第105章 赤備えの行軍、恐怖の波紋
(1569年10月~12月)畿内
大和路の山間に、朱に染まった鎧の列が続く。
先頭を行くのは、信長直属の赤母衣衆。
その背後に、織田軍一万が京を発ち、南へ向かって進軍していた。
最初の標的は奈良の外郭に点在する武士団――名ばかりの土豪たちである。
信長は使者を送ることもなく、いきなり攻めかかった。
一城、二城、山砦を落とすごとに後続部隊が合流し、二万、三万と兵数は膨れ上がりやがて五万を超た。
村々には「信長公の兵は、降れば命は助かる」との風評が広まる一方で、「抗えば、前夜に火が上がる」
という現実も同時に伝わった。
織田軍が火矢を使うだけで恐れおののくのだった。
その噂は、人々の胸の奥に見えない炎を灯し、恐怖を静かに燃え広がらせていった。
■ 民衆の目
山里の辻に立つ老女は、杖にすがって行軍を見送っていた。
「・・あれが、信長公の赤備えか・・」
朱鎧の列が視界を流れるたび、胸の奥が冷えていく。
赤備が火を連想させ惨禍を彷彿とさせるのであろう。
鉄の匂い、革紐の油の匂い、整然と揃った足音。
その規則正しさが、かえって火と血の匂いを予感させた。
裏道から逃げる落ち武者の一団は、息を切らせながら山中を駆けた。
「赤い・・赤い列が・・谷を埋め尽くしてやがる・・!」
背を振り返るたび、旗と槍の列が途切れなく続いているのが見える。もうどこにも抜け道はない。
村の子供たちは母の手に強く引かれ、家の奥へと押し込まれる。
「外を見るな。目が合えば、命はないぞ」
その声は震え、子供の耳には「目が合うだけで死ぬ」という言葉だけが残った。
恐怖の連鎖と膝を屈する者たち
和泉のある武士団は、夜陰に紛れて城を捨て、逃亡を図った。
だが翌朝、その拠点は灰燼に帰していた。
まるで逃亡そのものが、信長の「空気」に逆らう行為であり、その結末がすでに定められていたかのよう
であった。
山城では、城主が降伏を宣言するより先に家臣たちが城門を開いた。
城主の命令よりも、信長が放つ圧倒的な存在感――その「空気」が、家臣たちの行動を決めていた。
この空気は、主君の意志すら無力化し、人々を保身のための選択へと追い込む、見えぬ同調圧力として働
いていた。
さらに、京から南下した軍勢から伝わる、「天から火が降ってきた」「火の雨で敵が焼けただれた」とい
う噂は、この恐怖に拍車をかけた。
三好・筒井・本願寺といった大勢力が、一瞬で壊滅したという報告は、人々の心を完全にへし折った。
もはや、信長軍に抗う術はない。
武家たちは、刀槍を交える戦いではないと悟った。
戦う相手は目の前の敵ではなく、信長が作り出す「恐怖」という空気。
そして、その空気を裏付けるように天から降る「火」の噂に、自らがどう反応するかが問われていた。
ある城主は、進軍してくる織田軍の隊列を遠くから見つめ、静かに城門を開くよう命じた。
その城門には、降伏を意味する白い旗が掲げられた。
それはもはや、信長に降るという意志の表明ですらなかった。
ただ、自らの命を守るために、自然と膝を屈するという本能的な行動に近かった。
「戦わずして制す、・・秀吉が好みそうな手口よ」
信長は馬上で薄く嗤った。
その冷たい眼差しは、この状況の全てを読み切っているかのように鋭く、揺るぎなかった。
背後には五万を超える兵が隊列を乱さず進む。
槍の列は揃い、旗は一糸乱れず翻り、足並みは鼓動のように揃っている。
規律、装備、兵糧――すべてが整えられたこの軍勢を目の当たりにすれば、もはや畿内の武士たちにとっ
て「戦の勝敗」など問題ではなくなる。
相手は鉄砲でも槍でもなく、「恐怖の正体」そのものだった。
その恐怖は形を持たず、空気のように人々を包み、身動きを封じていった。
比叡山の焼き討ちに象徴される非情さと徹底主義、過去の戦で積み重ねられた確かな実行力――「信長は
やる」という事実が、人々の心に刻まれていた。
だからこそ、「抗えば、身に火が昇る」という噂は、実際に火を見ずとも心を凍らせる。
可能性を想像させるだけで十分なのだ。
武家たちは、ようやく悟り始めていた。
これは刀槍を交える戦ではない。
目の前の敵を倒すことではなく、信長が作り出す「恐怖」という空気に、己がどう反応するかが問われて
いるのだと。
それは、鉄も刃も届かぬ領域――精神の支配の始まりであった。
この空気は、戦うことなく心を屈服させ信長にとって最も有利な地形を、人々の胸中に築き上げていた。




