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1-1 化生を狩る男(1)




 部屋中に煙草の臭いがしみついた事務所の応接スペースで、神楽泰駿(たいすん)はソファに座り依頼人と向かい合っていた。今回の依頼人は四〇代後半あるいは五〇代前半に見える夫婦。夫の方はブランド物のスーツを着ており、妻の方もブランド物のバッグやアクセサリで身を固めている。


 裕福に見える夫婦二人を前に、泰駿はその猛禽のような目で遠慮なく値踏みするよう眺めながら愛飲している海外たばこを口に咥えた。


「吸わせてもらっても?」


 尋ねてはいるが拒否させる気はない。言いながらも既にオイルライターで煙草に火を点けている。この様子に妻の方は面食らって夫の方を見たが、その夫はと言えば来た時と同じで不安げな表情を浮かべたまま小さく頷いた。


「あなたも吸います? 落ち着きますよ」


 煙草を一本差し出してみたが断られた。妻の方は嫌煙家らしく、高級そうなハンカチで鼻を覆いながら泰駿をぎろりと睨みつけている。だからといって吸い始めたばかりの煙草の火を消そうとは思わないし、煙草が嫌いなら事務所に入った時点で帰ればいいのにと思う。


 なにせこの事務所は泰駿が煙草を吸い続けているせいで、カーテンだけでなく壁までヤニで黄色く汚れている。喫煙者である泰駿ですら、事務所に入った瞬間に煙草臭いと感じるほどなのだ。


「腕利きの探偵さんだと伺っています。息子を……探してはいただけないでしょうか?」


 俯き気味だった夫が顔を上げて呟くようにそう言った。泰駿はその顔に射貫くような視線を向ける。


「余所いけ」


 ピシャリと言い放つ。


 探偵事務所を経営している泰駿ではあるが、人探しや素行調査は大の苦手だ。というのもこの事務所に所属している人数が少ないため、人手がいるこれらの仕事を行うことが難しい。


「いえあの……せめて話だけでも、探偵さんですよね?」


「あーそうだよ。探偵だ、看板には人探しに素行調査、猫探しだってやるって書いてるね」


「でしたらどうしてそんなことを仰るんですか」


 無言で振り返りオフィスを見る。そこには数少ない従業員の一人である如月香乃子が眼鏡の位置を直しながらノートパソコンと向かい合って作業をしていた。


「とまぁそういうことです。出払っているわけじゃないんだ、従業員不足でね。今も動けるのは俺一人、なもんで俺じゃないとダメとかまーそういう理由が無いと依頼受けないようにしてるんですよ。あんた等のために言ってるんです、人探しなら他の探偵や興信所の方が確実だよ」


 ふー、と天井に向けて紫煙を吐き出した。


「だから言ったじゃない。こんな事務所に頼むだなんて有り得ないって……」


 妻が夫に向けて小声で言いながら、横目で泰駿を睨む。夫はけどだって、と言い始めるがすると即座に妻の反撃が始まった。ここで夫婦喧嘩は止めて欲しいのだが、止めるのも面倒くさい。


 特に急いでやることもないし、暇つぶしに夫婦喧嘩を眺めるのもワイドショーを見るようで面白いかもしれない。それならその駄賃として彼らにコーヒーの一杯を出すのも良いだろう、ということで香乃子に人数分のコーヒーを持ってくるように言いつけた。


 泰駿が口を開いたことで夫婦喧嘩が止まるかも、と思ったがその様子はない。それどころか妻の方がヒートアップしはじめて声が大きくなってきている。反対に夫の方は縮こまり、声も小さくなっていた。


 夫婦喧嘩は犬も食わない。その諺の意味を実感しながら二本目の煙草に火を点け、漂い始めたコーヒーの香りを嗅ぎながら二人の会話に耳をそばだてる。


「――けど、久我さんが探偵ならここが良いというし」


「今、なんて言いました?」


 久我の名前が出た瞬間、泰駿は目を細め二人の耳に届きやすいよう努めて低い声を出した。夫が泰駿の方を向くと、今にも夫に掴みかかりそうだった妻もソファに座りなおす。ちょうどそこでコーヒーが入り、香乃子が三人の前に並べた。良いタイミングだ。


「えぇ、そうです。久我光実(くがみつざね)さんって知っておられますか?」


 頷く。久我光実といえば泰駿の小学校時代からの友人で、今もだいたい三か月に一度の頻度で飲みに行く間柄である。ただこの久我、大企業である久我工業の二代目予定で、最近は忙しいらしくメールを送っても返信がないことが良くあった。


「その、私……久我さんの部下でして、悩みを久我さんに零したらこの事務所が良いと薦められまして……えぇっとその、久我さんとはどのような関係なのですか?」


「その質問の前にあんた、名前ぐらい名乗ったらどうなんです?」


「あ、これは失礼しました……。私こういうものです」


 夫が立ち上がると名刺を差し出してくる。仕事で慣れているのか、不安でどうしようもなさそうな雰囲気を醸し出しながらもその動きは機敏だった。一応は礼儀だろう、ということでマナーなんて守る気はあまりない泰駿でも、そのマナーに則り名刺交換を行う。


 渡された名刺は確かに久我工業のもの、名前は浅井一之介、肩書には資材調達部部長とある。久我工業の部長なら裕福なのも頷けるし、社外の人間とも会う事の多い部署だろうから高級スーツを身に着けていることも頷ける。


 ただ、妻に対してこんな弱気な態度でやっていけるのだろうかと思うが、家の外と内では別人格になるタイプなのかもしれない。


「神楽さんとおっしゃるのですね、ということはあなたが所長さんですか?」


 名刺を読んだ浅井の言葉で自分も名乗っていなかったことに気づき、乱暴に名を名乗らせたことを恥じたがその態度を表に出すことはなく、ただ静かに頷いた。


「光実のやつとは小学校からの付き合いなんですよ」


 ブラックコーヒーを啜ると浅井も同じようにしたが、妻だけは相変わらず泰駿を睨みつけている。彼女の瞳からは、信用なんてしないするものかという強い意志が感じられた。


 浅井の妻から不信を向けられていても泰駿はどうとも思わない。というのも、自分が彼女だったとしたら信用など到底できないからだ。まずこの事務所がある場所は風俗店も多く存在する歓楽街で、事務所が入っているこの雑居ビルの一階も毒々しい看板を掲げた風俗店の案内所なのだ。


 そして泰駿自身の年齢も二七とまだ若い。五〇代前後だろう彼らからすれば、まだまだケツの青い若造でしかないのだから信用できないのも無理はない。というかいきなり信用される方が怖い。


「そういうことだったんですか」


 泰駿と久我が友人だと知り安心したのか、浅井は胸を撫で下ろすと僅かばかりとはいえ不安が解消されたらしい。泰駿からすればただ久我と友人だから、というそれだけの理由で安心されるのも困る。


 本音で言えばこの人探しの依頼を受けたくないのだが、昔馴染みからの紹介で来てくれた彼らを無下には出来ない。それに久我なら泰駿以上に人探しの上手い探偵を知っているはずだ、なのにわざわざこの事務所を紹介したということは、この夫婦にはそれなりの事情があるということにもなる。


「久我の紹介だというんなら、話ぐらいは聞きましょう。探してほしいのは誰なんです? 生き別れの兄弟? それとも蒸発してしまった親とか?」


「いえ、探してほしいのは息子なんです。大学に入ってから一人暮らしをしたい、というので家を出ていまして。ただ一人息子なものですから心配でこまめに連絡を取っていたのですが、ここ二週間ほど電話をかけても電源が切れているし……住んでいるアパートを訪ねても帰った様子が無くて」


「警察には行ったんですよね?」


「もちろん行きましたし、捜査はしてくれると言っていました。ただ若い大学生ですから、遊び歩いているだけかもしれないし事件性を感じられないから後回しになるかもしれないと言われまして」


「そうでしょうね。警察は事件性のあるものを優先的に処理しますから、大学生の男が二週間ほど行方知れずというだけじゃ動いてくれないでしょう。ところで聞きますが、息子さんの持ってるESP能力を教えてください」


 背後へと目配せすると香乃子と目が合った。彼女はそれだけで泰駿の意思を汲み取り、それとない仕草でボイスレコーダーを見せるとそのスイッチを入れる。


 そしてすぐに正面の依頼人夫妻へと視線を戻すと、彼らは揃って同じように口を開けて驚愕の表情を見せている。それがあまりにも同じように驚くものだから、泰駿はつい笑ってしまいそうだった。


「あの、どうして……私たちの息子が超能力者だとわかったんですか?」


「探偵事務所を初めてまだ三年なんですけどね、それでも勘っていうのが養われるんですよ」


 自分のこめかみを指先で叩きながら笑ってみせる。


 浅井夫妻には勘だと言い切ったのだが、実のところを言えば勘でも何でもない。この事務所の業務内容をよく知っている久我の紹介なら、十中八九ESP能力者絡みという確信があったのだ。


「それに私も表立っては宣伝しませんけれど、ESP能力者ですからね。これがその証明証です」

 ポケットの中から国が発行した証明証を見せる。この証明証はESP能力者であると国から認定された場合、常に持ち歩く必要がある一種の身分証だ。


「さて教えてください、息子さんの持ってるESP能力」


 すぐに教えてくれるかと思ったのだが、浅井夫婦は目を見合わせて悩んでいるようだった。


 今から二〇程前から各地で異次元通路と呼称される現象が起きるようになってから、どういうわけか世界中で科学では解明できない超能力を持つ人間が現れ始めた。最初は政府も混乱を見せたが、超能力者はESP能力者として登録を義務付け、政府の監視下に置くことで今や混乱は見られない。


 超能力と一言で言っても、例を出せば体毛の長さを自在に変更できる、というような人畜無害なものが大半だというのも大きな混乱が無かった理由の一つかもしれない。ただ、ESP能力者と常人とでは圧倒的に常人の方が多く、ESP能力者だと発覚するといじめの原因や就職差別、住んでる地域から追い出されるといった事が未だにあるため中々口に出せないのが実情だった。


 既に息子がESP能力者だと泰駿に看破されていながら、その能力をすぐには教えてくれないのもそういう風潮が世の中に蔓延しているのが理由だろう。


「念写……と、言えばいいんでしょうか」


 意を決したらしく夫が話し出した、妻はそれを止めようスーツの裾を掴んだが夫はそれを振り払う。


「息子は紙に、どんな紙にでも自分が記憶した情景を映し出すことができるんです。このテーブルの上に置いてあるようなメモ用紙にでも、写真さながら鮮明に記憶の中の風景を映し出すことができまして……小さい頃から僕は人間カメラだ、なんていいながらその能力を私たちに披露してくれてました」


「警察に届けを出したと言っていましたが、その能力があることを担当した人に言いましたか?」


「いえ、超能力者だということも言っていません。神楽さんには見破られてしまいましたからこうやって答えていますが、やはり余程親しく信用のできる人にではないと息子が超能力者だとは言いづらくて」


「馬鹿野郎……」


 口の動きを見せないように俯き、手で口元を隠しながら二人には聞こえないように呟いた。何か合図を送ったわけではないのだが、泰駿の雰囲気から察した香乃子が準備を始めだしたのか背中から小さな金属音がし始める。


 突如として変わった雰囲気を察したのは香乃子だけではなく浅井夫妻も同じようで、二人して瞳を揺らしていた。そんな夫妻二人の顔を交互に睨みつけながら泰駿は言った。


「代金として経費込み一二〇万だ。額が額だけに分割しても構わないが、きっちり払ってもらう。その額を出せるというのならこの依頼を受ける」


「え、そんな! 一二〇万だなんて高すぎませんか? 他所ならその半額以下、いえもっと安くでやってくれるところもありますよ?」


 提示した額に不満の声を上げたのは妻の方だった。事前に探偵への依頼料の相場を調べていたらしい。ただ泰駿に彼らからぼったくろう、という気持ちは微塵もない。友人の久我からの紹介だというのなら、多少は割り引こうという気持ちだってある。


 だがこの依頼がただの人探しで終わるとは思えなかった。人探しの依頼で一二〇万というのは桁違いの額なのだが、今回のような場合は安すぎるということはない。


「嫌なら他に行け、息子がどうなっても俺は知らないし。何かあってもあんたの上司はあんたを責めるだけだ」


「それはどういう……?」


「記憶にある光景を念写する能力だと言いましたね。しかも息子さんにとってその能力は自慢らしい、となればあなた方以外にも仲の良い友人には披露していることでしょう」


「何が言いたいのですか?」


 泰駿の伝えようとしていることが妻には伝わらないらしい。ヒステリックさを感じさせる高い声で、今にもテーブルを乗り越えてきそうだ。


「俺がするのは例えばの話ということは念頭に置いといてくださいよ。良いですか、例えば、例えばですよ。息子さんが何かの犯罪現場を目撃したとしたら……?」


 浅井夫妻の顔から一瞬にして血の気が引いていった。


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