2-1 Club Shadow tale(1)
夕暮れをライムグリーンの車体で引き裂き泰駿が辿り着いたのは繁華街の外れ、それも特に治安の悪い一角だった。まだ盛り上がるには早すぎる時間だというのに、ビルの間の路地には黒いゴミ袋がうずたかく積まれそこから腐った臭いが漂っている。
通りを見渡してみればそこかしこに吸殻や空き缶が転がり、歩きタバコをしている人の数も他の区域と比べると多く見受けられた。いかにもなチンピラもちらほらと見かけるし、浮浪者の数も心なしか多い気がする。気の弱い人間や、上品に育てられた人間なら近寄りたくはない地域だろう。
依頼人はそれなりに裕福そうであったし、探し人である息子はそれなりの教育を受けているだろう。そんな彼がこんな場所にあるクラブに通うというのは少し想像しづらくはあったが、大学生なら騒ぎたい年頃だろうしその気分が足を運ばせたのだろうか。
往来の邪魔にならないようバイクを道の端に寄せて地図を確認する、目と鼻の先の所にまで来ていた。地図を表示させていたスマートフォンから顔を上げて、目に見える看板を眺めていく。
ショーパブにキャバクラといった店の看板ばかりが眼に入り、しかもそれらはネオンで彩られぎらついた光を放っているものだから目に痛い。何度か瞬きをして目を潤した後、たまたま傍を通りがかった女性に声をかけた。
この女性、豊満な胸元を強調させるようなノースリーブの服にホットパンツという露出度の高い出で立ちをしている上、肌もよく日に焼けている。泰駿の目には、彼女がクラブのような場所をを好みそうに見えたのだ。
「なーにおにーさん? あ、もしかしてナンパしちゃったりするわけ?」
何をどう思ったのか知らないが彼女は身をかがめると両腕で胸を寄せ、自慢らしいその谷間を強調させながらウィンクをしてみせる。しなを作っているつもりなのかもしれないが、泰駿には下品としか思えなかった。
「道を尋ねたいだけだ。シャドウテイルっていうクラブに行きたいんだが、初めてなもんでね。知ってるか? あとついでに言っておく、お前みたいな女を口説く気は無い。俺の好みはもっと上品な、そうだな大和撫子ってやつだよ」
「は? なにそれ、人に道尋ねる態度じゃないっしょそれ」
「あぁそうだな。じゃあいいよ、ありがと」
人としてとるべきでない態度であることは泰駿とて自覚している。ただそれでも、彼女の下卑たポーズは我慢が出来なかった。追い払うように手を振りながらスマートフォンへと視線を移す。
GPSを利用した地図アプリを使用しているのだが、よくよく見てみると地図上の自分の位置と実際にいる自分の位置がどうも間違っているらしい。地図の通りだとするなら青がトレードカラーのコンビニが見えなければおかしい。泰駿の見える範囲にコンビニはない。
近くまで来ているのは間違いない。どこか適当な駐車場を探しまずそこにバイクを停めてから歩いたほうが良いだろうか、そんなことを考えていると花の香りが漂ってくる。コンクリートジャングルで香るような花など無い、間違いなくそれは香水の匂いだ。
「呼び止めてすまなかった、もう用は済んでる」
振り返らず背後に向けて声をかける。道を尋ねた女性が泰駿の画面を背中から覗き込んでいたのだ、しかも近い。胸も頬も泰駿の身体に今にも触れそうだが、その気配は見えない。この距離を取ることに慣れているようにも見える。
「そっちは用が無いかもしんないけど、私がそっちに用事できたの。クラブ行きたいんでしょ? 案内したげるからついてきなよ」
「理由を言えよ、俺に怒りを覚えたんだろ? お前に俺を案内する義理は無いはずだ」
離れさせようと睨み付ける、猛禽類に似た獰猛さと鋭さを持った瞳に睨まれて恐怖を抱かない人間は珍しい。これで下品な女はどこかに行ってしまうだろう、泰駿はそう考えていた。
しかしその予想は外れ、彼女は立ち去ろうとはしない。かといって射すくめられているわけでもなく、頬を膨らませ唇を尖らせ怒りを露にしていた。
「義理なんてないよ、けどね私はあんたがすっごくむかついた。だから案内してやるっていってんの」
「案内してくれるのは嬉しいが、むかつくから案内するというのは意味が分からん」
「ざっけんな、クラブ行きたいんでしょ!? だったらおとなしく案内されろっつーの」
眉間に皺を寄せながら彼女の全身を眺め回す。手に持っているのはブランド物のバッグ、さほど大きくない。服は身体のラインを浮かび上がらせるようなタイトなもので、物を隠し持てるようには見えない。足に履いているのはかかとの部分が高くなっているミュールサンダルで、機敏な動きができそうには見えない。
いつでもベッドに連れ込めてしまいそうな雰囲気を漂わせているものだから、屈強で乱暴な男たちを呼ばれるあるいは既に呼んでおりそこに泰駿を連れて行こうとしているのかもしれない。
泰駿は小さく頷いた。腕っぷしには自信があり、相手がESPつまり超能力者でもない限りは負ける気がしない泰駿である。彼女が何を企んでいるのか知らないが、例え罠にはめられたところで窮地に陥ることなど無い。なら本当に案内してくれるのなら願ったり叶ったりだ。
「オーケー。それじゃ案内してもらおうか、魅力的なおじょーさん」
「うわっきもっ……ちょー寒いよそれ」
茶目っ気をだそうと彼女がそうしたようにウィンクをしてみせたが、きもいと言われ震える仕草までされると腹が立つを通り越して悲しさまで覚えそうだ。
「まぁいーわ、んじゃ着いて来なよ。っでさ、あんた名前なんていうのよ。教えてよ」
「神楽泰駿。道を案内してくれるのは嬉しいが、俺の名前なんて聞いてどうする?」
「別にいーじゃん名前ぐらい。んなことよりたいすんっていう名前良いね、かっこいいよ。着てる服はすっげーださいけど。それでキメたつもり?」
スマートフォンを見ながら歩き出した彼女の後をバイクを押しながら付いていく。好みでないタイプからであるといっても、女性から名前をかっこいいと言って貰えるのは素直に嬉しい。その気持ちを前面に出してやろうか、なんて思ったところで服がださいと言われてしまった物だから肩が落ちた。
香乃子が選んでくれた服なのだ。クラブに行くような人が見ればセンスのある服だとばかり思い込んでいたが、そうではないらしい。となると香乃子は一体何を基準にこの服を選んだのだろうか、帰ったら問い詰めてみたいところだ。
「そうかダサいか、知り合いの女の子に選んでもらったんだけどな。そんなことよりスマホを見ながら歩くな、危ない。それとそっちも名前を教えろ、俺だけ名前を教えたのは不公平だ気分が悪い」
忠告を受け取ったのか前も見ずに熱心にスマートフォンを触っていた彼女だったが、顔を上げるとブランドバッグの中へと乱雑にスマートフォンを放り込み、歩いたまま振り返る。
「案内してやってんだから文句言わないでよ、ダチと遊ぶ予定キャンセルしなきゃなんなくなったんだからさー。それに別に私の名前なんてどーだっていーでしょ」
「は? 遊ぶ予定があるのならどうして俺の案内なんてしてるんだ、友情は大事だろ。名前がどうでもいいなんて大間違いだ、第一俺はお前をどうやって呼べばいいというんだ」
「オッサンみたいなこというねあんた、ダチと遊ぶのなんていつだって出来るしいーのいーの。私は今日、神楽泰駿って人と遊ぶって決めたの。呼び方わかんないってんならプラムって呼んでよ、みんな私のことそう呼ぶから」
唐突にプラムが立ち止まったので泰駿も立ち止まる。今のその発言はどういう意味なのか問いただそうとするが、それよりも早くにプラムが指を差したのでそちらへと視線を向けた。ガラス張りのドアの向こうにフロントが見え、そのドアの上にはシャドウテイルと読めそうな崩れた英語の看板があった。
「バイク停めるならあっち」
プラムが別の方向を指差す。彼女の言うとおり、そこに駐車場があったのでそこにバイクを停めて戻ってくると彼女はまだそこにいた。泰駿と遊ぶという発言は本気かもしれない、しかし泰駿の方はと言えば遊びできているわけではない。
人を探すという仕事がある。そのためには彼女の存在は邪魔になる、と考えたところで待ったをかけた。泰駿はクラブが初めてで右も左も分からない、その点、彼女はそういった場所で遊びなれていそうな雰囲気がある。もしかすると彼女と一緒のほうが、上手くいくのではないだろうか。
「プラム、さっき俺と一緒に遊ぶと決めたって言ったよな? そりゃ本気で言ってんのか?」
「マジマジ、私さー嘘吐くってぶっちゃけ好きくないんだよね。なんていうかさ自分に正直にいきたいんだよね、んで私は泰駿と遊びたいと思ったから遊ぶ。そんだけ、だってあんたさ女の子と遊びたかったんでしょ? んじゃちょーどいいじゃん」
じっと彼女の瞳を見下ろした。一点の曇りも見当たらず、嘘を吐いてはいなさそうだ。ざっと辺りを見渡してみたが、泰駿の様子を窺うような人影は見つけられなかった。
「悪いが俺は遊びに来たんじゃないんだ、仕事でここに来る必要があった」
「は? 何言ってんのあんた、クラブってさ音楽聴いて踊ってお酒飲んでぱーって騒ぐとこじゃん。遊ぶとこじゃん、仕事するようなことあんの? DJってわけでもとーぜん違うでしょ」
賭けになってしまうことを理解しながらもポケットから名刺を取り出し彼女の眼前に突きつけた。
プラムの目が丸くなったかと思えば、口を開けて声を漏らさないように手で押さえる。そこまで驚くようなことだろうかと不思議に思いながら見ていると、彼女はその姿勢のまま、はしゃぐ子供がそうするようにピョンピョン飛び跳ねた。
「え、これマジ? 泰駿モノホンの探偵? なにそれやっべちょーすっげーじゃん、その服もマジでイカスって臍んとことか腹筋割れててチョーセクシーだしさ」
泰駿からしてみれば探偵なんていう職業はもの珍しいものでもなんでもないし、情報を求めて探偵であることを明かすこともそれなりにある。なのでプラムが騒ぐほど興奮する理由がまったく分からない。
「いいから落ち着け、声がでかい。騒ぐなっての」
「あっゴッメン。そうだよね、さわいじゃダメだよね」
プラムの肩を抑えると彼女は素直に声量を落とし小声にしてくれたのだが、その興奮はまったく冷め切っていない。鼻息は荒くなっているし、目は好奇に輝いている。彼女に探偵だと明かしたのは軽率に過ぎたかと、自分の人を見る目の無さに落胆の息を吐きたくなった。