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第113章 上杉軍の本性

(1570年7月)金沢御坊


七月三日、昼下がりのことだった。北の浅野川方面から、ゆらゆらと煙が上がり始めた。


それを見た秀吉は、竹壁の上に登って目を凝らす。時をおかずして、上杉軍の先遣と思しき隊列がぞろぞ


ろと姿を現した。


皆、一様に大荷物を抱え、秩序というものもなく、それぞれが思い思いにこちらへ向かってくる。


すでにこちらが籠城を選んだことを知ってか、奴らはすぐさま近隣の村々で乱取りを始めたようだった。


その光景は、秀吉の心を、過去の痛ましい記憶へと引き戻した。


蜂須賀が口をゆがめ、低く吐き捨てた。


「・・奴ら、最初から村を狙ったな」


金沢御坊の砦から北を望むと、浅野川の上流に近い集落から、灰色の煙がゆらゆらと立ち昇っていた。


「金沢が籠城に入ったと見るや、包囲は後回し。手始めに、目につく村の砦から襲い始めおった」


半兵衛が険しい顔で頷いた。


「こちらが籠もれば、周辺の村落が手薄になることも読まれていたのだろう。」


「だが、あれは軍略ではない・・ただの乱取りだ」


農村は無防備ではなかった。


この地の者らは、惣村を組み、環濠と土居をめぐらし、柵の外に逆茂木を伏せていた。


いざとなれば、老人も女子どもも引き入れ、弓鉄砲で持ちこたえる――そんな村の城である。


だが、敵は上杉――それも、謙信みずから率いる二万超の兵である。


「村砦もな・・槍と火で、押し切られておる・・」


秀吉の声は低く、言葉の奥に悔しさが滲んでいた。その痛みは、長島一向一揆での無力感と、重なり合う


ようだった。


「わしも農民の生まれだ。皆も知っておるだろう。だから・・このような光景を前にすると、どうにも胸


がざわつく。小さき頃の記憶が、今も残っておる」


軍議の面々が、しんと黙った。秀吉の言葉は、彼らの心にも、戦の非情さを刻みつけた。


「子供の頃、戦があってな。村が焼かれ、多くが逃げ惑う中で、わしの父も命を落とした・・どうやら、


あの混乱の中で死んだようだ。」


「母も姉も口にはせなんだが、あの折の混乱で父は果てたのだと、胸のどこかが最初から知っておった」


秀吉本人の記憶だったのだろう憑依して直ぐに頭に入り込んできた記憶だ。


秀吉は遠くの煙を見つめながら、静かに続けた。


「尾張はまだ、ましだったのだろう。豊かとまでは言わぬが、人を売るほどには困らなかった。物もある


し、取引きできる余地もある。じゃが……甲斐や越後は違う。貧しい。奪うものが少なすぎるのだろな。


だから、人まで奪う。人を縛って、売り払う」


前田が目を伏せた。


「もう・・二、三日もすれば、人商いが現れる。禁じても、戦の渦の底ではそうなる」


「上杉も武田も上得意様だろうからな」


「だからこそ、逃げよと通達を出した。だが・・半分も逃げてはおるまい」


「土地に生きる者は、土地を離れぬものですな」


前田利家が呟いた。


「田に根ざし、山に祈り、土に命を預けておる。村を捨てよというのは、命を断てと言うに等しい」


秀吉は小さく頷き、黙った。北の空にもうもうと上がる黒煙の、その下に――村砦を守ろうとした者たち


の叫びが、聞こえるような気がした。


彼の心は、過去の記憶と、目の前の現実の非情さに、深く苛まれていた。


その日から、なぎの刻ごとに遠矢が二、三本、必ず飛んだ。


誰が、どこから、どの姿勢で――を測るには十分すぎる“合図”だった。

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