3 一輪挿し
折れた剣を持って帰る気は最初からなかった。そもそも私が壊してしまったわけじゃない。あの盗賊たちは戦闘慣れしていたから、あんな武器破壊も得意の戦法なのだろう。
第一、あの剣は支給された時から刀身が曇り、錆が浮いていた。目利きに疎い私でも、使用に値しないと容易にわかる。
最近はそういうのしか供給されない。まあ壊れてしまえば、好きな方法で戦えるから、文句を言ったことはない。剣としても、存在を忘れられて朽ちるのではなく、ちゃんと戦いの中で役目を終えたのだから、本望のはずだ。
通り抜けたばかりの森を振り返って思う。戦いと追跡の動きで結わえが緩まったのか、茶色の髪が視界に垂れてきた。右頬に触れる一房はいつものことだからいいとして、のこりの乱れは撫でて押さえる。
まもなく帰還するのだ。女としては戦闘後であっても、人前に出て恥ずかしくない姿でいたい。
丘を下ってすぐに、私の職場が見えてくる。石を精巧に積み上げた城壁、その扉を守るのが私の仕事だ。今日はいつもより遠くまで巡回したから、帰りも夜更けとなった。
町ひとつを囲った古の障壁……月明かりの中で改めて見ると、さすがに壮観だ。
灰色の背景を蔦が覆うもせいぜい下部まで。重厚な石壁は遥か高所までそびえる。登る者の意志を砕くよう反りかえる。最上部では今日も見張りが篝火を焚いていた。
築かれたのはわりと昔だが、補修を繰り返し行い、現在まで不落を誇っている。近頃は流れの盗賊団が出没するようになっており、警備が強まっている。私の担当は東の門だ。草原広がる正門前を歩き去り、木々に埋もれた小さな出入り口へ赴く。
内部にあるという王宮と貴族の町を、私はよく知らない。
ただ、夜盗の集団がこの小国を狙っていると気づき、農村の守護を捨て、この地に兵士を集めた時点で、どのような者たちがいるかは察せられる。
兵士の通行証をかざして内部へ入る。入口の見張りも同僚だ。しかし、私の顔を見てぎょっとした表情を見せた。休息所に出向いても夜勤の者しか周囲におらず……数少ない彼らも、私と目が合えば去っていく。
別にいつものことだ。疑念を呈す立場でもない、ここでは私が一番の下っ端だから。
椅子に腰を下ろし、ふうと人心地つく。誰もいなくなった憩いの場を見て、よくもまあここまで嫌われたものだと省みて思う。
来た当初はこうじゃなかった。ここの門を守る兵士のなかで、私は唯一の女だった。休息所に行けば必ず誰かが話しかけてきたし、仕事中は気遣われもした。早く仲間だと認められるよう、私なりに努力はしてきたけど……孤立は深まるばかりだ。
「ダリア……?」
名前を呼ばれたあと、パタパタとせわしない足音が続く。エプロンを着た年配の女性が駆け寄り、心配そうに身体のあちこちを見回っている。私を見て近づいてくるのはこの老婆だけだ。彼女は隊専属の掃除婦兼給仕係として働いている。
内部の町に家族がいるというのに、この時間まで残っているのは珍しい。
「こんばんは、おばさん。ちょっと帰りが遅くなったけど、夕食は残ってるかな?」
「ああ、ああ! ダリア!! 心配したんだよ。かわいそうにねえ……辛かったろうね……」
「どうしたの? さっきからそんなに慌てて……いったい何のこと?」
「なにって……ダリア! あんた巡回中に置き去りにされたんじゃないか!!」
思いがけない発言に驚いたが、私はすぐに誤解を解こうとした。
森での巡回中、先輩兵士がここで待っていろと言ったのだ。私は盗賊の待ち伏せをするんだと思い、その通りに行動しただけだと。気づいたらみんないなくなっているのは変に思ったが、他にも任務があったのだろう。
そこまで言ってからおばさんは、違うんだよ! と声を張り上げた。
「兵長さんが話していたのを聞いてたんだよ。あんたを森に捨ててきたって、これでもうあの女の顔を見なくて済むって、大声で笑っていたのさ! ああ、なんてひどいことをするんだろうね。大丈夫だったのかい? 何事もなく帰ってこれたんだろうね? ダリアが盗賊に見つかって乱暴でもされたらと思うと、気が気でなくて……」
「いいよ。そんなに心配しなくても大丈夫……食器は私が片付けておくから、おばさんは帰って。もう、夜遅いし」
本当にいいのかい、とおばさんの心配は尽きない。取っておいてくれた夕食のシチューを受け取ってからもなかなか帰宅しようとしなかった。
久しぶりに浴びる心配の眼差しに苦笑しつつも、休息所の出口まで連れて行き、何度も振り返る女性を手を振って送り出す。
彼女の気持ちには悪いが、私の望みは無事に毎日を過ごすことじゃない。盗賊に乱暴されると案じられたが、むしろ……そうできる者がいれば連れて来いと言いたい。
……握り締めた手を見つめ、今度こそ真の孤独を思い知る。
城壁の外にも中にも、私の全力をぶつけられる相手はいないのだ。
卓について遅い夕食をとる。明日も門番の仕事だし、さっさと帰ろうと匙を動かす。だけど、新たな人物の登場までに完食できなかった。
相手が誰かは建物に入った段階で分かっている。私の隊の兵長だ。大変嫌味な上司で、私を嫌ってるくせに会うと必ず話しかけてくる、不可解な人だ。
気配だけで察するに、部下を二人連れている。歩みの遅さからして酔っていることは間違いない。あの性格で酒が入ってるなんて面倒だ。こちらへ来なければいいのに……
「おい! おっ、おまえ!! ……なぜここにいる!?」
「自分の職場にいてはいけませんか?」
ささやかな祈りも届かず、上司はまっすぐ休息所を訪れた。私を指さして、口から汚く泡を飛ばす。私は当たり前のことを答えてから、もうとっくに終業時間だったと思い出す。
目の前の遅い夕食を見つめてから、守護兵長の禿頭を仰ぐ。
食べたら帰りますの一言を添えても、彼の機嫌は優れなかった。
「……ふん! いいさ。おまえも今や傷心の身の上。なあ、森では何人の盗賊と出会った? 拠点には連れて行かれなかったようだが、大勢で来られればおまえでも無事に済むまい!!」
兵長は千鳥足で近づき、私の肩を掴んで揺さぶる。やめろと軽く睨んで見せるも、酩酊状態ではあまり効果がない。
上司がぶちまける勝手な妄想話に、背後の部下があわあわしている。やっぱりおばさんの言った通り、私は森に置き去りにされていたようだ。後ろで震える彼らは、日中私と巡回をした先輩兵士。兵長も、入るときに会った門番も、みんなぐるだったのかもしれない。
「これでわかったろう? 女が兵士などするものではない。きれいに取り繕っているようだが、おまえはその身体で今日何人を受け入れたんだ? 忌々しいその身も、ついに盗賊の一輪挿しか! それともおまえは満足しなかったのか? 案ずるな。おまえを慕う男はいくらでもいるんだ。慰めが欲しければ、遠慮なく言うがいい」
「……食べたんで帰ります。ではまた」
「待て、おい答えろ! これは上官命令……」
立ち上がった私を正面から見て、やっと兵長は言葉を止めた。本当に鈍感な人だ。こちらはさっきからずっと殺気を飛ばしているのに、気づいてもくれない。
連れの部下たちはとうに逃げ去っているというのに。
「そうでした……報告が遅れて申し訳ありません。私が森で遭遇した盗賊は四人でした」
淡々と事実を言の葉に乗せる。残念ながら上司の好む淫奔な展開はない。そんなことは、隊で私に手を出した先輩たちの末路を見れば予想もつくはずだ。
ここの兵士で私を倒せるものなど誰一人いない。それは城門の外でも一緒だ。
「近づいた一人を殴り倒したら、全員逃げ出してしまいました。非常に怯えた様子で、みっともなく走っていきました……わりと、戦える者もいましたが……渓流まで追い詰めた後は、泳いで逃げられました。逃がしたのは悪かったと思います。やはり、力が足りなかったんでしょうか。それとも、速さの問題が……」
「黙れ! この薄汚い孤児が!!」
凝縮した気が一瞬で解けた。どうして、兵長はそのことを……?
誰にもばれないよう、辺境に住む商人の子という戸籍をもらって兵士になったのに、なんでよりによって上司が知っているのだろう。
「名を変えたくらいで、出身をごまかせると思うなよ。おまえが孤児院の出であることは知っている。あの施設はここのところ、ずいぶん資金繰りに厳しいそうじゃないか」
私が動揺するのをいいことに、兵長はさらに言い募った。そのままじりじりと後ずさりし、この場を離れようとする。きっと私のことで文句を言いつける気だ。
修道女さんの泣き顔が目に浮かぶ。
孤児院を出るときに、もう問題を起こさないって決めていたのに……
「私には貴族の知り合いがいる! おまえの態度次第では、孤児院への援助を打ち切ることだって……」
「やめてください!!」
私は必死になって叫んだ。兵長の逃走路を塞ぐよう、壁に拳を埋め込み引き留める。彼は目を白黒させて立ち止まった。自分の鼻に手をやり、砕けていないかを確かめる。
「向こうは関係ありません! 私は使えない兵士かもしれませんが、孤児院のことまで悪く言わないでください。私はもう修道女さんたちに迷惑をかけたくないんです。今度からちゃんと仕事をしますから、院には手を出さないでください」
至近距離で上司の目をまっすぐ見つめ、渾身の思いを胸に頭を下げる。
同じくらい力を込めた拳が壁を深く抉る。あまり耐久力がなかったためか、上下に鋭く亀裂が走った。
「どうか、お願いします……この通りです」
永遠とも思える一瞬ののち、兵長の顔が消えた。腰を抜かして床に沈んだのだ。
ひっ、ひぃぃ……とよくわからないことを口走って、私と距離を取ろうをするが上手くいかない。失禁もしたため、身じろぎするたびに、異臭と水音がした。
「……も、もういい!! ……帰れ! 帰ってくれ!!」
「……失礼します」
帰宅の許可が出たので一礼しその場を去る。これだけ頼めば、私のことを孤児院に伝えないでくれるだろうか。
確信は持てないが、今は帰ることにする。
「あ、野犬……最近多いな」
帰り道の途中、獲物を貪る五匹の獣に出会った。野犬の群れだ。
じゃれ合いたいという思いを気に乗せれば、犬たちは殺気を感じ取り、足元の獲物を捨て置いて飛びかかってくる。
野犬の判断は正しい。今すぐ飢えを満たすことはできるが、それは早急に命を奪うほどではない。それより今、最も脅威となるのは臨戦態勢をとる、たった一人の女の方……
「私をわかってくれるのは、おまえたちだけだよ」
私は心から笑って拳を構え、獣たちの前で身を躍らせる。今なら誰に気兼ねすることなく戦える。彼らは職場の誰よりも紳士的だ。外見や性別で実力を判断しない。侮ったり、舐めてかかったりしない。強者に対し相応の態度をとる。全力の殺意をぶつけてきてくれる。
野犬の瞳が何かとかぶる。さほど時間もかからず、今日会った盗賊の表情だと思い当たった。
気のせいだろうか。私の期待が反射してそう見えたのか……それにしても不思議だ。あの盗賊との出会いが、ここまで心に残ってるなんて。
その男だけが、私をちゃんと見てくれた。
余分な感情を抱かず、向かいあってきてくれた。
また、会えるだろうか。最後に残った野犬の首を絞めつつ、抱きしめるようにへし折る。今度会えたとしたら、もう一度私と戦ってくれるだろうか。
息絶えたばかりの野犬は、まだあたたかく……私を肯定してくれるように手を受け入れた。ぶらついた犬の口から、こぼれる白泡に触れないよう気をつけながら、頬をうずめる。