第二章 アーサー・クロフォードという男
ヒーロー登場です。
……………今回もイケメンじゃありません。すみません。
昼の鐘が随分前に鳴った。騎士団の事務所から出たアーサーは夜勤明けの荷物袋を下げたまま寝不足の目を擦り擦り歩いて行く。
すると何事があったのだろう、数人の騎士が門前で足を止められていた。
ちょうど通りかかった途端
「おい!アーサー!プリズテッド通りにこの子連れて行ってくれ。」と迷子を押し付けられた。
薄茶色のズボンの少年は鼻水を垂らした顔を拭いてもらえもせず東門警護のサイラスに連れられてきた。この前の競技大会で叩きのめしたことを未だ根に持っているのか、ちょっとした雑用をサイラスは押し付けてくる。
(可哀想に…迷子か…)夜勤を終えた後も残務処理を押し付けられ既に昼食の時間はとっくに過ぎている。
だがアーサーは隈が浮かんだ顔に笑顔を滲ませて少年の顔を優しく拭いてやる。
「坊主。母ちゃんのところに俺と一緒に帰ろうな。どこの家か近くに行ったらわかるか?」
そう言えばウッウッと泣きながら少年は頷きアーサーのハンカチをくしゃくしゃにしながら顔を拭いた。
サイラスは後は任せたぞと言い捨てるとサッサと後ろ姿を見せる。
アーサーは少し疲れが滲む顔でベソベソと泣く子供をあやし、遠回りして送り届けることにした。
プリズテッド通りに差し掛かれば少年を探し回っていた母親と遭遇する。
『ありがとうございます!!』
若い母親は下の子に気を取られて居る間にこの少年とはぐれたそうだ。
夜勤明けで疲れた顔が彼女にも分かったのだろう。すまなそうに何度も頭を下げた挙句に鶏肉をお礼に貰って帰ってくださいと言われる。
普段ならそのように物を貰うことは慎んでいるが今月は色々と出費が嵩みアーサーの食卓は影響が出ていた。
執事たちも鶏肉の入ったシチューくらい食べたいだろうなぁ。
漠然と思えば肉を断る理由はない。礼を言い、締めたばかりの鳥を貰う。次いでだからと市場を通り抜けて久しぶりに古書屋に立ち止まっていた。
馴染みの古書屋では店主の老人が本の値つけを行っていた。
『クロフォード伯爵、今日は夜勤明けですか?ご精が出ますな。』パイプを片手に目尻にシワを寄せて笑えばアーサーも苦笑いだ。
態々伯爵と呼んでくれるのはこの翁くらいで貧乏伯爵家のアーサーのことなど誰もが平民と同じ扱いである。
「今日は夜勤の後に事務処理が多くて参ったよ。」愚痴を零せば店主はフォフォフォフォと微笑う。
「あなた様みたいな良い方がいらっしゃるから私たちはいつも助かるんですわい。また他の方の仕事も引き受けたのでしょう?本当に人が良い。今日はユックリ出来ますかな?良かったら新しく買い入れた品物も見て行って下され。」
スッと通路にアーサーを招き入れようと体を斜めに傾けた時豪快な大声が響いた。
「あ!!!クロフォードさま!!騎士様!!騎士様!!ちょうど良かった!!」
そこには恰幅の良いクロフォード家に出入りのある肉屋の女将がドシンと立っていた。30代半ばの面倒見の良い女将は10個ほど卵の入った紙袋をぐいっと押し付け捲し立てるように喋り出す。
「さっき見かけたからさぁ!追い付けて良かった!!お願いがあんのよ。今朝からこの時期使ってない倉庫で呻き声がするのよ。ほら裏通りのこの前荷運びを手伝ってもらった方の倉庫ね。
ウウン…とかハァハァって変な声がきこえてさぁ、それがまだずっと続いてんのよ。気味が悪くて。良かったら帰りついでに覗いてくんないかね?」
と言ってきたのだ。
女将が少し恥ずかしそうにしていることからアーサーも察する。
近所の餓鬼が人目の無いところで乳繰り合っているのかもしれないな?
しかも朝から盛っているとは…(羨ましいので)一言説教してやろう、と言えば女将は『悪いねえ。良かったら卵は食べておくれ。』と和かに店へと戻っていった
。
裏通りはとにかく寂しいところだがおかしな破落戸もウロウロしている。
餓鬼どもが何歳かは分からないが女将が怒鳴り込めないとなれば男の自分が一言言うしかあるまい。
アーサーはまた増えた荷物を丁寧に肩掛け鞄に仕舞うと店主に別れを告げ裏通りを目指した。
全く。25歳にもなる俺が独り身なのに近頃の子供達ときたら…そこまで考えると虚しい笑が込み上げる。
一体誰がこんな地味で貧乏な伯爵の男に嫁いでくれると言うのやら。付き合ってくれる女性1人心当たりがない。
クロフォード家の使用人は今や全部で4人。
執事を務めてくれている爺や。乳母とその旦那、息子のマイクだけだ。
昔はクロフォード伯爵家と言えば王国設立より王からも信頼の厚い貴族であった。しかし3代前の当主が貴族位に胡座をかき、随分と遊びまわってしまった。お陰でアーサーは借金を払う為に領地を失った両親の元でとんでも無く貧しい貴族として育つことになる。2人とも人は良かったが金を稼ぐという才能はなく、平民同様の生活。愛情はあったが金がなく王立学院に通わせてもらったのも随分と無理をさせていたことは自覚していた。
偶々体格に恵まれアーサーは剣技の才能もあった為学院の推薦により騎士団に所属することが出来た。
普通騎士団に入団するのは次男、三男と相場が決まっているが嫡男のアーサーが入団すると言うことは『我が家は金に困っている』と触れ回っているようなものだった。
入団当初からアーサーは彼等から嘲笑の的に常にされていた。
性格は温厚で気立も良いから友人は居ることは居るのだが何も穏やかな人物ばかり。
手柄を立てなければ騎士団の給与は上がらないためアーサーは実直に努力を重ね今の地位を築いているがそれでも平民出身の人間たちよりマシと言う程度。貴族は出て行く金額が何せ多い。
館は古びているが平民のそれより大きく、維持費もかかる。爵位は捨てなかったクロフォード家だが使用人たちと同じものを食べ、彼等を養っていかねばならないアーサーは本当に質素な伯爵であった。
古書屋の店主は父親の代からの付き合いでとても気持ちの良い男だ。
アーサーがそろそろ結婚しなければならない歳だとわかっているのでそれとなく話を振ってくれるが彼自身、非常にその面は奥手である。
昔から話し相手は年寄りばかり。
幼馴染の乳母の息子は平民のため市井の女たちと付き合ったり別れたりをしているがどちらかといえば彼の方が恋愛がお盛んなくらいだ。
乳母譲りの明るい金髪にヘーゼルの瞳。厩の世話をさせているから乗馬も上手く、程よい筋肉に人好きの良い笑顔。
それに比べアーサーは一重の垂れ目。薄い唇。鼻筋は通っているが土壁と良く似た薄茶色の髪色に同じ色の瞳。体が大きく厳ついのでニコニコしていないと子供に泣かれる時もある。
母親は美しい女性であったがその容姿は全く受け継がれず彼女の真面目な性格と父親の平凡な顔面が受け継がれた。
遺伝子の恐ろしさか、[王家の陰]とその昔言われたクロフォードの男たちは揃いも揃って日陰者にピッタリな目立つ容姿はしていない。
そう、華がないのである。
25歳にもなると市井の女でも良いから良い仲になれないかなぁ…と希望も持ったりしてみたが、老女中年男性への受けは良くとも、平民の若い娘たちから『アーサー様は優しすぎて(お顔も大人しすぎて)』と振られてばかり。
そんな自分が若者たちに『朝からイチャイチャするとは何事か。』と説教するのも間抜けな話だ。
モヤモヤした気持ちを抱えながら倉庫に着けば厚い壁の向こうから確かに人の気配がする。
アーサーは倉庫の裏手、更に植木の見え難いドアよりコッソリ侵入する。
「コラっ!」と大声で脅すのも相手を威嚇するのに良かろうと少しニヤつきソッと窓を覗く。
だが自分が予想していた若人はそこには1人もおらず、埃っぽい床の上には上品な姿の女性が縛られて転がされていた。
[は!!??なんだアレは?!]
アーサーは思わず口元を手で塞ぎ周囲を見渡した。
まだ若い婦人は猿轡を噛まされ、後ろ手に縛られ体勢は苦しそうだ。脱げた靴が片足転がっておりアーサーの窓側にあるのをジッと見つめれば、非常に高価なヒールの高い靴。
[貴族か?!]
ヒールのある靴など貴族以外は中々履かない。馬車を惜しみなく使える立場の人間しか履かないものだからだ。
薄暗い倉庫に目が慣れ、そのまま観察を続ければ何処かで見たことのある顔だと気がつく。
[公爵夫人では?]
宰相家の長女として有名な女性だと社交に疎いアーサーでも警護で顔合わせしている人間の区別はついた。
これは只事ではない。
そこからのアーサーは早かった。
敵の破落戸の人数を素早く数えると一旦外に出て近所の子供に遣いをやる。自分の装備を確認し直し倉庫の2階窓から侵入し直すと、4人の破落戸を1人1人気絶させにかかった。
元々腕っ節が強く倉庫の壁と同じ色の髪の男だ。
気配を悟られず息を潜めたまま外の見回りに出ようとした1人目を頸動脈を締めて気絶させる。
残り3人。
アーサーは再び窓から侵入する。
大きな氷箱の陰からチャンスを窺っていると小柄な男が夫人に近寄る。
「クククク。こうして転がされてちゃ貴族も平民もねえなぁ。後で可愛がってやるから待ってな。」
実に悪人らしい台詞を吐くと破落戸の1人に声を掛け裏口に進んだ。
アーサーはそっと後を付け再び1人になったところを見計らい麻袋をサッと彼に被せた。
と同時に鳩尾を大きな拳で力一杯殴りつけると小柄な男は小さな呻き声ひとつでそのまま崩れ落ちる。
顔を袋で覆ったまま縛り上げ廊下の角に寄せて再び氷箱の陰に戻るともう1人の男が破落戸の大将と思しき男と公爵夫人に手を伸ばしている最中だった。
ヒヒヒヒッと薄ら笑いを浮かべて体格の良い男が公爵夫人の体を押さえつけている。
夫人も必死なのであろう。
足をバタつかせて抵抗を試みていた。
猿轡からは苦しそうな呼吸が聞こえるが男たちは彼女の肢体に夢中なようだ。
大将がゲヘヘと笑いながら太腿に手を這わせようとするとバチンと何か弾けたような音がした。
「イテッ!!何だ今の!?」
2人が顔を見合わせた一瞬であった。
アーサーは剣の柄で大将の後頭部を思いっきり殴りつけ、大柄な男の顎へと蹴りを綺麗に入れた。
ギャアッと悲鳴をあげたのは誰だったのか。
気を失った大将をそのまま踏みつけ、アーサーは大柄な男を数発殴りつけた。
結果的にアーサーは剣で斬りつけず何とか打撲だけで4人の男たちを縛り上げることに成功したのである。
仲間が到着する前に。
(でも何でまたこんな下町の男共がこんな高貴な女性を拐かしたのか?)疑問に思いながら夫人を助け起こすと夫人は涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげ『あ、有難うございます』と頭を下げた。
可愛らしいその夫人の顔はやはりマリア・ヘンダーソンで間違いない。
アーサーはホゥと緊張の糸を解いた。
暫くすると夫のヘンダーソン公爵が到着するより先にグリフィン宰相がその場に現れる。
『マリア!!』大声で娘の名前を呼んだ彼は貴族というより1人の父親であり、確りと娘を抱き抱えた。
正直、アーサーの立てた作戦が上手くいったのも偶然の産物で、倉庫の隠し扉を使ったのも女将に以前荷運びを手伝わされたことが切っ掛けだ。外からは見え難い扉は気配を悟られず侵入出来る格好の場所であった。
この破落戸が倉庫の扉の数を把握していなかったことも幸運であった。
やがて現れた真犯人もアーサーは仲間と共に取り押さえることに成功する。
この日アーサーの呼びかけに一番にビクター副騎士団長が駆けつけ「誰にも気付かれずにコイツらを捕まえたことは僥倖。恐らく金で雇った破落戸だ。このまま待ち構えれば真犯人が現れるはずだ。」と更に誰かを捕まえる計画をその場で立てた。
破落戸共のフリをして受け渡しを偽装すること1時間。
質素な格好のその男は取り押さえられた瞬間ギャアギャアと騒ぎ立て始めた。
。
『私じゃない!私は頼まれただけなんだ!!』
男爵位のその男は金の入った袋を副騎士団長に取り上げられながら床の上で喚き散らした。
きっと自分には分からない政治のことも絡んでいるのだろう。
頭脳派の副騎士団長が立てた作戦は見事であっという間にその日は多くの人間がお縄になった。
グリフィン宰相は『この礼は必ずや!!』と言いながら深く頭を下げてくれた。
娘の肩をしっかり支え親娘の表情に疲れはあるもののホッとした顔を晒した。
人生でこんな偉い人間に頭を下げられる経験を持つなんて滅多にない。この大捕物で周囲は野次馬だらけ。
もしかしたら自分をカッコいいと思ってくれる女性がいるかも…と柄にもなくふと思う。
『当たり前のことをしたまでですので。』
姿勢を正しふっと微笑んで見せる。
アーサーの脳内では芝居小屋のヒーローと同様に台詞を言ってみた。
言ってみたが救出したマリア夫人も周囲の人間もポカンと間を開けただけで、誰も『ポッ』と頬を染めることは無かった。
『ご謙遜を。素晴らしい手腕でございました。』マリア公爵夫人から普通の返事を貰った。
いえいえ…
空振りしたことを薄々感じながらいつもの人の良い笑顔を浮かべるとアーサーは疲れた体を休める為に一旦家に戻ろうとした。
「すまん、アーサー。悪いが当事者だからこのまま事情聴取や諸々が始まる。
疲れたと思うが騎士団に戻って貰えるか?」
ビクター副騎士団長は申し訳無さそうに命令という名のお願いをしてきた。
「あぁ、そうですよね。じゃあ、ちょっとこの荷物だけ他の人間に頼みます。」
卵と鶏肉入りの肩掛けカバンを友人の騎士に預けると不承不承アーサーはその日家に帰ることを断念した。
グリフィン宰相は現在王党派の筆頭である。
娘の誘拐はその宰相と娘婿のヘンダーソン公爵に無茶な要求をするためのものだと底辺貴族のアーサーにも想像は出来た。
貴族位ではあるが政治に関わっていない自分には縁のない話だがこうやって、誰かを守ることが出来た事実は素直に嬉しい。
王党派の人間は4年前の討伐隊に手厚い補償を現在も行なってくれており、人情派が集まっていると聞く。それに対して敵対勢力は豊かな金銭を元に貴族たちを取り込んでいるロドリゲス伯爵一派だ。
彼等が政権を司れば平和呆けした貴族たちが自分たちに有利な法案を通すことは目に見えていた。
この国は4年前本当に魔獣で滅ぼされかけている。
王都は危険に晒されることは無かったが、国境付近は非常に荒廃し、アーサーも志願して戦い続けた1人である。
異界から聖女が現れ結界を張り巡らせてくれたことでその脅威からこの王国は救われるのだがそれまでの犠牲は図り知れない。
現王党派は怪我のため退団を余儀なくされた先輩や同僚の騎士に十分な補償を続けてくれており自立支援も取り組んでいる。
ヘンダーソン公爵はその法案を推進した大臣である。
国家予算の大きな部分のそれは年々議会を紛糾させ、大金を掠めたい貴族は増える一方。今王家は『平和』という名の下に非常にロドリゲス一派に苦戦を強いられている。
平民よりは事情に詳しいアーサーだが、政治力はゼロ。
昔のクロフォード家ならいざ知らず、今の自分はただの騎士だ。
夫人を助けることが出来たことだけでも幸運であろう。
宰相家の面々もこの下級貴族から多くの情報を得てきっと敵対勢力を叩くに違いない。
アーサーは知的な宰相が家族を慈しむ姿に感慨深いものを感じていた。
それにしても・・・・・・・・・
さっきの『バチン』と弾けたような音は何だったのだろうか?
破落戸たちが公爵夫人を害そうとした時の『イテェ!』という悲鳴も腑に落ちないままである。
一瞬の出来事であった故ウッカリしていたがあの弾いたような音には疑問が残る。
しかしその日のアーサーは騎士団に戻った後とんでもなく慌ただしい時間を過ごし考える余裕など全く無くなってしまうのであった。