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3-1 猛禽の眼(2)

 道端で奇怪な占い師と遭遇した数日後、泰駿が重い鉄の扉を開けてオフィスへと入ると既に出社していた二人の女子社員は立ったまま談笑に興じていた。物静かな香乃子と活発なプラム、正反対の二人が仲良くやれるだろうかという心配を胸に秘めていた泰駿にとってこの光景は嬉しいものである。


 胸中を暖かくしながら笑顔を浮かべ、二人に声をかけた。香乃子はいつものように返事を返してくれるが、プラムの方はあからさまなしかめ面を浮かべる。明るい挨拶が返ってくるものだとばかり思い込んでいたために、思わず面喰う。


「朝っぱらからそういう表情は止めてくれ、テンションが下がるだろ」


 ここで働き始めて日が浅いプラムにはまだキツく言う必要は無いだろうと、苦笑いを浮かべながら彼女らの横を通り過ぎてデスクへと向かう。カバンは足元に放り投げ、椅子に座るとさっそく煙草に火を点けた。


 香乃子は自分のデスクに座りノートパソコンと向かい合って仕事を始めたが、プラムはふくれっ面を浮かべ機嫌の悪さを隠そうともせずに泰駿へと視線を向け続けている。紫煙交じりに溜息が出た。


「ここはクラブじゃない、働く場所だ。笑っていろ、なんていう気はないがそんな顔をするのは止めろ。職場の空気が悪くなる、かといって頭ごなしにそうしろという気は俺には無い。従業員のケアを行うのも仕事の内だからな、言いたいことがあるなら聞いてやる」


 ほとんど睨むような視線をプラムへと向ける、たじろいだ様子を見せはしたものの彼女はデスクに座る気配を見せない。ローファーの足音を響かせながら彼女は泰駿のデスクの前までやってくると、ふくれっ面を浮かべたまま泰駿を見下ろした。


 それに負けじと泰駿もまた、彼女を見上げる。


「無視したでしょ?」


「何が?」


 彼女の言っている意味が分からず、小馬鹿にするよう鼻で笑う。


「一昨日の土曜日、隣町のショッピングモールいたでしょ?」


「いいや、そんなところに行ってないけど」


 答えながら土曜日の出来事を思い出す。その日は昼まで寝た後、読書をして過ごし、夕食は自宅近所のコンビニ弁当で済ませた。外出したのは弁当を買うためにコンビニに出かけたぐらいで、後はずっと家の中で音楽を掛けながら読書、後は毒にも薬にもならないバラエティ番組を見ていた。


「嘘吐かないでよ、私はその日友達とモールの中の映画見に行ってたんだけどさ、映画館出るところで泰駿とすれ違ったんだよ。挨拶はしなきゃと思って声かけたのに、無視したくせに」


「してないな。第一、一昨日の土曜日は外出なんてしていない。飯買うためにコンビニに出掛けはしたけどな、それに俺の自宅はお前の言ってるショッピングモールと事務所を挟んで反対方向にあるんだ。わざわざ休日に行かないよ」


「はぁ、何言ってんの。絶対に見間違いなんかじゃないし、いつもと同じワイシャツにジーンズだったし髪型も一緒だったし背丈も一緒だったし。あ、けどサングラス付けてたな。でもね、それ以外はぜーんぶ泰駿だったんだから」


 髪を掻き毟る。こんな下らないことで嘘を吐くはずがないのに、プラムのやつはどういうわけだが食い下がってくる。そのショッピングモールに行っていない、という決定的な証拠を提示してやれば納得もしてくれるのだろうが、どうやって証明すればいいのか。


 土曜日の泰駿はずっと一人で過ごしている、会った人間といえばコンビニのレジに立っていたアルバイトぐらいなもの。住んでいるマンションのエントランスに防犯カメラがあるので、その映像さえ手に入れたらアリバイになるだろう。だが、犯罪に巻き込まれたというならともかくとして、プラムの下らない言いがかりでそんなものが手に入るはずが無い。


 勝手に憤っているプラムを宥める手段などない。嵐が過ぎ去るのを待とう、彼女の言葉をシャットアウトしようかと決意したところで、香乃子がそういえば、と口を開いた。


「プラムさんが見たのってそっくりさんじゃないですか? 私もこの間見かけたんですよ。背格好は全く同じだったし、今ひとつなファッションセンスも同じだったし。あ、所長だーって思ったんですけど乗ってるバイクが違ったので分かりました。えっと、あれドゥカティってやつだったかなぁ……前に所長が乗りたい乗りたいって言ってたバイクだったから、印象に残ってるんですよ。その人もサングラスつけてたから、プラムさんが見たのってその人じゃないですかね」


「え? そっくりさん、なーんだそうならそうと早く言ってよー」


 さっきまでの憤りはどこへ行ってしまったのか、プラムはけらけらと笑う。そして泰駿はデスクに突っ伏して、頭を抱えた。拍子抜けしたこともそうだが、それ以上に妙な敗北感に襲われたのだ。


 世界は広い、そっくりさんが最低でも三人はいるという。そのそっくりさんが近所に暮らしている、それは良いのだ。ただその良く似た誰かさんが、自分には手が出せなかったバイクに乗っていると聞くと負けた気がしてしまい力が抜けてしまった。


 彼女たちが似ているとは言っていても、泰駿自身はそのそっくりさんと顔を合わせた事は無い。なので比べるようなことなど全く、どこにもない。無いのだが、そのそっくりさんが欲しくて欲しくてたまらなかったバイクに乗っていると聞くと敗北感がやってくる。それは理屈ではなかった。


「マジかよ……ドゥカティかよー、いいなー……はぁ」


 突っ伏したまま呟き、大きな大きな溜息を吐き出した。


 敗北感に打ちのめされても仕方が無い。比較するだけ馬鹿らしい話でもあるし、この敗北感はいつか自分もドゥカティを手に入れて乗り回す、仕事に励んで稼ぐ。こうやって原動力に変えてしまうのが建設的な思考というものだろう。


 上体を起こし、背筋を伸ばす。頬を軽く叩いて気合を入れて、さらにやる気スイッチをオンへと切り替えるために煙草を咥えた。この泰駿の行動で、二人の社員の仕事スイッチも切り替わったようだ。香乃子もプラムも、自分のデスクへと戻るとノートパソコンの操作を始める。


 泰駿も自分のパソコンを起動させ、メールチェックを行う。今ならどんな仕事だってやってやろう、そう思いながらメールボックスを開けたのだが、悲しい事に依頼のメールは無かった。来ていたメールといえば、贔屓にしている銃砲店からの広告メールだけだった。


 もっとも、この事務所に依頼をしてくる人間のほとんどはメールを送ってくる事は無い。多くは事務所に直接やってくるし、後は電話だ。なのでこのメールボックスの中身はいつも通りといえるのだが、やる気になっている今、依頼のメールがあればどれだけ嬉しかったことか。


 今日も暇な一日になるのだろうか、落胆の息を吐き出しつつディスプレイ越しに二人の女性社員を見た。頭の中に浮かんできたのは、彼女達の話していたそっくりさんのこと。そして、数日前に出会った妙な占い師のことだった。


 黄色いレインコートを着た占い師は、泰駿が自身と同じ顔をした男と出会う事になると言っていた。その男の名前も言っていた、オラウス・ウォルミス。しっかりと思い出せる。


 今の今まで、あの占い師は路上生活の果てに神経を病んでしまった病人だと思い込んでいた。しかし、知り合っても間もないプラムならともかく、それなりの付き合いになる香乃子までもが自分と見紛うほどの容姿をした男が近所にいる。占い師の言う事を信じるのならば、泰駿はいずれ近いうちに、その男と出会うことになるのではないだろうか。


 馬鹿らしい話だ。占い師なんてのは山師と同じだ、たまたまそれらしい話を聞いたから、占いと関連付けてしまっただけのこと。未来を見通すなんて事は、誰にだって出来ないのだ。ゆるく頭を振って、馬鹿げた考えを頭の中から追い出した。


「香乃子、俺が来る前に電話とか無かったか?」


 ディスプレイから目を離さずに尋ねた。香乃子はいつも泰駿よりも最低三〇分は早く事務所に来ている、なので仕事の電話を彼女が受け取っているかもしれないのだ。もっとも、聞かないでいてもそんな電話があれば彼女のほうから伝えてくれる。ただ人間は誰だって忘れることがある。電話が来ていれば嬉しい。


「あ、そういえば小原不動産さんから電話がありました。また山の物件を見に行って欲しいって」


 どうやら仕事の電話を受け取っていたらしい、やる気が漲っているところなのだし、ガッツポーズをしても良いぐらいだった。けれども泰駿の中に湧き上がっていた気力は小原不動産の名前を聞いた途端にしぼみ始め、山の物件と聞いたところで枯れ果ててしまう。


 この小原不動産というのは泰駿が事務所を構えているビルを所有している会社だった、規模はそう大きくは無い。ただ市内だけでなく、隣県との境目にある山の中にも幾つか管理物件を持っている。その山の中にある不動産はほとんどが廃墟だったりボロ家だったりで、管理らしい管理が行われているわけではない。


 ただそれでも時折は状態を確かめる必要があって、そういう時は泰駿に依頼してくるのだ。探偵という家業の都合上、それなりに法律知識はある泰駿だが不動産に関しては素人と言って良い。そのことは小原不動産も良く承知していた、にも関わらず泰駿に依頼してくるのには理由がある。


 二〇年ほど前から発生し始めた、異次元通路と呼称されている現象がその理由に関わっていた。この異次元通路という現象は突然に発生し、人間の目には光の塊が現れたように見える。そしてこの現象が起きると、どういうわけだか地球上には存在し得ない怪物が現れるのだ。


 それは四本足の獣だったり、翼を持った爬虫類だったり、鋼鉄の機械だったり。出現する怪物は時によって違う。さらに怪物どもは強靭な肉体を持っていることが多いため、身近にある武器や警官の使う銃火器では太刀打ちできない場合が多々あるのだ。ではどうするのかというと、ESP能力者の出番となる。


 小原不動産が泰駿に見に行かせる理由がそれだ。山の中にある管理物件は、もしかしたらいつの間にか現れた怪物の隅かとなっているかもしれない。だからESP能力者である泰駿の出番がやってくる。


 この仕事は不定期ではあるが継続的に舞い込んでくる仕事なので、嬉しいといえば嬉しい。ただ、そこに怪物がいようがいまいが、倒しても倒さなくても、支払われる報酬は変わらないので美味しい仕事とは言えなかった。


 何度か賃上げを試みて交渉しようとしたこともあったのだが、長くテナント料を滞納しても文句の一つも言ってこなかった大家なので強く出ることが出来なかった。そのため、労力に見合っているとは云い難い報酬で受け続けている。


 どうしようか、と呟きながら煙草の灰を落としプラムへと視線を向けた。彼女だったら、賃上げ交渉が出来るだろうか。


 その視線に気づいたプラムは泰駿を見ると、ニコリと微笑む。笑顔は悪くない、それにスタイルも良い。色仕掛けを使わせたら出来るんじゃないだろうか。そんなことが頭に浮かんだところで、泰駿は紫煙を吐き出すと煙草を灰皿に押し付ける。


 やれといったところで彼女はやってくれないに違いないし、そもそもハニートラップで事を成し遂げるなんていうことは泰駿の流儀に反した。


「どうしたもんか……なぁにを持って行こうかなっと」


 ロッカーへと向かって観音開きの扉を開ける。中には多種多様な武器が整然と並べられていた。拳銃にサブマシンガンだけでなくライフル銃までも置かれているし、それら銃火器だけでなくナイフや日本刀といった刃物も共に保管されている。


「ここに来た時から気になってたんだけどさぁ、そのロッカーって中に何入ってるの?」


 泰駿の背後、肩越しにプラムが覗き込む。息を呑む音が聞こえた。当然だろう。


 ナイフや刀ならまだ機会があるかもしれないが、普通に暮らしているのであれば銃なんて目にすることはまずない。仮にあったとして、警官が腰に下げているのを目にする程度だ。


「これ、全部本物?」


「モノホンの本物、モデルガンなんて一つもないよ。ナイフも本物、刀だって模造刀じゃない。本物の真剣だ、試しに見てみるか?」


 おもむろに刀を掴み中ほどまで引き抜く。鍛え抜かれた刃は蛍光灯の光を浴び、淡い緑の輝きを放った。肩越しに見ているプラムが喉を鳴らした。


「すご……綺麗……」


 愛刀の輝きを褒められて悪い気はしない。得意げに鼻を鳴らし鞘に納めながら、これも持っていこうと決めてロッカーから取り出し、携帯する準備を始める。


「あれ、けど日本刀ってそんな色してるもんだっけ? 鉄ってそんな緑色になるもん?」


「普通はならない。けれどちょっと特別な材料を混ぜてやると、こういう色になったりすることもあるのさ」


 プラムの背を向け喋りながら準備を進めていく。


 向かう先に怪物がいるかどうかは分からないし、もし怪物がいたとして戦うのは屋内になるだろう。それらを考えると、持っていくのは刀と拳銃ぐらいがちょうどいいに違いない。


 ショルダーホルスターに拳銃を納めてジャケットで隠し、刀は袋に入れて背中に担ぐ。これで準備は完了だ。


「へー、そんなことあるんだ。私さ、そういうのよくわかんないんだけれど鉄に何を混ぜたらそんな綺麗な色になるの?」


「……秘密だ」


 一瞬だけ動きを止めた後、茶化すよう笑いながらそう答える。唇を尖らせるプラムだったが、実を言えば泰駿もこの刀が緑色である理由を知らないのだ。


 隕石から採れた金属を使っている、とは聞いているがそれが何なのかは知らない。正直に答えても良かったのだが、しょうもないプライドが知らないとは言わせなかった。


 それを察しているのか、それともただ好奇心がそうさせているのか。プラムがさらに尋ねようとしてくる気配を感じたので、泰駿はさっさと事務所から逃げ出した。

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