1-2 化生を狩る男(2)
浅井夫妻は二人とも息子が犯罪に巻き込まれている、という可能性については一切考えていなかったらしい。危機感を煽るためにわざと深刻そうに言ってみたものの、二人の反応は泰駿の予想を上回っていた。
顔は青ざめ、立ち上がりはしないものの明らかに落ち着きをなくしている。瞳は震えて焦点は合っていないし、震えを隠そうとはしているものの足が小刻みに震えていた。
「安心してください。なんとかしますから」
そう二人に声をかけると応接スペースを一度離れ、事務用デスクへと向かう。その上には香乃子が用意してくれた複数の武器が置かれている。そこに並べられた自動式拳銃に弾丸を装填し、いつでも撃てる準備を整えてからベルトに差し込む。予備のマガジンは持たないが、念のためにコンバットナイフも身に着けることにした。
それらを装備していることを隠すためにワイシャツの上にゆとりを持たせたジャケットを羽織り、応接スペースへと戻る。弾丸を装填する際の物々しい音を聞いてしまったせいか、彼らの身体の震えは増しているようにも見えた。
「大丈夫ですよ」
特に何の根拠もなく、ただ彼らを安心させるためだけに自信があるよう見せるために力強く呟き、余裕を演出するために煙草を吸って見せる。一定の効果はあったらしく、二人の震えは落ち着き始めた。
「まずやることがあるんですけど、どちらか警察に行った方が良いです。ちゃんと息子さんがESP能力者だということを説明しませんとね。それと息子さんの交友関係や、よく遊びに行く場所とかわかりますか?」
尋ねると二人は顔を見合わせ、妻の方が首を横に振った。それもそうだろう、大学までいって親に誰と遊ぶどこに行く、なんていうことを親に報告するようなやつはいない。
「すみません……」
「いやそれが普通だと思いますよ。ただこまめに連絡は取っていたように思えたので、もしかしたらということもあって尋ねただけです。そうしたら、息子さんの部屋に入ることはできますかね?」
「あぁ。それでしたら合鍵を持っていますので大丈夫です」
「わかりました。でしたら旦那さんと私とで息子さんの部屋に向かいましょう、奥さんは警察に行ってESP能力者だということを伝えてください。不服かもしれませんが年頃の男は部屋の中を親に、特に母親には見られたくないものですからね」
冗談っぽく肩をすくめて見せたがこれは効果が無かったようで、二人して深く頷くだけだった。内心で溜息を吐きながらも、まずやることが決まったのならこれ以上は事務所で話をする必要もない。
香乃子に留守番を頼み三人で外へと出た。まだ夏は始まったばかりだというのに、クマゼミの圧力ある鳴き声が降り注ぐ。歓楽街のコンクリートジャングルで周りに木等ないというのに、蝉たちは一体どこからやってきたというのだろう。
額に噴き出る汗を拭いながらタクシーを拾い、それで妻を警察に向かわせる。夫妻は車で来ていたので、その車を使って一之介と共に息子のアパートへと向かう。
道中の車内で息子のことを色々と尋ねてはみたが、足取りを掴めそうな収穫は特になかった。わかったことと言えば、息子の名前が一郎で、良く言えばムードメーカー悪く言えばお調子者の性格をしているということぐらいだった。
ただこの道中で話しているうちに一之介の緊張が若干とはいえほぐれてきたのが収穫と言えば収穫なのかもしれない。彼は依頼人であると同時に、今はまだ少ない情報源の一つでもある。多少は緊張していて欲しいが、あまり緊張されていても情報が引き出しづらくなって困るのだ。
車で大体三〇分ほど走ったところで住宅街の中にあるワンルームマンションへと着いた。外から各部屋のベランダをざっと眺めて干されている洗濯物を確認する。ほとんどが男物で、吊るされている服のデザインから若者が多いことがわかる。歩いて行ける距離に大学があるので、ほとんどが一人暮らしの大学生なのだろう。
一之介の案内で一郎の部屋の前まで来るがすぐに中には入らず、郵便受けを確認する。新聞は取っていないようだがチラシが詰まっており、部屋の主が長く帰ってきていないことを教えてくれた。
鍵を開けてもらい中に入ると籠っていた熱気が溢れ出すと共に、腐臭にも似た嫌なにおいが鼻につく。目を細めながら中に入り、まず見たのは玄関脇の台所。
あまり自炊はしていなかったらしいと見えて、シンクには弁当のプラスチック容器やカップラーメンの容器でいっぱいになっていた。そこに近づくと嫌なにおいが強くなる。臭いのもとは容器に残った食べかすが腐った臭いだったらしい。
「散らかっていてすみません」
「大学生の一人暮らしならこんなものでしょう。あー玄関で止まっといて、最悪の場合ここに警察くるんで出来るだけそのままにしておきましょう」
申し訳なさそうに頭を下げている一之介を一瞥しながら、持参していた手袋を両手に嵌める。入るなという指示をすると、どういうわけか直立不動の姿勢で動かなくなってしまった彼に少しだけ首をかしげながらさらに奥の部屋へと進む。
置かれているロフトベッドが圧迫感を与えてくるるため小さく感じたが、ワンルームにしては広い部屋だった。多分、八畳ほどの広さがあるだろう。台所の惨状から、部屋の中は物であふれているとばかり思い込んでいたが整頓されていた。
ジャケットなどの衣類はロフトベッドの下に吊るされ、そのほかの衣類はクローゼットの中へと収納されている。他にあるのは正方形の小さなテーブルとその上にはイヤホンがつながったままになっているノートパソコン。ベッドの反対側の壁際には本棚と液晶テレビ、それには最新型のゲーム機が繋がれている。
本棚に並んでいるのは経済・法律に関する本とマンガ、それに音楽CDだった。学術書はおそらく大学で参考書として使っているものだろう、マンガは流行りのものばかり。CDは泰駿の知らないアーティストばかりが並んでいた、ジャンルはテクノやハウスといったダンスミュージックばかりが並んでいる。
何かあるのではないかと思ってきてみたが、手掛かりになりそうなものはない。テーブルの上にあるノートパソコンを立ち上げてみたが、ロックが掛けられていた。一之介にパスワードを知らないか聞いてみたが、首を振られた。
仕方がないのでそのままシャットダウン。どうしたものかと思いながら台所に戻り、冷蔵庫を開けてみる。中に入っているのは牛乳とコーヒー、それに麦茶だけで、食べるものは何もない。弁当やラーメンの容器で一杯になっているシンクを再び覗き、引き出しを開ける。
「あの、何を探してるんですか……?」
「何をと聞かれても、何かを探してるとしか答えられないんですけどねー。ただ確定というほどではないですが、分かったことが一つだけありますよ」
閉め切られた部屋は外よりも暑い。そんなに動いたわけでもないのに玉のような汗が浮かび、それを服の袖で拭う。
「わかったことがあるんですか?」
俯き気味だった一之介は顔を上げて、瞳に希望の光を輝かせていた。その光を見て今の発言は失言だった、と後悔する。浮かんできた推測を口に出すのには抵抗があったのだが、彼の反応を見てしまうと言わないわけにもいかなかった。
「友人とこの部屋で騒ぐようなことはしていない、彼女がいてもこの部屋に連れてくることはほとんどない。その程度ですよ」
「はぁ……そうですか」
明らかに肩を落とす一之介の姿を見ると、やはり言わなければよかったと思う。ただ、この部屋で騒ぐことが無いのならご近所トラブルで何かあったということは考えなくて良いはずだ。近隣トラブルで多いのは騒音だが、部屋の主は音楽を聴くときもイヤホンを使っているようなのでその線はまずない。
引き続き台所のゴミ箱の中身を漁ってみたが、あるのは菓子類や食品を包んでいた袋と空のペットボトルだけ。菓子類はどれもシングルサイズで、ペットボトルも冷蔵庫に入っていたのと同じ麦茶のものだった。
友人を部屋に呼んでいないという推測は正しそうに思える。最近の大学生はアルコールを飲まないと聞いているが、それでも集まればジュースや菓子ぐらいはつまむ。なのにそういったものは見当たらない。
ただそれが足取りを追う手掛かりになるかといえばそんなことはない。収穫なしで調査を終えることになるかもしれないと覚悟しながら部屋に戻り、今度はそこに置かれていたゴミ箱を漁る。
こっちのゴミ箱も入っているものは台所のものと大した違いはなかったのだが、泰駿の目を引き付けるものがあった。くしゃくしゃに丸められたチラシが捨てられていた。
これはもしかすると、と丸められたチラシを全て取り出して破かないように広げていく。どれもイベント告知のフライヤーで、しかも全て同じシャドウテイルというクラブのもの。
それらフライヤーをスマートフォンで撮影し、画像データを事務所にいる香乃子へと送る。数分もすればこのシャドウテイルというクラブの情報を連絡してくれるはずだ。
見つからないかもと諦めかけていたところで、手掛かりになりそうなものが見つかったことで安心すると急に煙草が吸いたくなる。せめて臭いが部屋につかないようにと窓を開けてベランダへと出た。良く晴れた空で日差しもきついが、部屋の中よりかは涼しい。
紫煙を燻らせながらベランダからの景色を眺め見る。この部屋は四階にあり、それなりの眺めを期待していたのだが周りも同程度の高さの建物ばかりで見てもつまらない。ただ風はそれなりに強く、身体を撫でていく風が額に浮かんだ汗を冷やしてくれるのが心地よかった。
「こっち、涼しいですよ」
玄関で待機させたままだった一之介を手招きで呼び寄せる。しばし逡巡した様子を見せた後、抜き足差し足忍び足で彼もまたベランダへとやってきた。
「のんびり煙草なんて吸ってますけど……大丈夫なんです?」
「そう不安に思わなくても良いですよ。少しばかり道は見えて来てますから」
「ですが犯罪に巻き込まれてるかもと思うと」
依頼人を不安にさせる気はないし不安を感じているのならそれを解消してやるのも仕事だと思っている。なのでそう思わせないためには余裕を見せるのが肝要、そのために努めて笑顔を浮かべるようにはしているのだが、もしかするとそれが逆効果なのだろうか。
どうしたら彼の心配を一時とはいえ軽減させることができるのか。仕事だと理解してはいるが、それがメインではないためか段々と考えるのが面倒くさくなってくる。
適当に別の話題を出して気を逸らす方が良いのだろうか、それとも別の方法が良いのだろうか。上手い言葉を見つけられずに悩んでいたところでポケットの中のスマホが震えた。これは助けだとばかりにすぐポケットから取り出すと耳に押し当てた。誰から掛かって来たのか、画面を一瞥することもなかったが十中八九香乃子に違いない。
「何かわかったか?」
「はいー、わかりましたよ。所長が送ってきたチラシのクラブはナンパ箱みたいですねー」
「ナンパ箱?」
「えぇ私も調べただけで詳しくはないんですけど、そこのクラブは異性と出会うことがメインみたいなんですよ。それ以外は、そうですねー例えばドラッグの売買してるとかー、そういう悪い噂は少なくともネットにはありませんでしたね」
「はー……そんな場所があるわけか」
泰駿の中にあったクラブのイメージといえば、DJの流す音楽を聴く、あるいはそれに合わせて踊る場所というもの。そういう場所であるのなら男女の出会いの場として機能するケースもあるだろうが、それを主目的としたクラブが存在するとは思いもよらなかった。
香乃子は悪い噂は見つけられなかった、と言ったが出会いを求める男女が集うような場所でトラブルが起きないわけがない。部屋の中で見つけたフライヤーの数を考えると、依頼人の息子である一郎は件のクラブに通っていたことだろう。
犯罪とまではいかなくとも、そこで悪い遊びを覚えたのかもしれない。なんにせよ、そのシャドウテイルというクラブに行けば分かることだ。
「わかった。そしたら依頼人と一緒に事務所に戻る、引き続きネットの情報で良いから調べておいてくれ」
「はい、わかりました!」
溌溂とした返事を聞いてから通話を終える。依頼人の一之介は固唾を飲んで泰駿を見ていた。
香乃子との電話でのやりとりは全部でないにせよ彼にも聞こえていたはず。彼女との電話で捜査に進展があったと確信した泰駿は煙草を咥えなおすと無言でサムズアップをしてみせる。
それでようやくある程度は不安が解消されたらしく、一之介の肩がほんのわずかとはいえ下がった。