第1話 女詐欺師
すみません、下品な女が出てきます。(でも性根はいい人、のはず!)
過ごしやすい気候の昼下がりのことだった。
クロエ・リチャードソン伯爵令嬢が、オランディーニ侯爵夫人のお茶会を早々に退散し、屋敷に帰ろうと馬車に乗り込んだ途端、
「はいは〜い、ちょっと乗せてよね〜」
と、いきなり馬車の中に太った女がずかずかと入ってきたので、クロエは驚いて心臓が止まるかと思った。
「私もよろしく」
続いてもう一人痩せた女が入ってくる。まだ手にシャンパングラスを持っていた。一瞬、その女はクロエの顔を見てぎょっとした様子を見せたが、すぐに気を取り直したようで、さも当たり前かのように座席にすとんと座った。
「えっ、ちょっと……」
クロエが戸惑っている間に、太った女は御者に向かって、
「早く出してちょうだい。できるだけ急いでよね!」
と命令した。
「クロエお嬢様……?」
と御者は御者台を飛び降り、小窓を覗き込んでクロエに確認を求めると、
「何やってんのよ、早くして!」
と太った女は、御者に向かって怒鳴り声を上げながら、しっしっと手を振った。
御者は困った顔で、口をぱっくり開けたまま、どうしようかと狼狽えている。
仕方なく、クロエは
「出して。うちの屋敷へ」
と御者に向かって言った。
御者はまだ困った顔をしながらも頷くと小窓から消え、しばらくして馬車が動き出した。
「ふう〜、やっと動いたわね! だいぶのんびりした御者じゃないの! もっといい人を雇った方がいいわよ!」
太った女は御者にも聞こえるほど大きな声で言った。
太った女は座席を広く占めて、安心したようにガバッと足を広げると、ドレスの裾など気にしないように、堂々と足を組んだ。
もう一人の痩せた方の女は、忌々しそうにその様子を見て、
「足!」
と手でその行儀の悪い足をべシンと叩いた。
太った女はムッとして、痩せた女の持っていたシャンパングラスを奪い取ると、ぐいっと飲み干した。
「ふん。なかなかいいシャンパンね」
そして、空になったシャンパングラスをクロエに押し付けた。
クロエはいつものように背筋を伸ばし、手を膝の上に揃えてちょこんと座っていたが、急にシャンパングラスを押し付けられて、条件反射のように受け取ってしまった。
しかし、はっと気づくと、
「え……?」
と呟いて、真っ直ぐに二人の女を見た。
「ああ〜そうよね。でも、そんな顔しないでよ。何もあたしたちはあんたに悪さしようなんて思っちゃいないからさ。私はイレーネ・マクドネル、こんな状況だけどさ、よろしくね」
と足を組んだ太った女が自己紹介した。
「そんでこっちは、友達のカルミラ・ウィズタッカー」
イレーネは顎でカルミラを示して紹介した。
「はあ……」
クロエはポツンと呟いた。名前を聞いたところで。そんな名前の御令嬢は聞いたことない。
しかし、イレーネはクロエの微妙な顔を読んで、愛想笑いをしながら、手をひらひらとさせて
「あー、ごめんね、馬車に乗せてもらっちゃって。ちょっとあのお屋敷のパーティーに居づらくなっちゃったから」
と言い訳をした。
「はあ……」
相変わらずクロエは訳の分からない顔をしている。
「ほら、そういうことあるでしょ? パーティーの女主人の名前を間違えちゃったりさ、ちょっと露出の高い服を着て行っちゃったり、酔っ払って人に絡んで……何人か転ばしちゃったり……」
イレーネは腕を広げて、大袈裟に肩をすくめて見せた。
確かに、昼間の茶会とは思えないほど、イレーネの胸元は大きく開いていた。ふくよかな体型を惜しげなく披露したドレスは、さぞかし上品を好むオランディーニ公爵夫人の気分を害したに違いない。しかも、招待客を転ばしたですって? 酔っ払って?
クロエがあり得ないと言った顔をしていると、さらに追い討ちをかけるように、もう一人の痩せた方の女、カルミラが
「そんなことより、いらない泥棒の容疑をかけられたりね」
とボソッと続けた。
「えっ!」
とクロエは思わず声を出した。
「やあだあ、冗談に決まってるじゃない! ね、カルミラ! ね、そうでしょ!?」
イレーネはカルミラの肩をバンバン叩く。
カルミラは何も答えず微笑すると、ふいっと横を向いた。カルミラの方はイレーネよりは幾分か品があり、その仕草も優雅だった。
「そんな、じ、冗談ですよね」
クロエは緊張しながら聞いた。
「そうよ。この腹黒オンナは、いつもアタシを陥れるようなことばっかり言うのよ。絶対真に受けちゃダメ!」
イレーネは人差し指を立ててクロエの目を見た。
「あ、ああ、はい……」
クロエは、イレーネの勢いに小さくなった。
「あ、で、でも、オランディーニ公爵夫人は形式を重んじる方だから、イレーネ様のそんな格好では追い出されても仕方ないと思いますわ。というか、逆に、何であなたがお茶会の会場に入れてもらえたのかの方が謎です。少しカルミラ様を見習われた方がよろしいかと思いますわ」
クロエはそっと言った。
イレーネはべーっと舌を出した。
「この女の真似っこするなんて絶対嫌だね。自分はいつもうまくやってるつもりで、全く、お高くとまっちゃってさあ!」
クロエは、イレーネの悪態にハラハラしてカルミラを見た。
しかし、カルミラは特別気分を害した様子はなかった。慣れているのだろう。クロエの視線に気付いて、ふっと美しく微笑んだ。
カルミラは上品なふんわりした優しい色の清楚系ドレスで肌を隠し、緩くウェーブのかかった金髪もきちんとまとめて、控えめなメイクをしていた。
イレーネの、クルックルに巻いた茶髪を垂らし、真っ赤な口紅、マスカラべっとりのメイクとはだいぶ違う。
「カルミラったら、こんな形だから男たちも群がって大変よ。でも寄ってくる男って、ほとんどジジイなの。ザマアミロって感じ。『君みたいな子を放ってはおけないよ〜、ダンスするかい〜? 食事は〜? 何、私の友人たちを紹介しようね〜』ってジジイの見栄に付き合わされてたいへんそう!」
イレーネはカルミラを指差して、バカにしたように言った。
「あら、ジジイだなんて失礼なこと言いますわね。おじ様方は素敵なプレゼントを下さりますのにね」
とカルミラはふふっと笑った。
「あら、何をもらったのよ?」
イレーネの目がギラリと光る。
「ふふ、イレーネ、やっかんでるのね? ほら見てご覧なさい、このイヤリング。ダイヤのルビーとエメラルドが散りばめてあって、みてこの繊細な職人技! 美しいわ。私に似合うだろうからって、特注してくださったの」
カルミラはそっと耳もとに手を翳してイヤリングを見せた。カルミラは明らかに自慢していた。
「どこのジジイよ!」
イレーネはムッとして言った。
「やだ、ジジイだなんて。ゲーリック侯爵様よ」
カルミラは笑顔で答えた。
クロエもゲーリック侯爵の噂はよく聞いていた。たしかに離婚歴ありの独身貴族だが、だいぶお年を召している。若い美人の娘が大好きで、パーティーで侍らせては、宝石類をプレゼントしているという噂だ。
「ふん! さすがジジイね。貢物の趣味もオールドタイプだわ」
イレーネは悔しさ半分そう言ったが、
「ま、光ってるからいいんじゃない。よかったわね!」
とプイッとそっぽを向いた。
「ジジイ、ジジイって言うけど、あなたはじゃぁ、どなたから頂き物でも?」
とカルミラはイレーネを嘲るように言った。
「あたしはね、そんなちまちました頂き物なんていらないのよ。どーんとしたお城とか島とか、大富豪の愛とか、そういったものが欲しいの」
とイレーネは言い返す。
「じゃあ、あんたまず痩せなさいよ。むっちりお肉が脇の下からはみ出てるわよ。あとその二重顎」
「あら、これくらいの方が、胸が大きく見えてセクシーでしょ! ガリガリ女よりふくよかな女が好きな男って結構多いのよ! なによ、あんたなんて、『私少食ですの、シャンパンしかいただきませんわ』なんて顔をしてさ!」
とイレーネは言い返す。
イレーネとカルミラは、すっかりクロエの存在なんか忘れて2人で睨み合っている。
「ちょっとちょっと、あなたたち何の話をしていらっしゃるの」
クロエがようやく口を挟む。
「男性に頂き物をしてもらうためにお茶会に参加していらっしゃるの?」
そりゃ、オランディーニ公爵夫人も「出て行け」と言うわ。クロエはため息をついた。
「ん? そうねえ。男性とは限らないわよ」
とイレーネはニヤリと笑って、胸元に大胆に手を突っ込むと、中から豪華な真珠のネックレスを取り出した。
クロエは見てすぐに分かった。
大玉の超高級真珠花珠ネックレス。
「男性からじゃない? じゃあ、どなたから頂いたの?」
クロエは少し驚いて聞いた。
「あっら〜、別にもらった訳じゃないわ〜」
とイレーネが言う。
「はっ!?」
クロエは怪訝そうな顔をした。
「だから言ったでしょ。泥棒の容疑をかけられたりね」
とカルミラが答えた。
「えっ、ちょっ、ちょっと! あなたたち、泥棒なのね! それで私の馬車で逃げるつもりだったの!?」
クロエはようやく状況が分かった。
この女たちは御令嬢なんかではなかった。女詐欺師? 泥棒?
「ちょっと警備隊の駐屯地へ……」
とクロエが御者に言いかけた時、イレーネがクロエの口を塞いだ。
「やめなよ! 助けてくれてもいいでしょ。あんたには何もしないって言ってるじゃない」
イレーネが小声で言った。
「でも、罪人と乗り合わせるなんて。善良な市民として、断固とした処置をとらせていただくわ」
とクロエが言い返す。
すると、
「おやめさないな、クロエ・リチャードソン伯爵令嬢」
とカルミラが窘めるように言った。
クロエはムッとした。
立場が逆でしょう? 窘めるのはこっちの方よ。
カルミラはクロエが考えていることが分かったようだったが、敢えて挑発するように言った。
「私ね、クロエ・リチャードソン伯爵令嬢って名乗ってるのよ」
「はっ!?」
クロエは目を見開いた。
「それって、私の名前……」
「そうよ。社交嫌いのクロエさん。あなたは、めったに人前にお出にならないから知らないと思うけど、あなた、社交界じゃ、おじさまキラーになってるの」
「は? はああ〜?」
クロエは絶句した。
「社交界にお出にならない、お友達もいない、ご両親は辺境の地で御公務に勤しんでいる、名前をお借りするのに、こんなに都合の良い方はいないわ」
カルミラは微笑んだ。
クロエはあまりのことに言葉が出なかった。
私の名前を騙って社交界で悪事を働いていた?
それから、カルミラはクロエの弱みを何か知っているかのように続けた。
「あなたも、あまり騒ぎにならない方がいいんでしょう?」
クロエは眉間にしわを寄せた。
ぐう。言い返せない。
クロエは一度自分を落ち着かせるように、大きく息を吸った。それから、胸に手を当てる。
クロエはゆっくりと聞いた。
「で、イレーネは誰の名前を騙ってるの?」
「あたし? あたしはリチャードソン伯爵家の遠縁ってことにしてるだけよ」
イレーネはさらっと言ってのけた。
「でも驚いたわ。あんたがお茶会に来るなんて。面倒なことになる前に逃げなくちゃいけなくなっちゃったじゃない。でも、まさか、あなたの馬車に乗り込んじゃうなんて、あたしたちもバカねえ」
「ほんと、どんな偶然よ。ドジ」
とカルミラもイレーネを睨む。
「でも、なんであなたも、そうそうにお茶会を退散したのかしらね?」
カルミラは意地悪そうにクロエを見た。
それこそがクロエの弱みだとでも言うように。
クロエは、ぎゅっと唇を噛んだ。
「さぞかし大変な事情があるみたいね」
カルミラは笑った。
「私たちのこと、このまま見逃してくれるくらいの、事情よね?」
クロエは完全に黙ってしまった。顔が青ざめる。
カルミラは、それから、すこし柔らかな口調になった。
「見逃してくれたお礼に、いつかあなたを助けてあげるわ」
クロエはハッとしてカルミラを見た。
「別に、助けてもらうようなことは何も……」
「嘘つきさんね」
カルミラは笑った。
「そりゃ、名前を借りるくらいだから、多少はあなたのことも調べたわよ。まあ……今私が言えることは……ほどほどにしときなさいってことくらいかしらね」
クロエは顔を背けた。
カルミラは、クロエが深刻そうな顔になってしまったので、冗談めかして言った。
「でも、よかったじゃない、あなたの名前を騙ってるのが私の方でさ。イレーネの姿で噂になってちゃあ、今後の結婚とかに差支えるでしょうね~」
「カルミラ! その、口にその空っぽのシャンパングラス押し込んでやる! 血まみれになっても知らないからね!」
イレーネが叫んだ。
クロエは混乱していた。
おじさまキラーの噂は、彼、オースティン王太子も知っているのだろうか?
久しぶりの執筆で、お見苦しい点が多々あるかもしれません。すみません。
よろしくお願いいたします。
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