようとした瞬間を狙
い、伏兵に襲い掛からせた。
「かかれ!」
三十人ほどの精鋭が、一斉に飛び出す。
織田方は驚き、米俵を投げ捨てて逃げ去っていく。
「よし、うまくいったぞ!」
信春は、その光景に満足げに頷いた。
「全部貰っていくぞ!」見えなくなった織田方の背中にそう言い放ち、手に入れた米俵を抱え、味方の陣
へと意気揚々と戻っていった。
武田兵は俵を肩へと回し、駄馬の綱も奪い取って引き返した。
俵口はわずかに湿り、濡れ藁と古米の酸っぱ臭い。
「今夜は臼を据えろ。明日の昼に炊く」
馬場信春が短く命じる。
奪った俵の多くは籾付きのまま、残りは黒ずんだ玄米に麦が混じる。
その夜、臼槌が谷に鈍く響き、ふるいの粉が白く舞った。
籾殻が兵の指の腹に刺さり、笑い交じりの悪態が闇に溶ける。
見張り火の向こう、落合川砦は沈黙を守ったままだった。
(遠く、恵那の方角で狼煙がふっと消えた。――小西行長は“米伏”の合図を送っている。だ
が、それを知る者は武田陣に一人もいない。)
■ 多正面攻略
比叡山を焼き払った信長の勢いは、とどまるところを知らなかった。
その焦土を後に、信長はすぐさま矛先を石山本願寺へと向け、その巨大な寺院を包囲する。
炎と化した比叡山の記憶が、京の都に生々しい影を落とす中、信長は新たな「天下布武」の象徴を打ち立
てようとしていた。
一方、柴田勝家こと権六もまた、その武名を轟かせていた。
若狭では、武田家の城主が殺され内乱状態に陥っていたが、佐久間が主になってその混乱を迅速に平定。
統率の取れた織田軍は、柴田勝家は先行して福知山、丹波と破竹の勢いで各地を平定していった。
織田の勢力は、畿内から北陸、そして丹波へと確実にその支配域を広げていく。
信長が炎で旧き秩序を焼き払い、権六が力で新たな秩序を築く。
二つの炎が、乱世の闇を照らし、あるいは焼き尽くしながら、天下統一への道を突き進んでいた。




