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第2話 王太子

 その日の晩、静けさ漂う薄暗い闇の中、郊外のある屋敷に忍ぶように馬車が着いた。


 この屋敷を任されている若い執事がいそいそと飛んできて、屋敷の主人にこっそりと招かれた要人を出迎えた。


 執事に続いて、この屋敷の使用人たちも駆け付け、馬車の横で整列した。

 少し異様な空気が流れていた。


 執事は(うやうや)しく馬車の戸を開けた。他の使用人たちもそのタイミングで一斉にお辞儀をした。


 しずしずと馬車から降りてきたのは、クロエ・リチャードソン伯爵令嬢だった。


 クロエは馬車から降りると、きょろきょろと不審そうに周りを見渡した。

「いつもと違うお屋敷ね……」

とクロエは(つぶや)いた。


「はい。今日からはこちらの方に……」

とその執事は言いかけて不意に止めた。不用意な発言を控えるかのようだった。


 執事が妙に緊張した様子なので、クロエはふと違和感を感じた。

 それからクロエは、違和感の正体が気になって、屋敷に目をやった。

 

 これまではこじんまりとした簡易な屋敷だった。ひっそりと(たたず)む屋敷で、使用人も少なく、人の目がない感じで開放感があった。


 しかし、この屋敷は街から離れているのに、広くどっしりと構えられていて、張り巡らされた高い塀が威圧感を与える。そして、この使用人の数。いったいなぜこんなにたくさんの使用人を置いているのか。なんと多くの人の目があることよ。


 それに、この屋敷の使用人たちも変な様子だ。こんな風に揃って礼をするのは、まるで新しい主人を迎えているかのよう……。ん? 『新しい主人』?


 クロエはなんだか嫌な予感がした。

 この屋敷って、もしかして……。


 クロエは自分の直感に首を振った。

 今日の昼に不安な思いに(とら)われたからといって、何でもかんでもそんなに疑ってかかる必要はないはずよ。


「主人がお待ちです」

 クロエが屋敷の前で二の足を踏んでいるので、執事が催促するようにクロエに声をかけた。


「あ、え、ええ……」

 クロエは我に返った。

 そう、彼に会えば全てわかるわね。


 クロエは執事に従って屋敷の中へ足を踏み入れた。

 屋敷の中もため息が出るほど立派だった。決して派手ではないが、柱や窓枠などに丁寧な細工が(ほどこ)してあるし、絵などの装飾品も趣味良く選んであった。


 クロエは、先ほどの嫌な予感がまた胸を締め付けてくるのを感じた。

 彼はなぜ今このタイミングで、こんな特別に(しつらえ)たであろう別宅に自分を招いたのか。


 執事は奥まった部屋の前で足を止め、クロエを振り返った。

 クロエは執事に軽く頷いた。

 執事は承知すると、コホンと咳払いをして扉を叩き、中の主人に声をかけた。


 部屋の中で、急に慌ただしい物音がしたかと思うと、バタバタと歩く音がして、扉が勢いよく開いた。


オースティン王太子が頬を紅潮させて立っていた。

「クロエ!」

 オースティン王太子は、待ちわびたといった様子を隠しもせず、クロエに駆け寄るとぎゅっと抱きしめた。


「オースティン様……」

 クロエは、さっきの嫌な予感がぬぐえていないかったが、それとは別の湧き上がる感情に身を任せて、オースティン王太子の背に手を回した。


 そうだ。この温かい気持ちに素直になるのなら、多少の不便くらい受け入れなければならないのではないだろうか?

 クロエは思った。


 オースティンはクロエの頭を撫でながら、

「昼間は悪かったね、(オランディー)(ニ公爵夫人)のお茶会に顔を出したのだって?」

と言った。


「ええ」


「僕の婚約者候補の女性が来ていたのだろう?」

 オースティン王太子は心配そうに聞いた。


 オランディーニ公爵夫人は、あのお茶会の全ての招待客に、彼女が招待した北方の国のレイチェル王女を紹介したのだった。オースティン王太子のお妃候補として。

 オランディーニ公爵夫人は、この国でのレイチェル王女の後見(うしろみ)として、王宮内で権力を高めるのを目論(もくろ)んでいるのだ。


 それで、もちろんクロエも招待客の一人として、例に漏れず、レイチェル王女に挨拶した。


 クロエは、今日きっとオースティン王太子からこの話題が出るだろうと思っていた。それで、どんな顔で聞いていたらよいのだろうと思っていたが、こうして王太子の胸で顔を隠してしまえば、どんな表情でも大丈夫だとほっとした。


「その……嫌な気持ちにならなかったかい?」

とオースティン王太子は言いにくそうにしながら聞いた。


「でも、あなたは王太子ですもの。この国のためにも、どこぞの王族と婚姻を結ばなければならないのは、最初から分かっておりましたから」

 クロエはそっと答えた。


「別にクロエはお茶会に行かなくてもよかったのでは……」


「いえ、オランディーニ公爵夫人からの正式な招待状を断るわけには参りませんわ」

とクロエは答えた。


 オースティンはクロエの殊勝(しゅしょう)さに胸が苦しくなり、クロエを抱く腕に力がこもった。


「オースティン様、ちょっと苦しい……」

 クロエは小声で言った。


 オースティンはハッとして腕を緩めると、クロエの手を引き、長椅子に一緒に座らせた。

 まだ心配そうな顔をしている。


 この人は本当に私のことを大事に思ってくれているのだわ、とクロエは思った。


 クロエはオースティン王太子の申し訳ない気持ちを吹き飛ばそうと、

「でもね、偽物のクロエ・リチャードソンっていう人が、あちこち社交界に顔を出していると聞いたので、私が行く必要は全くありませんでしたわ」

とわざと明るい声を出した。


「ん? ああ!」

 オースティンは、そういえばそうだね、といった顔をした。


「え、何、その顔。偽物、やはりご存知でした……?」

 クロエはゲッといった顔をして、それから手でこめかみを押さえた。


 オースティンはふっと笑った。

「聞いてたよ。でも、偽物とは知らなかった」


「ええ?」

 クロエはポカンとした。

「聞いてたって、なんで教えてくださらないの、私は今日知りましたよ。っていうか、偽物とは知らなかったって、本当に私があんな下品なことをしていると思っていらっしゃったの!?」


「むしろカムフラージュ的な何かかと思ってたよ」


「あんな下品な噂をカムフラージュで済ませる気ですか」


「まあ、君もそんな一面もあるのかな、と思って」

 オースティンは屈託(くったく)なく笑った。


「でも、ジジイ相手に金品もらってって……」


「ジジイ? 君の口から『ジジイ』なんて言葉を聞くのは新鮮だね」

 オースティンは、ぷっと笑った。


「あ、しまった!」

 クロエは口を押さえた。イレーネとカルミラに完全に毒されている。


「まあ、おかげで、君と僕との関係は誰一人気づいてないみたいだよ。この状況は喜ばしいんじゃないだろうか」


「喜ばしい……?」

 クロエはオースティンの言葉を繰り返した。

 そっか、イレーネとカルミラが暴れまわってくれてたおかげで、本物のクロエが何しようと誰の目にも触れななかった訳だ。

 クロエはふうっと息を吐いた。


 それから、心配していたことを口にした。

「その……念のため聞きますけど、あの噂で私のことを嫌いになったとかは?」


「ないよ! あるわけないじゃないか」

 オースティンは一笑(いっしょう)()した。


「えーっと、では、ヤキモチとかは?」


「ヤキモチ? へえ、()いてほしかったかい?」

 オースティンは嬉しそうにクロエの腕を(つか)んで引き寄せた。

「もっと僕に寄るといいよ」


『いいよ』という言い方に反する強い力だった。

 オースティンはクロエの肩を抱き寄せてキスをした。

「クロエ、かわいい」


 なんだ、大丈夫そう。

 クロエはオースティン王太子の気持ちが嬉しくて、彼に身をゆだねた。

 大好きなオースティン王太子。


 クロエとオースティン王太子の出会いは、3年前。

 国境沿いの地を守るクロエの父リチャードソン伯爵は長らく王都を留守にしていたが、クロエは最先端の教育を受けるために王都に一人残っていた。そして、たまたま偶然、クロエはオースティン王太子と同じ音楽教師に師事(しじ)していたのだった。

 この音楽教師はよく(しゃべ)るひょうきんな男で、わりかし色々な生徒のプライベートもポロポロと(しゃべ)ってしまう。クロエは音楽教師の口から、色々な生徒の名前と共にオースティン王太子の話もよく聞いていた。


 ある時、この音楽教師の開いた内輪の小さなリサイタルで、クロエはオースティン王太子と(じか)に出会った。

 そのとき、クロエもオースティンも、お互いが「ああ、あなたが、あの……」といった顔をした。

 そして、お互いが「え、どの?」といった顔をした。

 それが面白くて、二人は同時に笑いあい、その後すっかり意気投合したのだった。


 そこからずっと、二人は隠れて愛をはぐくんできた。

 もともと社交界が苦手なクロエだったが、オースティン王太子との関係が始まってからは、人の目を避けるように、本当に引きこもりがちになってしまった。


 でもそんなことは、クロエにとってはどうでもよかった。

 オースティン王太子がいれば、クロエは幸せだったから。

 こうして二人で会う時間が最高に幸せで。


「あの噂がジジイ相手でなかったら、僕はその相手をとっくに消している」

 オースティンはそっとクロエの耳元で言った。


 クロエはくすっと笑った。

「あなたも『ジジイ』って言った」


 オースティンも楽しそうに笑った。


 それから、オースティンはそっとクロエから身体(からだ)を離し、ふと真面目な顔になった。


「クロエ。今から大事な話をする」

 オースティンはクロエの手首を握りながら、熱っぽい目で言った。


 クロエはハッとした。

 心臓が急にドキドキと鳴り出し、喉の奥で(かす)かに吐き気がしはじめた。

 その時がきても冷静でいたいと思っていたが、どうも体は正直なようだ。

 クロエは足が震え出すのを感じた。


 そして、クロエの脳裏(のうり)に、昼間見たレイチェル王女の美しい顔が浮かび、クロエは、全ての夢から()めた気がした。


 昼のお茶会でレイチェル王女と挨拶をしたとき、クロエは幸せが終わる予感がしたのだ。

 今まで自分が大切にしていたものを人に譲らなければならない、その時がついに来た、という。


 それから、この重厚な屋敷のことがクロエの頭を(よぎ)った。

 この屋敷のこともオースティンの口から説明があるはずだ。

 クロエの直感は気づいている。

 きっと、ここは、クロエをひっそりと囲うための屋敷。


 でなければ、オースティン王太子がこのタイミングでこんな新しい屋敷を用意する訳がないし、何よりこんなに調度品にこだわったり、多くの使用人を置いたりはしない。


 逢瀬だけなら、これまでのこじんまりとした屋敷で十分だったのだから。


 クロエに緊張が走った。

 クロエは選ばなければならない。

 きっぱりと王太子と別れるか、それとも、一生ここでひっそりと囲われて暮らすのか。


 オースティンにもクロエの緊張が伝わったようだった。

 オースティンの顔も強張(こわば)った。

 

 二人は無言で見つめあった。

 お互いがお互いの表情の中に不安を見つける。


 やがて、オースティンは真面目な口調でゆっくりと言った。

「おそらく、今の王宮を取り巻く状況を客観的に見たら、私がレイチェル王女と婚姻を結ぶことは、避けられないと思う……」


 クロエは震える唇で(うなず)いた。

 自分でも顔から血の気が引いて行くのが分かった。


 オースティンは、気持ちが込み上げてきたようで、いきなりクロエの手を力強く握った。

「でも……、僕は君と別れることはできない。君はこれまで、ずっと僕の(そば)にいてくれたろう。これからも、(そば)にいてくれなくちゃ困る」


「……」

 クロエは、どう返事をしようかと迷った。

 頭がふらふらする。


『きっぱりと王太子と別れるか、一生ここで愛人として暮らすのか』


 オースティンはクロエの顔を見つめる。

「どうしようかと考えていた。愛妾にしよう、とか。この屋敷はそのために用意したんだ。最高級に(しつら)えたよ。クロエが長く快適に暮らせるように」


 やっぱりね、とクロエは思った。

 愛妾。

 屋敷をあてがう。


 だけど、クロエはまだ心が決まらない。

 何が自分にとってより幸せなのかが分からない。


 愛するオースティン王太子と一緒にいたい。

 でも、愛妾になるということは、一生、本妻の存在を眺めて暮らすことになる。


 どうするべき?

 分からない。

 別れられる?

 分からない。


 少し考える時間をもらえるだろうか?


 クロエはおずおずとオースティン王太子の目を見上げた。

 (ほお)強張(こわば)り、きっと泣きそうな顔をしているだろうと思った。


 そのとき、オースティン王太子が、にかっと笑った。


 それから、オースティンは明るい声を出した。

「でも、気が変わった!」


 クロエはオースティン王太子の笑顔に、完全に戸惑ってしまった。

「え?」

 頭が真っ白だ。


 オースティン王太子は笑っている。

「レイチェル王女との婚姻なんて、やめだ!」


「は……? え?」

 クロエは頭がついていかず、ただただポカンとしている。


「僕が愛しているのは君だけだからね。だめだよ、君以外の人と結婚するのは、やっぱり」

 オースティンはきっぱりと言った。

「偽物のクロエ・リチャードソンがいるんだって? 面白いね! それなら、何でもできそうじゃないか!」

感想やご評価、本当にありがとうございます!

久しぶりでびくびくの投稿だったのですが、温かくて心に沁みました。

どうもありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
[良い点] あ、凄い面白いですね。ぐんぐん引き込まれる展開。クロエさんの心情がとてもよく伝わってきます。素晴らしいっ。続きが楽しみです。 いやいや、脇役も凄い個性的ですが、主役クロエも負けていないです…
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