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1-3 化生を狩る男(3)



 香乃子との通話を終えてから事務所に戻ったのは二時間後のこと。途中、依頼人の家に寄って捜索対象である一郎の写真を確保しに行き、そこから事務所へは足が無かったため電車を使ったせいで時間がかかってしまった。


 日が暮れ始めていたとはいえ暑い中を駅から事務所まで、大体一〇分ほど歩いただけで全身から汗が吹き出しシャツの色が変わっていた。金属製の重い扉を開けて、煙草の臭いが染みついた事務所に入るとクーラーで冷やされた空気が火照った体から熱を一気に奪っていき小さく震えた。


「おかえりなさい。結構遅かったですね」


「あぁ依頼人の家に寄ってたからな。ところで……それは何だ?」


 香乃子のデスクの上には紙袋が置かれていた。事務所を出る前には無かったはずのそれが気になり指をさす。


「クラブに行くのは間違いが無いと思ったので、勝手だとは思いましたけれど良いものを用意させてもらいましたよ」


 盛り場に行くのに適したものなんてあるのだろうかと疑問に思いつつ、その紙袋の中身を机の上に引き出し、思わず絶句した。


「ドレスコードがあるわけじゃないですけれど、それっぽい服が良いだろうと思いまして用意させてもらいました」


 唖然としつつも得意げに胸を張っている香乃子を見ながら、ゆっくりと首を横に振る。


「あれ? 所長の身長って一七五センチでしたよね、だったらLサイズだと思ったんですけど違いましたか?」


「Lサイズで合ってはいるけれど、そういう問題じゃあない……」


 ゴシックパンクと言えばいいのだろうか。香乃子が用意したという服は革製のジャケットとボトムスのどちらにも付ける必要が無いだろうと言いたくなるほど、装飾としてベルトやチェーンが多々付けられており一見しただけではどうやって着るのかすら分からない。


 ご丁寧なことにその服に合うように十字架や蝙蝠を象ったシルバーアクセまで紙袋の中に入っていた。


「あ、そうだ。これ経費で落としておきましたから」


「なんでそうなるんだよ……」


 手近にあった事務用チェアに腰を下ろして頭を抱える。自腹で購入したというのならまだしも、どうしてこれを事務所の金で買ったのかが理解できない。


 そもそも、なんでこれが経費で落ちると思ったのか理解に苦しむ。


「え、これ経費で落とせなかったんですか?」


「捜査するのに必要なものだったら経費で落とせるけどさ……」


「じゃあ経費ですね!」


 溜息しか出ない。ジャケットを広げてまじまじと眺める、てっきり合皮だとばかり思い込んでいたが手にした感触は間違いなく本革のものだった。値札は既に外されてしまっているため値段は分からないが、相当な値がしたに違いない。


 彼女にはそれなりの給料を出しているつもりではあるが、これを自費で出せとなると痛手を与えてしまうことになる。雇用主として、というよりか年上としてそれはどうかと思う。かといって泰駿のポケットマネーから出すのも憚られた。


「経費でいいよ……」


 肩を落としながらそう言うと小さくガッツポーズをする香乃子の姿が見えた。経費で落とすつもりで買ってきているとはいえ、実際に経費として計上できるかは半信半疑だったらしい。


 やれやれと思いながら彼女の視界に入らないよう、パーティションで区切られた応接スペースで用意された服に着替える。経費で落とすと決めたのなら、仕事で使わなければ税理士になんと言われるか分からない。


 ゴシックパンクな服は泰駿の趣味ではないのだが仕方が無い。泰駿としては服はシンプルなものが好ましい。それこそどこの量販店でも売られているような、何の変哲も装飾も無いワイシャツにジーンズあるいはチノパンがベストだと思っている。


 よって香乃子が用意したこの派手な装飾の服は泰駿の好みとは対極に位置するものではあるのだが、着ると決めたのなら僅かな興味が湧いてきたのも事実だった。


 自分で服を選んだのなら決してこのような服を手に取ることは無い、香乃子のセンスで用意されたこの服を着ることで新たな発見があるかもしれないのだ。


 普段のスタイルからゴシックスタイルへと着替え終えた後、鏡で全身を確認してみたが引きつった笑みしか浮かべることが出来なかった。隣に立つ香乃子は、自分の見立てが間違っていなかったとでもいうよう得意げに首を縦に振っているが、泰駿自身は今着ているこの服が似合っているとはとても思えない。


 元々細身の人間が着ることを想定されているようで、昔から鍛え続けて肩幅の広い泰駿が着るとサイズは合っているのに丈が小さい。臍の辺りなどは露出する羽目になってしまい、割れた腹筋が覗いていた。ズボンのポケットに手を突っ込んでみたが、余裕は無く中に何もいれられそうに無い。


「所長似合ってますねー、いやー選んだ甲斐がありました」


 どこがだよと突っ込みたくはあったが、言ったところで今更どうにもならない。


「特にお臍をちらりと見せるそれセクシーで良いじゃないですか、鍛えてるからそういう服が似合うと思ったんですよねー」


「もしかしてこれ、俺の体型に合っていないとかじゃなくって……元々こういう服なのか?」


 露出している自らの臍を指差しながら尋ねると、香乃子は何の逡巡も見せずに頷いた。そういうファッションがあることに驚きそうになったが、考えてみればおかしな話でもない。


 割れた腹筋というのはセックスアピールとして機能する、男女の出会いの場に溶け込むための服ならば男性らしく鍛えられた筋肉をそれとなく強調する服は理にかなっているだろう。


 香乃子の見立ては間違っていないのだと感心し始めたが、泰駿とて年頃の男性である。今の自分が他人から見て格好良いのかどうかは気になるところだった。


「でさ、これ似合ってる様に見える?」


「はい! すっごく似合ってますよ、女の子からキャーキャー言われること間違いなしです入れ食いです!」


 拳を握り締めながらそう言われてしまうと悪い気はしない。趣味ではない服ではあるが、プライベートでも一着ぐらいはクローゼットの中に入れても良いような気さえしてきた。


「香乃子がそう言うんならそうなんだろうな。女性から見てそういう服に見えるんだったら、クラブに行くのには相応しい格好なんだろう」


 鏡を覗き込みつつワックス等の整髪剤で髪型も整えたほうが良いのだろうか、なんていうことを考えていたところで泰駿は大事なことに気づいた。


 このゴシックパンクファッションでは武器を隠せない。


 体にフィットし過ぎているせいでポケットには何も入らないし、ジャケットの内側に何かを隠そうものなら浮き上がってしまう。


 かといって鞄を使える訳ではない。咄嗟の時に取り出せるようにする必要があるのだが、鞄の中に入れてしまってはそうすることができなくなってしまう。


 人の多い場所に行くのだから、そうそう武器が必要になる場面に出くわすとは思えない。だが何事にも不測の事態というのは有り得るもので、そういう時の備えとして武器を用意したい気持ちがあった。


 手ぶらで行くか、それともスタイルを崩してでも隠し持っていくか。鏡を見ながら葛藤していると香乃子が肩を指で突いてくる。


「小物入れが必要になるかと思ってこういうものも用意しておいたんですよ」


 振り返ると香乃子が革製のミニポーチを持っていた。革製なら今の服装とも合うし、大きさも問題なさそうで試しに普段から愛用しているナイフを入れてみたが隠すことが出来た。


 ベルトに引っ掛けることの出来るタイプのポーチだったので、これなら即座にとは行かないまでもそれなりに素早く取り出すことが出来る。


「随分と用意が良いな、助かる」


「そうでしょそうでしょ。いやー、前から所長にそういう服を着てみて欲しかったんでちょうど良かったですよ」


 褒めたつもりだったのだが、こう言われてしまうと褒めなければよかったと後悔する。落胆を隠しながらも準備を進め、壁に掛かっている時計を見ると午後の七時を回ったころだった。


 人を着せ替え人形に出来てご満悦な表情を浮かべている香乃子に、クラブの開店時間を尋ねてみると午後の七時だという返事が返ってくる。


 ならちょうど良い時間だと事務所を出て行こうとしたところで、香乃子が止めてきた。彼女が調べたところによると、クラブに人が増えて盛り上がるのは一〇時から日付を跨いだ深夜の二時あたりだという。


 なので出かけるのはまだ早いと主張するのだが、泰駿は首を横に振る。店員に聞くことも多いのだから、客が少ない時間から行くほうがいい。それに場合によってはだが、店に根回しをする必要もあるためその時間が必要だ。


 不服そうでは合ったが、残業代は出すので待機するように命令を出して事務所を後にし駐車場へと向かう。そこに停めているライトグリーンに塗装したカワサキのNinja1000に跨りエンジンを動かしスロットルを回す。


 心を躍らせるエグゾースト音を響かせながら、街を走りぬけクラブへと向かった。


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