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1 赤い実はじけた

 地面に投げ出された兵士からは、予想していたより高い声が漏れた。

 転がり落ちた兜の下、きつく括られた濃茶の髪と、まるっこい目が現れる。一部の髪はまとめるほどの長さがなかったためか、朱をさした右頬に一房垂れてきた。


 小柄な兵士だとは思っていたが、こいつは女だったようだ。仲間たちも意外さに追撃の手を止め、彼女の素顔に見入っている。



 俺はこの不自然な単独行動を罠かと疑い、伏兵を探しに辺りを見る。初春の森に人の気配はない。踏みつけられた形跡もなく、若葉は初々しく葉を立てている。

 夏の盛りならいざ知らず、芽吹いたばかりの緑で、武骨な兵士たちを隠すのは不可能。見渡せど異常は感じられない。少し離れた位置にある渓流が、雪解け水を加算して、豪快な水音をあげるのみだ。


 おそらく彼女は味方とはぐれたのだろう、と推察する。そこで森を出ればよかったものの、俺たちを見かけて後をつけたのだ。


 追尾を悟られてからは、いち早く剣を抜いた。ぎこちない動きながらも、俺の仲間三人を相手に、退きもしなかった。しかし、鍔迫り合いの最中、女兵士の剣が砕けた。隙をみた仲間は、彼女に当て身を食らわせ地に倒し……そして、今に至る。



 女の、若くて張りのある肌が、息遣いに合わせ上下する。大きな瞳や唇のつくりを男と判断する奴はいない。兵士なんて華のない職業を選んだだけあって、女の化粧っ気のない顔に美しいとか可憐とか、そういった要素は見当たらなかった。


 この場合に限っては、容姿など問題ではない。俺たち……いわゆるならず者にとっては、彼女のいる立場だけで十分滾るというものだ。


「へへっ、女の兵士か……これはいい」


「なぁ兄貴! 俺たち溜まってんだよ、少しくらい楽しんでもいいだろう?」


 案の定、仲間たちは欲望を言葉にした。盗賊なんて職業は国家権力に追われるのが常だ。特に兵士なんかは、俺たちを藁かいぐさと見なし、切り捨てては追い回す。しかし、今ばかりは逆だ。

 女兵士は鬱憤をぶつけるのにちょうどいい相手だ。あいにくここは森深い獣道。はぐれた同僚を呼べども草木に阻まれ、助けなど期待できそうにない。


 許可を求める彼らに俺は、肩をすくめ……"好きにしろ"と示した。まだ日が高い。拠点に戻るには余裕がある。我らが盗賊団の頭目も、日頃の成果を鑑みて、多少のお楽しみくらいは許してくれるだろう。


「手荒にして悪かった、お嬢さん」


「今から優しく可愛がってやるよ……」


 珍しい獲物を前に、彼らは舌なめずりし、下品な笑みを浮かべた。これから女兵士をどう嬲るか思案している。

 俺はそんな様子から視線を外し、突っ立ったまま周囲に気を配る。


 女がどうなろうと興味はなかった。そんなことをしたって兵士への反感が消えるわけもない。敵意には敵意を、武力なら武力で報復する……そういう激情の衝突でこそ不満は濯げるのだと、俺は思っている。

 仲間からは戦闘狂だと誹られるも、好きな生き方は変えられない。


 どうせ見つかるなら、もっと大勢を交え派手に喧嘩がしたかった。それなのに何が悲しくて彼らのお楽しみの時間を見なくてはならないのか。

 こんなことなら、隠れ家に帰って土いじりの続きでもしたほうがましだ。




 先に帰ると言いかけたとき、女は脅えもなく立ち上がった。迫る三人の男に、逃げるそぶりもせず、自身の武器に目を落とす。

 

「……おっと、剣が折れてしまったな」


 彼女はたいして惜し気もなく言い、手に残った柄を捨てる。この行為は抵抗を諦めているのでも、命乞いの用意でもなかった。



「仕方ない。拳で戦うとしよう」



 女の気が転じる。木々がざわりとしなる音が、やたら不穏に感じた。ふざけた言動に仲間たちは口元を歪ませるも……俺は不覚を思い知った。

 全神経が危機を訴える。どうして今まで気づかなかったのか。なぜ侮ってしまったのか……致命的な過失に心は惑い、仲間に警告を発する余裕もなかった。



 闘気を練って対する姿は、まさしく強者のそれではないか。



 ここへは偵察に来ただけだ。城壁内に閉じこもった貴族どもに近づく道を探しに来ただけ。死闘への準備などできていない。そんな俺たちを、彼女は待ってくれなかった。


 拳を握り固めているのだろう。鎧小手が鈍く軋む。

 隙のない構えを経て一瞬、女の姿が掻き消えた。


 目で捕捉できなかった分……衝撃は重く、激しく感覚を揺さぶる。



 時間が止まったようだった。その一撃は"めり込む"と称すほど生易しくはない。

 着弾点は仲間の顔面。ただ一点に集約した破壊の大震。美麗な弧を描き、空を薙ぐ拳に……目が、心が惹きつけられる。

 どれもひどく現実味のない光景だ。ああ、まるで夢を見ているようだった。



 仲間の赤ら顔から、折れた歯やら口内を切った血やらが噴き出すのを見て、俺は……


 赤い実が盛大にはじけるさまを思い浮かべた。




「退避! 退避だ、走れ!!」


 俺はやっと正しい対処に移る。退却の指示を出し、全力での逃走を開始した。倒されたのは最も女兵士の近くにいた奴だ。頬を砕く攻撃は簡単に意識を弾き飛ばし、仕事熱心な夜盗を"重たいお荷物"に変えた。

 ガタガタ震える残りの仲間にそいつを運ばせ、俺は女兵士の前へ身を投じる。



 国をはしごして悪事を働く、我らが盗賊団。その脅威は地方に知れ渡っているはずだった。このような小国など絶好のカモだ、と笑っていたのが遠い日のよう。その団員がただの一兵卒、しかも女に逃げ惑うとは。


 俺は盗賊団のなかでも、兵士とやり合う武闘派に属している。乱戦への切り込みや陽動はお手の物、一国の将を相手取って打倒した経験だってある。

 けれど、戦士としての驕りなど、初手を見た時から吹き飛んでいた。



 その拳には暴風が詰まっている。頭部を狙った二撃に、前髪を触れさせて思う。当たればどんな痕跡が咲くか空恐ろしい。剣より近く、魔法より重い攻撃が、俺の身を削り肉を断つ。拳を掠めた右耳などは、聴力を失ったとまで錯覚した。


 だが、まともに受けたものは一発もない。今のところ。


 女兵士の表情が微かに変わった。敵全員を見るものから、戦うに値する者だけを視界に固定する。焦茶の丸い瞳はこの俺に照準を引き絞った。

 彼女にとっても俺は強敵だったと思いたい。気分が高揚する。こんな小国に凄まじい手練れがいたとは。しかも女の身で、よくもそこまで破壊を成すとは……



 心に湧き出した熱は歓喜。愉しい、もっと……もっとだ。拳を交わし、命散るまで舞おう。

 互いの本気を引き出し、むさぼり食らいたい……



「……っ、ひぃ! 兄貴っ!! 俺たち、いったいどこまで行けば……!?」


 前方の醜い悲鳴に集中力が途切れる。戦闘への陶酔は立ち消え……同時に、防御へ回る動作もずれた。一流の使い手は当然、その隙間を逃しやしない。


「がっ……は、っ!」


 みぞおちに撃ち込まれた一弾は、見かけより強度を増していた。共に過ごす時間が長くなるにつれ、女兵士は肩慣らしを終え、俺の動きを読んで同調していく。


 このまま対すれば、俺は至上の戦いを得られるだろう。彼女はまもなく本気となる。俺を倒すだけに特化した、最高の相手が完成する。



 ずっとこうしていたい。けれど、遭遇は間が悪すぎた。

 後方には仲間がいる。つい最近手を組んだばかりだが、団員はきちんと帰してやるのが兄貴分の務めだ。それに、本拠地の場所を知られるわけにもいかない。


 なぜ今日だったのだ! なぜ、こんなときに出会ってしまったのだ!!


 内心で盛大に嘆くも、状況への怒りは反撃の軌道を乱すのみ。俺は泣く泣く彼女に背を向けた。

 迷いを抱いたまま攻めあぐね、追い詰められるも……目的地は譲っていない。俺は仲間を誘導し、水音のする方向を駆けた。この先には渓流がある。直に見る大河の規模は予想と段違いだったが、他に選択肢はない。

 急流にたじろぐ仲間の尻を蹴り、自ら清水に絡めとられる。


 兵士の甲冑では、水中まで追えまい。


 氷雪含んだ水は、激痛と思わせる冷気を身体に刻む。しかし、彼女を振り切る悲哀に勝るものはない。満たされない思いを、少しでも消化できるように……視線はそこから離れなかった。



 そして、彼女もまた……俺を見ていたことを覚えている。

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