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迷惑な子ども

「部屋は、空いてるっちゃ 空いてるんですけどね。

女の人が独りというのは……」


気の良さそうな旅館の女将は、迷惑そうな表情を取り繕うこともせず、それだけ言って 押し黙った。

女将と言っても、見た目は普通のおばさんだ。


「お部屋が空いているなら、何とかお願いします。決して怪しい者ではありませんから。

ほら、そこにマルダンがあるじゃないですか。私、そこで一週間仕事をしなくちゃならないんですよ」

星子は必死に頼み込んだ。

怪しく見えないように、明るい笑顔も付けてみた。

近くに自殺の名所はないはずだ。


しかし、女将は困った顔をますます顰める。

「うーん、実は、以前にも仕事できたという女性のお一人様をお泊めしたんですけどね。

後から男の方が合流して、部屋で大喧嘩を始めるわなんだかんだで、えらい目にあった事があるんですよ」


「男も借金取りも追いかけてきません。

急な駆け込みで申しわけないとは思いますが、ご迷惑はかけません。

F駅前のマルダンでも先週仕事してきたんですよ。

住所が似ていたので、駅前のビジネスホテルから通えるかと思ったんですけど、こんなに遠いとは思っていなくて。

しかも、電車がちょうどいい時間に全然ないじゃないですか。

泊めて頂けないと、ほんとに困ってしまうんです。お願いします」


一応、 県庁所在地である。だからと言って都会というほどではない。

賑わっているのは市の中心地であるF駅の周囲だけと言っていい。

ちょっと離れれば、たちまち静かな田舎町である。

これから仕事をする場所は、F駅からたった一駅ではある。

ただし私鉄は無いから、長距離列車の各駅停車に乗っての一駅だ。

けっこう距離がある。しかも 本数が少ない。一時間半から二時間に一本あるかないかなのだ。

バスは走っているようだが、初めての町で賭けてみる気にならない。


やっと見つけた旅館は小さな安宿で、隣りは畑である。

他に泊まれそうなところは ありそうになかった。


星子は、すがりつくような目で、必死に頭を下げた。

勝った。星子は 宿を確保した。



勤め先の本社は東京にある。

仕事は主に関東だが、時折地方の仕事も舞い込む。

大きな町だと、二人で行くこともあるが、売り上げの見込みによっては、一人のことが多い。

デパートや大型スーパーで、子ども相手の出張写真館の仕事である。

小さなスタジオセットごと移動する。一応 カメラマンである。


女将の気が変わらないうちに、そそくさと荷物を下ろし、朝晩の食事も頼み、挨拶と打ち合わせのため、 店に赴いた。



行ってみれば、予想以上に立派なスーパーだ。

先週仕事をしたF駅近くの店舗よりも広そうでさえある。


先週は、調子が良くなかった。

地元のバイトを一人手配してくれるよう、マルダンに依頼してあったのだが、捕まらなかった。

一人きりで全部やる羽目になった。

それは良い。珍しい事ではない。


しかし、同時期に同じ店に入った干物を扱う業者の男には困った。

しつこく飲みに誘われた。酒は飲まないと言ったのに、毎日誘ってきた。

泊まっているホテルを聞き出そうともする。鬱陶しいったらありゃしない。


星子の仕事も 似たようなものだが、大型店が目先を変える為に、一週間単位で催事めいたテナントを入れることがある。

こま物とか金物とか焼き物とか印鑑とか様々あるが、干物屋もその手の業者だ。

そういう業者は、年中全国を渡り歩いて商売する。

結婚していても、なかなか家に帰れなくて、自分の子どもに、よそのおじさん扱いをされたりするらしい。

寂しいのだろう。

しかし、寂しいからといって、仕事先で知り合った女を追いかけまわすのは違うと思う星子であった。


今回は、そういう催事めいたテナントは、他には入っていないようだ。

バイトも手配できたという。

星子は、気分を変えて頑張ろうと思った。


旅館の食堂で夕食をとりながら、心中秘かに気合を入れてみた。

狭い食堂も、どんぶり飯の食事も、まるで下宿屋みたいだったが、泊まれただけで特に不満はない。

お代わりを勧められて、意気揚々とどんぶりを差し出した。




翌朝は、 スタジオを組みたてる為に、 早めに出勤である。

気合を入れて、どんぶり飯のお代わりも忘れない。


バイトの子は、おとなしそうな女子高生だった。

本社からは大学生を依頼してあるはずだが、手違いだろうか。

女子高生は初めてだ。

いつもよりやさしい笑顔をおまけに付けて、仕事の説明をした。

手始めに、店の出入り口で チラシを配ってもらうことにした。


出来なかった。腰が引けてる。

恐る恐る出してはすぐに引っ込めてしまうので、お客さんがチラシに気付き、受け取ろうと手を出した時には、目の前から消えている。一枚も配れなかった。



街かどで配るチラシに飴玉が付いていたり、チラシではなくティッシュを配ったりするのは、すぐに捨てられて街を汚さないためだ、という説を聞いたことがある。

それもそうだろうが、きっと、慣れないバイトを使う為でもあると思われる。


飴玉は食べ物だ。ティッシュを使わない人間はいない。

宣伝チラシではなく、飴玉やティッシュを配っていると思えば気が楽だ。

初心者や気の弱い人間にとって、ハードルが低くなる。

星子はすっかり、チラシ配りにも慣れてしまっているが、初めてだと難しく感じる人間は多い。


「町さん、もっと腕を伸ばして、お客様から見える位置まで出してみよう。

気が付いたら、もらってくれる人が居るから。大丈夫。

要らないお客様には、無理やり渡さなくてもいいんだから。ねっ」

やさしく指導して、星子は自ら手本をやって見せた。


「おはようございまーす。今日から一週間お邪魔していまーす。

いらっしゃいませー。お気軽にお立ち寄りくださいませー。

よろしくお願いしまーす。いらっしゃいませー」

にこにこと声を掛けながら渡せば、ほとんどのお客さんが受け取ってくれる。

持っているチラシが みるみる減る。

一週間とはいうものの、 定休日があるから実質六日間になる。そこはアバウトだ。


バイトちゃんの手にあるチラシを取り上げ、七、八枚ほどを改めて手渡した。


「それだけでいいから、頑張って配ってみよう。

無くなったら、スタジオまで戻ってきてね」


一人にしたら、自分流のやり方を考えるかもしれない。

サボる余裕があれば、それも良し。

初日だ。慣れてもらうのが大事だ。


バイトの女子高生、町だけを出入り口に残して、星子は戻った。



テストを装って、注意を引く為にストロボを焚いてみる。

「何をするんですか?」興味を引かれて寄って来たお客さんに、セールストーク。

「あら、じゃあ、子どもが学校から帰ったら連れてこようかしら」

「お待ちしています」幸先が良さそうだ。


そうこうしているうちに、最初のお客さんをゲット。

愛らしい幼児の笑顔をおさめることに成功した。


だが、町はなかなか返ってこない。いいかげん、次の段取りを教えなくてはならない。

チラシ配り以外にも、やってもらいたい仕事がある。

出入口まで迎えに行った。


「どう、 少しは慣れてきた? チラシ配りは もういいから 戻って」

「あと二枚で おしまいです」

二枚のチラシを、しっかと握りしめ、やったと言わんばかりに、少し声が高くなっている。

「じゃあ、次ね。説明するから」

「あのう……、あと二枚なんですけど……」

「うん、大丈夫。戻るよ」

星子が、さっさとスタジオセットの所まで戻って振り向けば、のろのろと遅れてついてきた。


撮影中に、興味を引かれて次々と申し込みが続くことがある。

そういうものだ。

そういう有難いお客さんを逃がしたくない。

撮影している間に、次のお客さんには申込書を書いてもらっておくように、と指示した。


「写真が出来上がったら、連絡しなくちゃならないから、住所と電話番号を必ず記入してもらってね。

分かった? 分からない事があったら、いつでも質問して頂戴」

「……」

「大丈夫?」

分かったのか、分からなかったのか、どうも元気が無い。


昼時になったので、社員食堂に連れて行き、昼飯をおごった。

社員食堂だから、安くて量もたっぷりある。

町は 小食だった。



夕方近くに、店内のどこかで怒鳴り声がした。

「なんだろう。ちょっと見てくるから、お留守番しててね。

お客さんが来たら、呼びに来て」

言い置いて見に行くと、総菜コーナーのおばさんが、小さな女の子を叱っている。

というより、怒鳴りつけていた。


目を丸くしてみていたら、近くの店員が説明してくれた。

「あの子、 近所の子なんだけど、いつもこれくらいの時間になると来て、店内で悪さばっかりするのよ。

おたくも気を付けた方がいいわよ」


件の女の子は 怒鳴られても悪びれることなく、あかんべえをして売り場を少しだけ離れた。


しかし、生意気そうな顔で、近くをウロウロしはじめ、特に逃げるでもなく、帰ろうとする素振りも無い。

垢じみて、汚れのしみついた服で、肩をそびやかせる。

怒鳴られるのも慣れている様子だ。

どうやらここは、困ったチャンのいる店のようだ。



先月行ったデパートでは、子ども服売り場に隣接された婦人服売り場で、女性マネキンのスカートの下を 一体残らず覗いておかずにはすまない変態青年が出没していた。

あの青年は、スカートをめくれば気が済むようで、叱れば、すぐにおとなしく退散した。

この店の困ったチャンは、なかなかにアクティブなタイプだ。

積極的に悪さをしては、店員を怒らせるのを趣味にしているようだ。

土産話が増えそうだ。


持ち場に戻ってみれば、見本写真を眺めている親子に、チラシを出したり引っ込めたりしながら、踏ん切りを付けられないでいる町が居た。

楽しいトークで引き取って、そのお客さんをゲット。


町は あまり役に立たなかったが、初日はこんなものだろう。

女子高生だし。


星子は、仕事を終えた旅館で、勧められるままに、どんぶりご飯のお代わりをした。

食堂には、他に、作業服姿の若い衆が静かに食事をしている。

近くの工事現場で作業をしているようだ。

女将が、しきりにお代わりを勧めたが、固辞している。



翌日出勤したら、町が辞めたと知らされた。

急遽代わりを探してくれるらしい。


『あと 二枚なんです』チラシを握り締めた手を思い出した。

待ってやればよかったのかもしれない。

失敗した。


その日、一人で仕事した。万事順調に終了。

旅館の食堂では、お代わりを断る男たちの声を背中に、二度目のお代わり。

カメラマンは肉体労働なのだ。



三日目、担当者が 新しいバイトの子を連れてきた。

やるな。対応が早い。

当てにしていなかっただけに、星子は少々驚いた。

今度の子は、やはり女子高生という事だったが、華奢な感じだった町に比べて、ずいぶんでかい。

どこもかしこも たくましそうだった。

まったく違うタイプの子が来た。


「高橋です。よろしくお願いします」挨拶も、はきはきしている。

チラシ配りをさせたら「はい」と短く答えて、さっさと配り始めた。

泰然自若として、躊躇が無い。

たちまち店内には、チラシを持った客だらけになった。


特に愛想が良いわけではないが、何をやらせても落ち着いて的を射た対処をするので、やりやすい。

部活を聞いたら、「弓道部です」と、自信ありげの返答。

なるほど、活躍しているに違いない。


その上、

「校長先生、バイトをしています。

お孫さんの写真を撮りましょう。今日を入れて後四日しかやってませんよ」

買い物に来た先生に、進んで誘いをかけている。


「いや、残念。今、旅行中で 孫は留守なんだ。バイト頑張りなさい」

校長先生が、にこにこしながら、本当に残念そうに言った。

自慢の生徒なのだろう。


調子よく働いて 夕方。

好事魔多し。

「ねえ、なにやってんの?」

足許に近いところから、悪そうな声が聞こえた。

例の、ちっちゃな悪ガキである。


「写真を撮ってるんだよ」

「ふううん、じゃあ、とって」

「お母さんかお父さんに 申し込んでもらわないとね。子どもを、勝手には撮れないのよ」

「ちぇっ、しょうばいだからでしょ」

「正解」

小学生になるやならずの年頃である。

それにしては、言うことがいちいち生意気だ。


撮影用の仮設スタジオには、被写体を座らせるために、ラグを敷いた台がある。

動きたがる子どもを、じっとさせておく目的で、高くしてある。

小さな子どもは、簡単には上り下りできない高さだ。

女の子は、勝手によじ登り始めた。


大事な商売道具を遊び場にされるのは、大迷惑だ。

お客さんが来る前に、何とかしてどかさなくてはならない。


幸い、客足は途絶えている。

食品売り場は賑わっているようだが、スタジオ付近には流れてこない。

黙って 放ってみた。

かなり苦戦していたが、登りきって座り、 得意げに笑う。

身体能力と根性は、なかなかのものだ。

どういう子なんだろう。しばし観察する。


子どもの自然な笑顔を写真に収めるのが、星子の仕事だ。

カラーボールの一個もあれば、指先一つで操って見せ、たちまち笑わせることくらいできる。

泣きわめいている子を一瞬で泣きやませる技もあるが、泣いた後の顔は良い写真にはならないので、泣かせないことが肝心だ。

子どもの扱いは知っている。

しかし、この子は一筋縄ではいきそうにない。

プロの勘だ。


無論、悪さをしたからといって、怒鳴りつけるなど、この商売では もってのほかだ。

店内には、お客さん候補が歩いている。店員の目だってある。

子どもを預けても安心だ、と思ってもらわなくてはならない。


「よく来るの?」

「うん、 まいにち」

質問すれば、そっけなく答えた。

態度が一人前だ。全然子供っぽくない。

「暇なんだ」

「まあね」

バイトの高橋は、口を挟まずに見ている。勘の良い子だ。


「学校は?」

「らいねんから」

おいおい、学齢前でこの態度か。

「そうか。じゃ、暇だね。よいっしょっと」言いながら、星子も隣に腰かけた。


「うん、ひま」

「今日は良い天気だよ。外で遊ばないの?」

「あそばない」

二人で足をぶらぶらさせながら、しばらく、どうでもいいことを話した。


「さあて、そろそろ仕事をしないとね。はい、お仕事、お仕事」

悪ガキを抱き下ろせば、「おしごと、おしごと」

そうだよ、サボってばかりじゃ駄目じゃん、みたいな目つきでニヤリとした。


その後は、特に悪さをするでもなく、真剣に撮影を見学していた。

子どものくせに、よく飽きずに見ていられたものだ。



旅館に戻って食堂に行けば、一番乗りだった。

「他の人が来る前に 食べちゃって」

女将が、鯛の兜煮を出してきた。

「一つしかないから、今のうちにね」

毎日残さず食べ、お代わりすることに気を良くしたようだった。

それからは、目立たないようにだが、毎食、他の人よりおかずが一品増えた。



四日目。

旅館の女将さんが、買い物の途中に声を懸けてきた。


そして午後、悪ガキが登場した。真っ直ぐにスタジオに来た。

周りをうろちょろして、やはり真剣に見学している。

よほど気に入ったらしい。

正直に言えば、少々邪魔だが、この調子だと星子が居る間は、他の売り場で怒鳴られることも無いだろう。

本来の仕事の他に、悪ガキの様子をチェックしなければならないのが余分だが、高橋がしっかりしているので、さほどの負担ではない。


日が暮れかかる頃、客足が途絶えた。

ふと見ると、悪ガキが、大きく開いたウインドウに向かって、憮然としたように突っ立っている。


「どうした?」

声をかければ、不機嫌そうに一言。

「母親」

「えっ?」

「あれ、母親」

嫌そうに指差す先に、ばっちりメイクで ドレスアップした女性が、ハイヒールを蹴たてて、颯爽と駅の方向に歩いているところだった。


「今からお出かけかあ。きれいなお母さんだね」

「きれいじゃない。ブスだ」

睨みつけるようにして、目を離さない。

「きれいだよ」

星子は それしか言えなかった。


母親には母親の事情があるのだとしても、星子は何も知らない。

子どもの服が()みだらけで薄汚れているとしても、とやかく言える立場でもない。

星子が知っている悪ガキの母は、目の前を颯爽と歩く姿だけだ。

親だからといってスーパーマンになるわけじゃないと言っても、子どもにはしらじらしいだけだろう。


だから、それしか言う言葉が無かった。

「きれいだよ」



五日目になると、悪ガキは昼過ぎにはやって来た。

ほとんど助手のように、わがもの顔で陣取っている。

その内、覗き込む客に、申し込み台に置いてあったチラシを渡したりもしはじめた。

まずいことをしそうな時は、注意すると、おとなしくいう事を聞く。

雇ったつもりはないのだが……。

高橋はというと、余計な口出しはせず、いつの間にか、自然に悪ガキとなじんでいた。



最終日、 旅館の女将さんが、私も撮ってと客になった。

子ども写真館だから、細かい修正はしないのだと説明したが、かまわないという。

「知ってるわよ。去年の男性カメラマンさんも、うちに泊まってくれたもの」

言われてみれば、この辺りでは他に旅館が無い。

「お世話になりました」やさしい笑顔が撮れた。


高橋は、淡々と仕事をこなした。

東京の大学生よりも、しっかりしている。


夕方になって、悪ガキが来た。息せき切って駆けつけた。

撮影の合間に、さりげなく、使わなくなった物から片付けながら、店じまいの体勢に入ると、目ざとく見つけて寂しそうな目をする。

星子は気付かないふりをした。

間もなくミッションは終わる。

閉店間際には、撮影機材をしまえば、 簡単に荷づくりを完了して、発送できるまでに段取りが済んだ。


「お疲れさん。すごくよくやってくれて助かった」

閉店を報せる音楽が鳴ると同時に、高橋に労いの言葉を懸け、店長の所へ行くように指示した。

バイト代の精算は、そちらに任せてある。

たちまち小さなスタジオは姿を消した。

手慣れた仕事だ。


お客をせかせるように鳴る音楽の中で、ぽつりと取り残されたような悪ガキが立ちすくんでいた。

「ねえ、らいねん、またくる?」小さな瞳が、 心なしか濡れていた。

可哀そうだが、嘘はつけない。

「仕事だからね。会社の指示があれば来るかもしれないけど、難しいな。

たぶん、他の人が来ることになると思う」

今回は、イレギュラーなスケジュールなのだ。

この店には、男性カメラマンが来ることが多い。


「きっときて。やくそくして」

「約束は できない」

仕事が無ければ、何一つ関わり合いになる場所ではないのだ。

個人的に来ることは考えられない以上、無責任な約束はできなかった。

悪ガキは真剣だ。

嘘は結局、この子を傷つける。


「まってるからー。きっと、まってるからー」

「待たなくていい」


星子は想像した。

きっと、いつもいつも母親を待って 待ちくたびれて、近所で悪さをしていたのだろう。

だから、待たなくていい。


本来、子どもは待たなくていいのだ。

待つのは、大人の仕事なのだ。


まかれた種に水をやり、日光を当て、芽が出て伸びるのをじっと待つのが、育てるという事なら、

成長しようとする子どもを見守り、待ってやるのが大人の務めだ。


今回、初日に、バイトの女子高生、町に芽生えたやる気を、星子は見逃した。

たったチラシ二枚を待ってやれなかった。

情けない大人だ。

今夜の夜行で、この地を離れる。


悪ガキの、その子の抱えた寂しさが、ほんのちょっぴり紛れる間だけの刹那を、気まぐれに待っただけの自分を、もう、待つんじゃない。

言葉に乗せられない想いを精いっぱい態度であらわして、

「もう閉店だよ。 家に帰りなさい」明るく言ってやった。


明日になったら 気付くだろうか。

星子が名前さえ聞いてやらなかったことに。

「まってるからーっ。まってるからーっ」

星子は、振り向かなかった。





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