第四試合 お嬢さまとプロレス”やらせ”問題<上>
聖シーニュプローズィ女学院の一角に設けられた舞藤館。
その白亜の館に、今日も実況アナウンサーの絶叫が響く。
『決いいいいぃまったああああ! ハァアイッ! フラァイッ! フロオォオオ! 太陽は沈まず! 新日本のエースがついに、ついに栄冠を手にしました!』
100インチを越える巨大TVモニターの前にいるのは、もちろんこの二人だ。
「やったああああ! 鳥子さん、棚橋さん勝ちましたよ! すごいすごーい!」
ばんざいの姿勢で歓声をあげる〈緑川 ヒナ〉に、〈白瀬 鳥子〉は柔らかにほほえみかける。
「ヒナさんが楽しそうでわたくしも嬉しい」
二人が視聴しているのは、新日本プロレスワールドが配信する過去の試合だ。リアルタイムではないし、鳥子の方はこの試合の結果はとおに知っていた。しかし、彼女はかわいい後輩の純粋な歓喜に水を差したりはしない。良かったわねえ、と喜びを分かち合った。
「はー……、面白かったー」
「うふふ。では少し休憩してから、次は内藤選手の試合を拝見しましょうね。先日、お預けになってしまいましたから」
お菓子を召し上がって、という言葉に促され、ヒナはフォークを手に取った。
琥珀色の焼き菓子の名は〈キャメル・クラッチ〉。砕いたナッツを包むキャラメルの光沢が美しい。
「そう言えば、鳥子さん」
その問いは、あまりにも無邪気に発せられた。
「なにかしら、ヒナさん」
だから、鳥子も一切の警戒をしていなかった。
「プロレスって――やらせなんですか?」
鳥子の手から、銀のフォークがこぼれ落ちた。
永遠にも似た時間をかけ、銀器は回転しながら落下する。
「あ。鳥子さん、落としましたよ――」
毛足の長い絨毯に吸い込まれたフォークをつまみ上げ、笑いながら顔を上げたヒナは、
「ギャーーーッ!」
唇から絶叫をほとばしらせた。
いや、この際、ヒナの絶叫はどうでもいいだろう。
鳥子が唇からほとばしらせていたのは、絶叫どころか真っ赤な鮮血だったからだ。
「血っ!? 血ぃ!!」
まっ白な前歯が噛み破った唇から溢れる血は濁流のようにあごを伝い、膝の上でガタガタ震えるこぶしまでも赤く染めている。眦も裂けよとばかりに見開かれた目。目幅で流される涙もまた、同じ赤だった。
「ふへえええ!? なんで!? 鳥子さっ……! しっかり!」
「ヒ、ナ、さ、ん……」
ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、と。ホラー映画に出てくる呪いの人形さながらに、首だけを動かして鳥子がヒナを仰ぐ。
「な、ん、で……」
「鳥子さん怖い! てか血!」
「血なんてどうでもよろしいわ!」
血糊をまきちらし、鳥子は叫んだ。
「プロレスがやらせだなんて! どういうことですの!?」
「それより血!」
「なんでやらせだなんておっしゃるの!? どうして!」
「その出血量ほんとやばいですって! バケツ3杯分くらいありますって!」
「お願いよ、おっしゃって!」
「わっ、分かりました! 言います、言いますから! 早く手当てを――」
〈緑川 ヒナの疑問〉
この間、クラスメイトとおしゃべりしてたんですよ。
話の流れで、わたし『最近、プロレスを観てるんだー』って言ったんです。何の気なしに。
そしたら、みんなが言うんですよね。
『でも、プロレスってやらせなんでしょ?』って。
あああっ、鳥子さん! また血! うわあああっ、部屋の反対側のカベまで飛び散って……っ! やっぱり病院に行きま――
え? ハイ、ええ。わかりました。つ、続けますね。
わたし、『やらせってどういうこと?』って聞いたんです。
そしたらみんな――
『えー? プロレスっておかしいじゃん。格闘技って、パンチやキックが飛んできたら避けるじゃん。てか普通、避けるよね、誰かに殴られそうになったらさ。ボクシングとかで、避けられずに食らっちゃうって言うのはわかるよ。相手のパンチが早すぎて、避けられなかったんだろうなーって思うし』
『でも、プロレスってそうじゃないじゃん。「逃げたら確実に避けられるのに」ってタイミングでも、攻撃食らっちゃうじゃん』
『わざとっぽいよね』
『うん、わざと攻撃食らいに行ってるよね、絶対』
『あの、なんて言うの? リングに立ってる柱によじ登って、ジャンプして体当たりする技あるじゃん。あんなの、ちょっと移動したら簡単に逃げれるよ』
『だよね。あたしでも避けられる』
『でも食らう、プロレスは』
『食らう食らう』
『あんなのお芝居じゃん』
――こんな風に言うんです。
で、最終的に――
『プロレスは真剣勝負じゃないよ。やらせだよ』
――って、結論になりまして。
ウワーーーーーっ! 鳥子さん! 耳っ! 今度は耳から血が! 間欠泉みたいに!
く、唇真っ青じゃないですか! チアノーゼってやつですよ!
え? ええ? でも……。……ハイ、ハイ、ハイ。わかりますけど、それは……。
……じゃあ、続けますね。
わたし、そんな風に指摘されるまで気づかなかったんですけど。
確かにプロレスって、他の格闘技みたいに避けたりしませんよね?
むしろ、積極的に技を食らいに行ってる感じもあるし……。
だから、みんなの言う通り『プロレスってやらせなのかな』って思ったんです。
つづく