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プロローグ



 深夜の展望台、眼下に広がる街並みを一望できるこの場所でも日付を跨いだ夜中ともなれば人の気配はどこにもなかった。草むらにいるだろう虫たちも息を潜めているのか、柔らかな風が草木を揺らす以外には何の音もしなかった。


 その寂しく広い空間の中心に突如として拳大の光球が現れる。音もなく熱を出すこともなく、輝きを増しながら光球は巨大化し大人一人を包み込めるだろう大きさまで発達したところで発生した時と同じく唐突に消えた。それと同時にそよ風も止む。


 光球が現れ、そして消えた場所には一人の男が立っていた。背格好には筋肉質であること以外にはこれといった特徴のなさそうな彼であるが、眼だけは異質である。眼光の鋭さは猛禽類を思わせ、その瞳は黄金に輝いていた。


 彼はゆっくりと、一歩一歩アスファルトで舗装された地面を噛み締めるように落下防止の柵まで歩くと深夜の街並みを見下ろす。


 市街にはネオンの明かり、街灯、車のライト。人の営みを示す明かりが未だ眠る気配を見せずに煌々と輝いている。もちろん大半の人々は寝床の中で夢を見ているのだろうが、それでもまだまだ精力的に眠ることのない人々がいる。


 男の目にはそれらの明かりが生命の輝きそのものに見えた。人工的なそれらの光を見ているだけではあるが、人々の力強い生活を見ているように思える。それがなんとも嬉しく、そして懐かしさに彼の頬は緩んだ。


「おやまぁあなたがそんな表情を見せるとは思いもよらなかった。というよりも笑顔というものを忘れているものだとばかり思い込んでおりましたよ。やはりこの光景はあなたにとって懐かしいものなのですか? ねぇ、オラウス」


 背後から声を掛けられ、オラウスは猛禽のようなその眼を向けた。いつ来たのか、それともずっとここに潜んでいたのか。さもここにいるのが当たり前だと言わんばかりに、黒人男性が手を後ろに組んでにやついた笑みを浮かべている。


「あぁ、懐かしいとも。まさか再びこの景色を見ることができるとはね、そこに関しては礼を言うよ。ただここでは貴様のことを何と呼べばよい? 暗黒のファラオか? 闇をさまようものか? それとも月に吠えるもの?」


 黒人に向かい複数の名で呼びかけると彼の目が赤い炎となり燃え盛る。大きく笑った口から覗く下の色は黒く、彼もまた人間でないことを示唆していた。


「お好きなようにお呼びなさい。私には貌が無く、そして千の貌を持つもの。這い寄る混沌、あなたが今呼びかけた名前が指し示すは全て私であると同時に私でない。そのぐらいのことがわからないあなたではないでしょう?」


「あぁよーく理解しているよ。けれどそいつは不便だ、その姿をしているということは人間の中に紛れているんだろ? その時に使う名前を教えろよ。俺はとりあえず、どの名で貴様を呼べばいい」


「好きに呼んでくれて結構だというのに……しかしオラウス、あなたの言う事も私は理解しております。どの呼称を使えば良いのか分からないというのは利便性に欠ける。今のところ私はこの街でダファラと、そう名乗っています」


 小さく笑いながらダファラと名乗るこの黒人も落下防止策に近づくとオラウスの隣に立ち市街を見下ろした。彼もまたオラウスがそうしたように笑みを浮かべているが、オラウスとは違いその表情には底知れぬ邪悪さが露骨に現れ、景色を映す赤い瞳は永劫に広がる果てしない深淵へと続いている。

 「ではその名で呼ばせてもらうよミスターダファラ。貴様のことだ、理由もなく俺を出迎えに来たわけじゃないだろう?」


「えぇもちろん。ささやかなプレゼントを用意させていただきました」


「そいつはいいね、貴様が贈り物をしてくれるなんて。輝くトラペゾヘドロンでもくれるのか?」


 おどけたように笑いながらオラウスが手を広げると、ダファラはなんとも残念そうに肩を落とし首を横に振る。


「差し上げることが出来たらそうしたのですけれどね……ただあれは八〇年ほど前、ナラガンセット湾に沈められてしまいまして、今も行方が分からないので。しかしこのプレゼントは輝くトラペゾヘドロンなどというものよりも、よっぽどあなたにとって有益な代物だと思うのですよ」


 そしてオラウスの手の上に小冊子が置かれる。煌々と輝く月明かりに照らし出されたそれは、紛れもなく米国のパスポートだった。


「戸籍か?」


 得意げに無言で頷くダファラを見ながら早速手渡されたパスポートを開く。氏名はロジャー・ビーコン、年齢は二六歳となっている。貼付されている証明写真は瞳の色こそ違うがオラウスとよく似ていた。


 別宇宙からの来訪者であるオラウスには当然戸籍は存在しない。この現代の日本社会で活動するあたりに戸籍が無いということは大きな枷となる。どうにかして手に入れる必要があったものが、いとも簡単に手に入ったことは僥倖という他ない。


「で、こいつは偽造か? それとも……」


「本物ですよ、背のり、というやつです。顔がよくあなたに似ていましたからね、成り代わるにはちょうどよいかと思いまして」


「本物のロジャーは今どこに?」


 無言でダファラは夜空の向こうに広がる無限にも等しい暗黒の宇宙空間を指示した。予想通りの返事、オラウスはロジャーが自分のために消えてしまったというのに何の感慨も抱かなかった。


 だというのに身体は動いていた。気づかないうちに手の中にあるパスポートに向かい、黙祷をささげているオラウスがいた。


「おやこれは意外ですね。人の理を外れて長いあなたにそのような情が残っていたとは」


 この黙とうを捧げる行為はダファラにとってさぞおかしかったものらしく、肩を揺らしかかと笑う。オラウス自身、ロジャーに対し何の感情も湧かなかったというのに冥福を祈ったことが意外であり、その理由も分からずじっとパスポートを見つめていた。


 ただそれで理由がわかるわけではない。このままパスポートを手にしていると余計なことを考えそうだったのでポケットへと押し込む。


「情なんていうのは残っていない、これはただの礼儀だよ。やらなければならないからやった、それだけだ。それよりも、このロジャー・ビーコンってのはどんなやつなんだ」


「学生ですよ。ロードアイランド州にミスカトニック大学というのがあるでしょう、そこの考古学部に在籍していました。世界中の各地域に伝わる神話や信仰される宗教、それらの共通点を探っていたようです。あなたと似ているのは祖母が日本人で、クォーターというやつだからでしょうね」


「なるほどね」


 ロジャーがどうして闇に葬られたのか、その理由を察した。彼がオラウスと似た容貌をしていなくても遅かれ早かれ彼は消えていたに違いない。それを思うと、オラウスの手はポケットの中に入れたパスポートを握ろうとしていた。


「そんなことよりもです、あなたこれからどうするおつもりですか? 神楽泰駿を探すのであれば、私は既に彼の居所等、種々の情報を持っています。お伝えしましょうか」


「不要だよ。泰駿は……あの時、貴様らに出会うことが無かった俺だ。ならあいつがどこで何をしようとしているかぐらいは、少し考えればわかることさ」


 街並みへと視線を向け、ひと際ネオンが強く輝く繁華街を視界へと入れる。


「そうでしたね、泰駿はもう一人のあなた。あなたはもう一人の泰駿、私のようなものから下らぬ情報を仕入れない方がさぞ愉しいでしょう。それではせいぜい足掻いて愉しませてください、期待していますよ……オラウス」


 気配が消えた。隣を見れば既にそこには誰もいない。展望台中を見渡しても、いるのはオラウス一人だけ。最初から隣には誰もいなかったかのように存在感すらなかったが、ポケットの中のパスポートだけが、ダファラがいたことを伝えている。


 溜息を吐き、しばらくの間郷愁の念を持ちながら夜景を見ていた。満足が行ったところで伸びを一つ行うと振り返り、登山道へと向けて歩き出す。


 歩みを進めるたびにオラウスの輪郭は闇の中へと少しずつ溶け出すように消えていく。


 再び無人となった展望台にはそよ風が吹き始め、草木のざわめきが戻った。

 

 

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 斯くして舞台開演の時は来た。


 夜明け前の暗い闇、主役は三名。

 化生を狩る男、理を外れたもの、魔道を極めた半神半人。


 物語のはじまりはじまり――。

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