桜
その日、桜は満開を迎えていた。
当然のことながら維心によって空は晴れ渡り、今日は人の世でもかなり桜の下が賑わうだろう。
月の宮では、龍達を迎えるべく、南の庭の桜の下は、毛氈が敷かれ、酒や食べ物が運ばれ、それは大変なことになっていた。
召使い達は総出で大人数に対応出来る場を設えた。桜の下だけでは収まりきれないので、少し桜から外れた場所も、赤い番傘など用意して、これで座る所がないなどということはないだろう。
蒼はホッとして時計を見た。月の宮は人の世から来るものが多いので、こうして人の世の時計を使って時を区切っている。神達の時の区切りも掛かれたこの時計では、あと半時ほどで維心達も到着すると知らせていた。蒼は、翔馬を見た。
「全て準備は整っておるな?酒はどうだ。」
翔馬は膝を付いて頭を下げた。
「はい。全て整いましてございます。」
ふと、その顔を見た蒼は、翔馬の顔色が悪いのを見て取って、言った。
「…どうした?主、顔色が悪いが。」
翔馬はハッとしたように首を振った。
「いえ、大事ございませぬ。お気遣いありがとう存じます。」
蒼は気になったが頷いて、叫んだ。
「宮の門を開けよ!李関、維心様が着かれるぞ!」
軍神達が慌ただしく動き回る中、蒼は玉座に座って待った。瑤姫が頭を下げて入って来る。蒼は微笑んで手を差し伸べると、瑤姫も微笑み返して寄って来て、その手を取った。
「あの戦から、こんな行事は初めてだな、瑤姫。維心様も母さんも、それだけ元気になったってことか。」
瑤姫は微笑んだ。
「はい。私も早くお母様にお会いしとうございます。」
蒼は瑤姫の手を握りしめた。
「瑤姫、母さんの話し相手になってやってくれよ。瑤姫が話してくれたら、母さんも和むと思うから。」
瑤姫は頷いた。
「もちろんでございますわ。私も楽しみに致しておりましたから。」
瑤姫は変わらず美しい。蒼は瑤姫の腕を引いて肩を抱き、頬に口付けた。瑤姫は恥ずかしそうに俯いた。
「まあ、蒼様…皆が揃いますのに。」
「構わない」と言ってから、蒼は笑った。「そうか、オレ、維心様が移って来たんだな。前はこんなことしなかったのに。」
瑤姫はため息を付いた。
「誠にそうですわ。最近の蒼様は、いろいろな面でお兄様に似て参りましてございます。政務もでございまするが…このような所まで。」
蒼は思った。維心様をお手本にと思っていたら、無意識にこうなって来た…もしかして、英雄、色を好むってこういうことなんじゃ。でも、オレも維心様も一人だけしか眼中にないしなあ。
そうこうして居る間に、臣下達がぞろぞろと謁見の間へ入って来た。蒼はまた時計を見た。そろそろだ。
「龍の宮より、王と王妃のご到着でございます!」
先触れの声と共に、謁見の間の戸が開かれた。長い回廊を背に、維心と維月が、たくさんの臣下達を引き連れてそこに立っていた。
今日は公式の訪問であるので、維月も髪を結い上げられ、またあのかんざしを所狭しと刺された上、豪華な打掛をまとっていた。両側に分かれた蒼の臣下達が頭を下げる中、二人はゆっくりと正面の蒼に向かって歩いて来た。
ふと、横に気配を感じてみると、十六夜がいつの間にか立っていた。蒼は、十六夜が、維月を気遣って維心だけに世話を託していたのを知っていた。自分たちの間で取り合って、ストレスを掛けないためだ。その十六夜は維月を気遣わしげに見ていたが、維月がその顔を見て微笑むと、ホッとしたような顔をして微笑み返した。
蒼は言った。
「ようこそ、維心様。母上。今日は公式とは言っても身内ばかり、ゆっくりして行ってください。庭にお席を準備いたしております。」
維心は軽く返礼した。
「この度は急な頼みを聞いてもらって感謝するぞ、蒼よ。我も元より正妃の里、気兼ねなどしておらぬゆえ。気遣いは無用ぞ。」
蒼は微笑んで、傍の臣下に頷き掛け、立ち上がった。
「それでは、ご案内致します。どうぞこちらへ。」
蒼は瑤姫の手を取り、維心と維月を庭へと促した。二人の後ろからは、ぞろぞろと臣下達が長い列を成してついて来ていた。それを見て、蒼は苦笑した。公式の訪問とは、なんと大変なことか。ふと見ると、義心も甲冑を付けずに臣下の列に居た。しかし、維心と同じように腰に刀は挿していた。
「あれは…」
維心は蒼の視線に気付き、ちらりとそちらを振り返って、言った。
「…まだ戦は終結したばかりゆえ。我を狙って来る者も少なくはない。我は己の身は己で守るが、ふいを突かれたら臣下など一溜りのないゆえな。あれは、臣下達を守っておるのよ。」
蒼は少し緊張した。確かに、そうだ。ここには月の宮の結界があるので安全だとは思っているが、もしも内側に間者が居たら…?確かに危ない。
蒼の表情を見た維心がフッと笑った。
「そのように構えなくともよい。あれはまさかの備えであるからな。本当の所、働き詰めの義心に、少し花見で休息をとも思っておるのだ。案ずるでない。」
奥の中央に設えられた一番良い席に、蒼達は腰を下ろした。庭の底は桜エリアで、そこは中央に広間を取り、回りは全て桜であった。
「まあ…!なんて見事なのでしょう。」
維月が袖で口元を押さえて言った。満開の桜は、風に揺れるたびに花びらを散らして、その様は本当に美しかった。
維月は立ち上がって、瑤姫と共にその桜の中を歩いた。桜吹雪の中、二人が楽しそうに話しながらはしゃいでいるのを、こちらで蒼は維心と十六夜と共に座って見ていた。
蒼は、やはり瑤姫は何にも増して美しいと見とれていた。すると、横から維心が言った。
「なんと…やはり我が妃は何より美しいの。」と傍の、月の宮の撮影隊に指図した。「主ら、写真を撮っておるのであろう。あの、我が妃をおさめよ。」
その撮影隊はこちら側のエリア担当であったので、蒼を見た。蒼は、苦笑して言った。
「向こうのエリア担当の者に急ぎ伝えよ。」
相手は頷き、カメラを抱えて走って行った。
「場所で担当して撮っておるのか。」と維心は感心したように言った。「写真は良い。いつまでも眺めていられるゆえの。」
十六夜が横から言った。
「何を言ってるんだ。お前は実物だっていつまでも見てるじゃねぇか。」と維月に視線を戻した。「どうなることかと思ったが…元気になったようでよかった。感謝するぞ、維心。」
維心は首を振った。
「主こそ我に任せてもらえて、感謝しておる。それに、主の力の玉を維月が飲んでおるので、今もしも膜の中へ連れ去られても探せるという救いもあった。そろそろ、力も切れて来る頃。新しい力の玉を飲ませねばならぬの。」
十六夜は頷いた。
「まだ力の玉は気を発してるが、更新は早いに越したことはねぇ。あとでこっちへ戻ったら飲ませるよ。」
ふと見ると、紫月も維月達に合流して桜吹雪を楽しんでいる。桜と戯れる女神達か…と蒼は思った。しかし人の頃に想像していたより、ずっと現実的だった。ほんわかしたような幻想的な感じでもないし、リアルに美しい。見えたら、こんなものなのだろうな、と蒼は思った。
珍しく十六夜も維心に注がれた酒を口にしながら、思い出したように言った。
「…オレはな、あの戦で、本当にお前には敵わねぇと思った。」
維心は、意外であったのだろう、十六夜を見た。
「ほう?力では主のほうが上であるのに。」
十六夜は首を振った。
「力なんか関係ねぇ。お前の王としての覚悟を見たんだ。400年前のお前は、本当に情け容赦のない王だった。お前の背を見て、将維も刀を握った。だがな、オレは駄目だ。殺せねぇんだよ。封じるしかなかった。お前はその、オレが封じた神達を、後から片っ端から斬り捨てた…女子供も関係なかった。お前には、欠片も迷いはなかった。」
維心は黙って杯を空けた。十六夜は続けた。
「だがな、ああでなければ一族なんて守れねぇんだよ。向こうもこっちを滅ぼしに来てるんだ。やらなきゃ、やられる。お前は数々の戦で、それを知ってたんだ。残せばそれがまた、復讐にやって来る。今度こそ、こっちがやられるかもしれねぇ。だから、全て斬り捨てるんだ…何もかも。」
維心はため息をついた。
「そうだ。生き残るのが、また不幸であった時代であった。敗者の女子供は、人でいう奴隷のようなものよ。繋いでおかねば、育った後に何をするかわからぬであろう。そんな生を送るより、死して転生するほうが良い。我はそう思って、刀を振るっておったの。しかし、心地の良いことではないゆえ。我に抗う者が出ぬように、情などとは無縁の政務をしておったのは確かぞ。」
十六夜は、維心を見た。
「お前…本当にすごいと思うぞ。自分を殺すってのはこのことだろうと思った。碧黎が言ってた、地上の王ってのはこのことだろうなってな。」
維心は首を振った。
「…せめてあのような姿、維月に見られなくてよかったと思うておる。我は一個の神としてどうであるのかと考えると、やはり人殺し…いや神殺しであるのには変わりない。王であるから許されるだけのこと。あれにあんな姿を見られたら…おそらく、炎嘉の比でないくらい厭われる。」
維心は暗い表情で視線を落とした。十六夜が何か言おうと顔を上げた時、動作が止まった。維心の背後を見ている。維心は振り返った。
「維心様。」
維月は言った。維心は驚いて桜の方を見た。今は、紫月と瑤姫しか居ない。
「維月…。」
維月は、維心の隣に腰掛けた。十六夜が何かを言おうといたが、維月はそれを制した。
「維心様、私、あの時上空で、膜に包まれて炎嘉様と見ておりました。」
維心は目を見開いた。では、あの様を維月は見たというのか。維心は、視線を逸らした。
「…さぞ、呆れたであろう。我の、容赦のない様子に。」
維月は言った。
「炎嘉様もそのように思ったようでございます。私があの姿を見れば、私の気持ちも変わると。」
維心は眉を寄せた。
「ふん、あれの考えそうなことよ。」
維月は維心の腕を両手で掴んだ。維心はびっくりして維月を見た。
「維心様、私は知っております。人をたくさん殺した後の維心様を…」維心は思った。記憶を見ているからか。「だから、あの時はただ、お傍に参りたかった。あのあとのことを考えると、とてもお一人に出来ないと、炎嘉様に維心様の所へ帰してほしいと頼んだのですわ。でも、帰してもらえなくて…どれほど心配したか。」
維心はただ驚いて、維月を見つめた。あんな姿を目の当たりにしても…我の心配をしておったのか。
「…維心。そいつは頑固なんだよ。オレ達はもう、それを知ってるじゃねぇか。そんなことでどうこう変わるような女じゃねぇよ。お前は心配し過ぎなんでぇ。ちょっとは維月を信用しな。」と手の平を上に向けて、その上に光の玉を出した。「さあ維月、これを飲むんだ。新しいオレの力の玉だぞ。これが腹にあったら、どこに居ても、オレはその力を頼りにお前をすぐ見つけられる。安心だろ?」
維月は微笑んでそれを受け取った。そして、十六夜の差し出した飲み物と共に一気に飲み込む。そして、眉を寄せた。
「やぁね、これお酒じゃない!私、日本酒は苦手なのよ…人の頃、お薬飲むのにお酒でなんて考えられなかったでしょう?」
十六夜は笑った。
「いいじゃぁねぇか。今日は花見なんだからよ。」
「もう!どうしてそうなのかしら、十六夜ったら。」
黙っていた維心は、維月を横から抱きしめた。維月はそちらを見た。
「まあ、維心様?お酒をたくさん召されていらっしゃるの?」
「そうかもしれぬ」と維心は、維月の髪に顔をうずめて上げない。「少し休もうかの。」
そういうと、座っている維月の膝に頭を乗せて、腹のほうに顔をうずめて黙ってしまった。
「あらあら…珍しいこと。めったに短時間でこんなことはないのに。余程慌てて飲まれたのね…」
維月は顔の見えない維心の髪を撫でて言った。十六夜が不機嫌に言う。
「いくら花見だからって、それはどうかと思うぞ。」
維月が笑った。
「まあまあ、こんなこともあるわよ。機嫌直して?」
しかし蒼は、維心が酔ってなどないことを知っていた。自分のどんな姿を見ても、自分を想ってくれている母さんに、嬉しくて仕方がないのだ…目がうるんでいたのを、蒼は確かに見た。だが、維心の気持ちを思って、そっとしておいた。
月の宮の桜の庭は、たくさんの神達の話し声と笑いに溢れていた。




