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6 秘密の花園

「ダリア……」


 夜盗の砦に戻った俺は、空っぽの鉢植えを抱えたまま、いつもの庭に腰を下ろす。若草を植え替えたばかりの手は、爪の先まで泥に汚れていた。



 見張りを残して仲間はまだ寝静まっている。澄んだ空気のなか、俺の庭に朝の光が延びてきた。洞窟じみた拠点では、陽はここにだけ降り注ぎ、どこにでも見かける草葉を神聖なもののように見せる。


 その一部は土が露出している。昨日まで、重たい蕾があった場所だ。


 今頃、花は無事に咲いたろうか。開花を楽しみにしていた蕾だが、ダリアに譲った。交わせなかった拳の代わりに贈った。

 切り花でなく、枯れずにずっとその場で育つ、たくましい一株。門番に立つ彼女の目に入るように、俺の思いが少しでも伝わるように……




 あのとき、ダリアは来なかった。暗い顔で拠点に戻った俺を、頭目や仲間たちは慌てて出迎えた。彼らは俺が女兵士への仕返しのために、城門へ殴り込みをかけたと思ったらしい。もう少し帰りが遅かったら、捕えられたと思って奪還に行くところだったと。


 余計な心配だし、ダリア以外の雑魚兵士は全員ぶっ倒した。帰りが遅くなったのは彼女の参戦を待っていたから。

 しかし、周囲の敵を倒しても彼女は現れず……さらに援軍を呼ばれそうになったので、俺はやむ無くそこを去った。


 胸に穿たれた痕跡は淡く色を変え、時の経過とともに散る。


 俺はいつになったらダリアと戦えるのだろう。この拳が彼女に至るまで、立ち塞がる敵が多すぎる。無理にでも殴りかかれば応じてくれるかもしれない。でも、その後、互いの仲間から引き離される絵しか浮かばない。殴り合う理由はあるのに、なぜこうも遠いのか……




「ハーヴ!!」


 獣の怒声が静寂を破る。地響きを伴っての接近を、寝たふりでやり過ごそうと思ったのだが、頭目にちゃちな演技は通じなかったようだ。

 嫌々目を向ければ、猛り狂った熊男の形相が飛び込んできた。


「いい加減にしろ! おまえは何度勝手な行動をとれば気が済むんだ!!」


「……頭目」


「またここから抜け出しやがって、仲間が迷惑しているのがわからないのか!? ハーヴ……いったいどうしちまったんだよ。あの女兵士と遭遇してからおかしいぞ。女にしてやられたのがそんなに嫌だったって言うのか?」


「違う!! 俺はただ……あいつともう一度戦いたいだけなんだ! 昨日はできなかったが、次こそは……きっと……」


 ダリアは戦ってくれるのか……そんな確証は持てない。俺を眼前にしても、彼女は槍を手に持ったままだった。拳を構えることすらしなかった。

 思い返してしまうと胸が痛む。肌の表面に咲いた赤ではなく、もっと深い奥のところから……


「そいつとの決着は壁を越えてからでもいいだろ! 今、仲間の一人が城壁内への侵入に成功した。もう数日経てば、街に火を放ち、俺たちを手引きしてくれる。おまえや他の戦闘派の奴らには、そこで兵士の足止めをしてもらいたい。そうなったら誰を相手にしてもいい。好きなだけ戦え。おそらく、その女兵士も駆けつけるだろうし……」



「そんなんじゃダメなんだよ! あいつとの決戦は誰にも渡さねえ!!」



 一度叫べば止まらない。頭目のただでさえでかい声で、他の連中も様子見に集まるがどうでもいい。積もり積もった苛立ちを発さずにはいられない。



「なんでわかんねえんだよ!! どいつもこいつも、ダリアが女だからって舐め腐りやがって!! いい加減にするのはあんたらの方だ! 実際会った奴らも、なぜそれがわからない! 負けたのを"まぐれ"とか"油断した"とほざいてあいつを馬鹿にして……ふざけんなよ! あの拳を見てたぎらない方がおかしい!!」



 出会ってから気持ちは高まる一方だった。魂に芽吹いた思いは止まることを知らず、寸止めを経てますます燃え盛る。


 頭目が真剣に、しかし困惑に満ちた表情でこちらを見る。俺の言動が意味不明だって思っているんだろう。俺だってわからない、とうに理解は諦めた。

 この思いは……ダリアへの熱情は、もはや道理を超えている。


「だから俺は行く! 止めるんじゃねえ、助太刀とか言って邪魔するのもなしだ! あいつとの戦いは俺だけのものなんだよ!! あいつの力を受け止めるのも、打ち倒していいのも俺だけだ!!」


 荒く息をつき、頭目の熊顔を見上げる。好きなだけ喚いたおかげで気が晴れた。だが、これも一時的なものだ。



「……おまえは、そこまでして……あの女を……」


「いえ、頭目……急にすいませんでした。ちょっと……頭を冷やしてきます」


 それ以上……もう、何も言われないうちに出口へ向かう。頭目の隣をすり抜け、固まる仲間を押しのけて進む。すれ違いざまに熊のような巨体が何かを囁くも、無視して通り過ぎる。




「ハーヴ、おまえのその思い……"恋"と何が違うんだ?」





 外に出たって行くあてはない。だが、足は勝手に……初めてダリアと会った場所へ向かっていた。

 周囲は緑で包まれているが、気分は晴れたりはしなかった。季節は春のはずなのに、俺の心は未だ北風が吹き荒ぶ。


 滅入る気持ちに溜息をつく。この先を進んだ向こうに何があるというのか。

もう少し行けば例の渓流だ。雪解け水も減ったのか、豪快な水音はなく、さらさらとした流れと振動が伝わってくる。前来たときとの違いなんてそれくらい……

 


 ……いや、違う。

 思いがけない既視感で、歩行が止まる。驚愕に心が弾む。



 この感じは、初めて来たときと同じもの。

 この気配は、会いたいと願ってやまない相手のもの……!!



 期待にまかせて体を動かし、美しく澄み切った闘気をたどる。間違いない……この気は絶対強者にしか出せない。この小国において、それはたった一人の存在を示す。

 渓流から反対の方向へ走る。彼方へはもう逃げない。背を向け去る理由も、他者に割り込まれる心配もない。





 俺が目指すは真の武人が咲かせる"花"。それを与えてくれた彼女が、再びそこにいた。近づく者の身を切るよう凛と佇んで、壮絶な殺意に匂い立つ。

 ダリアは兵士の甲冑を脱ぎ捨て、動きやすい服装で瞑想していた。こっちの姿を見つけると、ちょっと驚いたように笑った。俺たちはいつだってこうだ。

 


 思いは同じだった。だからこの場に来た。

 手を差し伸べて俺は言う。



「戦おう」


 それ以上の言葉なんかいらない。あとは全力の闘志と気力をみなぎらせ、気合を練って対峙する。

 隠し立てなく本気を出し合い、決着を迎えると誓う。強者には強者に相応しい戦いを。あらん限りの殺意を込めて拳を構える。筋の動きひとつ見逃さぬよう、彼女だけをこの目に映す。


 まるで舞踏への誘いのようだ。


 ダリアは俺の申し出を、地を蹴って飛び掛かり応じてくれた。




 目と喉を狙って拳の二弾。俺が避けて受け止めたのを読み、蹴りを放つ。まともに食らえば半身が切り裂かれるも……予備動作で丸わかりだ。距離を取って空振りさせる。すかさず迫っての一撃も、渾身の殴打で相殺。

 あの時と変わらずの重さに硬直し、軽い掌打を受けるが、次の攻撃に支障はない。真横に凪ぐ一旋を贈る。ダリアは反撃せず、腕を交差させ防いだ。


 まだ迷いがある。初めて会った時より動きが遅い。俺の身に生じた"花"は二分咲きもいいところだ。


 本気のダリアはこんなものじゃない。それに……なんで彼女は悲愴な面持ちをしているのだ? なんで、俯きがちのまま攻防をするのだ?



「俺じゃ駄目なのか!?」



 戸惑いに耐え切れず叫んだ。


「俺なんかが相手じゃ……ダリアは本気で戦ってくれないのか? こんな、激しさのない打撃しかくれないっていうのか?」


「そんなことない!」


 反論は強い口調と正拳の形で返ってきた。意外さに慌てて体を捌くも、脇腹を掠る。

 当たってもないのに、そこはじくじくと熱を持つ。


「あんたは強いよ、ハーヴ。技も……心も……羨ましいくらい、まっすぐで眩しい。本当に戦闘が好きなんだなあって、伝わってくる」


「それは、おまえだってそうだろ……ダリアだって楽しいと思ってるはずだ。何をためらってる? 他の奴らに何か吹き込まれたのか? 普通の女から逸脱しているとか……周りがどうこう言おうが関係ない! 気に食わないやつには目に物見せてやればいい! おまえにはそれだけの力があるじゃないか!!」


 会話を続けながら、繰り出される拳を正確に撃ち落とし、上へ下へ放たれる脚から空中に逃れる。彼女の感情を乗せた一打は強度を増すが、まだ五分咲きといったところか。


 着地と同時に迫りくる衝撃は、防ぎ耐えるしかなかった。地に足を擦り、砂埃をあげ退くに任せる。自然と彼女から距離が開いた。



「ダメなの! それは……ダメなことなの」



 俺からの連弾を片手でいなし、空いた身体に重い一撃を見舞う。


 何が"ダメ"なものか。その拳は死闘に歓喜し、素直に敵を求めているくせに。今の攻撃を受け止めた左手は、肘から先の感覚がないんだぞ。


「盗賊のあんたにはわからない。戦うのは悪いことだって決まってるの! 私は、本当はこんなことして喜んじゃいけない。戦うのが、好きになっちゃいけなかったのに、私は……私は……!!」


「ダリア!!」



 迷いながらも突き出された拳が胸を抉る。躱す気なんかなかった。まともに受けて鼓動が跳ねる。だが、構わない。


 諸刃の思いで伸ばした手は、確かにダリアの顔に当たった。



「たとえ……世界中がおまえを拒絶しても、その思いを否定しても……俺は認める。おまえは正しいって言い続ける。誰もおまえと戦いたがらなくても、俺は何度だって相手になる!」



 血を吐き、四肢を震わせるも、俺は構えるのをやめない。彼女が本気を出す前に、倒れそうな身体を叱咤し立ち続ける。戦いが好きと口にしたならば、最期の瞬間まで闘志を絶やさない。


 そして、この戦闘は俺だけのものじゃない。彼女が迷いを振り払えるように。彼女が……自分自身を認めるまで、やめる気なんかない。


「同じなんだ、俺もおまえと。ずっと前から思ってた……最高の戦いがしたい。至高の一撃を極めたいって……! それはきっと、おまえとならできるはずなんだ。一番美しい"花"が見られるはずなんだ……!!」


「私は……」



「言えよ! おまえの思いを、おまえの力のすべてを見せろ! ここで……さあ、早く!!」


 自らを解き放て。本当の自分を現すことの何が悪い。俺は覚悟を決めてここにいる。ダリアのすべてを理解し、受け止める。

 戦う技も尽き、身体も言うことを聞かなくなってくる一方、彼女はいよいよ力を高めていく。身を伏せ、勢いづけて蹴り上げるのを必死に防ぐ。直撃は避けるも受け身を取れず、俺は地に転がった。


 予想と反して、追い討ちは来なかった。


 彼女はその場を動かず、構えているのみ。だが……



「私は……戦いが好き。ハーヴと戦いたい! お願い……本気の私を受け止めて……!!」



 叫ばれた本心。ついに解放された、ダリアの真の力。今の彼女は、動きの細部まで無駄なく研ぎ澄まされ、美しい。発する闘気は今までの倍……いや、爆発的な増加をみせる。


 踏みしめるだけで陥没する地面。拳を猛らせこちらへ迫る動きが、まるで見えない。人の身が成すとは思えぬ、至高の一発が……腹に撃ち込まれる。


「ぐ……!! は、ぁ……っ!」


 触れた拳は魔力を纏っていた。そうして発現するのは、至高の拳闘士が持つ極地の力。これは魔法なのか?

 ……何にせよ、その拳で刻まれたのは満開の花。


 うずくまる俺に彼女の気配が近づく。なんという実力か。そばにいるだけで、魂が底冷えするような思いだ。



「あんたは……私が怖くないの?」



 俺は口元を拭い、立ち上がる。怖いわけがあるか。むしろ嬉しくてたまらない。


 よろめき、力が入らず……立っているのもやっとな状況でも、何が苦なものか。俺は戦いが好きだ。その思いはどんな時でも変わらない。だから、自ら望んで死地に来た。



「女のくせに、化け物じみてるって思わない?」



 その力の前では、性別も立場も……何も関係ない。好きなことを繰り返し、積み上げた修練の結晶。素晴らしい!! いくら讃えてもきりがない。それがこの場で、俺のために振るわれることがどんなに誇らしいか……!!



「本当にいいの? だって、これを受けたら……あんたは……」



 彼女が暗喩するのは、生の終端の光景。

 次の一撃で彼岸に至るとしても……俺の返事はすでに決まっている。





「本望だ」





 吹き飛ばされて仰ぐのは、やわらかな日差しを振りまく日輪。春は盛りを迎える。

 飛び散る汗と血。踏みしめられ、戦意で耕された豊饒の大地。黄金の日を照り返す木々の葉。遠くで囁く清水の流れ。

 何もかもが美しい。まさにこの場所は、俺たちだけの秘密の花園だった。


 仰向けに倒れた俺を、泣きそうな顔が覗き込む。その口元に紅がある……俺が贈った一輪だ。


 鮮やかな花に触れようと手を伸ばし、そこに乱れ咲く花弁に惹きつけられる。腕だけじゃない。身体中から熱を感じる。それぞれ鮮やかに咲き誇っているのがわかる。ひとつひとつがダリアの渾身の拳から芽生えたもの。百花繚乱とはこのことだ。



 俺は今、笑えているだろうか……わからない。すべての感覚が遠い。しかし、至上の幸せに包まれる、この思いを……浮かない顔の彼女に伝えたい。


 感嘆を叫ばずにはいられない。舌すらろくに動かないが、これだけは言いたい。俺の全身にある色彩も、顔を覗き込むダリアに咲く紅花も、みんな……みんな……



「……き、れい……だ」



 夢見るように呟いて、意識が沈む。自分の腕が落ちるのも知覚できない。

 




「……ありがとう。私にそう言ってくれたのは、ハーヴだけ……」


 最後に残った聴力がダリアの声を拾っている。心地いい響きだ。

 礼を言いたいのはこちらのほうだ。おまえと出会えてよかった。戦ってくれて本当に嬉しい。ちゃんと口に出して言えたら一番いいのだが、それも叶わない。



 再戦の約束を取り付けなかったことを、あとで死ぬほど後悔しそうだ。

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