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第四試合 お嬢さまとプロレス”やらせ”問題<中>

「お話ししてくれてありがとう、ヒナさん」

「いえ、そんな。とんでもないです……」

 真にとんでもないのはこの状況だ。

 カウチに横たわった鳥子を、三人の執事(しつじ)が囲んでいる。いつかこの場で技の実演をして見せた二人、赤太郎と青太郎が混じっているかどうかは、ヒナにはわからない。彼らはクローンのようにそっくりだ。

 同じメガネ、同じスーツ、同じ無表情で身を固めた彼らは、一人が鳥子に輸血をほどこし、一人が心電図モニターをのぞきこみ、一人が鳥子の口にレバニラ(いた)めを押し込み続けている。

「ごめんなさい……。きっと聞いちゃいけないことだったんですよね。『プロレスはやらせなの?』なんて」

 執事1号が(かか)げる赤黒い血液パックに顔を青ざめさせながら、ヒナは頭を下げた。

「……この世に疑問をもってはいけないことなんてありませんわ。それに」

 鳥子は、桜色の唇にこびりついたオイスターソースを上品に(ぬぐ)った。

「わたくしたちプロレスファンは、その問い、その命題に、真摯(しんし)に向き合わなくてはならないのです。おそらくは、永遠に」

 薔薇(ばら)刺繍(ししゆう)されたクッションに白い(ほお)をうずめ、鳥子は目を伏せた。

「で、でも鳥子さんがそんなにショックを受けるなんて、やっぱり……」

「お恥ずかしいわ。これはわたくしの弱さが招いた失態(しつたい)。ヒナさんがお気になさる必要はなくてよ」

 いや、気になる。

 だって、輸血パックはすでに3本目に突入しようとしている。

「ねえ、ヒナさん」

 ふう、と息を吐いて鳥子は微笑んだ。

「クイズをいたしましょう。〈攻める〉の反対はなにか、分かるかしら?」

「反対?」

 ヒナは首をかしげた。

「〈上〉の反対は〈下〉。〈押す〉の反対は〈引く〉。〈喜び〉の反対は〈悲しみ〉。では、〈攻める〉の反対はなんでしょう?」

 ううん、とアゴに人差し指を当ててしばらく考えてから、ヒナは答えた。

「……〈守る〉でしょうか。それか、〈防ぐ〉かなあ」

 鳥子はにっこりと笑った。

「正解ですわ。国語の授業でなら、満点の回答でしてよ」

「国語の授業でなら?」

「ことプロレスにおいては、残念ながら不正解ですの。プロレスでは〈攻める〉の反対は――〈受ける〉ですわ」

 鳥子は(おごそ)かに告げる。

「〈()けの美学(びがく)〉――。その概念こそが、他の格闘技とプロレスを峻別(しゆんべつ)する哲学(フィロソフィー)。そして、わたくしたちがプロレスを愛する最大の理由かもしれませんわね」

「受けの美学……?」

「そう。受けの美学とは、つまり――いいえ、言葉よりも実際にご覧いただいた方がいいわね」

 鳥子が軽く手をかざすのと同時だった。

 彼女が横たわるカウチの背後の床から、瞬時に吹き出した。

 全長3mに及ぶ炎の柱が。

「ギャーーーッ!!?」

 カウチの背ろでレバニラの皿を抱えていた執事3号の姿が炎に包まれる。舞う火の粉、はじける火花、満ちる火薬の匂い。

「ウワーーーーッ!? 執事さん! ()っ……!? 燃えてっ!!?」

 白目をむいたヒナを鳥子はにこにこと見守っている。

 出現したときと同じく、唐突に炎は止んだ。そして、もうもうとたちこめる白煙(はくえん)の向こうから姿を現したのは――

「増えたーーーーーっ!?」

 一人だったはずの執事3号が、二人に増殖していた。胸元に、それぞれ赤と青のタイを(ほこ)らしげにひるがえらせて。

「鳥子さん、鳥子さん、鳥子さんっ!」

「ごめんなさい、大きな火で怖がらせてしまったかしら? ちょっと入場に()ってみたのですけど」

「この際もう火はどうでもいいですよ! 火のインパクトも散っちゃいましたよ! 残念ながら! しっ、執事さんが分裂してますよ! 分裂執事!? この人たちどうなってるんですか!? プラナリアかなんかなんですか!?」

「落ち着いて、ヒナさん。プロレスを見続けていると、This is Awesomeな出来事にいくつも遭遇(そうぐう)するものですわ」

「いや、そんなレベルじゃ……」

「それに彼らは、いわば武藤選手とグレート・ムタみたいなものですから。問題ありませんわ」

「……そう、なんですか?」

「そうなんですのよ」

 そうなのだ。

「さて、と」

 小さく咳払(せきばら)いをして、鳥子は体を起こした。

「〈受けの美学〉のお話でしたわね」

 鳥子の言葉で赤いタイの執事――赤太郎と、青いタイの執事――青太郎が動いた。二人は数メートルの空間を空けて対峙(たいじ)する。

「今からご覧いただくのはランニング式〈ラリアート〉という技です。ポピュラーな技ですから、ヒナさんも動画で何度かご覧になってるはずですわ」

「ラリアート……? あっ、ラリアットのことですね」

 ラリアート、もしくはラリアット。

 呼称(こしよう)についての長く深い論争(ろんそう)に反し、この技の偉大(いだい)さについては衆目(しゆうもく)一致(いつち)するところである。かの〈不沈艦(ふちんかん)〉スタン・ハンセンを開祖(かいそ)に頂く(ほま)れある出自(しゆつじ)。加えてその華やかさ、その強烈(きようれつ)さ、その派生技の多さを見れば分かるように、ラリアート、もしくはラリアット――煩雑(はんざつ)なので以降はラリアットに統一させて頂くが――は最も輝けるプロレス技と言えよう。

 知名度の高さに比べ、動きそのものは(いた)ってシンプルだ。

 体の横方向へあげた片腕を、対戦相手の胸あるいは(のど)に叩きつける。これだけである。

 シンプルな技だけにバリエーションは多いが、今、鳥子が見せようとしているのはランニング式である。文字通り、対戦相手に向かっての助走を加えて行うラリアットだ。

「それでは実演していただきましょうね」

「えっ。実演って、また――!」

 ヒナは青くなった。

 前日、彼女の目の前で青太郎の背が急角度逆Vの字になった記憶はあまりにも生々しい。

「じっ、実演はいいです! 言葉で説明していただければじゅうぶ――あああああっ!」

 ヒナの言葉が終わらないうちに、赤太郎は()け出していた。

 水平に近い角度にあげられた赤太郎の右腕は、直立不動(ちよくりつふどう)の青太郎の胸元を狙っている。

 赤太郎と青太郎、二人の距離は(またた)く間に近づく。

 ヒナは(あわ)てて両目を閉じた。

 次に来る惨劇(さんげき)――肉と肉のぶつかる鈍くも鋭い音、切り倒された大木のように後ろに倒れ伏す青太郎、肉体が床に叩きつけられる衝撃は、簡単に予想できたからだ。

 ところが――

「……あれ?」

 目を固く閉じたまま、いくら待ってもヒナが予想したような音は聞こえてこなかった。

 おそるおそる、目を開ける。

 ヒナが見たのは、先ほど直立不動の青太郎がいた位置で、片腕をあげたまま静止(せいし)している赤太郎だ。そして青太郎の方はといえば、元いた位置から1m強ほど横にずれていた。

「よ、避けたんですね、青太郎さん。良かった……」

 ヒナはほっと胸をなで下ろした。

「そっかそっか。避けたんですね。避けれて、良かったですよね、うん。危ないし、痛いですもんね……。普通、避けますよね。そっかぁ………避けちゃったかあ、青太郎さん………………はぁ」

 無意識にこぼれた自分のため息に、ヒナは愕然(がくぜん)として我に返った。


(――わ、わたし、今、ちょっとガッカリしてた!?)


 ごくりとつばを飲み込む音が、妙に大きく聞こえる。

(待って待って! 思ってないし! そんな、『ラリアット見たかったなー』とか、『残念だなー』とか、『青太郎空気読めよ』とか、ぜんっぜん思ってないし!)

 自分の中の新たな可能性の扉と全力で戦うヒナをよそに、鳥子は(おだ)やかに言う。

「お分かりかしら、ヒナさん。ランニング式ラリアートは――〈避けようと思えば避けられる〉のですわ。あんなにも簡単に」

「えっ……」

「ラリアートだけではありません。ドロップキックしかり、ブレーンバスターしかり、ダイビング・ボディ・アタックしかり――。避けるだけならわたくしのような素人でも可能でしょう。走って逃げればいいだけですものね」

「で、でもプロレスラーのひとたちは、しょっちゅう技を食らってますよね」

 ――じゃあ、あの子たちの言う通りプロレスってやっぱり〈やらせ〉で〈お芝居〉なのかなぁ。

 そんな疑問をありありと浮かべるヒナに微笑みかけ、鳥子は続ける。

「ええ、食らいますわ。いやってほど食らいますわ。それこそが――プロレス最大の特殊性にして大輪の華」

「どういう――ことでしょう」

 ヒナの疑問符(ぎもんふ)だらけの視線を、慈母(じぼ)の如き微笑が迎え入れた。

「ごらんになって」

 鳥子の言葉を合図に、距離を取っていた赤太郎が再び青太郎めがけて走り出した。先ほど同様、片腕を上げたランニング式ラリアットの構えだ。

(どうせまた避けるのに、なんでおんなじ技……)

 今度はヒナは目を閉じなかった。

 ぼんやりと見守るヒナの前で、二人の距離は0に限りなく近づき、そして。


「え……っ」


 肉が肉を穿(うが)つ、凄惨(せいさん)な音が響き渡った。

 スピードの助けを借りた赤太郎の腕が、最早めり込んでいると評しても差し支えない状態で、青太郎の胸を打っている。

「なっ……、なんで避けないんですか!? さっきは避けれたじゃないですか! 青太郎さ――!?」

 ヒナは言葉を飲み込んだ。

 (くず)れるかに思われた青太郎の体。甚大なダメージを負ったであろう肉体は、しかし、わずかに()れたのみであったからだ。

「倒れない――!?」

 青太郎の右手がゆっくりと上がる。ひらりとひるがえった彼の手は、まるでちょっとしたほこりでも取り除くかのように、ラリアットが直撃した胸元を払った。その優雅な手は、そのまま対戦相手である赤太郎の眼前につきつけられる。ピンと一本立った人差し指。小気味(こきみ)いいリズムで、指は三度、左右に振られる。

『チッチッチ、貴様のラリアットなど赤子に()でられたようなものだ。一切、全く、寸毫(すんごう)ほども、我が肉体には効かぬのだよ、小僧』

 言葉よりも雄弁(ゆうべん)にそう告げるジェスチャー。

「か……っ」


(かあああっこいいいいいい!)


 青太郎の外見は先ほどと変わったところはない。メガネ、スーツ、無表情。対峙(たいじ)する赤太郎とはクローンかと思うほどうり二つだ。

 しかし、あの強烈な攻撃を受けきり、なお立ち続ける今の青太郎は――この世の何より強く美しく見えた。

「青太郎さんのエルガン物真似(ものまね)は日に日に精度が上がってますわね」

 満足げに言ってから、鳥子は赤太郎に目配せした。

 かすかにうなずいた赤太郎は、再び片腕を上げ――

「な――!? もう一発!?」

 先ほどよりも距離を、スピードを上げ、一塊(いつかい)の鋼鉄にも似たラリアットが青太郎を(おそ)う。

 再度、与えられた衝撃はあまりにも苛烈(かれつ)であった。

 ヒットした次の瞬間、「く」の字を(えが)いた肉体は背中から激しく床に叩きつけられる。

「ウワーーーーっ! 痛ったああああっ!」

 勝負は既に(けつ)したかに思われた。

 ところが――

「嘘――。あ、青太郎さん、立った!」

 恐ろしいまでの攻撃を一発のみならず食らい、満身創痍(まんしんそうい)であろう青太郎の体。その四肢(しし)が、ゆらりと起き上がった。

『その程度の攻撃で我が闘志(とうし)の炎が消せるとでも思ったか』

 キラリと光るメガネの奥の、見えない瞳は確かにそう語っているはずだ。

「青太郎さんすごい! 青太郎さんがんばれ! 青太郎最高!」

 ヒナは全力でこぶしを振り上げ、青太郎に万感(ばんかん)の声援を贈った。

「鳥子さん、見ました!? 青太郎さん、めちゃくちゃ強いですよ!」

「その通り」

 ふっと微笑んだ鳥子は、振り上げたヒナのこぶしをそっと引き寄せた。

「鳥子さん……?」

「ヒナさんは今、大切な点にお気づきですわ」

 雅歌(がか)を口ずさむ若き詩人のように、神秘を解く老いた隠者のように、鳥子は言葉を(つむ)ぐ。

「プロレスが希求(ききゆう)する物とはなにか? 〈勝利〉? ――もちろん。〈ベルト〉? ――それもあるでしょう。〈名声〉、〈栄誉〉、〈富〉――いずれも、是。しかし、それらは極論(きよくろん)、〈あるもの〉を証し立てる手段(アクセサリー)に過ぎない」

 熱を(はら)む唇から、言の葉がこぼれ(くだ)ける。


「方形の戦場(リング)()まっている最大の宝。それは――〈強さの証明〉なのです」


 ある人は言う。

 強さとは優しさであると。

 またある人は言う。

 強さとは自分の弱さに勝つことであると。

 そしてまたある人は言う。

 涙の数だけ強くなれるよアスファルトに咲く花のようにと。


 ――笑止。


 本来的な意味においての〈強さ〉に、優しさや弱さやキュートなお花が入り込む余地(よち)は、1ミリたりとも存在しえない。強さを他の何かに言い()えている時点で、それは最早(もはや)ただの言葉遊び。


 強さ is ストロング。

 力 is パワー。

 タフネス is タフネス。


 真の強さを表すのに〈他の何か〉など必要ない。

 純粋強者は()さない。(たと)えない。(なぞら)えない。

 ただ、絶対唯一の圧倒こそが、強者を強者たらしめる。。

 根本的根源的根幹的(こんぽんてきこんげんてきこんかんてき)なこの真理を証明するための定理。それが。

「相手の技を受けて、受けて、受けきってもぎとる勝利。『貴様如きの攻撃では自分を(たお)すことはできぬ』という圧倒的強さを証明する手段。それを証すために、プロレスラーは技を避けず、防がず、全てを受けきるのです。それが――〈受けの美学〉ですわ」


 これを〈やらせ〉と、〈芝居(しばい)〉と、と呼ばば呼べ。

 美学 is ビューティフル。

 美しさに価値を見いださぬ者の前では、ダイヤモンドは石ころ、ピカソは落書き、金丸師匠はただの酒好きおじさんだ。


「なるほど……」

 ため息に近い声音で、ヒナは呟く。

「ようするに『お前にいくら(なぐ)られたって()られたって、ぜんっぜん()かないもんねー! だから攻撃とか全部食らってやるもんねー! やってみろよホラホラホラホラ。ばーかばーか』ってことでしょうか? 少年マンガの強キャラみたいですね。フリーザ様的な」

「まあ、素敵。ヒナさんはご自身の言葉で理解なさるのがお上手ね。素晴らしいわ」

「いえ、そんな……」

 えへへ、と照れ笑いをしてヒナは頭をかいた。

 ふと思いついたように、鳥子はいたずらっぽく片眉(かたまゆ)を上げて見せた。

「ついでに申し上げると、この〈受けの美学〉の価値観が根底に流れるからこそ、〈避ける〉ことが()える場合がありますのよ」

「えっ?」

 ヒナは目を丸くする。

「だ、だって、攻撃を食らう……〈受ける〉のが強くてカッコイイことの証明なんですよね? じゃあ避けちゃダメなんじゃ」

 理解したと思った〈受けの美学〉に真っ向から反するような価値観を叩きつけられ、ヒナは目を白黒させた。

「レスラー、特に悪役(ヒール)は相手の攻撃を受けない……〈すかす〉ことがままありますわ。相手が大技をしかけようとしたタイミングでリングからわざと降りてしまったりとか。プロレスの根幹の否定、これもまた悪の美学でしてよ。ボスやジェイ・ホワイト選手の試合なんて、あまりの美しい悪辣(あくらつ)っぷりにゾックゾクしますわね」

「ふわぁ……」

 圧倒されたように、ヒナの口から息が漏れる。

「深いんですね、プロレスって」

「ふふ、そうですわね。――ふふっ、うふっ」

「鳥子さん?」

「ごめんなさ――うふふ、ふふふ」

「ど、どうしたんですか?」

 困惑するヒナをよそに、鳥子は笑いを抑えられないようだった。体を折り曲げ、肩を揺らし続ける。

「と、鳥子さん? 大丈夫ですか?」

「ごめんなさいね、ヒナさん。わたくし、少し意地悪(いじわる)をしてしまいました」

 目尻(めじり)にたまった真珠の涙を品良く(ぬぐ)って、鳥子は体を起こした。

「いじわる?」

「ええ、本当のことをお教えしますわね」


「わたくしが今まで申し上げたことは、全部、ウソですわ。〈受けの美学〉なんて存在しない」


つづく

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