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5 森羅万象

 これまでの私は、必死に心をからにして、その日その日を乗り切ることで生きてきた。

 たまに出会う夜盗や、不意討ちで倒そうとする先輩を、ぶちのめすだけの退屈な日々。だけど、これでいいと思っていた。多くは望まないと決めていたのに……あの盗賊の男は、私の本心を揺り起こす。


"いっしょに来ないか?"


 その言葉を恐れるように、私は寝台の上で丸まり、頭から毛布をかぶる。何もかも忘れて眠りたい。

 上司の嫌味も先輩からの冷たい視線も、瞼を閉じれば溶け落ちる。今日心に吹き荒れた感情も、闇で蓋をし封じよう。何事もない明日を迎えるために。普通の毎日に戻れるように……





 夢として見るのは幼き日の私。無知で、純粋で……未来には楽しいことが待っているのだと、疑うことなく信じていた。


「みんなはどうして剣を学びたいんじゃ?」


 そう尋ねたのは、孤児たちに剣を教えていた先生だ。修道女さんの知り合いという老人は、若いころ兵士をしていたということで、剣の心得があった。子ども好きなのも相まって、孤児院にはよく教えに来てくれた。


 これはその時の記憶だ。どうして剣を手にしたのか、剣術教室のみんなは、それぞれの理由を語り合った。

 きっかけは人それぞれだ。物語に出てくる騎士への憧れ。あちこちを旅して、心躍る冒険がしたいと話す少年もいれば、みんなが暮らす国や友だち、好きな子を守るためと胸を張る子もいた。


 みんなが明るく語っているのを聞いて、幼いころの私も、彼らと同じように答えてみせた。



「私は強くなりたいの! 誰よりも強くなって、いっぱい相手をやっつけたい!!」



 周りの怪訝そうな表情にも気づかず、私は将来の理想を正直に伝えた。

 自分のことながら馬鹿な言動だったと思う。普通の女の子なら、決して口にしない願いだ。



「……強くなって、どうするんじゃ?」


「強くなったら、もっと強い人と戦う! 私ね、世界で一番強くなるのが夢なの。たくさんの人と戦って、みんなみんなやっつけて、もっと強くなる。これをずっと繰り返して、何度でも戦うの。飽きたりなんかしないわ。だって、戦うのってすっごく楽しいんだから!」


 何も先生は、子どもを軍に引き入れようと、剣を教えていたのではない。彼らの体や精神を鍛えるために、教室を開いたのだ。ただの運動の一環だ。

 しかし、そこには勝敗があった。模擬戦とはいえ相手を傷つける手段が学べた。



 物を壊す。人を傷つける。

 私はそういった現象を、多く蓄えられるようできていた。


 思い通りに身体が動くこと。どんな戦いも記憶できること。そうやって人を倒した時に、強い悦びを感じられる心。それは、性別や常識とは無関係に授かった、"才能"と呼べるものだった。


 このころから、私の才とやらは開花を始めていた。事実、やんちゃな男の子たちが束でかかってきても、負けたことなど一度もない。


「……いかんよ、お嬢ちゃん。その夢を叶えてはならん。いくら強い力を持っていても、自分のためだけに使うのは悪いことなんじゃ」


「どうして?」


「他の子たちを見なさい。みんなは、自分の大切なものを守るために剣を学んでいる。自ら戦いを求めるほど虚しいことはないぞ。悪いことは言わない、お嬢ちゃん……その夢は捨てなさい。今ならまだ間に合う。戦いの技も忘れて、普通の女の子として生きるのじゃ」


「何かを守っていないと、戦っちゃダメなの? ……変なの。この木剣も、どんな武器も……人をやっつけるために使うものでしょ? でも私は、悪い人みたいに弱い者いじめをしたり、人のものを取ったりしたいんじゃないわ! ただ、強い人と戦いたいだけなの!!」


 唖然としたあと、ひそひそと囁きを交わす友達。夢を否定され、悲しみで泣きそうになっていた私は、みんなの態度が変わった理由もわからない。


「いいや。お嬢ちゃんは……最も大事なものを奪おうとしておる」


 そんな私を、先生は厳しい目で見つめて言う。

 


「それは、人の命じゃ」



 先生はもう二度と、私に剣を教えようとはしなかった。この事を知った修道女さんは多いに悲しみ、涙ながらに私を叱った。

 戦いは悪いこと。人を傷つけるのは大罪なのだと、何度も語って聞かせた。けれどまだ幼い私は、どの言葉にも納得できず、途方にくれた顔で女神像を見上げた。


 教室を追い出されて剣も教えられず、武器になるものすべてから離されたが……


 誰も、私から拳を取り上げることはできなかった。





「……まさか、おまえが……! この道場から"魔拳"を会得する者が現れるとは……!」


「"魔拳"……? これが、ですか?」


 戦闘から遠ざけられても鍛練をやめられなかった。戦うのは己の身体だけで十分。それに……こっちの方が自分に合っていると確信していた。

 武器なんかいらない。相手と最短距離でしのぎを削りたかった。


 毎晩、孤児院の寝床を抜け出しては、木の幹や岩石に正拳を見舞った。それだけでは飽き足らずに、男装して徒手戦闘の道場にまで通った。


 そして、この記憶は……師範代を介抱したときのものだ。



「ああ、そうとも……魔法は、何も火や水を出すことだけじゃない。あれは経験の具象化、俺たちがこうやって戦闘を積み重ねた記憶も、魔力に応じて発現できる……打撃の威力を増したり、目に留まらぬ速さをものにしたりと……各自の戦い方に特化した技能が現れるのだ」


「では、今の……師範代を気絶させた一撃も……?」


 彼は悔しげに顔を歪めて肯定する。

 年若い弟子に殴り倒され、砕け散った自尊心を少しでも回復できるよう、知識をひけらかす。


「……そうだ。今のは、破壊力を増大させた"魔拳"だな。普通なら一流の戦士が、老境に入ってから、やっと開花する術だ。俺もいまだに感覚が掴めていない……しかし、おまえはまだ"少年"の身にもかかわらず発現できた。なんとも凄まじい才能だよ、まったく」


「ありがとうございます」



「この世に君臨する"不死なる強者たち"とまではいかないが……その技術を、打撃だけでなく、体捌きや溜めの動作。足取りひとつひとつに応用する"魔拳の真髄"を極めれば……おまえは、いつか必ず……世界に名を轟かせる戦士となれるだろうな」



「それは本当ですか? 強者だと認めてくれるんですか?」


「ああ……こう、打ちのめされては、認めざるを得ない」


 この時、私は……いつも厳しい師範代から、敬意に似た思いを向けられ、嬉しくて気が緩んだのだ。

 他者に認められたのはこれが初めてだった。周りの大人たちは、私の夢を絶対に理解してくれなかったから、師範代の賛辞の言葉にはとても惹き付けられた。



 願いが叶うかもしれない。理解者ができれば、強さへの探求も許される。女だからって止めさせられたりしない。好きなだけ戦いに没頭できる。


 その純真な希望が、私に真実を語らせた。



「……あの、"私"……まだ、師範代に言ってないことが……」





 危ないところで目が覚めた。気分は最悪だ。


 回想は人生で最も嫌な景色に続く。それを鮮明に思い出してしまい、動悸が止まらない。

 覚醒すればするほど盗賊の彼のことを思い出してしまう。過去と現在を思うことは、理想と現実に身を裂かれることに等しい。



 落ち着く方法なんてひとつしか知らない。私は気をみなぎらせ、寝転がったまま、拳を天に突く。殴るものがなくったって、魔力を纏った腕は兵舎の壁を震わし、天井を軋ませた。落ちてきた埃が月明かりに舞う。


 誰にも当たらず、伸びきって止まる手は、空虚だ。

 気を紛らわせようと、もう一度。悲しみと寂しさを振り切るよう、もう一度……


 絶えず拳を突き出すたび、私の技は強くなり……私は"普通"から一歩遠のく。先生の思いを裏切って、戻りたくとも引き返すことのできない高みにまで来てしまった。



 大人になって、少しは常識と世間というものを知ってから、なお苦しくなった。女であるだけで詰られ侮られ、追及をかわすために本心を偽ることも覚えた。

 でも、いくら嘘をついても、顔を背けて生きていたって駄目だった。兵士という隠れ蓑を得ても、まったく満たされない。


 何もかも、あの盗賊の言うとおりだった。小さいころから、今まで……私の思いは変わらない。これからも、生きている限り永遠に求め続けてしまう。



 楽しい。戦いは楽しい。

 私の心を癒せるのは、これしかない。





 職場では同僚兵士の半数が休みを取っていた。あの盗賊の戦果だ。彼は先輩のほとんどを役立たずにし、私の門番の仕事を倍に増やしてくれた。

 しかし、あの場にいたはずの兵長はなぜか無傷で、元気よく襲撃者の容姿を罵倒していた。おそらくは部下がやられている途中で逃げ帰ったのだろう。


 どんな些細なことでも、彼のとの出会いが強く思い出されてしまう。

 私がどれほど自分を偽り、魂を擦り減らしてきたか……気づいてしまえば、もうまともに立ってもいられない。

 一晩中車裂きにかけた心は、もはや壊れる寸前で、激しく開放を叫んでいる。


「おはよう、ダリア……どうしたの? すごく悲しい顔をしてるわ。また何かあったのね?」


「……おばさん」


 東門に行く道中の廊下で年配の女性とすれ違った。私のことを気にかけてくれるおばさんだ。誰からも黙殺される私に、優しくしてくれる唯一の存在。


 こんな刺激にも、爛れた心は過剰に反応した。こぼれたのは言葉が先か、涙が先か……



「おばさん……私、どうしよう……どうしたらいいかわからないの……」



「ああ。かわいそうにねえ、本当に……無理しないでおしよ」




 私はうつむいて泣いた。丸い滴が床に落ちる。

 おばさんは軽く抱きしめて背を撫で、あたたかい言葉をかけてくれた。


「ダリアは本当に、よくがんばっているよ。兵長さんたちも、毎日よくひどい仕打ちばかりして……つらかったよね。ダリアは兵士だけど、女の子だもんね……」


 違う、と叫びたい。おばさんのこういう優しさが一番つらい。

 上司からの仕打ちに耐えきれなくて泣いてるんじゃない。誰にも受け入れられない、本当の気持ちが私を苦しめる。


 今、この人に真実を打ち明けたらどうなるだろう。


 国を守りたいんじゃない。王国なんてどうでもいい。私は"戦い"がしたくて兵士を志したのだ!!

 敵兵や盗賊を殴りたい。強者と血みどろの戦いがしたい。殴り、殴られ……血で血を洗う闘争を、いつまでも続けていたい。終わりなき戦闘に、全身全霊を捧げたい……


 満たされない思いを、声を大にして泣き叫びたい。けれど、ひとかけらも言えない。

 本心を話してしまえば、彼女がどんな反応を取るか……私はよく知っている。





 私は女だと告げた時……師範代は激怒した。兄弟子たちを引き連れ、私を出せと孤児院に押し寄せた。嫉妬は女特有の感情というが、それは大きな間違いだ。

 

 彼らはどうしても私を許せなかった。いくら修業を積めど、"魔拳"発現の兆しは皆無。それなのに、新参者の弟子が……しかも、"少女"があっさり習得してみせたのだ。

 才能だと諦めて、再び修行に戻ることはできなかった。砕かれた矜持は私を殺すまで治らない。



 他の孤児や修道女さんたちが脅えるなか……私は立ち向かうしかなかった。確かに彼らは私の望んで止まない強敵だった。身体はあさましくも躍動し、戦いの高揚に打ち震えた。


 道場のみんなに秘密にしていたことが、実は二つあった。

 ひとつは私が女だということ。もうひとつは、師範代が"魔拳"と言っていた技能、その応用が真髄とか何だか知らないけど……私はすべて習得していたということ。


 気がつくと……死屍累々と転がるかつての師、仲間たち。戦闘が終わったあと、修道女さんや孤児院の皆から"化け物"と呼ばれた。



 彼女たちによると、あの激しい戦いの中で……私は笑っていたらしい。




 真実を語ればこの手は離れていく。孤児院の仲間、お世話になった修道女さん……親しかった人は、すでに全員私から距離を置いた。

 あんな思いはもう二度と味わいたくない。まるで、世界が瓦解していくような感覚だった。森羅万象すべてが、私を拒絶していた。



 だから私は、彼のところへ行けなかった。


 彼と初めて会った時、別れが惜しくて帰る姿をずっと見つめていた。次の襲撃で会えたらまた戦えるかもと期待していたが、まさか彼自身から私を求めてきてくれるなんて思いもしなかった。

 でも、あんなに人が見ている前で戦ったら、あの時と同じことの繰り返しだ。今度こそ私は孤独になる。それが怖くて……たった一度だけ差した光明も、自ら閉ざした。


 すべてを投げ捨て本心を曝け出し、彼の身体へ飛び掛かれたらどんなに幸せだったろう。

 戦ってほしいと言われたとき、本当はすごく嬉しかったのに……!!



 でも……彼はもう、二度と来ない。

 私に失望し、去ってしまったから……






 見張りを交替し、槍を持って門前に立つ。兵士の詰め所とは段違いの明るさに、視界が白く染まる。瞬きを繰り返して、目が慣れた時……私は言葉を失った。


 清涼な風が通り抜ける。いつも私を待っていたのは、暗く、代わり映えのしない光景のはずだった。

 一見しただけではわからないかもしれない。私の前に立っていた門番も疑問に思っていないようだった。


 目の前に広がる小さな林。木の枝が入り組んで茂り陰鬱な印象があったのに、今はまるで感じない。

 陽の光は、綺麗に剪定されたこずえを通り抜け、きらきらと地面の若葉を照らす。黄緑に透き通る新芽からは初春のおもむきが伝わってきた。どれもこれも昨日まではなかった景色だ。



 視線を上げた先、私とあの男が再会を果たした場所で、日陰に咲く花を見つけた。昨日、ふたりでいっしょに見つけた花は一輪。しかし、今は……掘られて間もない土の上で、二つの花が揺れている。


 慎ましい白花を一心に眺めつつ、ある盗賊の姿を思い出す。

 確か彼は……"花が好きだ"と言ってはいなかったか……



「……ハーヴ」

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