第二章 旅立ち
いよいよミサキが旅立ちます。
「ご主人様を亡くされて落ち込んでいるのはわかりますが、当主はジェローム様に引き継がれたのです。まぁ、本当にご結婚なさっていたのか存じませんけれど。正直デイビッド・チャペス様の奥様など王都では真面に聞いたこともありませんよ?
見窄らしい黒髪に33歳も年下の幼妻なんてマトモな貴族が受け入れられるはずありません。
ジェローム様が許しても婚約者の私が許可できないのです。早々に此方を退去して頂けませんでしょうか?」
その気の強い赤毛の令嬢はズケズケと喋り自分は伯爵家の長女だと名乗った。
葬儀が終わった半年後。
先触れもなくエスメラルダという女性が突撃訪問してきて、現在美咲は彼女に絶賛退去を命じられている。
呆気に取られている使用人達に『さっさとお茶を入れ替えなさい!』と指示を出している姿を見れば、どちらが館の主人か分からなくなりそうだ。
当主のジェロームは現在辺境の見回りで戻ってくるのは2週間後。最近は美咲の護衛についてくれていたコーディも今回はジェロームに付き添っている。
この伯爵令嬢、狙って不在期間を選んだのかと疑いたくもなるが兎に角初めて聞くことばかりで動揺は隠せない。
ジェロームに婚約者がいたなんて勿論知らなかったし、自分が王都で辺境伯の妻として認識されていなかった事実にも少なからず衝撃がある。
『デイビッドは私を奥さんだとは思っていなかったから、貴族たちに結婚の告知はした筈なのに浸透していない?それともデイビッドが言っていた、〈貴族の異論は出なかった〉は本当は嘘で、王家とデイブの間だけの話だったのかな?』
エストを見上げれば少し焦ったように(私も存じ上げません)と首を振られる。
「貴女ねぇ、淑女が平民の使用人なんかと目で語り合うだなんてとても下品な真似よ?まあ良いわ。
噂は本当だったことがわかったから。チャペス辺境伯に取り入って屋敷に4年も居座った子供の話。チャペス様の愛人はご当主様が死んでも尚図々しくも居座っているって皆んなが話しているのよ?第一この城の使用人達が街で話していたのだから正確な情報よね。
貴女は上手くやったつもりだったみたいだけど調べはついているの。
話した使用人も教えてあげましょうか?。台所仕事のキャリーとメンディ。ね?彼らから裏は取れているわ。
私はジェローム様と結婚するのを唯でさえ延期している身よ?これ以上女狐な貴女の存在は許さない。勿論私の父もね。
ジェローム様はああ見えてお優しいから愛人として住まわすおつもりだったかもしれないけれど、私は嫌よ?だから1日でも早く出て行って?」
「お言葉を返すようですが、私はエスメラルダ様と今日が初対面。ジェローム様において頂いている居候の身という自覚はありますがすぐに準備は出来かねます。」
「あら?お金?だったらあげるわよ。私の父が手切金くらい用意しているわ。」
「いえ、お金は要りません。違うんです。私はある方に所在を教えておかなければならない責任がありまして、そのせいでデイビッド・チャペス様が娶って下さったのです。本当にそのお話をご存知ありませんか?」
王家の面々も宰相たちも一時期存在を狙われていたからと言って聖女ミサキの足跡を上手に消しすぎだろう。私は一体チャペス様の何になったと貴族たちに言っているのやら。
昨日まで夫を偲びながら静かに過ごしていた美咲は自分の置かれている状況を突如突きつけられた。咄嗟に頭が回らないことが悔やまれる。
しかし取り敢えず事実確認が優先だ。
「エスメラルダ様。私はジェローム様から貴女様のことを聞いておりませんし・・」
「ハッ!当たり前よ!何で貴女なんかにジェローム様が態々話すっていうの?そんなに信頼されているとでも思っていた?」
「い、いえ、初めて聞きますのでジェローム様に一度お話を伺ってそれから事を運びたいかと・・「恥を知りなさい!!」
被せ気味にエスメラルダは怒りを露わにし、ガタンと椅子を倒さんばかりに立ち上がる。
「良いこと!?チャペス辺境伯は現在ジェローム様!貴女はデイビッド様の愛人だったのだから今は何の後ろ盾も無し!ご実家が何処かも私は知りませんけれど、普通は実家にこの状況なら帰るのではなくって?それを図々しくも半年も居座るなんて厚顔にも程があります!!」
エスメラルダは息継ぎもせずに捲し立てると一枚の紙をテーブルに投げる。
「この金額で我慢なさい!次に私がこの城に来たときにまだ居たらタダじゃおかないわよ!」
そういうと護衛の男を引き連れて足早に立ち去ってしまった。
美咲は呆気に取られた。
エスメラルダの気迫と物言いに。
そしてメンディとキャリーが自分のことを街で『図々しくも居候してる愛人』と噂しているかと知って仕舞えば、急にがくりと項垂れた。
デイビッドが病に倒れてからはどの使用人たちとも仲良くやってきたと思っていたのに、すっかりお荷物になっていると気が付かなかった・・・
エストが『美咲様・・・』と静かに声をかけてくる。
「キャリー達に話を聞いて参ります。私は今までそのような話を聞いたことがございませんし、王家も美咲様のことを・・・」
「良いの。確かによく考えたら私の立場はおかしいものよね?ジェローム様はご当主なのに私が居るせいで遠慮して結婚式を先延ばしにされているのだわ。私に言わないのも当然よね。気を遣わせてしまってたのよ。御免なさい。少しだけ考える時間を頂戴?」
美咲は部屋に籠るとクローゼットから出したデイビッドの私物を胸に抱き抱える。
それは形見分けで頼んで手に入れた折れた大剣だ。
美咲と討伐隊に居た時、デイビッドはこの大剣で戦っていた。
大剣は自分には扱えないが、それは刀身が折れて短くなっており鍔と柄だけ。それなら美咲でも持ち上げられる大きさだ。財産そのものを欲しいと思った事はないが思い出の品としてミサキが手元に残したいとジェロームに頼んだ所あっさり譲ってくれた。
デイビッドに買ってもらった物は実はあまり無い。
ペニシールを訪れた時の王子様風な服が数着とウエディングドレス。
ジェロームから最初の頃『叔父を誑かした』と罵られたので、服装等も地味にして過ごしていた。
普段着のドレスはエストが看病で城を離れられない美咲の要望に応えて買ってきてくれた物が殆ど。宝飾らしい宝飾品も見当たらない。髪の毛も暫く短かった為髪飾り一つ買ってもらっていなかった。
思い出の剣を愛おしげに撫でていると涙が溢れた。
『デイビッド、私寂しくなっちゃった・・・』
再度クローゼットを開けるとデイビッドが最初にくれた石鹸と化粧水の空瓶がポーチに入っている。デイビッドからもらった物はそれが全てであった。
もう少し細々とした物もあったが最初にペニシールに住んだ時は嫌がらせばかり。デイビッドに買ってもらった途端コーディに壊されたり、使用人に隠されて紛失したりしていたので美咲はこれだけは触られないようにとエストに頼んで隠していた。最初の1年しか2人で買い物に出た事はなく、その後デイビッドは病のため城の中で過ごしていたから美咲も3年間は森の散歩以外は城の中であったと今更ながら気がついた。
ベッドの上に自分が絶対に処分されたく無い物を並べてみる。
しかし考えれば考えるほど美咲が必死に抱き抱えている物はどれもお金にならない唯の思い出だけ。
まるで私は子供だわ。
日本にいた頃近所の幼稚園の子供が宝箱見る?と箱を開けてくれたことがある。
母親に貰った可愛らしいクッキーの空箱にプラスチックの飾りや、壊れた人形のネックレス、綺麗な石を詰めた物を満面の笑みで見せてくれたのを思い出す。
美咲が手にしている物はそんなものばかり。でも、やっぱり大切だから捨てられない。
人から見れば塵だが、自分にはデイビッドの唯一の思い出だ。
デイビッドが亡くなった後、暫く自分が許せなくて食事を取ることを拒んだ。
コーディやジェロームはしっかり者だと思っていた美咲の感情の変化に驚き、『あれは治療だ!』と必死に言ってくれたが、最後のトドメを刺した自覚がある。
命を奪った感触は中々折り合いが付かずようやく落ち着いたのはデイビッドの死後2ヶ月目であった。
エストは微力ながら魔術が使える為、栄養失調で倒れそうになった美咲に幾度も回復魔法をかけたらしい。
落ち着いてきた最近は森の中の墓地へデイビッドに会いにいく為に食事も3食とる。太陽光を浴びながら森へ散歩する日々は健康的かつ穏やかな毎日へと変化した。
墓の前に立ち摘んできた花を飾り、城であった出来事を話しかける。
エストは何も言わずに付いてきてくれ、コーディは他に3人ほどの兵士を伴って警護してくれていた。
ジェロームも何も言わずに城に美咲を置いておいてくれていたのでこのままゆっくり時間が過ぎていき、歳をとっていくとばかりぼんやり考えていた。
だが、それは自分一人の話だ。ジェロームや使用人。城の兵士達一人一人生活が有り人生がある。自分の感情に皆を付き合わせているわけには行かないのだとやっと気がついた。
チャペス辺境伯領は領民もいれば軍隊も所持している。
謎の奥方がいつまでも城に立て籠っていては何の利益も生まないことは日本生まれの美咲にだって理解できた。
今はジェロームがそれなりに頑張っているようだがやはり奥方のサポートがあってこそペニシールは発展を遂げるであろう。
マリアだって社交界でヘンダーソン公爵の地位のために魑魅魍魎渦巻く女の戦闘場へと足を運んでいると手紙に幾度となく書いており、第二王子でさえ嘘くさい(?)笑顔を振りまき人脈を育て、商売に励んでいるのだ。
人生の青春時代ともいうべき時間(15〜18歳)を引き篭もり、お洒落もせず、社会生活を放棄して・・・
〈私、一体どうしたいの?〉
デイビッドの看護を後悔したことはないがよく考えれば美咲はまだ19歳。
ここから日本人の平均寿命を生きるとして50年以上を呆け〜〜〜〜っと過ごそうとしていたことになるのだ。
それは人間としてイタダケナイ!!
ハラハラと頬を伝っていた涙はいつの間にかピタリと止まり、目の前にはデイビッドとの思い出。
討伐の後、王家は一応美咲が今後働かなくても生きていけるだけのお金は渡してくれたがマリアに言わせればそれは伯爵位を現金で買えるくらいのもの。一生を平民として生きていくなら問題は無いが、貴族として生きていくならちょっと足りない方だと言われたことを思い出す。
頑張って稼いだお金を無駄使いするつもりも無いけれど、このままお洒落もせず、恋愛も知らず、一人寂しくこの王国で生きていくなんて想像しただけでもゾッとする。
日本の同級生は今頃勉強に励み受験をし、大学でそろそろ彼氏の一人や二人いるかもしれない。いや、間違いなく人生を謳歌しているはずだ。
「何をやってるのよ。デイビッドだって言ってたじゃない。『この先絶対に幸せを諦めちゃダメよ。』って。やっと意味がわかった。」
ゆっくり心を休める時間も大切だが、美咲は十分自分の心と体が復活してきているのを感じていた。
「私はもう一人で頑張れるわ。」
口にすると手先に熱が帯びてくる。
大剣を撫でていた手の平からデイビッドの思いが伝わるように何か温かいものが満ちてきた。
「そろそろ巣立つ時が来たのだわ。自立しなきゃ。」
春に庭木に巣を作っていた小鳥達もいつの間にか居なくなっていた。
きっと私はそのくらいの人間である。デイビッドが今日まで自分を守ってくれたと分かるから、だから自分はここを巣立っていくのだ。
幸い自分の聖女の力、癒しの力と言語理解能力は仕事としても使えそうだ。
美咲は顔を洗うと自分の荷物を整理し始めた。
クローゼットの洋服に化粧品。
王家から渡されているものと、マリアからの手紙。
ふと思いついて美咲はマリアに手紙を書くことにする。
[チャペスの城を出ることにする。エスメラルダを知ってる?ジェロームの婚約者が私に会いに来たの。エストは連れて行きたいのでどこに泊まれば良いかしら?王都に今後は家を移したいから協力願います。ミサキ]
魔法の封筒に託すとそれはあっという間に見えなくなった。
「人が集まるところに仕事は集まるもの。まずは王都で情報収集をしましょう。エスメラルダ様とかいう伯爵家がどれだけ力があるかも調べないと・・・
もしかしたらジェローム様の件で恨まれて、仕事を始めた途端邪魔される可能性だってあるしね。」
美咲はペニシールに来たばかりの頃、デイビッドの恋人だと思われて随分嫌な目にあった。少年のような出立ちの美咲は下に見られて攻撃対象になりやすかったのだ。人間どのようなことで人を陥れるか分からない。
あれも貴重な人生の勉強であったと今は思う。
この世界を一人で生き抜くにはお金も、仕事も、人脈も大切だ。
裏切られないような後ろ盾もいるのだと19歳になれば分かる。青臭い情熱だけではない本気の自立。
そう考えが纏まると、3年前のようにまたもや自分が何をすべきかハッキリと見えた気がした。
2時間後、呼び鈴でエストを呼ぶと美咲は自分の考えを話す。
彼女は王家がつけてくれた侍女だが、これからは自分が給与を払ってあげないといけないかもしれない。そもそも誰が給与を払っていたのかも知ろうとしなかった自分を恥じる。
それに預かってもらっている資産の状態も知らねばなるまい。
正確な金額を出す事で運用と生活費と今からの購入しないといけないものの配分を考えなければ数年で立ち行かなくなるだろう。
エストは畏まりましたというが早いか15分も経たずに戻ってくると、財政状況をつけた帳簿と王都に住居を構えるなら宰相達にひと言言わなければならないと教えてくれる。
「ミサキ様のお立場からするともしかしたら離宮をご用意できるかと思いますがその場合どうなさいますか?」
それは側妃や引退した王族が住む場合の宮である。
「それは断りましょう。私は一王都民として今からは生きていくつもりなので。エストは自分の身の振り方をどうする?私としては一緒に居てくれると心強いんだけど、無理には」
「行きます。私は貴女様と共に。」
エストは相変わらずニコリともしなかったが被せ気味に返事をすると素早く頭を下げた。意志の強い言葉に「じゃ、じゃあ…これからも宜しくお願いします。」と美咲は押し切られた。
エストを最低限養って行くのだからそれ相応に頑張ろ!
と美咲は決意も新たにする。容姿も4年前とは比べ物にならないほど変化した。食べ物の関係か胸元も随分育ち、以前の様な少年のブラウスは着ることが出来なくなった。
日焼けも褪め、黒髪も胸過ぎまであるし髪の長さで隠れ回る必要も無くなったのだから今度は堂々としていれば良い。
するとそこへマリアからの魔法の手紙がフワリと届く。
不思議なことに毎度照明器具辺りからヒラリヒラリと落ちてくるそれをエストは素早く拾うと美咲に手渡した。
この便利な手紙は500文字以内なら最速1時間程で王都と辺境の地でも文面が送れるのだ。
[ヘンダーソン家へ来てちょうだい。話を聞くわ。エスメラルダの件は長くなるから会った時に話す。父がミサキを自宅に住まわせると言ってる。マリア]
そうと決まればエスメラルダに再び会って罵られるのも癪に障る。
1日でも早くここを出発しよう。
美咲は今夜中に帳簿にじっくり目を通すと決めて夕食も部屋で取ることを告げた。
一番近しい人間はジェローム辺境伯であるが、直接話を聞く前にエスメラルダが突撃してくるのは分かる。
逃げるみたいで癪だけど…
だが、『知らない』と言うことの不利さを理解している美咲はエスメラルダを追い返すことも失礼な態度を取ることも避けなければならない。
貴族社会の面倒な側面を討伐後に嫌というほど思い知らされた。
4年前とは違い、今の美咲の手にはデイビッドの思い出の品物がある。これを心の糧として頑張ると決めたのだ。
いざ王都へ!
美咲はエストが心配するのを余所にその晩はしっかりと眠りについたのであった。