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第三試合 お嬢さまは新日がお好き<上>

 学院の一角に設けられた白亜(はくあ)の<舞藤館(ぶどうかん)>。

 住まう者たちと同様に優雅なその建物は、今日も緑川(みどりかわ) ヒナを迎え入れた。

 この(やかた)(あるじ)たる資格を持つのは、特別な一握(ひとにぎ)りの人間のみ。だからなのか、建物の規模に比して内部は常に閑散(かんさん)としている。ヒナはこの館で白瀬(しらせ) 鳥子(とりこ)以外の住人を見たことがなかった。

 今日、この時までは。

「なんで呼び出されたか、わかるよね?」

 なじるような声音(こわね)に、ヒナは立ちつくしたまま体を(かた)くした。

 「上級生に呼び出される」というだけで、いい兆候(ちようこう)ではないことくらい予想はつく。注意か、叱責(しつせき)か、あるいは言いがかりに近いような何か。

 しかも、今日ヒナを呼び出したのは、学園の<女王様>だった。

 <崖乃下(がけのした) 椿(つばき)>。

 彼女は美しい。少しの(とげ)がかえって華ともなるような冴えた美貌(びぼう)の持ち主だ。

 彼女は賢い。成績は常にトップクラス、健やかな肉体にも恵まれている。

 彼女は裕福だ。某財閥の一人娘で、この学園の理事の孫でもある。

 彼女は人望がある。いつも多くの取り巻きに囲まれている。

 しかし、それでも崖乃下 椿の名は、生徒たちの間で絶大な恐怖と共にささやかれる。

 曰く、口答えした下級生を休学に追い込んだ、とか。

 曰く、教師すら逆らえない存在である、とか。

 曰く、椿の<呼び出し>から無事に帰れた人間はいない、とか――。

「わかり、ません」

 ()の鳴くような声でようやくヒナは答えた。

 わかるわけが、ないのだ。なにせヒナが椿としゃべるのは今日が初めてなのだから。

 不機嫌(ふきげん)なため息を吐いてから、言った。

「――あんた、白瀬 鳥子と仲いいんだって?」

 はっとして、ヒナは思わず顔を上げた。

 ヒナが敬愛する鳥子と、椿の仲の悪さは校内でも有名だ。

 仲が悪い、という言い方をすると語弊(ごへい)があるかも知れない。穏やかで優しい鳥子は誰とも争いなど起こさない。一方的に椿が鳥子を嫌っているというのが正確だろう。彼女はなにかにつけて鳥子と張り合っている――らしい。

「仲がいいかどうかは……。鳥子さんはお友達だっておっしゃってくれましたけど、お、恐れ多いですし」

 つっかえつっかえ言ったヒナに、椿は鼻を鳴らすことで答えた。

謙遜(けんそん)しなくていいわよ。あんた、先週も先々週も、白瀬 鳥子とここで過ごしたんでしょう」

 調べはついてるのよ、と言外(げんがい)に匂わせる言葉だ。

 小さな舌でちろりと唇を()めて、椿は続けた。

「ねえ、教えてくれない? あの女と普段(ふだん)なんの話をしてるの?」

「それは――」

 主にプロレス話をしてます。

 答えようとして、ヒナは慌てて口をつぐんだ。

 <崖乃下 椿は白瀬 鳥子の弱味を探している>。

 これもまた、有名な話だ。

 正直に答えていいものかどうか、ヒナは迷った。

 崖乃下 椿が鳥子の趣味を知ったら――

『聞いて聞いてー。白瀬 鳥子ってプロレス好きなんだって』

『おっさんみたいよね。あんな乱暴なの、どこがいいのか全然わかんない』

『趣味悪いよねー。あんなお嬢様ヅラしてさー』

 ――くらいのことを広めかねない。

 別にプロレス観戦が恥ずかしい趣味とは思わないが、鳥子がそんな風に笑われるのは、ヒナには我慢(がまん)できない。

 黙り込んだヒナをゆっくり待てるほど、椿は鷹揚(おうよう)ではなかった。

「なーんだ、やっぱり人に言えないようなことをしてたんだ、あの女」

 赤い唇から、毒がしたたる。

「当ててあげましょうか。クスリとか? イジメとか? 下級生をリンチでもしてた?」

「しっ、失礼なこと言わないでください! 鳥子さんはそんなことしません!」

 たまらず叫んだヒナに、返ってきたのは嘲笑(ちようしよう)だった。

「あっ、そうかそうか。男でも引っ張り込んでたんだ」

 衝撃(しようげき)と怒りで目の前が赤く染まった。

「いい加減(かげん)にして! 鳥子さんは、鳥子さんとわたしは、プロレスのお話をしてただけです!」

「ぷろ……?」

「だからプロレスです! ぷーろーれーす! 先々週は試合を観ました! 先週は鳥子さんにルールを教えてもらいました! わたしは大社長とHARASHIMAさんと平田さんが好きです! 沙希さんも好きです! ポーリーはかわいいと思います! 坂口さんは本職感があってちょっと怖いです! 普通に街とかで会ったらたぶん泣きます、わたし!」

 一息に言い終えて、ヒナは荒い息を繰り返している。

 ちなみに、彼女は感情が高ぶると言わななくてもいいことまで言ってしまう悪癖(あくへき)がある。そして、後になって気づいて死ぬほど後悔するのだ。

 果たしてこの時も、そうだった。

「――そう、プロレス、ねえ」

「ああっ! しまっ――」

 両手で口を(おお)ってみても、もう遅い。

「なるほど。白瀬 鳥子、なにをしているかと思えば、プロレスとは――」

 くつくつと笑うのに合わせて、制服の肩が()れている。

「ちがっ! 今のは、ウソ、とか、そういうのです! ぷろれすとか、しら、しらないし、わかんないですし!」

 パニックを起こしてあわあわうろたえるヒナに、椿は大股(おおまた)で近づいた。

「緑川 ヒナ」

 すさまじい力で、腕をつかまれる。

「痛っ! なにを――!?」

「あんたとはゆっくり話をしなくちゃいけないみたいね」

 窮鼠(きゆうそ)(なぶ)る猫の目が、ヒナを捕らえる。

「来なさい!」

「やだ、やめてくださ……」

「うるさい! 痛い目にあいたくなければ、言うことを聞きなさい!」

 ぐいと腕を引かれ、ヒナの口から悲鳴が漏れた。

 悲痛な叫びは、誰にも届かないまま長く尾を引いた。



つづく

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