表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雨夢の幻

作者: thaw

戦も、死さえも存在しない神世(かみよ)で、(うつつ)の秩序を乱す(やから)討伐(とうばつ)…いや、殺戮(さつりく)する事を許された唯一の部隊があった。


 その先鋒が現に降り立つ時、血風(けっぷう)の吹かぬ試しなしと言う。


 現るるは(さく)の夜。見分ける術は、(うつ)ろな紫暗(しあん)の瞳と闇を映す漆黒(しっこく)の髪。

 血潮(ちしお)幻惑(げんわく)の香。主命(しゅめい)に従い、修羅(しゅら)さながらに、同族さえも(ほふ)るという。


 人と神の系譜(けいふ)を継ぎ、 “(おに)(こし)(くさ)”の異名を持つその者の名は…――

 

◆◆◆


(かえ)るまで、もう少しかかりそうだな・・・。」

 呟いて、紫苑(しおん)はほぅっと息を()いた。

己の居室の濡れ縁に出て、遠く(かす)望月(もちづき)を見るともなしに(なが)める。

彼が師と、父と(あお)ぐ男の邸宅の一室。宵闇はしんと、耳に()みる静けさだ。

もう一度だけ、深く息をして。手の中の「それ」を軽く転がして(もてあそ)びながら、

ゆっくりと(まぶた)を伏せる。

と――・・・

「紫苑っ、約束通り来たよ☆」

「約束約束っ、紫苑〜」

 静けさを破って、オナリ神の姉妹が邸内に駆け込んで来た。


「・・・間に合ったな」

 (そろ)いのぽっくりでころころと駆けて来る双子の様子に紫苑は少し破顔(はがん)し、それからふと思い至って上目遣いに軽く首を振った。

途端にオナリ神達は瞳を輝かせ、顔を見合わせて唇に人差し指をたてる。

そうして笑い合うと、残りの距離をふわふわと忍び足で紫苑の元に辿りついた。

 目顔(めがお)で尋ねてくる2つの顔に(うなず)いて、紫苑はそっと閉じていた指を開く。


「ぅわぁ、綺麗だね、紫苑」

「綺麗で、不思議だね」

 一心に見詰めるオナリ神の黒曜(こくよう)の瞳には、藍味がかった硝子珠(ガラスだま)の様な物がいくつも映り込んでいる。紫苑の(てのひら)に転がるそれは、花豆くらいのものもあれば、(つゆ)(だま)程しかないものもある。澄んでいるの、曇っているの。形に至ってはひとつとして同じものは無い。


 紫苑(しおん)は、静かに語り始める。

「これは雨夢(あまゆめ)(たま)という。・・・約束だった、前の(さく)にお前達を置いて行った代償だ」

「アマユメ・・・?」

「アマユメノ、タマ・・・」

 目前の珠にすっかり魅入(みい)られてしまっているオナリ神達に紫苑は柔らかい微笑を浮かべ、わざとらしくため息を()いた。

「これを拾い歩くのに、昨夜は雨の中を遠く(うつつ)(きわ)まで散歩した」

「だって、今度こそ現に連れてってくれるって言ったのに嘘つくんだもん紫苑。

 (りん)すっごく楽しみにしてたのにさ」

(めい)も苺も。ね、だから紫苑っ」

「そう急くな。別に、勿体(もったい)ぶっているのではない。ただ時を待っているだけだ。

・・・あぁ、そろそろこの藤色の珠が(かえ)る――」

 紫苑の声に、藤色に光っていた珠が震えて()ぜ、(あふ)れ出た感情と感覚の波が(もや)の様な形を取ってオナリ神達を包んだ。


雨の向こうを(のぞ)くように瞳を揺らして、オナリ神達はゆらゆらとした浮遊感に身を任せる。


始めに感覚を刺激したのは、暖かい空気。

 

 …そして、静かで強い瞳の力。

 

◆◆◆


――幻想


 さらさらと

 空気が耳をくすぐる


 水溜りの波紋

 傘の振動

 刹那(せつな)のリズムが身に迫る


 流されて

 薄紅(うすべに)欠片(かけら)が降り注ぐ

 

 細雪(ささめゆき)は激しさを秘め(ささや)


◆◆◆


 ふいに景色とオナリ神達との間に細雪(ささめゆき)が降り込んで、世界が(へだ)てられた。


 オナリ神達がほぅっと息を吐いたのを見て、紫苑(しおん)は2人の顔を(のぞ)き込んだ。

「小さな珠しか拾って来られなかったからな。あまり長くは見ていられないだろう。

だがそれでもお前達には少し強かったか?」

「! ううん!」「ね、次は? 紫苑」

 はっとして言い返すオナリ神達に紫苑は苦笑した。

 その手の中で、紺碧(こんぺき)の珠が弾けて世界を埋める。


さっきとは違って圧倒的な香りがオナリ神達を力強く幻の世界へと引き入れた。


◆◆◆


 ――想起


 (しお)(かお)

 雨が薫る


 溶けあって

 そう いっそ

 解けあってしまったら…


 潮の香り

 雨が薫る

 

◆◆◆


 ゆらゆら、ゆらゆらと紫苑(しおん)は次々と孵る雨夢をオナリ神の求めるままに示し続けた。

――萌黄(もえぎ)色、(あい)(じろ)(はい)(あお)瑠璃(るり)(こん)

 そして最後に紫苑(しおん)の手の中で(かえ)ったのは、最も大きな(うめ)(むらさき)(たま)だった。


◆◆◆

  

  ――観想(かんそう)

 

  ふわふわと

  風が空気を揺らす

 

  ほかほかと

  暖かさが肩に触れた

  (うかが)うと

  (おぼろ)げな虹がひとすじ

  霧雨(きりさめ)と夕陽に(はぐく)まれ

  今度は()から()みて(ひろ)がる

 

  ほんの少し

  はにかんで

  また 快い眠りに身を任せる

 

  白い月がいろづく時間

 

 ◆◆◆

 

 全ての雨夢(あまゆめ)余韻(よいん)が消えるのを待ってから、紫苑(しおん)は手に残った(たま)欠片(かけら)をそっと握り込んだ。息を吹きかけて風に乗せてやると、欠片は自然に戸外へ飛び去ってゆく。

 

「…どうだ? (りん)(めい)。面白かったか?」

「うん…」

「うん…、面白かった!」

 双子の満足そうな顔に、思わず(まぶ)しげに目を細めながら、紫苑はくしゃくしゃと2人の頭を()でた。

「これで(さく)の夜の代償は払ったぞ。」


 と、不意に凛が口を開いた。

「紫苑。雨夢の珠ってどうやって拾うの?」

「うん? …そうだな。

雨夢の珠は、(うつつ)(あふ)れ出した人の心が、たまさか雨に溶けて(こご)ったもの。

雨の夜にこの(かみ)()と現の(きわ)へ行くと、まだ(かえ)る前の雨夢の珠を拾うことはできるだろうな。・・・ただ」


 ふと一心に聞き入っているオナリ神達の顔を見て、紫苑は突然くすくすと笑い出した。

「それを暖めて孵すには、強い力が必要だ。

孵った雨夢を見ただけでそんなにくたびれている様では、お前達にはまだ孵せまい」

 双子はうっすらとくまを作っている眼の辺りを(あわ)ててごしごしとこすった。


「また見ようと言っても、それは難しい事だろうな。

俺とてこんなに疲れる事をただでしてやるほど優しくは無いぞ?

夜も夜中に起き出して、現の際へ行き。

 …珠を拾い集めては神力(しんりき)を分け与えて…」


 と、紫苑はその紫暗(しあん)の瞳を揺らして長く息を吐くと、脱力して眠る様に目を閉じた。


「え…」「紫苑…?」

 そうして片目を開き、覗き込むオナリ神達の心配そうな顔を見遣(みや)り言う。


「だが、そうだな。方法が無くもない」

 紫苑はまるで()(ごと)でも(ささや)くかのように、続けた。


「簡単だ。次の(さく)に雨が降る事を望めばいい。

俺は朔には決まって務めを果たしに現へ降りる。

その留守(●●)に、お前達は俺を待ち伏せるついで、こっそり雨夢の珠を拾う。

…要は俺を追い込む事だ。――さぁ、どうする?」


 少しして、紫苑の言葉の意味を理解したオナリ神達の頭に両天秤(りょうてんびん)が浮び、その途端、

顔が真っ赤に上気(じょうき)する。

 ――珠を拾うならば、現については行けない。

 

 だが、現へは、どうしても行ってみたい。

 現で紫苑に拾われた姉妹だったが、幼さ故に、(おぼろ)げにさえ世界を覚えてはいなかった。

「〜〜〜〜〜〜〜闘鬼神(オニ)!」


 呼ばれた刹那(せつな)、瞳に(よぎ)ったもの振り払い、紫苑は片目をつぶる。


「いかにも」


 いつか姉妹も自分たちの力で立てる日が来る。

 そのために神力(しんりき)(みが)くにしても、この法はよい遊戯(あそび)ともなるだろう。

 

 ――…いつか、彼女たちを()るべき世に(かえ)してやれるといい。

 

 修法(しゅほう)(つら)く苦しいものでなければならない、などとは思わない。

 いつか来る、別離(わかれ)の日のために。それまでに持たせてやれるものは、やれるだけ。

 …それは、形こそ違えど、かつて師が己に与えてくれたもの。

 

 戦も…、死さえも存在しない(かみ)()で、(うつつ)秩序(ちつじょ)を乱す(やから)殺戮(さつりく)する事を許された唯一の部隊があった。その中にあって、傑出(けっしゅつ)した神力(しんりき)(ふる)い、常に先鋒(せんぽう)を担ったその男を見分ける(すべ)は、紫暗(しあん)の瞳と漆黒(しっこく)の髪。師を(しの)ぐ者と(もく)され、“鬼の醜草(シオン)”という畏怖(いふ)を名とする彼は、笑うことなどないのだ。…とは、もっぱらの(うわさ)である。

 

 ――その日、神世の片隅で、オナリ神達の怒声(どせい)と紫苑の笑い声が波紋した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ