第3話 味方
オースティン王太子との密会の後、クロエ・リチャードソン伯爵令嬢は、何でもよいのでとにかく社交界に出ることにした。
狙いは、クロエの名を騙って好き放題している、例の女詐欺師イレーネ・マクドネルとカルミラ・ウィズタッカーに接触するためである。
あくまでこれは、お忍びだ。
クロエは極力目立たないドレスを着て、その夜開かれていたミッドソン侯爵夫人の主催する夜会に出席した。
煌びやかなミッドソン侯爵家の別宅は、磨き上げられた大理石の階段、豪華な燭台、色鮮やかな美しい絵……と贅を凝らした造りになっている。
グラスを片手に談笑するたくさんの華やかな人々の横をすり抜け、クロエはとにかく集中して、イレーネとカルミラを探した。
だが、クロエは、きっとイレーネの方が見つけるのが簡単だろう、と思った。あの女のことだから、どうせ、一番騒がしいところにいるだろう。
クロエは耳も澄ませて、開放されている邸宅内を歩き回った。
ガッシャーン
グラスが割れる音がどこかで聞こえた。
クロエはビクッとして、辺りを見渡す。ついでに、酔っぱらった女の声が聞こえてきた。
クロエは笑えて来た。きっと、これだわね。
クロエはつかつかと急ぎ足で歩いて行った。
できれば、ミッドソン侯爵夫人に見つかる前にイレーネを掴まえたい。
「あんたいい男じゃないの~! さあ、もっとあたしにお酒を飲ませてよ!」
イレーネは、およそ令嬢とは思えない口調で、見目の良い紳士に絡んでいた。
胸元の開いたショッキングピンクのドレスで、太った体を揺すっている。相変わらずなようだ。
その紳士は迷惑そうな顔をして、助けを求めてオロオロと周りを見回していた。
「あなた!」
クロエはイレーネに向かって呼びかけた。
イレーネがどんな名前を名乗っているか分からないので、こうしか呼びようがない。
「あら!」
イレーネもクロエに気付いたが、『クロエ』とは言わない。別の偽物クロエがどこかにいるからだ。
イレーネに絡まれていた紳士はほっとした顔でクロエを見た。
クロエはその男性に安心させるような笑顔を向けて軽く会釈し、イレーネの腕を掴むとその場から連れ出した。
イレーネはぎゃーぎゃー暴れて、クロエの手を振りほどこうとする。
「ちょっと、あんたどういうつもり!? あたしにお酒をもっと飲ませてよ!」
「バカ言わないの。ここは貴族の夜会よ、場をわきまえなさいよ。っていうか、よくこの邸宅に入れてもらえたわね」
「ふん!」
イレーネは、茶髪の巻き髪をバサッとかき上げて、腕を組んだ。
クロエは腰に手を当てた。
「で、カルミラはどこよ」
「何よ、ついにあたしたちを警備兵に突き出すの!?」
「違うわよ」
クロエはイレーネを軽く睨んだ。
「ちょっと相談があるのよ」
「相談って、あんた。それ、お願いのある人のする顔じゃないでしょうが」
イレーネは不服そうだ。
クロエはため息をついた。
「あなたたち、私を助けるって言ったわよね」
イレーネはその言葉を聞いて、急に大口を開けて笑った。赤ワインで歯が少し色付いている。
「王太子の件だね?」
「しーっ!」
クロエは人差し指を口元に当てる。
「ああ、そういうこと。じゃあ、さっさとカルミラを探しましょ。どうせ、どっかで金持ちジジイでも口説いてんだから」
イレーネはずかずかと歩き出した。
慌ててクロエもイレーネについて行った。
イレーネとカルミラはおそらく何か示し合わせでもあるのだろう。イレーネは迷いなくカルミラを見つけ出すと、近づいて行った。
カルミラは、案の定、『金持ちジジイ』と一緒にいた。
クロエとイレーネの姿を認めると、一瞬顔を顰めたが、すぐに取繕って連れの男性の耳元で何か囁くと、小走りで二人の元にやって来た。
「何よ、あなたたち。あたし仕事中」
カルミラは怒気を含んだ声で言った。
「クロエが手伝えってさ」
イレーネはカルミラに、ヘタクソなウインクをした。
カルミラは眉を顰めた。
「何の話よ」
「例の話みたいよ」
イレーネが笑った。
カルミラは一瞬黙って、パッとクロエを見た。
それから、少し心配そうな顔をして聞いた。
「王太子と何かあったの?」
イレーネもカルミラも、実はお人好しなんじゃないだろうか、とクロエは何だか人事な気分で思った。
クロエは、ほんの少しだが、何とかなりそうだと、希望を持てた気がした。
「とりあえず、話を聞いてやろうじゃない」
とイレーネはカルミラに言った。
「まあ、そうね」
とカルミラは頷いた。
それからカルミラはクロエの方を向いて、
「勝手ながら、あんたのこと心配してたからね。あんたが貴族様とはいえ、王太子が相手じゃあ、ここの国じゃ結ばれないものね」
と言った。
「で、別れ話でも切り出された? 例の茶会の婚約者候補の件でしょう?」
「違う」
とクロエは首を横に振った。
「でも、その件。王太子と結婚したいんだけど、手伝ってくれないかしら?」
「は!」
カルミラは満足そうな顔で笑った。
「いいね! そういうの、嫌いじゃないわ」
「あんた、マジ?」
イレーネも楽しそうだ。
「でもね、クロエ。あたしたちに頼むなんて、高くつくわよ」
クロエは頷いた。
「なんだっけ、あなたの欲しいもの。お城だったっけ? 島だったっけ? 愛だったっけ?」
「あら、話が早い」
イレーネはニヤリと笑った。
「ま、本当にお節介だけど、あんたのことは、よくカルミラと噂話してたのよね。名前を借りてる手前〜」
クロエはイレーネとカルミラに手を差し出した。
「助かるわ」
いい人たち、みたいね。
その瞬間、イレーネがバッとクロエの後ろに隠れようとした。
「うわ、最低! オランディーニ公爵夫人だわ! こないだの茶会でだいぶ言われたから、今日顔見たら、また何か言われんだろうな!」
オランディーニ公爵夫人は、今日の女主人のミッドソン侯爵夫人とにこやかに歩いてくるところだった。
「ショッキングピンクの太った女じゃあ、私も隠しきれないって」
とクロエは苦笑した。
「ってゆーか、あんた、今日、オランディーニ公爵夫人とドレスの色かぶってるじゃない!」
とカルミラはぷーっと吹き出した。
「やめてよ!」
イレーネは忌々しそうに声を上げた。
「あんなフラミンゴと一緒にしないで!」
クロエは思わず笑った。
オランディーニ公爵夫人は、普段から羽根の縫い付けてある生地が大好きで、今日のイブニングドレスは、肩口と膝下に、ふんだんにピンクの羽根があしらわれていた。
さらには、髪飾りまでお揃いのピンクの羽根が10本ほども使われていた。
確かに、なかなか、攻めたイブニングドレスだ。
「こないだの茶会じゃあ、あの人、灰褐色の羽根で覆われたドレス着てたのよ。エミューかと思ったわ!」
イレーネの悪口は止まらない。
「とりあえず、あの女と顔を合わせるのは私も嫌ね」
とカルミラも言った。
「あー、もう最悪! あの女に見つかったら、どんな厭味を言われるか! 『こんな下品な人間がいるなんて、親の顔が見てみたいわ』とか『こんな上等な飲み物ではお口に合わないんじゃなくて?』とか言うに決まってるわ」
「それで済めばいいけどね。『二度と顔を見せないでって言ったでしょう!? 出ておいき!』が正解だと思うな」
とカルミラが澄ました顔でかぶせる。
「カルミラだって、こないだの件で顔が割れてるんだからね! 出て行かされるのはあんたも一緒よ」
キーッとイレーネが噛みつく。
「ちょっと、カルミラもってことは、『私』もってことになるじゃない!」
クロエが慌てて口を挟んだ。
今日もオランディーニ公爵夫人に鉢合わせして騒ぎになれば、『クロエ・リチャードソン』の名前は地に落ちたも同然だ。
ただでさえ、余計なことをしようとしている、このとき、に。
「こっち向くな、こっち向くな、こっち向くな……」
イレーネがお経のように唱えている。
クロエもドキドキした。
お願い、イレーネとカルミラが見つかりませんように……。
その瞬間、オランディーニ公爵夫人がパッとこちらを見た。
クロエは、ぎょっとした。
もうだめだ! 終わった!
クロエは慌ててイレーネを振り返った。
しかし、イレーネは消えていた。
あれ?
は? どこに?
クロエは内心焦ってあたりを見回した。
あ!
イレーネは近くのドリンクテーブルの下に、腹ばいで潜り込んでいた。白いテーブルクロスの下から、イレーネの大根のようなふくらはぎがはみ出ている。
ちょっと、はみ出てるわよ!とクロエは心の中で叫んだ。
クロエは、そのふくらはぎを蹴ってテーブルクロスの下に押し込みたくなった。
慌ててクロエは、オランディーニ公爵夫人を確認する。
オランディーニ公爵夫人は何も気づかず、また別の方に視線をやった。
気づかなかった? セーフ?
クロエはほっとした。
そうしてクロエは、オランディーニ公爵夫人をやり過ごすと、冷静を装ったままドリンクテーブルに近づいた。
「……もう大丈夫そうよ」
とクロエは、テーブルの下のイレーネに小声で言う。
するとイレーネがお尻をさすりながら、テーブルクロスから這い出てきた。
「カルミラめ! 力一杯蹴り飛ばしよった!」
カルミラはドリンクテーブルの横で、オランディーニ公爵夫人の方向に背を向け、飄々とした顔でやり過ごしていたが、テーブルクロスからイレーネが出てくると、笑顔を向けた。
「ふう! オランディーニ公爵夫人に見つからなくって良かったわね〜」
「あんたね!」
「まあまあ、二人とも……」
近くの客が不審そうにこちらを見ていたので、クロエは精一杯何事もなかったような顔をして、イレーネとカルミラを伴って、夜会会場を退出した。