わがままアリスと人でなしのエルトン1
アリスは三人の盗賊に連れられて、件の村にやって来ました。村の建物は木で作られており、簡易な構造をしていました。おそらく土木に長けた魔法使いがいないのでしょう。アリスは村を見回して、おおよその技術水準を確認しました。
「嬢ちゃん、ここがマケノ村だ」
兎の男が言いました。
三人の盗賊を見て、村人が何人か寄ってきました。
「おお、アラスターさん」
五十代くらいの男が嬉しそうに三人を迎えます。そして、アリスに目を向けました。
「アラスターさん、この女の子は?」
「ああ、村長殿。この嬢ちゃんはアリス。高位魔法使いだ」
「なんと! ではあの魔法生物を?」
「ああ、退治してくれるらしい」
「それはそれは。アリス様。私はこの村の村長のチェスターと申します。この度はわざわざ足を運んで頂き、ありがとうございます」
そう言って、村の村長、チェスターは恭しく頭を下げました。兎足の男の話とアリスの服装から、アリスが貴族の娘であることを見抜いたのです。
「別にお礼を言われる様なことじゃないわ」
アリスはそう言いますが、表情は嬉しそうに緩んでいます。
「盗賊さん?」
その時、一人の少女がこちらにやって来ました。少し汚れたワンピースを着たアリスと同じ年頃の女の子です。彼女は兎足の男に駆け寄りました。
「盗賊さん、お薬は?」
兎足の男は女の子にそう言われ、目を逸らしました。
「すまない、フラン。手に入れることが出来なかった」
それを聞いて、フランと呼ばれた少女は肩を落としました。そして、ケホケホと咳をしました。
「フラン、無理をするな」
村長がフランの肩に手を置き、彼女を家に帰そうとしました。しかし、フランはアリスを見つけて足を止めました。
「その子は?」
「この方はアリス。高位魔法使いで、あの魔法生物の退治をしてくれるらしい」
村長の紹介を聞いて、フランはアリスをキッと睨みつけました。そして、すぐに視線を外して去って行きます。
アリスはと言うと、初めて会った同年代の少女にいきなり敵意を向けられて、かなり戸惑っていました。
「な、なんなのよ」
「あー、嬢ちゃん、悪いな。あの子はちょっと複雑な事情があるんだ。許してやってくれ……なあ、お前さん、薬の調合とか出来るか?」
あまり期待してなさそうな声で兎足の男はアリスに尋ねました。
アリスが首を左右に振ります。
「無理よ。わたしはまだ人体のお勉強をちゃんとしてないもの」
アリスは少し悔しそうです。
「そうか。いや、すまんな。そもそもこっちの事情で嬢ちゃんを巻き込んでいるんだ。だから気にしないでくれ」
「……ねえ、あのフランって子、どうしたの? 病気?」
兎足の男が頷きます。
「ああ、最近はやり出した新手の伝染病だ。そこまで致命的なものじゃないんだが、栄養の不足と合わさると中々治らず、確実に体力を削られていく。あの病気でフランは父親を亡くした。そして今、母親も死にかけてる」
「そんな……どうして医者に見せないの?」
「この辺りにはいないんだ。だから一度、近くの貴族に援助を求めに行ったんだが、門前払いされた」
「……ひどいわ」
そう言ってアリスが視線を下に落とします。
多くの貴族は自己完結を理想とする為、旧制度的な税を求めない代わりに、民に施しもしません。彼らの公的な職務は世界のバランスを保つ為の治安維持だけなのです。
そしてアリスはその頂点に君臨する王族ですが、その精神はまだ未熟で幼い所があります。だから貴族らしからぬ優しさを持っているのです。
アリスは前を見て、それから駆け出しました。目指す先にはこちらに背を向けてとぼとぼと歩いているフランがいます。
「そこのあなた!」
フランは振り向きアリスの顔を見た途端、睨みつけました。一瞬、アリスはそれに怯みましたが、それでも気丈に振る舞います。彼女の目の前に立ち、自己紹介しました。
「わたしはアリス。高位魔法使いよ」
「……あなた、薬の調合は出来る?」
「うっ……む、無理よ」
「役立たず」
そう言って、彼女は去ろうとします。アリスは涙目です。
「ま、待って。病気にもよるけど、症状の緩和くらいなら出来るかもしれないわ」
「……あなた、貴族でしょ?」
「そ、そうよ」
「貴族に施しは受けない。あなた達はお父さんや叔父さんを見捨てた」
そう言ってから、彼女はまた咳き込みました。顔色も悪く、本当にしんどそうです。
「ちょっと、大丈夫?」
アリスがその肩に手を掛けようとしましたが、フランはつかつかと咳をしながら歩いていき、すぐに自分の家に入ってしまいました。
それを見て、アリスは肩を落として兎足の男の元へ戻りました。
「すまんな、嬢ちゃん。悪い子じゃないんだ」
そう言って、兎足の男はアリスの頭に手を載せます。人の悪意や敵意に今まで触れて来なかったアリスにはきつかったようで、彼女は涙目でした。
「……こんなことは言いたくないが、このままだとあの子はもうすぐ死ぬ。村の皆で必死に止めてるんだが、フランは母親を助けるために村人の目を盗んで採集に行っているんだ。あの病気は動けば動くほど消耗して、死期が早まる。早々に安全な採集場所と薬を用意しなけりゃ、母親よりも先に死ぬことになる」
アリスがそれを聞いて目を見開きました。フランはアリスとほとんど歳も変わらないはずです。しかし、彼女を取り巻く環境は、アリスとは比べ物にならないほどに過酷でした。
「どうすれば助かるの?」
「嬢ちゃんは魔法生物を退治してくれ。それさえしてくれればいい」
「本当に? それであの子は助かるの?」
「ああ、そうだ」
兎足の男は嘘を付きました。採集場所を危険に晒している魔法生物を退治したとしても、それで薬が手に入る訳ではありません。栄養源の確保は重要ですが、それだけでは病気は治らないのです。
「分かったわ。じゃあ、早速案内して」
アリスは涙を拭いて、兎足の男を見上げました。
「今から行くのか?」
「ええ、まだ明るいし、早い方がいいでしょ?」
「分かった。じゃあ、案内するから付いてきてくれ」
そう言って、兎足の男が歩き出します。盗賊の他の二人はついて来ないようです。
「嬢ちゃん、高速移動は出来るか?」
「余裕よ」
「よし、なら先を急ごう」
兎足の男がぐっと体を沈め、そのばねを利用して大きく前に飛びました。かなりの速度です。
勿論、アリスにも余裕でした。彼女は身体魔法を使ってタン、タンと軽いステップでも踏む様にして、かなりの速度で移動します。
「あなた、変わった移動の仕方ね。それ魔法をあまり使ってないでしょ?」
森の中を移動しながら、兎足の男に訊きました。
「おお、よく分かったな。その通りだ。推進力にはこの足の筋力だけを使ってる。魔法は姿勢制御くらいだな」
「どうしてそんなことを?」
「昔、身体魔法が暴走して両足を吹っ飛ばしちまってな。それで魔法を使わなくても早く動けるようにってことで、この足に変えたんだよ」
「人体改造なんて、随分と高度な魔法を扱えるのね。あなたも高位魔法使いなの?」
アリスの言葉に兎足の男が苦笑します。
「いいや、これは知り合いに頼んだんだ。俺にはこんな足を作れないよ」
話している間に目標地点に着きました。
アリスの身長の三倍はありそうな草の群れの壁が目の前にあります。
「この先に例の魔法生物がいる。魔法を使う以上、知能もかなり高いだろう。俺みたいな雑魚じゃ瞬殺されるのが落ちだ。だから、頼む」
「分かったわ。わたしに任せて。その魔法生物はどんな見た目なの?
「でかい猫だ」
「猫?」
「そう、猫だ」
そう言われて、アリスは何かを思い出しそうになりましたが、結局深く考えることはありませんでした。
アリスはゆっくりと草をかき分けて入っていきます。視界は草で塞がれていますが、空間魔法でその先の構造は把握していました。目的の魔法生物らしき影も捉えています。
そっとそっと進んでいき、やがて向う側を見渡せる場所まで来ました。魔法生物に気付かれないように、慎重に草の間から除きます。
その魔法生物がいる空間は、草がなぎ倒されていました。それらがクッションになって、柔らかい寝床になっています。そしてその中心に、その魔法生物が寝転んでいました。
それは大きな猫でした。とても大きな猫です。全長六メートル。立ち上がった時の高さは二メートルと言ったところでしょうか。その姿は猫と言うにはあまりに巨大すぎました。
「エルトン様?」
そう言って、アリスは草むらから出て、てくてくと、眠っている猫の前まだ歩いていきました。それはあまりに無防備でした。
近づく少女に気付いて、その猫が目を空けます。そして首を起こし、アリスを見ました。
『……アリス姫? どうしてこんな所にいるんじゃ?』
草むらに声が響きます。それは老成した男性の声でした。
「やっぱり、エルトン様なのね! 久しぶり!」
アリスが駆け出し、その巨大な猫、エルトンの腹に体を埋めました。そしてもふもふとその体を触ります。
なんと村を騒がせていた魔法生物の正体は、世界に七人しかいない最高位魔法使いが一人、『人でなしのエルトン』だったのです。