第五話 VS
二○二五年八月二一日
時刻は午前十二時、俺は一人駅舎でペット用のケージを携え、後背にあるコンクリートポールにもたれかかっていた。
右隣には、荷物を詰め込んだキャリーケースがある。ベスターは手元のケージの中で憮然とした態度をとり、丸くなっていた。この時間帯は人もまばらで、券売機もヒマそうだ。
これから、ベスターをこの町の協会支部へ引き渡し、依頼達成の報告をするつもりだ。アリシアとのコンビも本部での手続きが終わり次第、解散することになっている。
特に俺の力が役に立ったわけでもないので、報酬を受け取るのは若干後ろめたい。それはともかく、
一○○万円はいただくつもりだが。
もうすぐ身支度で遅れているアリシアも到着するはずだ。
あんなに高飛車なガキなのに、いざ別れるとなると、少し寂しさを感じるのは気のせいだろうか、
・・・・・・気のせいだろう。
ポケットから取りだしたタバコをふかし、行き交う人々の流れに目をやる。
いつもと変わらない、何の変哲もない風景。
だが、なんだこの違和感は。
まるで、ナメクジが這いまわっているような、ヌメヌメとしたプレッシャーがまとわりついてくる。黒猫が前を横切り、靴ひもが切れるなどの、ホラー映画でよくある不吉な予兆のサインのようだ。
その時、乳白色のフードを目深にかぶった男か女かも分からない奴らが、人一人分ほどの距離を保って一列に出口に向かっていた。随分と急いでいたが、何かの集まりでもあるのだろうか。
失礼な話だが、この人達もサインの一部だと思えてしまう。
俺が正体の分からないモヤモヤした気持ちを抱えている内に、アリシアが到着した。
身長ほどもある、巨大なピンク色のキャリーケースを転がしている。あの中身は全部衣服や化粧品だろうか。どうりで時間がかかるわけだ。
煙たがられないよう、同じくポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコの火を消す。
「ずいぶん待ったぞ」
「わたしはかわいいから、いろいろ時間がかかるんです」
相も変わらず憎まれ口を叩くこいつを見て、俺は少し安心した。いつまでも妙なことことに不安になっても仕方がないしな。
「それじゃ、ベスターを預けて来る。そっちはこれから学校だったか?」
「ええ、ヒーローとして活動しているので出席日数などは免除してもらっていますが、たまには顔を見せないと友達に心配されますから」
「今年一番の衝撃、お前友達いたんだな」
「ブッ飛ばしますよ」
結局、こいつと最後まで打ち解けることはなかったが、軽口を叩き合えただけ一歩前進か。
「次に合う時は、協会の本部だな」
「ええ、せいぜいドブにはまらないように頑張ってください」
「それは忘れろ」
アリシアは真っ直ぐ改札口に向かっていく。
次に交わす言葉が最後になるだろう。
そして、もう二度と会うことはない。
『プルルルル、プルルルル』
と、携帯電話に着信があった。
液晶画面を確認すると、発信者は三木なっている。
「東だが、どうした三木」
『落ち着いて聴いてくれ、傍にアリシアがいるなら今すぐ二人で街から離れるんだ』
「どういうことだ説明しろ」
『説明しているヒマはない! いいから僕の言うとおりにしろ!』
明らかに何時もの三木とは違う。ただならぬ気配に俺は圧倒された。
「わかった。アリシアは――」
言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。
世界が震駭した。
『ゴゴゴ、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ』
地響きがした。天所が剥がれ落ち、ガラスが割れる。
とても立ってはいられない。人々が悲鳴を上げてその場にうずくまる。俺も左手ケージを抱きかかえ、右手で頭を守り、その場にしゃがみこんだ。
永遠とも思える時が過ぎ、ようやく地響きが収まった。実際には一分程度しか経っていないのかもしれないが。
他の人々もフラフラと立ち上り始めた。俺はアリシアの姿を確認し、急いで駆け寄る。
「おい、怪我はないか」
「ぜ、全然へいきですよこんなの。ま、まったく心配性ですね」
小さな肩が震えている。大の大人も腰を抜かす地震だ、怖がるのも無理はない。手を差し出すと、アリシアは、それを恐る恐る掴んだ。少しずつ起き上がる。
第二波の可能性もあるため、頭部を守れる物のないホームに留まるのは危険だ。一瞬、避難誘導をしようかと思ったが、意外と他の人々も冷静だった。俺もそうだが日本で暮らしているので、こういう事態いくらか耐性があるのだろう。
パニックを避けるため、今度はゆっくりと歩いてホームの出口に向かう。外の景色が瞳に映る。
そして――
そこには地獄が広がっていた。
コンクリートに亀裂が走り、車はお互いに衝突しボンネットが煙を上げる。街路樹や電柱が重なりあって倒れていた。
しかし、それすらも凌駕する、目を疑うような現実がそこにはあった。
遠方にそびえ立つ空守るタワーを上回る巨大な壁が現れたのだ。タワーの高さを基準に考えると、どう少なく見積もっても七百メートル以上はある。
さらに、壁を目で追っていくと、この街を囲むように一周していることがわかった。ここは完全に陸の孤島になってしまっている。
「おい、なんだよこれ!」
「お母さん大丈夫!」
動揺が広がる。しかし、状況を正確に把握している者は一人としていないだろう。
そう、この事態を引き起こした張本人以外は。
『ザザ・・・・・・ザザザザザ・・・・・・』
ノイズが走り、ビルの壁面で飲料水の広告を流していた、デジタルサイネージの画面が切り替わる。
歪みが収まると、そこには一人の若い男が現れた。
画面に映る望遠鏡や窓ガラスから察するに、映像の発信地点は空守タワーの最上階、展望フロアだろう。
『ねー、これもう映ってる?』
その男は、オールバックにした銀髪の前頭部から昆虫の触角のような前髪を二本たなびかせ、穴だらけの白衣を身に纏っていた。
そして、液晶の前の人々に向かって、友人と立ち話でもするかの様に話始めた。
『みんなー元気にしてたかなー? ヴィランのルキフェルちゃんでーす! 突然ですが、今から十二時間後にこの街は消滅しまーす』
その言葉は狂人の戯言では決してない。ゾリゾリと空気が歪む。恐怖で脂汗がにじみ、心臓が早鐘を打つ。
ルキフェルだと? マリアナ海溝の深海監獄に投獄されていた、Sクラスのヴィランじゃねえか。
Sクラス以上のパワー保有者は、その存在自体が核兵器並みにヤバイってのに、一体何がどうなってやがる。
「アズマ、携帯から声がする」
言われて左手を見る。ようやく、三木と話していたことを思い出した。回線は繋がったままだ。
「三木、一足遅かったようだな」
『こっちも今テレビで確認したよ。すまない、もう少し早く気付いていれば良かったんだが』
「聞きたい事は山ほどあるが、今は一つだけでいい。現在しゃべくってるルキフェルは、映画にもなったあのルキフェルでいいんだな?」
『ああ、その通りだ。人間バースデーケーキ事件の張本人。監獄側が脱獄を隠ぺいしようとしていたからね。おかげで対応が遅れた』
「いいジョークだな」
『・・・・・・返す言葉もない。そして、もうすぐ通信手段も断たれるだろう。こちらも救助に全力を尽くすつもりだが間に合うかわからない。なんとか切り抜けてくれ』
その言葉を最後に通信は途絶した。敵に電波妨害系のヴィランがいる。
『要求はだだ一つ、ヒーロー対ヴィランのバトルロイヤルさ。インスタントヴィランの作製にも成功して、参加者も増えたしね。十年前のリベンジだよ』
画面が切り替わり、空守タワーの外周を映す。
フード姿の連中が一斉に懐から注射器を取り出し、自らの腕に差し込んだ。
白濁した肉塊が膨張し後には、白い皮膚を纏った獣と甲冑の兵士がいた。
俺が戦った時とは違い、頭部もカバーされ弱点が無い。数は一○○○か、二○○○かカメラに入りきらないほどの膨大な軍勢だ。
しかし、インスタントヴィラン事件にまでこいつが関わっているとは思わなかった、状況はますます悪化するばかりだ。
こんな時、キャプテン・マイティがいてくれたらどんなに頼もしいことだろう。
だが、彼はルキフェルとの戦いの直後、惑星破壊爆弾から地球を守るため宇宙に飛びったったまま消息不明だ。
つまり、今ここでルキフェルを止められるヒーローは存在しない。
『HAHAHAHAHA、どうしたんだい? 暗い顔しちゃって、心配しなくても大丈夫! 市民の皆さんのためにヒーローを用意してあげたよ、五○○人もね。彼がいないの分のハンデさ。これだけいれば良い勝負になるでしょ?』
こいつのパワーの前に数は意味をなさない。俺やアリシアも市民を希望から絶望に突き落とすためのスパイスでしかない。だからそれらしい依頼でこの街に呼び寄せられたのだ。
『じゃあ、最後にルールの説明だね。十二時間、十二時間以内に空守タワーにいるボクを倒すことができれば君たちの勝ち。出来なければボクの勝ちで、この街は消滅する。どう消えるか後のお楽しみ。ね?
簡単なゲームでしょ』
一息置き、悪魔が宣誓する。
『――――かかってこいよヒーローども、今度こそお前らの正義を否定してやる』
最悪だ。完全にヒーローに復讐するためだけの計画。交渉は不可能。街を脱出することもできない。自らの欲求が満たされるまで止まることはないだろう。
だが、いつまでも好き勝手に喋らせているほど、こちらも甘くはない。
『ゲーム? ならこれでゲームクリアだ』
画面右奥に映る望遠鏡が人の形に姿を変え、飛びかかった。
スパイヒーロー、《近代擬態B》のインビジブルキッドだ。今の今まで虎視眈々とチャンスを狙っていたのだ。
ルキフェルまでの距離はたった六歩。こぶしに巻き付けたピアノ線をピンと張り、喉を狙う。
辺りから歓声がまき起こる。
これで悪夢から解放されるかもしれない。
しかし、歓声は一瞬で惨劇による悲鳴に変わった。
『ノロマめ』
ルキフェルの白衣の内側から、両手にククリ刀を握った男が姿を現し、インビジブルキッドの頭部と胴体を一呼吸の内に――。
切断した。
紅の噴水が出来上がり、絨毯を赤く染める。
『ブラボー! すばらしい技前だよ! パターナイフ!』
『恐悦至極』
パチパチパチと、鳴り続ける拍手と足元の血だまり。
それが、最悪のゲームの始まりを告げた。