第114章 武田 現わる
(1570年8月 )落合川砦
恵那城には小西親子率いる二千四百の兵が、そして落合川砦には山内一豊が千二百の兵と共に、武田の動
きに備えていた。
木曽川沿いの山道は、尾張と甲斐を結ぶ要衝。緊張感が、砦の空気を満たしている。
その日の昼過ぎ、修験者からの知らせが、落合川砦に飛び込んだ。
修験の宿坊連絡は早い。木曽路は彼らの庭だ。
「報せ! 武田の馬場隊、五千が木曽川沿いの山道をこちらへ近づきつつある、と!」
山内一豊はすぐさまその報を恵那城に送った。
その知らせを受け取った小西父子は、粛々と砦の再建用材料と毒入りの米俵の用意と手筈の確認の指示を
出す。
■ 半日後の落合川砦、夕闇が迫る頃。
ざわめく木々の間から、パラパラと武田の兵が参道に姿を現し始めた。
彼らは、先遣隊か、あるいは斥候か。山内一豊は冷静にその数を数え、即座に後方の恵那城へ伝令を飛ば
した。
「恵那城へ伝えよ! 武田先遣隊、落合川砦前面に展開中! 本隊も間もなく到着するであろう!」
一豊は追って使者に命じた。
「輜重隊が欲しい時はうち合わせ通りに狼煙で知らせる。」
「それと再建の準備は整っているか?いつでも決行出来るように頼む」
夜が更け、砦を取り囲むように武田の篝火は鞍部から尾根筋に連なり、落合川の渡渉点を挟む形。その数
は五千、まさに地獄の影を予感させた。
しかし、本格的な攻撃は翌日まで待たれた。
夜が明け、朝霧がほどけると、馬場信春の黒母衣が尾根の風に揺れた。
武田の「不死身の馬場」と称される精鋭部隊が、いよいよ落合川砦に牙を剥く。
「来たか・・」
一豊は槍ではなく采配を取り、最前線の胸壁を自ら点検した。
「焦るな。材木束で渡渉を潰せ。射位は見せるな。」
「武田の猛者よ・・この山内一豊が、そう簡単に道を開けると思うなよ!」
落合川の清流が、これから始まる激戦の予兆を静かに流していた。




