2-2 Club Shadow tale(2)
取り返しの付かないことをしてしまった後悔から頭を抱えたくなったが、自分の軽率さが全ての現況なのである。この経験もまた己の糧にすることとし、頭を切り替えた。
その切り替えた頭で泰駿は、目を輝かせ自分を見上げているプラムをじっと見つめた。視線が重なると彼女は楽しいことを想像し、期待しているのか身体を小刻みに上下させ始める。
ふむ、と呟いたとも言えないほどの小声を出しながら視線をプラムからクラブの入り口へ。フロントに立っている店員と目が合った、ここにずっと立っているわけにもいかない。プラムというまったくの想定していなかった要素の登場により、泰駿が大雑把ではあるものの予定は崩れてしまった。
出直すという選択肢は頭にあった。だが泰駿はそれを選ばない、ここまで来たのならば流れに身を任せるのもまた一興かもしれない。それこそ軽率だということに気づいていても、やらずにはいられないのがこの泰駿という男のもつ性質の一つだった。
合図としてプラムにウィンクを一つ、小首を傾げた彼女の身体に腕を回し肩を掴んで抱き寄せた。最初は驚きから離れようとしたが、すぐに泰駿の意図を汲んだらしくプラムは悪戯っぽい笑みを浮かべながら泰駿を見上げ、そして自分から身体を寄せる。
「はっはーん……恋人の振りってことね?」
「それもあるが、こうしている方が小声で話しても怪しまれることはない」
理解してくれたらしくプラムが頷く。彼女の肩を抱きながらクラブのドアを潜ってフロントへ、受付はプラムに任せることにした。彼女はここの常連で、受付の男性とも顔見知りだったようで二言三言世間話を交わしていた。
この受付のとき、泰駿が驚いたのは身分証の提示を求められたことである。免許証を見せるだけとはいえ抵抗感がある、しかし出さないなんてことが出来るわけでもない。嫌々ながらも免許証を見せるとコピーを取られ、会員証を作らされた。
さらに入会料まで必要であり、プラムの料金も出すことを思うと中々の出費となる。絶対にこれは経費で落とすと決めて、領収書を要求すると怪訝な顔をされながらも出してくれた。こんな盛り場が一介の客に領収書を出してくれるとは思っていなかっただけに、泰駿の中にあったクラブのイメージが若干ながらも良いものへと修正されていく。
手続きを終えた後はプラムの案内でエレベータに乗り、二階へと向かう。エレベータから出てすぐにフロアとなっており、巨大なスピーカーからは身を震わせる重低音が鳴り響いている。フロアの奥には巨大なスクリーンとDJブースがあるのだが、そこには誰もいなかった。
フロアを見渡してみても人がいない。まったくいないわけではないのだが、まばらで踊っている人間は一人もいない。皆バーカウンターや壁際に置かれているスツールに座り、手にグラスを持って談笑に興じているようだった。
何の気なしに天井を見上げてみれば、照明機材にスピーカーが釣り下がっているのが見えた。それだけでなく、フロア全体を見下ろせる窓がいくつかあることに気づいた。スタッフがフロア監視を行うための窓だろうかと考えたのだが、窓の向こうにから人の気配が感じられないそれに数が多い。監視するためなら窓は一つか二つで良いだろうし、そもそも監視カメラを使えば良い話でもある。
「なープラム、あの窓はなんだ?」
「あーあそこ。あそこはVIPシートだよ、フロントでお金払えば使えるよ予約がなけりゃだけどさ。泰駿はさVIPシートいってみたいの?」
「そういうわけじゃない、どういうものか気になっただけだ。で、そのVIPシートってのはどういうやつが使うんだ?」
「ちゃんと説明してあげるからさ、飲み物買いにいこっ!」
プラムに手を引かれ向かう先はバーカウンター、彼女がいうにはクラブに来て最初にやることはまずドリンクを買うこと、だそうだ。遊ぶつもりではないしウーロン茶を頼もうとすると、プラムに止められた。だいたいそんなところだろう、という予想を抱きながらも理由を聞いてみればダサい、という予想通りの一言が返ってくる。
「ならいけてるドリンクをチョイスしてくれよ」
泰駿の手の中にやってきたのは瓶のバドワイザーだった。どうして、と尋ねてみればプラムにとって男の飲み物はビールこそが至高であり中でもバドワイザーがいいということだった。
ビールが嫌いなわけではないのだが、せめて飲みなれたものが良い。バーテンにサッポロは置いていないのかと聞くと、思いっきり笑われた。何でも日本のビールはダサいという価値観があるらしい。
泰駿をダサいというプラムが持っているのはといえばグラデーションの綺麗なカシスオレンジだった。泰駿からすればカシスオレンジこそダサいのだが、言ったところで理解はされないだろうしその発言こそダサいといわれそうな気がしたので言わないことにした。
「んでさ泰駿って何しにここきたわけ?」
壁際に並んでいるスツールに腰掛けながらプラムが泰駿を見上げながら尋ねる。ちなみにスツールは幾つも置いてあるが、どれも女性のためのものとのことで男は立っているのがマナーだという。
「人探しだよ。家出したどら息子を探してくれと言われてね、そのどら息子の部屋にここのフライヤーがあったのさ。で、来てみたらそいつのことを知ってるやつがいるんじゃあないかってね」
「ふーん……私さこー見えてチョー顔きくんだよね。ぶっちゃけ遊びまわってっからさ、もっしかすると知ってるやつかもしんないし? 写メとかあったら見してよ」
写真を渡すとプラムはカシスオレンジを傾けながら穴が開くように写真を見つめている。彼女の眉間に皺が寄る、小さく唸るような声も聞こえる。これは何か知っているんじゃないか、ただの偶然ではあったがプラムと出会えたのは幸運だったのかもしれない。
彼女の口からどんな言葉が出てきても聞き逃すまいと、身構えた泰駿の視線は自然と彼女の薄桃色の唇へと向かう。唇をへの字に結びながら写真を見ていたかと思うと、プラムはスマートフォンを取り出し内蔵されているカメラを写真へと向けた。慌てて写真を取り上げる。
「なーにすんのよ。拡散しよーとしてあげたのにさー、そしたら一発じゃん」
唇を尖らせながらむくれているプラムの真正面に立ち、腰を屈めて頭の高さを合わせる。表情を険しくしながら目を合わせてもプラムは視線を逸らそうとはしない。その度胸に好感を抱きながらも距離を詰めていき、互いの額が触れ合いそうなほど近くなるとプラムの頬が赤くなる。
それでも彼女は、瞳を揺らしているものの目を背けようとはしなかった。
「やめろ」
おもむろにプラムの身体を抱き寄せ、傍から見れば口づけを交わしているように見えるかもしれない状態で頬を触れ合わせながら耳元で低く囁く。キスの余韻を残すように離れ、プラムの表情を見ようとしたが俯いてしまっていた。
泰駿に対して好意を見せてくれていた彼女ではあるが、やりすぎたと反省する。誠意を見せるために、腰を屈めて目の高さを合わせただ一言、すまないと口にした。下手に言葉を並べるよりも、シンプルにしたほうが謝意は伝わるだろう。
謝ってもプラムは俯いたまま首を横に振り、顔を見せようとはしないし。肩も小刻みに震えている、泣かせてしまったのだろうか。クラブで遊んでいる女性だったらこのぐらいは大丈夫、そう軽く見てしまっていた。それが間違いだった、やはりは軽率である。
せめて彼女の気を逸らせそうなものはないだろうかと見渡してみても、何も無い。基本的には踊るための空間なのだ、何かあるわけが無かった。悩みながらも、その悩みを隠すようにバドワイザーを煽る。
プラムがぽつりと何かを言った。耳を傾けてはみたが重低音の響くこの場所で小声は聞こえない。耳を近づけてみると、ごめんなさい、と小さくはあったが確かに聞こえた。意外に素直なことに驚きながらも微笑み返し、軽く頭の上に手を乗せて撫でてやる。子供と言うには過ぎた年齢であろう彼女だが、俯きながら肩を震わせ謝る姿は幼い子供としか映らなかった。
「わかってくれたならそれでいい。それよりも、ここらへんで顔が効くんだろう?」
まだ冷たさの残るバドワイザーの瓶をプラムの頬に押し当てる。スツールが揺れて彼女の顔が跳ね上がる、暗いフロアだったが目の周りが少し腫れぼったくなっているように見えた。
「うん……知らない人もいっぱいだけど、友達も結構いるよ」
「そしたら今このフロアで知り合いはいないか? いたら紹介して欲しい、写真の男を知っているか尋ねたい」
「わかった。けど今誰かいるかな、来た時よりか盛り上がってはきたけど……」
背後を振り返る。来た時は誰もいなかったDJブースにも今はDJが立ち、テンポが良く軽快でありながらも肉体の奥にまで響いてくるようなテクノサウンドが響いていた。
時間が経ったからなのかそれともDJが現れたからなのか、どちらかはわからないがフロアに人が増え始めていた。踊るとまではいかなくとも、フロアの中心にはリズムに合わせて身体を揺らし音楽を楽しむ人の姿も見える。
男女の比率は男が七、女が三といったところか。もっと女性の比率が高いのではと想像していたのだが、出会いを求める男は貪欲らしい。フロアの真ん中ではなく壁際に目を向けてみれば、一人の女性を二人か三人で囲み口説いている男の姿を見かけることも出来た。
そんなクラブを楽しむ人々を眺め回した後、泰駿は自分の服装を見つめた。プラムにダサいと言われた時、正直なところを言えば腹が立った。決してセンスが良いと思えないゴシックパンクファッションではあるが、香乃子が選んでくれたということもありダサいと言われるようなものではないと思っていた。
しかし今は、ダサいと思う。少なくとも場違いな格好ではある、男女共にカジュアルスタイルであり泰駿のようなゴシックパンクは一人もいない。クラブという場所に合わせた服を選んでくれたと思っていたが、香乃子の趣味で選んだか、クラブという場所を何か勘違いしていたのか。
「で、どうだ。知り合いはいそうか?」
反応がなかったので泰駿からからプラムへと尋ねた。彼女は目を細めながらフロアのそこかしこに視線を巡らせていたが、一人もいなかったらしく首を横に振る。
「一人ぐらいいるかなーって思ったんだけどね、やっぱいないや。まーほんとは今日、仲良い友達とは別のクラブでイベントあるからさそっち行くつもりしてたし」
「ふぅん、どうせなら踊るか?」
「は? なにそれ、泰駿て踊れるの?」
バドワイザーの瓶を煽って中身を空にする。手近なところにゴミ箱が見えたのでそこに投げ入れる。瓶の割れる音がしたが、DJの音のほうが大きかった。
「あぁ踊れるぞ。こう見えても中学生の時はクラスの女子全員とフォークダンスを踊ったこともある」
「そんなの踊れるって言わないし、ってかそんなんと一緒にしないで欲しいんですけどー」
笑うプラムに付いて来いと促しながら、肩で風を切るようにしながらフロアの中心へと向かう。
フォークダンスなら踊れると嘯いてみたものの、中学生以来のことで踊り方なんて忘れている。そもそもクラブでのダンスなんてものはまったく分からない泰駿ではあるのだけれども、中心へと向かうその足取りが威風堂々としたものに見えたようで耳目が一斉に集まる。場違いな格好をしているというのも理由の一つに違いない。
集まってきた視線は客のものだけではなかった、DJの視線も含まれている。音楽は流れ続けていたが踊る者はいない。誰もが皆、泰駿の一挙手一投足に注目している。リズムに合わせて身体を揺らすだけで、まさかこんなことになるとは微塵も思っていなかった。
助けを求めてプラムへ視線を向けても、彼女も他の客と同様に泰駿の動きを期待に満ちた眼差しで見つめている。さてこれは困ったどうしたものか、というところにDJからアイコンタクトが送られてきた。このDJとは顔を合わすことすら初めてで、目線をあわしただけで意思疎通できるような仲ではない。
しかしこのアイコンタクトの意味は理解できた。もうすぐ次の曲を始めるから踊りだすならそのタイミングだ、である。ダンスなんて素人で、ミュージックビデオで見る程度。こうなってしまっては逃げられない、覚悟を決めた泰駿の脳裏に浮かんだのはジョン・トラボルタの姿である。
DJが頭を振りながらじっと泰駿を見ている、その仕草がもうすぐだぞと言っていた。ブースのDJを見上げ、頷く。軽く跳び脚を肩幅に開き着地、右ひざを曲げ人差し指を伸ばした右手は真っ直ぐに天井へと伸ばす。誰かが唾を飲む音が聞こえた。
「みねぇ顔だけれど……調子乗ってんじゃねぇよ」
右手を伸ばしたまま次はどうしようかと悩み、今にも冷や汗を流しそうな泰駿の前に一人の男が立つ。頭にはバンダナを巻き、タンクトップにハーフパンツという格好で身長は一八〇以上はありそうで見上げる格好になる。
「だせぇ格好しやがって、サタデーナイトフィーバーってか。おっ?」
男がガムを泰駿の前に吐き出した。明らかな宣戦布告である、喧嘩には自信があるし素人に負ける気なんて毛頭ない泰駿であったが場の空気が勝負方法は殴りあいではないと言っていた。
眼前に立つバンダナ男は額に青筋を浮かべてはいるが、殴りかかってそうな気配は無い。泰駿と男を囲む人だかりがいつのまにか出来上がり、誰かがダンスバトルと口にした。どうしてそうなっているのか想像すら出来ないが、ダンスで勝負する流れが生まれてしまっている。DJも楽しそうに口元を緩めていた。
「あぁ……やってやろうじゃねーか」
ダンスに自信は無いが逃げる気は無い。クラブカルチャーに一切興味が無く、この仕事が終わればクラブに出入りすることも無い。逃げたところで泰駿の名声に傷が付くはずもないが、プライドが許さなかった。
精一杯やって負けるのは良い、何もしないうちから逃げることだけはしたくない。やったことのないダンスで勝負する流れになってしまっていても関係は無い。音楽は止まっていた。
DJに目配せし、伸ばしていた右腕を勢いよく下すと共に新たな曲が流れ出す。