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3-3 もしも自分が変わるとしたら、それは人のために行動したときだ。

 翌日、起床と共に思うことは、これが夢であったならどんなによかったかだ。きっとこれからしばらくは毎朝同じ事を思うのだろう。

 しかし、希望は捨てない。一度軌道に乗ればこの世界でも十分に暮らしていける。それに諦めずにもがき続ければ、小さな幸せくらいは落ちているはずだ。こんな路地裏でも人の温もりを得られるくらいには。


 そこまで思い出して足元を確認すると、もぞもぞと人影が動き出した。


「おはよ、猫ちゃん。よく眠れた?」

「――にゃ」


 タイミングよく相槌をうてば、少女は柔らかく微笑んだ。もっとも、死んだ魚のような目に光りが戻ることはないが。


「猫ちゃん、どこに住んでるの?」


 住む場所はない。行く当てもない。頼れる人もいない。

 俺の居場所はどこにもない。

 悲しい現実から目を逸らせるように、俺は少女の足元に擦り寄った。


「そう、あなたもおうちに帰れないのね」


 帰れない。きっとその言葉の裏側には『帰りたい』という切なる願いが潜んでいるのだろう。無理もない。こんな過酷な世界にたった一人で放り出されたら、だれだって暖かい家庭に恋焦がれるだろう。俺だって帰りたいさ。


「そういえば名前、言ってなかったね。わたし、ユリア。あなたは? って、言ってもわからないよね」

「にゃぁ……」


 ユリア。ラテン語かロシア語かな? 顔立ちからしてハーフっぽい子だ。たぶん両親のどちらかが外国人だったのだろう。


「ナスキーでいいかな?」

「にゃ?」

「あなたの名前。足の先だけ白くて、靴下を履いているみたいだから」


 まあ、好きに呼んだらいい。どの道、俺に声をかけようとする人なんて、キミくらいしかいないし。


「にゃぉーん」


 俺は了承した。伝わったかどうかはわからないが。

 ユリアは満足そうに頷いて立ち上がると、重い足取りで路地裏の入り口へ向かった。そして通りの前までやって来ると、敷物もひかずに道の脇に腰を下ろした。


 何をするのか興味を持った俺は彼女の傍にある物影に隠れて様子を窺った。

 十分、二十分。しばらく時間がたったが、ユリアはいっこうに動こうとしなかった。ただ彼女の乾いた双眸に、道を往来する人々の脚が映っては消えてを繰り返すばかりだ。


 しばらくすると、一人の通行人がどこからともなく茶色い硬貨を取り出すとこちらへ投げた。それを拾ったユリアは深々と頭を下げた。


 その光景を見て、俺は無性に悲しくなった。


 大勢の人がいるのに、誰も気に留めない。声もかけない。興味を持たない。

 世界から見放されたような疎外感と孤独。

 極少数の人が憐れみなのか気まぐれなのかわからないが端銭を恵んでくれる。それを頼りにロウソクの火のように儚い命を僅かばかり伸ばす。


 これが社会の最底辺のリアルな姿。

 こんな幼い子が疲れきった表情で物乞いをする現実。


 どうしてこんな惨めな実態が存在するのか。

 どうしてこのような無情なことが許されるのか。




 結局この日は数枚の銅貨を得た。

 それを手にユリアはどこかへと歩き出す。


 後を追えば、通りの向こうから肉を焼くいい匂いが漂ってきた。曲がり角を曲がれば、小さな屋台がひしめいていた。どうやら食堂街のようである。


 ユリアはそのうちの一軒に顔を覗かせると、今日恵まれた数枚の銅貨を乗せた手を店主に見せる。しかし、


「おじょうちゃん。これじゃ足りないよ」


 僅かばかり肩を落としたユリアはしかし、すぐに向かいの屋台に向かっては同じように銅貨を見せる。

 しかし次の屋台でも断られたようだ。

 そんなことを何度も繰り返す。屋台から屋台へたらい回しにされながら、それでも一軒の店主から了解を得られたのか、銅貨を渡す。

 しかし代わりに受け取ったのはどう見ても商品とは思えないような廃棄物だった。

 肉をそぎ落とした後の骨や野菜の皮。

 それでも、そんな生ごみに等しい残骸を両手いっぱい抱えたユリアの足取りは今朝よりも軽かった。


 昨日と同じ路地裏に戻ってくると、再び俺と顔を合わせる。僅かに表情を柔らかくした彼女はポツリと言った。


「今日はたくさんもらえたから、ナスキーにも分けてあげるね」


 俺の前に、鶏の骨らしきものが置かれた。軟骨や僅かばかりの肉片が残っている。

 ユリアは一日中何も口にしていなかった。本日唯一の食事はクズ肉と野菜クズ。それも一人分の食事量としても圧倒的に足りない量しかない。

 そんな中、一番栄養ボリュームがありそうなクズ肉を俺に渡して、自分は泥突きの野菜クズを口に運んでいる。


 こんな優しい子が、どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのか。


 この日の俺は、昨日とは違う意味で泣いた。

 胸が締め付けられた。悲しい、やるせない。こんなの間違っている。人のあるべき姿じゃない。社会のあるべき状態じゃない。


 こんなことを続けていたらいつか病気になって死ぬ。心もおかしくなる。

 地球なら死んで終わりかもしれない。でも、ここネクラでは何度でもデスリポップする。死によって開放されることはない。

 一刻でも早く抜け出さなければ、取り返しのつかない事態になる。いや、もう既になっているかもしれない。




 俺は決意した。

 この子を何としても救い出す。少なくとも暖かい食事と清潔な寝床を得られる生活くらいはさせてやりたい。

 それが、異世界で唯一俺に温もりをくれた優しい少女への恩返しだ。


 黒猫の恩返し、はじまります。


     ◆


 翌日、昨日より少し早起きした俺は何か使えるアイテムがないかと路地裏を探索していた。


 一晩考えてみたが、言葉の話せない猫である自分にできることは少ない。もしもユリアと会話ができればギルドの登録法や、初期に受けるべき依頼の種類などを伝えられるのだが、今はできない。

 それよりも、喫緊の問題がある。まずはまともな食事を得なければ、仕事をこなせる体力すらつかない。


 俺はあるものを見つけるとユリアのもとへ戻った。

 ユリアは既に昨日の場所まで移動していた。すっかり乞食が板につきつつあるその小さな背中に、俺はもってきたものを転がして当てる。


「痛たっ。何?」


 ユリアは後ろを振り向くと、俺が投げた物を手に取った。それはタルを固定する金属の輪っかだ。

 その瞬間、俺はユリアが握った輪の中に飛び込んだ。


「ナスキー? どうしたの?」


 ユリアはタルの輪を手放して俺に手を伸ばした。

 そうされるとマズイ。俺はタルの輪を咥えてユリアに押し付ける。


「この輪っかがどうしたの?」


 ユリアが輪を手に持つと、俺は再び輪の中心目掛けて飛んだ。


 ジャンプ。

 ジャンプ。

 ジャンプ。

 何度も輪を潜り抜ける。


「わかった。ナスキー、遊んで欲しかったのね」


 そういうわけではないが、俺が輪をくぐるたびにユリアが微笑むのを見るのは悪くない。

 しばらくそうしていると、道行く人々がちらほら足を止める。

 

「ほう、なんだ、なんだ?」

「モンスターが飼いならされているのか?」

「これは珍しい」


 数人が珍しいもの見たさに足を止めると、その周りから野次馬が集まり、瞬く間に人垣ができた。


 ユリアはそんな人々の視線など気にせず、俺との遊びに夢中になっている。輪っかの位置を徐々に高くしたり、角度を変えたり。

 次々に変わるお題に合わせて跳び方を変えるのは中々に骨が折れるが、今の俺にできることはこれしかない。


 モンスターテイマー自体が珍しい職業だし、それなりに芸を仕込み終えるまでに数ヶ月の時間を要する。こんな単純な輪くぐりでさえ、この世界では珍しい路上パフォーマンスに見えるはずだ。


 ふと両目を閉じてステータスを確認すれば、運動した分だけHPゲージが減っていた。

 この世界では敵の攻撃を食らわずとも、走ったり泳いだりしてもHPは微量に減る。スタミナにマイナス補正のかかった猫だと尚更早く減る。

 それでもお構いなしに俺は飛び続けた。


 へとへとになるまで跳び続けて、さすがに俺は休憩をとった。その瞬間、どっと歓声が向けられた。

 いつの間にか結構な人数になっていた観衆が一斉に拍手する。


「えっ? えっ?」


 突然のことにあたふたするユリアに、見物人たちは笑顔で銅貨を投げた。小豆色や赤銅色の銅貨が地面を跳ねる甲高い音がしばらく止まなかった。

 想像以上の大盛況だった。

 この世界の通貨は全て赤系統の色で統一されているから、その光景はいっそう鮮やかに映った。


 不思議なものだ。自分のために何かをしていても全く人から評価されることはなかったが、他人のために一心不乱に行動すれば、すぐに拍手で迎えられる。嬉しいような悲しような、何ともいえない気持ちになる。まあ、今はユリアが助かればそれでいいや。


「キミ、ちょっといいかね?」


 観客の中から一人の男がユリアの前に進み出た。


「その小さなモンスターはキミがテイミングしたのかい?」

「えっ、えっ、ユリアは別に――」


 ユリアが言い終える前に、俺は彼女の足にまとわりつくように頬ずりを繰り返す。見せ付けるように仲良しアピールをする。

 男はそれを見て得心したように頷いた。


「これほどモンスターが人に懐くのは珍しい。しかしそれならば、ギルドでモンスター登録をしないといけないよ。さもなければ、危険なモンスターと勘違いされて警備兵に処分されてしまうからね」


 男はユリアの目線に合わせて膝をつくと、彼女の手に朱色の銀貨を握らせた。


「これでギルド登録をしてきなさい。それから服も新調しなさい。そんなみすぼらしい布地を纏っていてはせっかくの美貌が台無しですよ、レディー」


 男はウインクを一つするとそのまま立ち去った。

 

 ――ペット登録!? その手があったか!


 やけに鳥肌の立つ、いや、猫肌の立つキザったらしい男だったが、気前良く朱銀をくれたのは評価に値する。あと情報も。

 通常だったら事案発生で警備兵に突き出しているところだが、今回だけはそれに免じて見逃してやろうじゃないか。なんにせよ、これで道が開けた。


 俺は地面に転がる無数の銅貨を素早く集める。そんな様子を見て観衆が笑う。


「黒いのが銅貨を集めているぞ」

「本当に良く調教されている」

「幼女に飼育される生活、ハァハァ……」


 集め終わった銅貨をユリアに握らせると、俺たちはその場を離れた。ふとユリアの顔を見上げれば、心なしか表情に色が戻ってきているような気がした。

 そんな僅かな表情の変化に、俺の心は跳ねた。お金なんかよりも、はるかに嬉しい。


 やった! この世界で、はじめてうまくいった。大きな大きな一歩だ!

 ここから這い上がってやる! 失うものなんて何もないんだ。大胆になれ、俺! てっぺんを突き抜けてやれ! このクソゲー世界で、ユリアと一緒に底辺生活から大逆転してやるんだ!


 うにゃぁああああああああああああああっ!

 

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