第八話 膝の上で
俺たちはレストランを抜け出し、道路をタワーに向かって歩いていた。
アリシアはアルコールが抜けきっていないので、俺におんぶされていており、珍しく静かにしている。
ちなみに、ベスターはケージから出され、隣を歩いていた。
アリシアが言うには、減刑とネコ缶一年分で協力してくれるとのことだ。
「どうだ、酔いは覚めたか?」
「まだ気持ち悪いですけど、ちょっとラクになりました」」
とにか、移動手段を確保しなくては、満足に体を休めることも出来ない。
辺りを見回し使え様な車を探す。
ふいに、背後から声がかかった。
「やるじゃない、きみたち」
体中も産毛が逆立つ。
この声を忘れるわけがない。
全ての元凶であるルキフェルだ。
様々な疑問を振り払い、アリシアを背負ったまま振り返り銃口を向ける。
ドン・キホーテよりも無謀な行為だが、やるしかない。
が、しかし、そこにあるはずの姿は立ち消え、代わりに背後からひたりと、冷たい指先が俺の頬を撫でた。
さらに後を振り返るが、今度は真横から声がかかる。妖に化かされているようだ。
「あはは、からかってごめん。隠しカメラで観ていて驚いたよ。ディナーを相手にしたヒーローは大体その異常性にビビッてしまうんだけどね」
「楽勝だったぜ、ホラー映画の怪人よりよほどな」
《百色換装AA》はまだ本調子ではない。
《三掌C》では歯が立たないだろう。
俺の脳内に、これまでの人生が走馬灯のように流れる。
もっとまともな正義の味方になりたかったが、その夢は最後まで叶うことはなさそうだ。
アリシアだけでも逃がすために、特攻をかけるべきか思案する。
その時。
俺とルキフェルとの距離を真っ二つに両断するように、水晶の刃が咲き乱れた。
道路標識ほどの高さを持つ水晶は、両者を中心に五○メートルずつ伸びており、運河のごとくルキフェルの行く手を阻む。
さらに、けたたましいクラクションが鳴り響いた。
眼をやると、ジープがアスファルトに黒々としたタイヤ痕をつけながら、ドリフトしてくるのが見えた。
俺たちの眼前にピタリと横付けすると、運転席にいる男が叫んだ。
「こちらです! 早く!」
考えている暇はない。
アリシアを先に乗せ、ベスターと俺も転がるように乗り込む。
間髪入れずジープは発進し、瞬く間にその場から姿を消した。
こじんまりとしたインテリアショップの一室。
ヒーローたちは休息をとっていた。
「危なかったね。きみたちが無事で良かったよ」
落ち着いた声で話しかけてくるのは、騎士ヒーローのブルーナイトだ。
青い髪に高い鼻、小麦色に日焼けした健康的な肌の持ち主で、はにかんだ時に見える白い歯は照明を反射して、キラキラと輝いている。
長身細身で、スラッと伸びた脚は美しさだけでなく、カモシカを思わせる力強さもある。
彼は《自形結晶A》という水晶を操るパワーを使い、ヴィラン同時百人撃破など数々の実績を挙げている。
その活躍は書籍にもなり、二○○万部売れるベストセラーにもなっていた。
名実ともに最優のヒーローだ。
「助かったぜ、感謝する。俺はハンドマンだ」
「わたしはカラフルです」
実際彼が来なければ、確実にあの場で命を落としていただろう。
地獄に仏とはまさにこの事だ。
「どういたしまして。でもお礼はあいつにも言って欲しいな。ね? ウェブ?」
「拙者でござるかな?」
部屋の隅でカタカタとノートパソコンを触っていた女性が、ぎこちない動きで顔を上げる。
頭にはネットゲーム用のヘッドギアを被っており、そこからはみ出している長髪は腰のあたりまで伸びている。
ちなみに、手入れはまったくされていない。
若干挙動不審だ。
「ありがとう、ウェブさん。あんたが俺たちを見つけてくれたんだってな」
「簡単でござるよ。拙者の《千里追跡》でしたらな」
《千里追跡》、それは彼女が顔を把握している人物の居場所を特定できるパワーだ。
名前がわかれば、テレパシーで会話もできるらしい。
俺たちの居場所が分かったのは、この街の協会支部にアクセスして、現在依頼を受けているヒーローの名簿を入手していたからだそうだ。
しばし休憩を挟み、ブルーナイトは俺たちに、これからの計画を話し始めた。
「ウェブに連絡を取ってもらった限りだと、現在戦闘可能なヒーローは二一五人。残りは連絡がつかないか、最後の時間を好きに過ごしたいそうだ。今の時刻が午後三時、八時を過ぎたら一斉に空守タワーへ攻撃を仕掛けようと思う。そして可能ならば君たちにも力を貸してほしい。読心の危険性があるから決行ギリギリまで詳細は明かせないけれど、それでも僕たちを信じて協力してくれるかい?」
勿論答えは決まっている。
「日が落ちてから奇襲をかけようってわけか、いいぜ。あんたに助けられた命だしな、信じるさ」
「わたしたちに出来ることならなんでも」
俺とアリシアは同意した。
これで、現実的な勝算が沸いてきた。
「力を貸してくれて嬉しいよ。読心の危険性があるから必ずルキフェルに勝ってこの街に平和を取り戻そう」
「新作の乙女ゲーをプレイするまで拙者も死ぬ気はござらんからなー」
作戦開始まで大分時間がある。
それまでは、みんな自由に過ごした、
一度戦闘が始まれば、もう後戻りは出来ない、気持ちを整理し、覚悟を決めるのだ。
俺はカーテンで四方を仕切ってある木製のベットで仰向けになり、ボーっと天井を眺めていた。
不思議と恐れはなかった。一度死を覚悟したことで、腹が座ったのだろうか。
と、カーテンに人影が映った。
「アズマ話があるんです、今いいですか?」
「ああ、いいぜ」
訪問者はアリシアだったようだ。
俺は体を起こし絨毯に足をつける。
アリシアはその隣にちょこんと座り、何か言いたげだ。
最後の時にどうしたのだろうか。
五分間もごもごと口ごもっていた彼女だが、息を大きく吸い込み、ようやく言葉を発した。
「あの、アズマごめんなさい」
「どうした藪から棒に、謝られるようなことしたか」
今までとは違う、しおらしい態度に驚く。
「レストランでの話です。その、わたしをかばったせいで、大けがして・・・・・・、言うことも聞かずに暴走したから」
「こんなもんケガの内に入らねえよ。いつもみたいに自信満々でいてくれ」
「あの、だから、今までのお詫びに何でもアズマの言うこと聞きますよ」
思いがけない一言に脳細胞がフリーズする。
まずい、息をするようにエロいことを考えてしまった。
明日世界が滅亡するとしても、略奪や暴行に走らない程度のモラルはあると思っていたが、二十も離れた少女に欲情するとは何たる不覚。
一体どうしたというのか、神は俺を試しているのだろうか。
やや間を空けて、俺は努めて冷静に答えた。
「・・・・・・そんなセリフは大切な人のためにとっておけ」
「やらしい妄想をされた気がしますが、アズマのそういう格好つけるところ嫌いじゃないですよ」
それから、とりとめのない話をした。
日本に留学を決めた時のことや学校の友達との会話、俺はあまり話さなかったが、決して退屈ではなかった。
そして、最後にこう訊ねられた。
「どうしてこれまで一人で戦っていたんですか? Aクラスのヴィランとも渡り合える格闘術があれば、パワーの強弱関係なく実績を挙げて、協会のバックアップも得られると思うんですが」
「事情があってな、楽しい話じゃねえが聞くか?」
「はい」
それは忘れられないできない苦い思い出だ。
「八年前、まだ三木とコンビを組んでいた頃、俺は致命的なミスを犯したんだ。
当時は連続誘拐犯のヴィランを追っていてな、高層ビルの屋上に追い詰めることに成功したんだが、そいつは三人の子供を触手で釣り上げ人質に取っていた。下手なことをすれば人質が地上に真っ逆さまだ。
話し合いの結果、三木が触手を拳銃で撃ち抜き、その隙に俺が《三掌C》で人質を確保することになり、実際成功した。だが」
「だが?」
「人質はもう一人いたんだ、奴が背中に隠していた赤ん坊がな。その子はあっけなく地上に墜ちていったよ」
「――その子はどうなったんですか」
「幸いなことに地上で待機していた、他のヒーローが助けてくれたよ。だがな、俺のパワーがもっと強ければ、Cクラスなんかでなければ、危険な目に合わせることもなかった。協会が実績ではなくパワーの強さで依頼を振り分けるようになったのは、そのすぐ後のことだった。三木の足を引っ張りたくなかった俺は一人で活動することにしたってわけだ」
長々と話したが、つまるところただの言い訳だ。
自分の弱さを周りのせいにして逃げてきただけだ。
「だったら、わたしがパートナーになってあげてもいいですよ。特別にアズマが主役でいいです。」
意外な申し出に目を丸くする。
年甲斐もなく感動してしまった。
「生きて帰れたら、考えておくよ」
「絶対ですよ」
こんな小さな子供に救われるとは、人生何があるかわからない。
そろそろ決戦の時間だ。
街灯が照らす夜の街に、正義の味方が集結した。




