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誰か、私を可愛いと言ってください

作者: 葉桜いもむし

 思えば、私は小さな頃からブスだった。


 久々に開いた昔のアルバム。そのページの中央に写っていた笑顔の幼児は、つり上がった一重まぶたの目と丸い鼻の持ち主で、見るからにふてぶてしい顔をしていた。

 そう、このブサイクな幼児は私だ。

 写真の中の私は、男の子のような服を着て床に寝転がり、一人でボール遊びをしている。

 どうして女なのにそのような格好なのかというと、両親が男の子供を望んでいたからだ。

 私は女だが、息子が欲しかった両親の趣味により常に男の格好をさせられていた。

 一人歩きをして幼稚園に通うようになっても、私の服にリボンやレースがつくことはなく、髪も短く切られていたので男の子と間違えられることの方が多かった。

 そのくせ、「美々」というおこがましい名をつけられている。


 最初に社会の厳しさを目の当たりにしたのは、三歳になりたての頃。親戚の女の子と一緒に、彼女の父親に連れられて遊園地へ行ったときのことだ。

 相変わらず男の子のような格好をした私は、上機嫌でメリーゴーランドに乗っていた。

 女の子と共にメリーゴーランドから降り、彼女の父親と出口で合流したときに係員のおじさんが言ったのだ。


「可愛いお嬢さんですねえ」


 彼の目は、私ではなく親戚の女の子だけに注がれていた。

 だが、思い上がっていた私は、両親や祖父母に「可愛い」と言われたことを鵜呑みにし、自らの外見をわきまえずに係員に突っかかったのである。


「ねえ、私は? 私は、可愛い?」


 大人にとって、子供はみんな分け隔てなく可愛いものなのだと信じていた当時の私は、「顔面格差」というものを知らなかった。


 丸い大きな目に鼻筋の通った、典型的な「可愛い女の子」である親戚の子。彼女はもちろんリボンのついた可愛らしいワンピーススカートを履いていたし、髪は長く綺麗な三つ編みだった。

 対する私はといえば、細くつり上がった目に低い団子鼻。髪は雑に切られたショートカットで、スカートが似合わないことこの上ない。

 愛くるしさの欠如した、不細工な子供の問いかけに係員は苦笑したが、「可愛いよ」とお世辞を言うことはなかった。


 それから一ヶ月後、特に可愛くなることなく日々を送った私に、「寧々」という妹ができた。

 今まで私に「可愛い」と言っていた両親と両祖父母の慈愛の目が、一斉に妹に注がれた日のことは、たぶん一生忘れないだろう。


 妹もまた、一重まぶたの赤ん坊だった。

 しかし、私のような細いつり目ではなく、穏やかなたれ目だ。髪も、私のような真っ黒な剛毛ではなく、くるくるとした天使のようなパーマ。

 身内だけでなく周囲の誰もが、妹を「可愛らしい赤ん坊」だと認識した。

 他の子供より成長が早く、言葉の覚えも良い、こまっしゃくれて不細工な幼児である姉の私。

 何もわからず、あどけない笑顔を浮かべる純粋無垢な妹。

 どちらが可愛いかは、言うまでもない。


 この頃から、両親は「お姉ちゃんなんだから」と私に数々の我慢を強いるようになった。

 好きで姉になったわけではない。私は「お姉ちゃん」という言葉が死ぬほど嫌いだ。

 男の子向けの服を着せられている私とは違い、妹は女の子向けのフリルのたくさんついた可愛らしい服を着せられ、女の子扱いされている。

 このことも、私を苦々しい気持ちにさせた。

 けれど、妹と自分との違いは、単に年齢によるものだと思っていた。

 私はまだ、自分の不細工さを客観的に認識することができていなかったのだ。


 幼稚園のお子様向けクラブでダンス部を選択し、愛らしい外見の女の子に混ざり似合わない衣装を着て踊る。平気でそんな真似をしていた当時の私は、イタい幼児だった。

 のちに当時のビデオを見ると、めちゃくちゃ浮いているのがわかる。女の子達の中に、男の子が迷い込み女装をしているようだ。

 もちろん、私にはダンスのセンスなど微塵もなかった。



 そのまま、私は小学生になり、妹は幼稚園に通うようになった。

 小学生になっても、相変わらず私は不細工なまま。

 ショートカットに小学校の制服のスカート、赤いランドセルの組み合わせが最高に似合わない。

 両親は、私にショートカット以外の髪型を許さなかった。彼らは、小学校へ上がった娘にまだ「男の子らしさ」を求めていたのである。


 小学校へ通いだしたのを機に、私の家族はマンションから一軒家へと引っ越した。

 駅から遠く不便なマンションから、一駅隣にある下町の住宅地に移り住んだのである。

 しかし、私は新しい環境や小学校に馴染めずにいた。


 以前の私が住んでいた地区は、それなりにしつけをされた子供が多くいる場所だった。

 だが、引っ越し先の地区は無法地帯そのもの。

 生まれて初めて子供同士の理不尽なやりとりを目の当たりにし、私は大いに戸惑った。

 今までは、安全な環境の中で守られていたのだと知ったのである。


 小学校は、私にとって厳しい野生のジャングルそのものだった。

 担任の教師が守ってくれるかと思いきや、教師は教師で「娘さんが怖い目つきで睨んでくる」と家庭訪問で母親にチクる始末。

 私の目つきは生まれついてのものだし、眼を細める癖があるのは視力が悪いからだ。なのに、誰もそれをわかってくれない。

 この頃から、私は自分の目の形が気になり始める。

 そうして、小学校の環境に馴染めないまま、私は徐々に人付き合いが苦手になっていった。


 同じ頃、少し成長した妹は、私にちょっかいを掛けることを覚えていた。

 私が優しく注意しても、妹が私の作業を邪魔したり、体を叩いたりすることは止まない。

 厳しく注意すれば、両親からの叱責が私の方に飛んできた。


「お姉ちゃんなんだから、妹に優しくしなさい。どうして、年下の子を大事にしてあげられないの! 妹が可愛くないの!?」


 妹が可愛いのは、お前らであって私ではない。

 当時の私にとって、妹は愛する家族などではなく、ただの外敵だった。「何をしても自分は怒られない」ということを知っている妹の行動は、エスカレートする一方でとどまるところを知らない。

 学校にも家にも居場所のない私は、次第に精神を病んでいった。

 だが、そこで不登校や家出を選べなかったのは、私が融通が利かず、気が弱く、真面目で馬鹿な子供だったからだろう。


 小学校最後の年に学級崩壊が起こり、授業が最後まで終わらないまま、私達は中学へと追いやられた。

 この地区には、まともな教師が存在しなかったので仕方がない。


 この頃、私はストレスから髪を抜いては、両親に「髪の毛を触るな、みっともない」と叱られていた。

 爪は噛み癖からガタガタになり、鬱屈した気持ちをどうにかしたくてリストカットするものの、両親に気づいてもらえないという不毛な日々を送る。

 そうして、だんだんアニメなどで現実逃避を図るようになり、部屋に引きこもることが増えていった。


「ねえ、私立の中学校に行きたい」


 小学校の惨状を目の当たりにした私は、ついに両親に私学に通いたいと願い出た。

 幸い、入学試験に合格できる程度の頭はある。

 だが、両親はそんな私の頼みを却下した。


「近所の中学校へいけばいいじゃない、近いんだから。あそこは、お母さんの母校なのよ」

「そうだぞ。うちにはもう一人子供がいるんだし、お前を私学へやれるだけの余裕がない」


 そう言われてしまえば仕方がない。私は、嫌々近所の公立中学へと通った。

 中学校は、小学校以上に荒れている地獄だった。

 授業中に教師が泣き出して職員室に逃げ帰るなどということは日常茶飯事。教育実習生も二日ともたずいなくなり、気をつけて歩かないと校舎の上から火のついたタバコや椅子が降ってくる。

 勉強など、まともに出来ようはずがなかった。

 そんな中で、私は淡々と修行する僧のように中学へ通っていた。希望する高校へ行くには、内申点が必要だったからである。

 周囲は、私のことを「ガリ勉の陰キャラ」だと認識した。


 この頃には、私は自分がブスだということを完全に自覚していた。

 鏡を見ても、自分を可愛い女の子だとは思えないし、男子から「名前に見合わないブス」と言われることが多くなったからだ。

 周囲の子がお洒落に可愛くなっていく中、私は一向に垢抜けず、妙な焦りだけが身の内に渦巻くようになる。

 可愛くなりたいが、具体的にどうすれば垢抜けるのかが分からなかったのだ。


 兄や姉はおらず、周囲に年上の女子の友人もいない。中学でお洒落な女子は、スクールカーストの底辺とは付き合わないので、彼女達に聞くことも不可能だ。

 母親に相談してみたものの、「中学生のくせに、そんなことしなくていい」と一蹴されてしまった。


 ちなみに、中学でのあだ名は「朝○龍」。太ってはいなかったが、つり上がった目や団子鼻が、有名な相撲取りに似ているといえばよく似ていた。

 髪型は、相変わらずのショートカット。ボーイッシュな女の子といえば聞こえはいいけれど、男に見える女子プロレスラーと言ったほうがしっくりくる。

 二次成長期は来ていたが、相変わらずの両親は、今度は「ボーイッシュでスポーティーな女の子像」というものを私に求め始め、アクティブな活動をするように促した。

 部屋に引きこもってアニメを見るような娘は、彼らの子供として失格なのだ。


「家でアニメばっかり見ずに、外で友達と遊んできなさい」

「……友達なんていないし」

「なんで? ○○ちゃんは? あそこのお母さんとは、よく話をするのよ」

「喋ったことないし」

「一度話しかけてみたら? きっと、いい子よ? お友達になれるわ!」


 親の的外れなアドバイスに、私の心はますます鬱屈していく。だいたい、○○ちゃんのような明るくて派手な女子が、私のような根暗な人間を相手にするはずがないのだ。

 母は、何もわかっていない。

 だが、自分が学校内で置かれている立ち位置を正直に話すこともできなかった。スクールカースト底辺の人間が持つなけなしのプライドが、私の口を封じたのである。

 両親は私を「普通の子供」だと思っていたが、私は普通などではなかった。

 社会から脱落した、ブスで根暗で頭の悪い、生きている価値のない人間だった。


 周囲に適合できない私とは違い、妹には小学校でまともな友人ができている。

 ダメな姉を間近で見ていたせいか、妹が対人関係で困っているところは見たことがない。

 私の中学校卒業が近くなり、妹が小学校を卒業する少し前に、ふと父が言った。


「寧々、私立中学校を受験してみないか? 美々の通っている中学校は荒れているし、授業もまともにしていないみたいだからな」


 その言葉を聞いて、私の心にどうしようもない黒い感情が激しく渦巻いた。

 なんだそれは! 以前は私学へ行くのを反対したくせに、どうして今更そんなことを言うのだ!

 私は、あの地獄に三年間も通わされていたのに……! 姉は、妹のための実験台なのか!


 当然、私は癇癪を起こして家の中で暴れ、不公平だと怒鳴り散らし、妹にも物を投げつけた。

 そうして、結局、妹の私立進学は立ち消えになったのである。

 私がキレたからではない。妹に私立を受験する学力がなかったのと、彼女がそのために塾に行くのを拒否したためだった。


 その後、私は逃げるように家から離れた私立高校を受験した。そこは、かつて私が行きたいと言った私立中学の高等部だ。

 両親は妹に私立進学の話をしてしまった手前、私の要望を拒めなかった。

 私の顔面の醜悪さは、日を追うごとに酷くなっていく一方だ。ギトギトにテカった顔に、増え続けるニキビ。

 卒業アルバムなど、とても開けたものではない。



 地元を抜け出して偏差値の高い高校にさえ行けば、人生が開けるのだと思っていた。

 アニメの中のような、輝かしい青春時代を送れるのだと思っていた。

 だが、現実はそんなに甘くない。


 入学式後に友達確保のレースが始まるのだが、私は最初から躓いていた。

 どの話の輪の中にも入れないのだ。

 何人かに声をかけて回っている女の子達も、なぜか私の前はスルーする。特に派手な感じの子ではない、普通の子達だ。

 私は、まだ思い上がっていたのだ。ここでは、「ブス」や「陰キャラ」と差別されることもないと、タカをくくっていたのだ。

 近所のショッピングセンターで買った安物のヘアピンをつけ、おしゃれぶってはいるものの、他の子に比べて私の見た目は明らかに芋くさい。声をかけて回っていた子も、「こいつは他の子と違ってヤバそう」と敬遠したのだろう。

 結局、私ともう一人のヤバそうな外見の女子だけが、友人を確保できずに取り残された。

 やはり、女子達は異物を認識し、あえて私を避けていたのである。


 そういうわけで、高校でも私は孤立した。

 憧れていた青春も、恋愛ドラマも全く起こらない。

 同じ班の生徒についていくだけの修学旅行や文化祭は苦痛だし、ペアを組まなければならない体育の授業では毎回余った。

 そうして、ひたすら大学入学のための受験勉強に追われるだけの日々を過ごす。

 その受験も、推薦枠は中学から通う生徒に全て振り分けられ、高校入学組は実力で試験を受けて大学合格を狙うしかないという。

 自分の脳味噌の足りなさを棚に上げた私は、中学から私立に入れてくれなかった両親に怒りを抱いた。

 私自身の性格も、中学の頃以上に大きく歪んでいた。


 高校に入ってからの私は、少しでも女子らしくなろうと、両親の反対を振り切って髪を伸ばし始めた。

 しかし、私が髪を伸ばしたところで、お洒落な頭になるはずもなく、縄のような大量の毛束の黒々としたポニーテールが出来上がっただけだった。



 そうして、高校時代に勉強しかしてこなかった甲斐あって、私は地元の国立大学に入学した。

 髪を茶色く染めた私は、大学デビューをすることに成功。

 ファッション雑誌でおしゃれを研究し、小遣いの範囲で実践したのである。

 もっと早くにこうしておけばよかったのだが、過去の私は雑誌で見たものを実践するにはどうしたら良いのかさえわからなかった。

 家の近くにはお洒落な服を売っている店など皆無で、欲しいものが手に入らなかったのもある。おまけに、当時は今ほどネット通販が普及していなかったのだ。

 お洒落な女子とまではいかないものの、「普通」の域には到達できたようで、私は入学初日に近くに座っていた女の子から声をかけてもらえた。

 おかげで、人生初の「女子グループ」というものに所属できたのである。

 だが、恋人はできなかった。自分より可愛い女の子を見ては嫉妬に燃えた。

 いくら努力をしても、もともと可愛い子にはかなわない。せいぜい「普通」止まりだ。

 私は、可愛くなりたかった。


 大学に入ってからアルバイトも始めたが、どれも長続きしたものはない。

 それまで、底辺の人間として生きてきた私が、社会に適合できるわけがなかったのである。

 気は利かない、仕事を覚えられない、作業を間違える、余計なことをする、そのうち職場にいづらくなって転職する。そのようなことばかりを繰り返していた。


 そんなある日、私にとって衝撃的なニュースが起こった。妹が二重まぶたになったのである!

 整形をしたわけではない、ファイバー状の簡易二重作成道具を使用しているうちに、自然に二重になったらしい。

 ちなみに、厚すぎる私のまぶたはというと、二重にしようにも、その程度のファイバーでは意味をなさず変な線が入るだけだった。

 またしても荒れ狂った私は、バイト代でプチ整形に手を出した。大学生にしては、手痛い出費だ。

 手術台に寝かされた私は、医者に「自然な二重」を希望。

 美容外科医は、その通りにまぶたを塗った……が、下手くそだった。麻酔が全く効いておらず、文字通り血の涙が出た。

 痛みの甲斐あって、その日から私は「自然な二重まぶた」を手にいれる。自然すぎて、周囲は誰も気づいてくれなかった。

 ただ、これで目つきの悪さは多少改善されたはずである。


 数年後、妹も大学に入学した。

 彼女は高校からの推薦で、私の行きたかった私立大学の将来有望な学部に入学した。

 私の高校よりも偏差値の低い場所から、自分の目標だった大学に受かった彼女に、私は心中穏やかではない。しかも、その大学の場所は実家から遠かった。

 大学を受ける際に、私は両親から「一人暮らしさせる金はないから、家から通える範囲で」と強く言われており、それを守って受験している。

 なのに、妹は大学入学早々に一人暮らしを始めたのだ!


 世の中には、特に努力をしなくても、周囲に流されてエスカレーターに乗っているだけで、目的の場所にたどり着ける運の良い人間がいる。私の妹は、まさにそれだった。

 私自身はその逆で、努力をしても報われない。初めは上手くいっていても、途中でおかしくなり、人生計画全体が狂い出すような人間だった。



 数年後、就職活動に失敗した私は、歴史だけはあるそこそこの大手企業の事務員として働いていた。

 もちろん、志望した職種ではない。

 同じ大手でも、私は人事や広報や経理や法務などの専門職に就きたかったのだ。

 一般事務などやっていても何の専門知識も身に付かないし、成長なんて見込めない。第一、向いていない。コミュニケーション能力が必要な仕事なんて、私にはできないのである。

 だいたい、「一般事務職では、女性らしい細やかな気配りを求めている」などと言われても、もともと細やかではない女性はどうすればいいのだ。女性は全員細やかで気配りが出来るだなんて価値観の押し付けはやめていただきたい。

 ここで働き始めたのも、「大学を卒業したら正社員として働かねばならない」という謎の義務感からの行動だった。最終的に事務員を選んだのは、土日が休みで早く帰れるから。それ以外に理由はない。


 働き始めたものの、予想通り私は仕事のできる方ではなかった。

 だが、会社には私よりも不細工で仕事のできない「ゴリラ」と呼ばれる女子社員がいる。「ゴリラ」は、可愛くなる努力や、苦痛なバイトや、プチ整形をしなかったらなっていたであろう、私の姿そのものだった。

 彼女がスケープゴートになってくれたおかげで、私に非難の嵐が来ることはなかったのである。

 やはり、見た目は大事なのだ。


 ある日、仕事が早く終わり定時に家に帰る途中、私は最寄駅で見覚えのある女を発見した。

 中学生の頃に私を「不細工」だの「キモい」だの馬鹿にしていたマイルドヤンキーの男女が、汚い格好をして子供を三人も連れてスーパーのレジ袋に特売品を詰めて踏切を渡っている。

 おそらく、高校卒業後にフリーターになり、出来婚でもしたのだろう。

 ふと、踏切の前で女と目が合う。

 流行の社会人女性向けブランドの服に、初ボーナスで買ったブランドバッグを持った私は、勝ち誇った気持ちでその女を見返した。ヒールを鳴らし、そのまま家へと向かう。

 社内や世の中全体ではともかく、地元では私は勝ち組になれたのだと思った。


 そんな醜いことを考えていたから、バチが当たったのだろうか。

 愛すべき私のスケープゴートである「ゴリラ」が、重大なミスで上司の怒りを買って、会社をクビになってしまった。

 これで、会社で一番仕事のできない女子社員は私になってしまう。

 いくら勉強ができても、仕事に必要な資格を持っていても、非難を浴びるのは不可避だと思われた。


 話は変わるが、私は大学に続いて会社でも数人の友人に恵まれた。

 彼女達は美人で社交性に優れ、私の人生史上最もスペックの高い女の子達だ。

 自分がこの中に入っても良いものなのか、場違いなのではないのか。私は、常にそういうことを考え、自分が彼女達に切られる日を恐れていた。

 友人達といると、私は異性からナンパされる。もちろん、男性の目的は私などではなく、彼女達のうちの一人だ。私はおまけで、お情けで一緒に誘ってもらっているのだ。


 その友人達と一緒に、生まれて初めての合コンにも参加した。もちろん、私は引き立て役だ。

 それでも、このことは私の人生において初の快挙だった。

 けれど、そんな素敵な彼女達といると、嫌でも思い知らされる。プチ整形で二重になったところで、私はブスなのだと。



 就職して数年が経過した頃、両親は私の結婚相手の心配をし出した。というのも、私に彼氏ができる気配が一向になかったからである。

 ちなみに、妹は大学入学後、ちゃっかり彼氏を作っていた。

 天然二重まぶたに、すらっとした母似の鼻。父似の細っそりしたスタイル。

 血の繋がっているはずの妹は、美人だった。

 そして、私の両親は、妹よりも先に姉が結婚しなければならないという体裁を重視している人間だった。


「会社にいい人はいないの?」


 何かあるたびに、母はこの話題を出す。そして、私の答えも決まっていた。


「いない。既婚者のおじさんばっかり」

「このあいだ行った合コンに、いい人はいなかったの?」

「いなかった。チャラい上に性格の悪そうな奴ばっかり」


 自分のことを棚に上げ、私は周囲の男性達をこき下ろした。だが、いい人と思える相手が周囲にいないのは事実だ。

 こうして、私は社会人になっても男性に縁がないままの人生を送った。


 そのうち、大学を卒業した妹が就職した。就職先はテレビ局、職種は女子アナだった。

 私以外の家族や親戚たちは、全員浮き足立った。

 親戚の集まりでは、妹は常にちやほやされた。ついでのように「お姉ちゃんもOLさん……だっけ? 頑張っているねえ」などといわれても、腹が立つだけであった。

 中にはかなり露骨なのもいて「寧々ちゃん、すごいわぁ! ○○家の誇りね! こんな素敵な娘さんがいて、お父さんもお母さんも鼻が高いでしょうねえ」などとのたまうババアもいた。

 私だって頑張っているのに、仕事ができなくても毎日ちゃんと真面目に働いているのに。妹ばかり褒めそやされるのが納得いかない。

 それ以来、私は親戚の集まりに参加することをやめた。


 その頃、私の社会人生活はというと、予想通り居心地の悪いものとなっていた。「ゴリラ」の抜けた穴は大きい。彼女の時ほど露骨ではないものの、上司などは私に一切仕事を任せなくなっていた。要するに、干され気味になっていたのである。

 大学生のバイト時代よりはマシになっていたものの、社会全体でみると私の仕事能力は劣っていた。

 自分が病気ではないかと疑いたくなるくらいミスが多い。

 ほら、やっぱり、こうなるんだ。

 私は、ある程度、この結果を予測していた。

 やっぱり、初めは上手くいっていても、途中でおかしくなり、人生計画全体が狂い出すような人間にしかなれないのかもしれない。

 周囲の人間全員が、自分のことを仕事のできない不要な人間だと見ているような気さえしてくる。

 環境が変わればやり直せるのかもしれない。だが、一般事務職に配置転換などはない。

 周囲の冷たい視線に耐えながら席に座っていさえすれば、毎月給料は振り込まれるが、そんなことまでして残って何になるというのか。

 それに、こんな惨状を家族に知られたくはない。妹は、華々しい活躍をしているというのに。

 会社の友人などは、私に言わないだけで、この惨状に薄々気づいているのかもしれない。陰口を叩かれているかもしれない。それも怖かった。


 そして一年後、お見合いで知り合った男性との結婚を機に、私は逃げるように会社を辞めた。

 夫になった男性は、二重まぶたの優しい目元の人だ。

 だけど、私は怖い。彼は私のことを気に入って結婚したと言ってくれているが、所詮はお見合い。本当は妹の方が良かったのではないだろうか?

 そんなことを、常に考えてしまう。


 妹は美人女子アナで垢抜けている。性格だって、私のようにひねくれていない。

 夫は妹のことが好きなのに、妥協して私で手を打っているのではないだろうか。

 聞いたところで、優しい彼は私に真実を告げないだろう。そう思うと、ますます不安になる。


 気がつけば、私は退職金を片手に美容クリニックの前に立っていた。

 私が美人になれば、妹の影に怯えなくて済む。今度は、プチではなく本格的な整形をするのだ。目は二重になっているものの小さく、鼻はヒアルロン酸で少し高くなったものの鼻先が丸いまま。

 手始めに、私は再び目をいじることにした。もっと、くっきりぱっちりした「キャ○ー○ミュ○ミュ」のような目になりたかった。

 医者は私の「派手でパッチリした二重」という要望に頷き、手術を開始した。手術後の顔は妖怪のように腫れている。

 でも、これで理想の顔になるはずなのだ。それだけを希望に、私は帰路に着いた。


 しかし、腫れが引いても、私は「キャ○ー○ミュ○ミュ」にはなれなかった。出来上がったのは、ただの眠そうなガチャ○ンである。目の形も、手術前よりも細い。

 まさかの整形手術失敗だった。「朝○龍」のような分厚いまぶたで「キャ○ー○ミュ○ミュ」になるのは、無理があったのだ。

 私は絶望した。

 どうして、妹は何の努力もせずに美人に生まれてきて、勝手に二重まぶたになって、女子アナになって、元彼と別れた後は有名サッカー選手と交際中なのに、私は会社を逃げるように退職して整形に失敗しなければならないのか。

 世の中、不公平だ!

 これでは、普通に外を歩くことすらできない。

 再び美容クリニックへ行き、経過を見てもらったものの、医者は「これは成功だ」と言って聞かない。

 こんなものが成功であるはずがないのに!

 こんな目になるのなら、どうして手術前に言ってくれなかったのだ!


 それから、私は修正手術について調べることにした。

 夫は、そんな私を見ても何も言わない。いつ見捨てられてもおかしくない、愚かな行動をしたというのに、彼はまだ私のそばに残っていた。


 しばらくして、修正手術をしてくれる病院が見つかり、私はまぶたを直してもらった。

 しかし、修正のために再度まぶたを切ったので皮膚が足りなくなった。人によっては、それを失敗というだろう。けれど、私は見た目が自然に戻ったことに満足していた。

 外見はプチ整形時に近いが、夫曰く睡眠時などは目が薄く開いていることがあるらしい。

 当初はだんご鼻も整形する予定だったが、鼻にシリコンを詰めるのはやめておいた。目以上に鼻の失敗は多いと知ったからだ。



 修正手術から数ヶ月経ったある日、丁寧に化粧をしている私に向かって不意に夫が言った。


「今日、可愛いね」

「……えっ?」


 私は、しばらく静止して彼を見つめた。


 それは、私がずっと欲していた言葉。

 幼い頃から他人に言われたことのない、ずっと憧れていた言葉だったのだ。


「私、可愛い?」

「うん、とても可愛いよ」


 その瞬間、私は妹が生まれて以来の「自分だけ」に向けられる「無償の愛」を得た。

 彼の「カワイイネ」という五文字の言葉に、今まで二十年近く苦しんできた私の心は救われたのだ。


 小学生の頃に抜いた前髪は未だに戻らないし、リスカの跡も薄く残っている。

 まぶたが少なくなった目も二度と元に戻らず、毎日がドライアイとの戦いだ。

 でも、私は自分だけを愛してくれる大切な伴侶を得た。


 それでいい。

 彼がいるだけで、私は満たされる。そう思った。

 けれど……


 数年後に生まれた我が子は、過去の私を彷彿とさせるような、つり目の一重まぶただった。

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