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運無き者たちのデス・ゲーム  作者: 鍵和紙宗太
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竹内直樹②

<1日目>8:30


 自分は運がいい。


 まったくもって唐突だが竹内直樹は

生まれ持っての強運の持ち主だった。


 細かいことで言えば小さい頃はアイスのアタリ棒が頻繁に当たったり、

テストのヤマが良く的中したり、1枚だけ買った宝くじで

1万円当たったりと小さな幸運はそれこそ枚挙にいとまがないほどだった。


 細かくないもので言えば小学生の頃に電車に乗ろうとして

特に理由もなく1台見送ったらその電車が脱線して大惨事を

起こしたこともあり、中学でも青信号になった道路に特に理由もなく

歩みを進めなかったところ、車が突っ込んで来たりと

死に直面するような出来事を『なんとなく』で回避してきた。


 だが幸運とは何だろうか。

 そのときそのときで偶然の関与によって良いことが起きれば

それが幸運だというのはわかるが人間万事塞翁が馬という言葉がある通り、

悪いことが起きても最後に良いことがあればそれもまた幸運であると

されている。

 たとえそこまでの過程が如何に悲惨なものであろうと。


 本当にそうだろうか?


 過程がどうしようもなく悲惨なものであれば

最後の最後に幸運を得たところで果たして

その本人は自分が幸運だ、と思うのだろうか。


 これも良く話題にされるが幸運を量で定義していることもある。


 個人によって幸運の総量が異なり、良いことがあれば

その量が減るというやつで生まれた頃から不幸な人間は

最初から幸運の総量が極端に低いとかも言われてたりする。


 哲学を語るつもりもないし、考えたところで幸運を司る神が現れて答えを

教えてくれるわけでもないので不毛だとは思う。

 だが直樹はバスに乗り込む瞬間に予兆を感じ取った。


 電車の脱線や車の暴走のときに感じたこれから死が訪れることを告げる

あの予兆を。

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