4 ここでしか咲けない花
あの女兵士と遭遇した奴は思ったよりも多くいた。
同情の笑みを見せて、おまえもやられたのかとほざく仲間は殴り飛ばした。次会ったらただじゃおかねぇ、今度こそ目にものみせてくれるなどと怒鳴った者には蹴りをくれてやった。
そんな無意味な決意表明はどうでもいい。こいつらは何もわかっていない。相手が女で油断した、その日は不調だったから……そんな言い訳を聞くたびに、怒りが込み上げてくる。
彼女の拳を見極めた者ならわかるはずだ。目を逸らさずに正面から対峙した者なら、練り上げられた闘気に畏敬の念を抱くはず。
回想するたびに再会を焦がれてやまない。胸に刻まれた"花"が俺の魂に根付き、再戦の成就を叫ぶのだ。
何人かに彼女の居場所を聞いて回り、言い渋る奴には暴力を行使しても、曖昧な返事しか得られなかった。俺としては真剣に聞き込みを続けていたつもりだが、仲間の目には錯乱した様子と映ったようだ。
最終的にわざわざ頭目が仲裁に出張った。見た目が熊のわりに、この男は聞き上手だったらしい。仲間たちの証言を総括して、俺の知りたいことを語ってくれた。
女兵士がいるのは城塞都市の東門。彼女は、小国屈指の臆病者どもを囲う、城壁の守り人なのだと。
聞くや否や、拠点を飛び出し駆けた。後ろから俺を追う声が届くもすべて無視した。略奪の計画など興味ない。仲間の護衛や用心棒の仕事もくそくらえだ。
他の兵士も、役に立たない手下もいない……
俺と彼女。ただ二人だけの戦場が欲しかった。
「……ここか」
あの女兵士が守る場所。やたら重厚な壁に設けられた出入り口が一つ、東の門。正式な出入り口とは違い、こぢんまりとした扉に門番が一人だけ立っている。周囲の景色も正門前とは大きく異なる。
向こうは見晴らしの良い草原のなかにあるが、こちら側は木々に覆われ林と同化している。あらかじめ知っていないと、門があるとはわからない。また、障害物が多く攻め入るにも向かない。襲撃に気づけば林を燃やし、攻撃と狼煙の役割を果たすのだろう。
町ひとつを囲みきった城壁は、俺たちの襲撃に備えて補修に勤しんだという。その苦労のかいあってか、我らが盗賊団は今のところ侵入しあぐねている。
辺境の村や町を襲うよりも実入りがいいことは確実だ。仲間内でも長期の作戦を立てて潜入するか、別団体と協力して攻め入るか、意見が分かれている。
なんにせよ俺の関心は例の女兵士だけだ。いなければ戻ってもう一周身内を叩くことになるが、さすがに面倒だ。
余計な奴らに見つからないよう、樅の枝に身を預け、葉隠れとしゃれこむ。長槍を持ってあくびをかみ殺す門番に、さっさと交替しろと念じつつ、遠目で扉に見入る。
来ない。
出て来ない。
兵士の見た目は画一的で、顔まで覆う甲冑のために個人の判別はできない。
あの女と会ったのは一度きり。構えと拳は目に焼きついているが、その面影を遠くから見つけるのは難しい。俺が彼女ほどの手練れを見逃すなどありえないのだが……
もう少し寄れば彼女の気配を掴めるかもしれない。そう思って木から降り、茂みを屈んで移動する。
この門はよほど使用頻度が少ないのか、周囲の木々は手入れもされておらず、枝が無秩序に伸びるに任せている。草花の発育には不適当だが、身を隠すのに充分だ。
出現がわかれば他の兵士がいても駆けつけよう。そんなことを思う程度には、俺も焦れていた。
焦燥を癒したのは、ふいに目に入った白。大木の根元に隠れて覗く白い花。門に向ける神経はそのままに、藪を掻き分け全貌を確かめる。
この春初めて見た花だ。時期もずれて早く、日当たりも良くないが、それでも健気に咲いている。
自然と口元が上がる。幸先がいいとはこのことだ。
くたびれかけた気分が持ち直った。見向きもされぬほど小さくとも、白い花の粒は俺を鼓舞してくれるように見えた。
吉兆だ。俺の目的は必ず果たされる。
この予感はすぐに実現した。
「そこに、何かあるの?」
俺は思わず瞠目する。気を抜いていたわけじゃない。来訪に気づけるよう意識を門に集中していたが、向こうもまたこちらの気配を感じ取ったらしい。しかも、隠密に動く技術は相手の方が上だった。
今まで培った技術や経験がまるで通用しない。
ああ、どうしてこうも彼女の前では、何もかも上手くいかないのだろう。
「……花がある」
振り向けば戦闘開始だ。自身の迂闊さを痛感しながら、それでも思いを果たそうと立ち上がる。相手の好奇心に応えるように身をどけ、素朴な一輪を見せる。
背後から生じたのは……本当だ、気がつかなかったと述べる……忘れもしない高い声。
「花が好きなの?」
「……ああ。好きだ」
そしてきっと、彼女との戦いも好きになる。
「あんたは庭師かなにか? ……あ」
目を合わせば、彼女もやっと気づいてくれた。昨日の今日だ。忘れるわけがないと思うも、俺の気持ちほど強くはあるまい。
頭上で強く括られた濃い茶髪も、右頬に垂れる短い一房も、驚いて見開く丸っこい目も。繰り出す拳の鋭さ、地を疾走する小柄な体躯も……おそらく俺は一生忘れないだろう。
「おまえ、名前は?」
「……ダリア」
それは美しい……赤い花の名前。
俺が敵であることを再認してから、彼女は小脇に抱えていた兜を落として、長槍を突きつける。これもまた質の悪い武器だ。一突きすれば折れそうで、構えていてもわかるくらいに歪んでいる。なぜこんなまどろっこしいことをするのか理解に苦しむ。
彼女なら武器など持たずとも、最高の攻撃を与えられるではないか。
「あんたは盗賊だったね。何しに来た? 貴族街へ攻め入る下準備? ……いずれにせよ、ここを通すわけにいかない。無事で帰すことも……もしかして投降したいの? だったら中で話を聞くよ」
「馬鹿言え。俺は今も現役の盗賊だ。だが、壁のなかに興味はない……俺はおまえに会いに来たんだ」
「なんだ。昨日の仕返しなのね。私の攻撃を受けたことが許せないんでしょ。女相手に逃げたなんて恥だから?」
「仕返しなんかじゃない!! そんなことは考えてない。俺はただおまえと……ダリアと、真剣に戦いたかったから……! だから来たんだ!」
「私と……戦う?」
彼女の瞳が驚きに満ちた。構える槍の穂がぶれる。戦意は俺へ向いているが、目を泳がせてたじろいだ。険しかった表情に、一瞬だけ恥じらいと喜色がよぎる。まるでそう言われたのが初めてのような反応だ。
ダリアと同調したのか、俺の心にもむず痒い思いが沸き起こる。武闘家としてはあるまじき邪念だが、不思議と心地いい。本来なら言葉を交わす予定もなかった。もう一度出会えば、戦闘が始まるものと思っていたが……なんなんだ、この状況は。早くその槍を捨てて、殴ってきてくれたらいいのに。
「ああ。その……昨日は悪かった。一瞬でも女の兵士かって、がっかりしたことは謝る。でも、俺はおまえの拳を見て……本気で戦いたいと思った。その気持ちが抑えらなくて、ここまで来たんだ」
「でも、そんなの……どうせ罠なんでしょ? 仲間の気配はしないけど、私と戦いたいから来たって理由……信じられない」
「罠なんかじゃない! 俺は正々堂々、一対一で戦う。邪魔な仲間は置いてきたから、思う存分殴り合おう!! だから、だから……」
「いっしょに来ないか?」
他者が来る前に呼びかけた。まるで味方に誘うつもりに聞こえるが……そうじゃない。単なる移動の提案だ。俺は彼女と生死を賭けた殴り合いがしたいだけ。戦う理由など盗賊と兵士という、互いの立場だけで十分すぎる。
「おい。なんだ? あの男は……」
ダリアを連れ出すことに手間取った結果、他の兵士が騒ぎ始めた。
仮にも味方兵が俺を警戒し、槍を突き出しているのだ。この場の全員にとって俺は敵。これ以上時が経てば、蟻が巣から這い出るように大勢で討ちかかるのだろう。
それは困る。そんなことになったら……ダリアと死闘ができない。
「こんな場所に敵か!? なぜあの女は打ちかからない?」
「見たことがあるぞ! あいつはこの間の襲撃にいた、盗賊の一味だ!!」
喧騒は大きくなる一方。武装をがちゃがちゃ鳴らし、剣を、槍を持って走る。無視できない距離まで危機が迫るも、俺はダリアから目が離せない。まだ返事をもらっていないのだ。決闘に応じてくれれば、周りの雑魚など目に映らない。この場は俺と彼女だけの死地に変わる。
ためらいは続いていた。震える腕が、彼女の葛藤を教えてくる。仲間が騒ぎだしてから、急に態度が変わった。とくに禿げ頭の指揮官が姿を見せてから、彼女は恐れるように委縮している。
そうして出した結論は……
「……無理。私は、持ち場を離れられない」
断られた衝撃で構えが維持できない。高まっていた戦意は行き場を無くす。俺は発言の真意を責めるように、彼女を見つめた。
「私は……剣を王国に捧げてるの。私の力はこの国を守り、民に安寧をもたらすためにある。それに、あんたと果たし合いする筋合いもない。べつに私は……戦いとか、好きじゃないし……」
「嘘だろ」
ダリアは肩を跳ねさせた。俺から目を背け、もう何も答えるまいと下を向いている。
こちらを見ないのだけは幸いだ。俺は今きっと、悲しさで満ちた情けない顔をしている。拳を固く握りしめるも……ぶつける当てもない。
「なんで、そんな嘘をつくんだ? 出会ったときは、あんなに楽しそうに殴りかかってきたじゃないか!! 剣なんか関係あるかよ……! おまえの武器はその両手だ! それがおまえのものじゃなかったら、いったい誰のだって言うんだ!? なあっ……ダリア! おい!!」
振り下ろされる剣を掻い潜って言う。時間切れだ、兵士が俺を捕縛せんと囲んでいる。十数人の敵意を向けられても、失意にまみれた心には届かない。
「……ハーヴだ」
立ち去る途中、それだけは彼女に残しておきたいと言葉を投げる。
「俺の名前! 俺はおまえと同じ思いなんだ。あとからでもいい。絶対俺を倒しに来い! 先に行って待ってるから……!!」
囲みの一辺を殴り倒して突破する。駆け寄る敵に足をかけ転ばし、林の奥へ進む。
走る途中で、俺は一度だけ振り返った。ダリアは槍を下ろし……そのままの位置で立ち尽くしていた。
多数との戦闘は想定していなかった。していたのは、ダリアとの壮絶な殺し合いの準備だけ。
俺が今日という日のために、どれほどの覚悟を重ねて彼女の眼前に立ったか。拳を撃ち交わすのをどんな思いで待ち望んだか……
兵士たちは、無情にも再会をぶち壊してくれた。
「抵抗など無駄だ! 馬鹿め、本気でこの人数とやり合う気か!?」
「うるせえ!! 邪魔してんじゃねえよ、おまえらさえいなけりゃ……!!」
功を焦ったか、近場の一人が切りかかる。こっちは怒鳴っている最中だ。言い尽きぬ怒りを力に転化し、余さず拳に込める。接近する兵士より疾く、距離を詰めて、懐へ潜り込む。
爆ぜた勢いは相手を吹き飛ばし、背後の兵を巻き添えに倒した。
まだだ。俺は待とう。まだ戦えないと決まったわけじゃない。
ダリアはきっと来る。だからそれまでに、こいつらを……
気合の声を高らかに、雑魚たちの群れへ突撃する。今度は慎重ににじり寄る兵士どもを殴り、蹴り……ねじ伏せる。
統率もまるでない。触れれば一瞬で紙人形のようにたやすく倒れる。何もかもが遅延な動き。平和ボケしていたなどと言い訳できぬほどに、弱い……弱すぎる。
どうしてダリアはこんな場所にいるのだろう。
戦いが好きじゃないとか、嘘だ。あの重い一撃を会得するのに、どんな激しい鍛錬を続けたというのか。至高の打撃を目指して、ひたすら思いを貫き通せたのも……俺と同じだ。好きだから続けられた。これからも変わらないと、魂に誓って言えるから。
なぜ拳闘士の極地にいるダリアが、心を偽ったりしたのかわからない。だが、これだけは確信を持って言える。彼女はこの場所で満足などしていない。
物足りないと思っているはずだ。自らの力を振るう相手もおらず、持て余すだけの日々を……
枝葉を通過し、西日が差し込む。
彼女はまだ現れない。
「ダリア……なんでだよ」
昏倒し、折り重なる兵士を椅子に、沈みゆく日輪を見て思う。ダリアを受け入れるには、この場所はあまりに貧弱だ。しかし、彼女は諦めている。しおらしく現実を受け入れる態度には、もどかしさ以上に憤りを感じる。
このままではいけない。このままでは……彼女は本気を花咲けず、蕾のまま枯れてしまう。窮屈な鉢のなか、満足に根を伸ばすこともできずに、やがて朽ちていく。
いるべき場所はここじゃない。彼女にはもっとふさわしい戦場がある。けれども、あいつは探すことはおろか、動こうともしない。
そこでしか咲けないわけでもないだろうに。