2-4 Club Shadow tale(4)
警察を呼んだら後は早かった。テツオが起き上がらないよう見張りながら煙草を吸っていると、一本も吸わないうちに防弾ジャケットにヘルメットを身につけた重装備の警官達がVIPシートへと雪崩れ込む。まだ気絶しているテツオを回収する彼らに一郎を保護してもらう。
泰駿の仕事のことだけを考えるなら、一郎は警察に任してしまわずに自分で保護するほうが良かっただろう。ただ彼の様子を見ると、テツオは彼に対して何らかの犯罪行為を働いた可能性が高く、また精神的なダメージを負っている可能性もあった。それなら警察に連れて行かせたほうが、ケアもしてくれるだろうし得策と考えたのである。
重装備の警官達がVIPシートを出て行くと、入れ替わりに背広姿の刑事がやってきた。無精髭を生やしたその男は泰駿のよく見知った男であり、彼が来たのを見ると顔なじみが来てくれた安心感で安堵の息が漏れた。
「ESP犯罪者がいるからって来てみたらお前かよ……ったく調子こいたガキのケンカだと思ってたらこれか」
安心している泰駿とは裏腹に、この熊谷という名の刑事は心底から嫌そうに顔を引きつらせている。
「そんなこと言わないで欲しいんですけどねー……ほら、善良なる市民の義務ってやつを果たしたわけですから。感謝状の一枚や二枚くれたって良いんですよ?」
冗談を言いながら笑ってみせ、煙草の箱を投げる。熊谷はそれを受け取ると、泰駿に断りもいれずに一本取り出して咥える。
「お前さん、俺が禁煙してるって事を知っててやってんのか?」
「そういえばこの間、奥さんに止められたって言ってましたね。すみません、すっかり忘れてました」
言いながらも泰駿は熊田に近づくと、彼の咥えている煙草に火を吐ける。煙を肺にたっぷりと吸い込んだ熊谷の浮かべた表情は至福そのもの、どれだけの期間続けていたのかは知らないが禁煙は堪えるらしい。
「相変わらずくそ不味い洋モクだなお前は……日本人ならマイセンにしろマイセンに。ともかくだ、事件があったんなら取り調べなきゃならん。また後日、署まで来てもらうことになるんだが今日ここで何があったかも聞かないといかん。泰駿は……良くはないんだが、後回し。そこの嬢ちゃん、名前となんでここにいるか、ここで何があったか教えてくれないかな? 俺は熊谷って名前でね、見ての通りの警察だ」
泰駿に対する態度とは打って変わり、プラムに対する熊谷の態度は丁寧そのもの。慇懃に頭を下げて腰も低く、しっかりと警察手帳を彼女に見せていた。
警察と関わることが無い平和な生活を送っていたのだろうか、それとも泰駿とテツオのやり取りを見た興奮がまだ抜けきっていないのか。プラムはどうしていいのか分からず、視線を彷徨わせ、泰駿を見上げた。助けを求めてきているように感じたが、助けようがないしそもそも助けが要るような場面でもない。聞かれた事を答えればいいのだと、泰駿は静かに首を横に振り彼女の腰を軽く叩いた。
その意図が伝わったかはともかくとして、それで落ち着きを取り戻したのは確かだった。彼女は長く息を吐き出して落ち着くと、ソファに腰を落ち着けて熊谷を見上げる。
「名前は永堀梅子っていいます。年齢は一八で、フリーターやってて……泰駿とは今日知り合ったところで、恋人の振りっていうかまぁそんな感じの事をして欲しいと言われて――」
「うんうん、永堀さんね。ってごめんね、ちょっと待って」
プラムの話を聞きながら手帳にメモを取っていた熊谷であったが、急に彼女の話を遮った。梅子だからプラムなのか、なんて事を考えていた泰駿に熊谷の痛い視線が突き刺さる。
「一八だからまぁ合意があったと言われたらそれまでになるんだけど、泰駿よ。お前さん、まさか買春とかしてねぇだろうな?」
「はぁ!? おっさん何言ってんの!? ウリとかするわけねぇし! こんなナリしてるからって馬鹿にしないで欲しいんですけどぉ!?」
泰駿が否定するよりも早く、プラムが食って掛かった。今まで怯えていたとは思えないほど怒りを露に、顔を真っ赤にしながら女性が口にするには相応しくない罵詈雑言の嵐がプラムの口から飛び出した。
これには熊谷だけでなく泰駿にとっても予想できなかったことで、興奮するプラムを止めることも宥めることもできなかった。熊谷の視線が、彼女を止めろ、と泰駿に訴えかけていたが出来ない相談である。泰駿もプラムとは今日知り合ったところで、明日になれば会うこともないだろうし彼女の事を深く知ろうともしていなかった。
プラムがどんな女性なのか、それを知りもしないのに止めたり宥めたりしたところで火に油を注ぐだけだろう。それに何も出来ずにいる熊谷を眺めているのは面白い。首を振り肩を竦めて助けられないことをアピールすると、熊谷からはっきりとした舌打ちの音が聞こえる。
怒られているのにそんなことをすれば神経を逆撫でするのは当然のことで、プラムの怒りのボルテージは上昇し声の大きさも増していく。それがあまりにも騒がしいものだから、重装備のままの警官が数名、何事かと覗きに来たがVIPシートの光景をみると小さく噴出し、気づかれないようにそそくさとどこかへと戻ってしまう。
プラムの怒りが収まるまでに、泰駿は煙草を三本ほど吸い終えることができた。言いたい事を全てぶつけたプラムは大きく肩を上下させ、額にはうっすらと汗まで浮かんでいる。熊谷はといえば、すっかり意気消沈してしまい覇気も無くなり、身長が小さくなってしまったようにさえ見えた。
「私フリーターだけどさ、税金も年金もしっかり払ってるんだからさ! 警察も公務員なんでしょ、人の事を見た目で決め付けないでちゃんと仕事してよ!」
「はい……仰るとおりです、誠に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げて謝る熊谷の姿を見るのは初めてのことで、泰駿の知る彼からは想像できなかったその行動を見ていると思わず笑いそうで、にやけそうになる口元を手で覆い隠した。
「謝ってくれるんならそれでいーけどさ。で、何の話をしてたんだっけ?」
怒りとだけでなく恐怖から来たストレスも発散できてしまったらしい、プラムの表情は明るくなっており身のこなしもどこか軽く見える。それ自体は良い事なのだが、熊谷から聞かれたことまでもが一緒に出て行ったようだ。
呆れて肩をすくめる。熊谷は再度質問したそうにしていたが、怒られたばかりなこともあって何も言えずにいた。なので、それを見た泰駿が熊谷の問いを繰り返してやるとプラムは手を叩く。
「あー、そうだったそうだった。えっと、私が見たことを話せばいいんだよね?」
熊谷と泰駿は二人同時に頷いた。
「えーっとね、なんかね泰駿に道聞かれてー……服くそだせぇけど顔はまぁ怖いけどイケてる感じだし? 遊んでみるのもいーかなって思ってー、クラブ行きたいとかっていうから一緒にここきてー……そしたらなんかこう、ドカーンってなって。うん、そんだけ」
もっと喋ることはあるはずだが、ここでの出来事はプラムにとって一つの擬音語で済ませられるものだったらしい。本当にそう感じているのか、それとも語彙力や表現力といったものがないために説明できないのか。
晴れ晴れとした表情を浮かべているプラムを見ていると、泰駿は呆れてしまって何も言えなくなってしまう。熊谷も真面目にメモを取ろうとしていたのだが、あまりにもざっくりとし過ぎた説明に困り顔を浮かべていた。
「あー、うん。ドカーンね、ドカーン。そのドカーンを詳しく説明して欲しいんだけれど、できそう?」
ペン尻を額に押し当て、メモに顔を向けたまま熊谷は詳細を求めた。ただプラムにとってはドカーン以上のことはでてこないらしい、首を傾げたまま悩んでいる。
熊谷と泰駿は仲が良いわけではないが、顔を合わせることの多い馴染みである。その熊谷が困っているのだから、助け舟を出したい気持ちはあったが泰駿にはどうしようもない。
「そうですか、ドカーン……うん、わかりました。ただ後日、署までお越しいただいて話を聞かせてもらっても良いですかね?」
「えー……警察まで行かないといけないの……うーん、気が乗らないけど話するだけなら、うん。良いけれど」
口を尖らせ明らかに乗り気でないプラムの様子に熊谷は冷や冷やとしていたが、行くと言った事で胸を撫で下ろしていた。
「協力感謝します。では万が一の危険があるかもしれませんので、我々が責任をもって永堀さんを自宅まで送らせてもらいます」
「えー……まだ帰りたくないんだけどー。ってか泰駿と遊ぶつもりで来てんのに、ぜんっぜん遊べてないし。別のクラブ行って遊びたいー」
地団駄を踏んで駄々をこねるプラムの姿は幼い子供そのもの。呆れながらも泰駿はプラムの頭の上に軽く手を乗せる、幼児に対して行う行動だったがプラムはぴたりと足の動きを止めた。
「遊びたい気持ちはわかるけど、遊ぶのは今日でなくても良いだろ。普通は見ないものを見たんだ、そういう時は疲れるものだし家に帰っておとなしく休め、な?」
子供に言い聞かせるように、努めて優しい口調で言いながら歯を見せるようにして笑う。こんなことをして素直にいう事を聞いてくれるか怪しいところではあったが、おとなしく承諾してくれた。
肉体は既に立派な女性といえるプラムだが、まだ一八歳ということもあり、内面には子供であるところも多々あるのかもしれない。
「じゃあ刑事さん、家までお願いします……」
泰駿の言う事を聞き入れてはいるが、不満が消えたわけではないプラムの声は小さい。それでもしっかりと、熊谷に向かって丁寧に頭を下げていた。
「はい、もちろん。よし、そんじゃあ泰駿。てめーは後でしっかりと絞ってやるからな! 覚悟しとけよ!」
「その時にはかつ丼用意しといてくださいよ。どこで出前とってるのか知らないですけど、取調室で食べるかつ丼美味しいから」
熊谷は泰駿を睨みつけるとプラムと共にVIPシートを後にしようとしたが、数歩歩いたところでプラムは立ち止まりくるりと振り向いた。歯並びの良い真っ白な歯を覗かせながら微笑んでいる。
「じゃあ泰駿、またね!」
彼女が手を振るので泰駿もまた手を振った。それで満足したのか、どこか足取りの重い熊谷とは対照的に、プラムはスキップでも始めそうなほど軽やかな足取りだった。
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クラブでの事件から数日が過ぎた。
一郎は警察に一時保護され、けがや病気だけでなく精神状態までチェックを受けてから自宅に帰った。一郎を見つけたのは泰駿なのだが、依頼を完遂したわけではないと考え浅井夫妻へ要求する報酬の額を減らしたのであるが、彼らは律儀にも当初提示した額を満額きっちりと支払ってくれたのだ。
なんだかんだと理由を付けて支払わない依頼人が多い中、実にありがたい客である。そんな客と出会えたことで泰駿の気分は良く、またしばらくの間、仕事がないことがわかっていても穏やかな気分でいられた。
その日は天気が良く、窓から差し込んでくる日光が心地よい。クーラーの効いたオフィスは煙草の臭いがしみついていることを覗けば快適で、香乃子などはデスクで舟を漕いでいた。本当なら怒るべきなのだろうが、やらせるような仕事もない。
お気に入りのロックミュージックをBGMに流し、鼻歌を歌いながら銃のオーバーホールに勤しんでいた。
今日の夕食は何にしようか、自炊するか外で済ませてしまおうか。そんな下らないことを考えているとインターホンの音が鳴る。その音で目覚めた香乃子は慌てて扉へと向かう。
もしかしたら新しい仕事が来たのかもしれないと思った泰駿は椅子に深く座りなおし、威厳を見せようと背筋を正した。
「どうされましたかー?」
扉が開き、香乃子が間延びした声で来客へと応対する。どんな客がやってきたのだろうか、少しの緊張と興奮を感じながら営業スマイルを浮かべる準備をした。
襟元を但し、オフィスへと入ってきた来客に向けて笑顔を浮かべる。すぐに固まり、直後、泰駿の方から力が抜け、すとんと落ちた。
「やっほー! 求人でてたから来たよ! 履歴書も持ってきた!」
ずかずかと入ってきたのはプラムだった。パンツスタイルのスーツ姿ではあったが、自慢の胸元を強調するためなのかシャツのボタンを一部留めていない。どうして彼女がやってきたのか、そもそも求人など出していただろうか。
溜息を吐いて思い出した。そういえば、自分の代わりに普通の探偵業務をやってくれる人間を求め、一月ほど前に求人情報サイトに掲載していたのだった。問い合わせの電話が一回も鳴ることがなかったために、今の今まで忘れていたのである。
「求人を見てきてくれたんですか! それじゃ早速面接しましょう。ね、所長?」
何を感激しているのか香乃子は目を輝かせ、胸の前で手を組んでいる。面接希望者が来てくれただけであったのなら、泰駿も香乃子ほどではなかったとしても、歓喜していたことだろう。
香乃子は泰駿が面接をするものだと思い込んでいるが、その気は無い。プラムだから、というのももちろん理由の一つなのではあるが、そもそも電話の一本すら寄越さないような礼儀がなっていないに人間を雇う気にはなれなかった。なので追い返そうとしたのだが、それより早くに香乃子は応接スペースにプラムを案内してしまっている。
また溜息が出る。
今日はやることもない、既にプラムはソファに腰を下してしまったこともある。クラブの一件でわずかばかりの恩義を感じてもいるし、茶の一杯ぐらい淹れてやるのも良いだろう。
重い腰を上げて、応接スペースへと向かう。軽い調子でやって来た割に、プラムも緊張していると見える。泰駿がやってくると身を硬くしながら、小さくお辞儀をした。テーブルの上には履歴書が置かれていたので、ソファに座ると即座に手に取り読み始める。
面白い経歴なら雇ってみるのもありだろうとは思うのだが、特筆するようなことはなかった。資格も普通自動車免許だけ、趣味は音楽とダンス。自己PRも、やる気をアピールしているだけで特別なスキルを感じさせる要素は無い。
「高卒で……免許は自動車だけ……てかお前、何しに来たの?」
「はい! 雇ってもらいに来ました!」
威勢の良い返事だ。もしここが居酒屋だったら、この返事だけで採用しても良いぐらいに元気さに満ち溢れている。
「そういうことじゃなくて……面接希望だったら、事前に電話の一つぐらい掛けるもんじゃないか?
俺、なんの連絡も受けていないのだけどね」
「え、電話したよ? けど通じなかったし、お客様の都合でーとかってアナウンス来たからさ。仕方ないし直接来たんだけど……」
思わず眉間に皺が寄る。どういうことだと香乃子へと顔を向けたが、彼女は目を合わすまいとして視線を逸らした。思い当たる節があるということだ。そしてこの態度で、何故、電話が通じなかったのかを察した泰駿は、素直にプラムへと謝罪の言葉を口にする。
「電話代……払い忘れてたわ……」
「なにそれ……経営とかやばいの……?」
プラムの声は不安げだ。もっともである、電話代を払えないわけではないのだが、それすら払えない状態なのだと思われても仕方が無い。彼女を雇う気が無いとはいえ、いつか客になるかもしれない人間にそう思われてしまったのは失態というほか無い。
「そういうわけではないんだが……まぁ、その……なんだ、ただの払い忘れでな」
実際そうなのだが、後ろめたさがあるせいで強く言うことができない。そのために経営不振であることを証明するかのような、心細い態度を取ることしかできなかった。
「払い忘れだったらしかたないよねー、私も携帯代払い忘れてたまに止められることあるし」
「あぁ、まぁうん。そういうことあるよな、うん」
信じてくれたのならそれに越したことはないのであるが、組織と個人を一緒にされても複雑な心境になる泰駿である。
「でさ! ところで、どう? 私雇わない?」
プラムはテーブルを乗り越えそうな勢いで身を乗り出してくる、自然と前かがみの体勢になると胸の谷間がはっきりと視界の中に入る。それを目の中に入れてしまわないよう、後退するようにソファに背中を預け顔を横に向けた。
瞳だけをプラムへと向ける。お祈りされるとは思わないのだろうか。いや、思っているはずが無い。少しでもそう考えているのなら、今の彼女のこの態度は無いはずだ。キツイ一言を言ってやって帰らせようとしていたが、後ろめたいところもあるし、こう自信満々に詰め寄られると言い辛い。
どんなオブラートに包もうか、なんて思案していると香乃子が飲み物を持ってやってきた。泰駿にはコーヒー、プラムには紅茶を淹れていた。香乃子はプラムに対して何か言いたそうにしていたが、今はあくまでも面接ということですぐにその場を離れた。
ただ離れ際に、泰駿にそっと一言。
「お願いしますね」
耳元で囁いてからデスクに戻っていった。仕事なんてないのに、仕事をしている姿を演じるためか、途切れることの無いキーボードのタイプ音が響きだす。音だけで演技だと分かってもおかしくなさそうなのだが、プラムはタイピングをする香乃子の姿を見ると小さく口を開けて感嘆していた。
プラムを見て、香乃子を見る。
お願いします。この一言のために、泰駿はプラムを雇っても良いかもしれないと思い始めた。香乃子はとある事情で人付き合いがほぼ無い、友達と呼べるような人間もおそらくいない。香乃子のためにプラムを雇うのもありではないかと思い始めた。
しかし、と懸念するところもある。
プラムと香乃子の反りが合うのだろうかという心配があるし、友達になってくれなんて理由をプラムに告げるわけには行かない。もちろんそれを気取られるようなことをしてもいけない、なので雇うとなれば事務所の仕事をしてもらう必要があるのだが、果たして彼女にそれが出来るのだろうかという不安がある。
「うーむ……」
結論を出せず、腕組みしながら唸り声を上げる。一度帰ってもらおうかとも考えはしたが、時間が経てば答えを出せるとも思えない。今も頭の中では思考がループしているのだ、プラムを帰したところでこのループ思考が終わると思えなかった。
「何悩んでんの?」
「お前さ、探偵の仕事って何だと思う?」
「んー……人探しとか、尾行したりとかして浮気したりしてないかとか調べるんだよね?」
無言で頷く。普通の探偵は小説や映画と違い、事件の犯人を追いかけ、捕まえるということはしない。なのだがエンターティメントの影響というのは大きいらしく、そう思い込んでいる人間が多い中、実際の仕事を知っているというだけで感心してしまった。
「その通り。浮気調査だけじゃなく、もっと漠然とした人となりを調べることだってある。危険だってあるし、体力だって使う。夜の間中、ずっと家の前に張り込んでることもある。それでいて給料は安い、とりあえず時給は八〇〇円ってところかな。勤務時間は月金の週五日で九時から一七時だが残業は当たり前、土日の出勤もよくある。それでもやる?」
尋ねた途端、今度はプラムが腕をくみ出した。俯き、悩んでいる。理由は大方、時給の低さだろう。
事務所のある周辺なら、日中のコンビニバイトでも九〇〇円はある。居酒屋等であれば一〇〇〇円あるところも珍しくはない。それらと比べれば、泰駿の提示した額はかなりの低さである。探偵として働かせるのであれば、一〇〇〇円でも安いことは理解していた。
にも関わらず、八〇〇円という額にしたのは探偵として働かせる気が無くなっているからだった。
「それで時給八〇〇円って、安すぎない?」
「とりあえずだよ、能力に応じて昇給するよ」
「うーし! ならやったろうじゃん!」
「はい、採用。それじゃ明日から来て、こっちも準備あるから。ただ顔合わせはしとこうか、さっきお茶持ってきてくれた人いるだろ。その人のとこ行って、挨拶だけはしときな。聞きたいことがあるなら聞いておけば良い、答えてくれるはずだから」
「はい、それじゃさっそく!」
言うが早いか勢い良く立ち上がったプラムは香乃子の許へと向かう。急に話を振られたものだから香乃子は戸惑いを隠せないものの、その表情は明るいもので楽しそうに見えた。
どうせなら雑談でもして、少しでも仲良くなってくれればいいのだが。
二人のやりとりを温かい目で見守りながら煙草を咥え、黄ばんだ天井へと向けて紫煙を吐き出した。