立科伊央①
<1日目>9:00
己の不幸を自覚するのはこれで何度目だろうか。
立科伊央は窓が塞がれたバスに揺られながら
これまでの人生を思い返す。
自分の知らないうちにこのアルバイトに申し込まれていたことに
気づいたのは一昨日の夕方だった。
誰がやったのかは心当たりがある。
母だ。
幼少の頃から過保護だったが高校を中退してからはさらに
エスカレートしていた。
それが伊央自身の人格形成にも大いに影響を与えることになり、
当の本人が何よりも疎ましがっていることなど微塵にも思っていないだろう。
恐らく家にばかりいる娘を自立させるつもりで勝手に申し込んだのだろうが
それにしたってなぜこんな怪しい仕事に申し込んだのだろうか。
飲食業だと娘が人と接することができるか不安だからか?
軽作業だと娘が怪我しないか心配だからか?
それ以外の仕事はそもそも勤まるかわからないからか?
判断基準がまるでわからなかった。
16年共に過ごしてきた肉親だが伊央は母が何を考えているのか
理解不能だった。
もしかしたら引きこもりはゲームばかりやっている、という
ステレオタイプな情報を仕入れてゲームの仕事なら娘も楽しんでできる
といった下らない短絡的な配慮だろうか。
思えばこの母から生まれたのが不幸の始まりだったのかもしれない。
父は伊央が小さい頃に電車の脱線事故に巻き込まれて死に、
祖父母は父を追うように道路に突っ込んできた車に轢かれて死んだのが
次に訪れたわかりやすい不幸だった。
そんなことがあって伊央は大事に育てられてきた。
せめて娘だけは無事に生きてほしいといった願いもあったのだろう。
しかし不幸は止まらない。
ささやかな自慢ではあるが立科伊央は駄菓子やアイスで
アタリが出た試しがない。
おみくじもまるで運命づけられているかのように
大凶、凶、末吉しか引いたことがない。
末吉を引いたことがあるだけマシなのかもしれないが
そんなものは何の慰めにもならない。
財布がなくなり、新しく買った服は車に泥を引っかけられ、
何かを注文すれば高確率で間違ったものが届き、
中学高校ではとても不愉快なことが起きた。
これを不幸と言わず何と言うのか。
今回のアルバイトも時給6000円と高額で、
参加した人間は幸運に見舞われたと勘違いをしそうになるが
立科伊央は間違ってもそれが幸運だとは思わない。
うまい話などない。
それは立科伊央がこれまでの短い人生で学んだ
2つの重要な教訓のうちの1つだった。
ならばあとはその不幸の中でうまく立ち回ればいいだけである。
はじめから不幸であることがわかっているのなら不幸なりに
上手な立ち回り方というのもあるものだ。
これがもう一つの教訓。
それを学び、本質を理解しているからこそ今の今まで
立科伊央は生存することができたのだった。
それから間もなくしてバスは目的地に辿り着き、停車した。
さあ、今日も頑張って生き延びよう。