私達、もう、辞めちゃうよ
ツイッターで、療養型病院などの、当事者に苦しみを与えてしまう延命治療について、又、はたから見たらば、家族の自己満足だったり、知らなかったけれど、年金の為の延命措置・・・ここの所、読む機会が増えたように思います(>_<)
そういえば、よくニュース番組で、「親の年金をもらうために、生きていると偽証してた」とか聞きますが、私としては、それよりも、「親の年金もらいたいから、死なせてくれるな!」は、悪質だと思うのです。情けない……
いくら子供を愛して、その行く末を憂いていたとしてもです、ベッドの上で、天井だけを見て、身体中の痛み、身の置き所の無さに耐え、何一つ心地よいことなく、時間が過ぎることだけを願う……そんな悲しい親の愛って、何なんでしょうか?
それとも、家族は、もう、人間としての感情が無くなった、ただの、生き物だと思っているのでしょうか?だから、苦しめていないとでも?
「星々の記憶」の第八話、「救急車に乗~せられて、いいちゃった」で、苦しかった食事介助を止めて、お看取りになった方のことを書きました。
結局、最後に、面会に来たことの無い長男が出てきて、延命の為に、病院搬送されてしまいました(>_<)
その時、穏やかに亡くなるところだったのに……点滴されて、まだ手が動くから、拘束されて、ミトンされて、痰の吸引されて、あの目から、涙を流れているんだ!とその場面を想像して、物凄く、悲しく、見送りました。
そして、
「子供の育て方、間違えちゃったね・・・」
と。
けれど、
「でも、あなたは、優しい方だから、こんな仕打ちをされても、子供に後悔が残らないというのならば、これで良しと、するんでしょうね」
と・・・
病院での治療、そこに我慢を強いるのならば、そのご褒美は、自分らしい生活に戻ることだと思います。
もちろん、治らない病、受け入れがたい後遺症、一進一退を繰り返して命尽きることもあるでしょう。それでも、入院生活を、医療従事者は、支えていきます。時に、いら立っている患者さんも、生きる気力を失くした患者さんも……私達は、共に戦うのです!
が、もはや、自宅に帰ることは望めず、もしかしたらば、生きていることを家族から忘れられている……は、辛い……私達は、家族の代わりには、なれません(>_<)
そうでなくとも、痛みを伴う行為をする時に、これを続けることの意味を考えてしまう(>_<)
そう、考えてしまうのです。
がんの患者さんに、緩和ケア、ホスピスがあるように、認知症の方、老衰の方にも、穏やかな死を支える環境、あってもいいのにな~と、思います。しっかりと、最期の時を支える為の介護、看護ならば、それはそれで、やりがいのある仕事。
今、在宅介護・看護や、施設がそれを担っているのかもしれないけれど、もっと、積極的な環境、あったらいいな~本人も、家族も安心できるような……
創る為には、色々と、法律だの、制度だの、とてもとても大変。SFならば、作り放題ですが……
そこで、
「ダメな所を潰してしまおう!」
と、考えてみました。
介護、看護をしていて、こんな延命、本人にとっていかがなものか?と思った所は、辞めちゃいましょう!
自分のやっている仕事、その方の為になっていないと思うのならば、それ、続けていくと、自分が壊れてしまいます。サッサと辞めてしまいましょう!
私達は、ご家族も含めて、看ています。ご家族を支えるのも、大切な仕事です。でも、あんまりな家族、?????と思ったらば、無視が出来ないのならば、やはりそこも、辞めちゃいましょう!
無責任かもしれませんが、変なものは、変です。変えられないのならば、そこから離れて、何が悪い!
医療従事者に、そっぽを向かれたらば、どんな法人も、潰れます。
そしたらば、はじめて、この医療、間違っているって気づいてくれるのかな~なんて……
無理難題を言ってくるご家族も、入るところが無くなれば、ご時世に合った考え方に軌道修正してくれるんじゃないか、と、淡い期待を込めて・・・
必要がないだけではなく、かえって負担を強いる治療、薬、検査、etc・・・
意味のない、生活からの隔離、拘束、etc・・・
誰か、望んでいる方がいるのだろうか?
もしかしたらば、現実を知らなくて、望んじゃっている?
だとしたらば……
私達、もう、辞めちゃうよ(*^-^*)