終焉
炎翔は、崩れ行く宮を見ていた。
兵は全て容赦なく消されて行き、既に多くの王族達は黄泉へと送られた。残ったのは、炎翔と、弟の副王、炎漠だけであった。
ついに、我が一族は滅ぼされるのか…。
炎翔は、滅ぼされる前に龍王に一矢報いたいだけであった。それが叶えられる事はなく、一対一で対すれば刀を降り下ろす間も与えられぬであろうことはわかっていた。
炎翔は、炎漠を見た。
「我は、ここで死ぬ。」炎翔は玉座に座りながら言った。「炎漠、主はどうする?」
炎漠は答えた。
「我は龍王に斬りかかってみとうございます。でなければ、あちらへ行って、皆に示しがつきませぬゆえ。」
ここから、ドーム状に広がる窓が、龍王達がこちらへとすぐそばまで攻め上っているのを見せていた。炎翔は頷いた。
「…行くがよい。また、後ほどの。」
炎漠は膝をついて頭を下げ、思いきったようにそこを出て行った。
窓から、炎漠が飛んで龍王に刀を降り下ろすのが見える。相手はそれをチラリと見やると、事も無げに胴を一太刀にした。
炎漠は、声を上げる間もなく地面へと叩き付けられ、動かなくなった。
炎翔は拳を握りしめた。どうあっても、勝てぬのか。父王の時代、勢力を二分していたあの頃は、ただの幻であったのか。
いよいよ龍が近くなって、炎翔は刀を抜いて立ち上がった。せめて、一太刀でもあれを受けねば。父が我に後をと遺したものが全て失われて行くのは、全て自分の王としての判断の甘さからであった。そしていつまでも、父を頼っていたせいであった…父は転生し、龍となっていたのに。もう、あれは父ではないのだ。
「…覚悟したのか、炎翔よ。」
その声に、炎翔はまさかと振り返った。そこには、父が立っていた。
「父上…」炎翔は、涙ぐみそうになるのを必死で抑えた。「我は、一族の誇りを守れませなんだ。」
父は首を振った。
「いいや。立派に守ったであろう。主はよう辛抱した。炎覚を斬り、婚約を反古にされ…堪え切れなんだものわかる。」と、炎翔に歩み寄った。「だがの、あれは全て世の安泰のため。二つの勢力が並び立つことは、火種を抱えているのと同じ。維心はそれを避けようとしたのよ。今、神の中で最も力を持つのは龍だ。それゆえ、それを束ねる維心は、絶対的な力を持たねばならなかった。我が亡き後、あれに並ぶ力を持つ者もおらなんだしの。もし、我が残って維心が先に逝っておったなら、おそらく我は同じことをしておったであろうよ。」
炎翔は、間近に迫った維心を見た。鳥の将達は、最後に残ったこの王の間を守ろうと、必死に維心に対している。そしてまた、父を見た。
「…父上、我は龍王に斬られるのでなく、父上に送って頂きたい。同じ龍であるのなら、鳥への引導は、父上が渡してください。」
炎嘉は、驚く風でもなく、頷いた。
「元よりそのつもりだ。だからここへ来た。これは定めだとわかっては居ても、他の者に滅しられるのは、我も嫌であったのでな。」
炎翔は目に涙を溜めた。
「安堵し申した。」炎翔は刀を鞘へ収めた。「では、我はあちらで、また父上が来られるのを待ちましょうぞ。」
炎嘉は頷いて、刀を振り上げた。
倒れた炎翔の目から、涙が零れ落ちた。
維心が鳥の将達を始末して王の間へ踏み込んだ時、炎翔が床に倒れ、人影がこちらに背を向けて立っていた。手には抜き身の刀を持っている。そして、それからはまだ血が滴っていた。
「…炎嘉か。」
維心が声を掛けると、炎嘉はゆっくりと振り返った。
「維心」炎嘉は暗い瞳を維心に向けた。「これで、文句はなかろう。鳥は滅んだ。我が子は己で送ってやりたかったのよ。」
維心は険しい顔で首を振った。
「維月は?」と炎嘉に一歩踏み出した。「維月はどこにいるのだ?!」
炎嘉は刀を振って血を拭うと、鞘へ戻した。
「あれは返すつもりはない。欲しくば、己で探せ。」
「何を…!」
維心は、頭に衝撃を感じた。何かの記憶がどっと戻って来る…そうか、炎翔がこの術を掛けたと言っていた。炎翔が死んだので、術が解けるのだ!
「く…っ、」
こんな時に。維心は頭を抱えた。炎嘉は維心を見降ろした。
「術が解けるのよ。しばらくは動けまい…400年分の記憶が主を襲うであろう。」と手を軽く上げた。「ではな。」
「待て、炎嘉…!維月を…!」
炎嘉はその場から消えた。龍の軍神達が王を取り囲む。
「王!」
維心は、混濁してくる意識の中で、必死に命じた。
「このまま虎の宮へ攻め入るのだ!全て滅しよ!炎嘉を…」維心は膝を付いて倒れた。「炎嘉を追え…!敗残兵を皆殺しにせよ…!」
龍達は直ちに四方へ飛び、維心は意識を失った。
維月は、ここがどこなのかわからなかった。
あれから幾日経ったのだろうか。一つ分かるのは、ここは海の傍で、自分は相変わらず膜の中に捕えられているということだけだった。
あの日、あの森の房へ戻って来た炎嘉は、返り血を浴び、一言、炎翔を殺したと呟いた。
そのまま維月を抱き締めて、炎嘉は朝まで離してはくれなかった。
その後、自分が眠ってしまっている間に、気が付けばここに連れて来られていた。炎嘉は、戦のことは何も話してはくれなかった。維心がどうしているのかも、十六夜がどうしているのかも維月には全くわからなかった。
維月が窓辺でじっと海を眺めていると、炎嘉が言った。
「…我を恨んでおるだろうの。」維月はハッとして振り返った。「だが、我はもう、何も失いたくはなかった。我の手の中にある主を、なぜにわざわざまた、顔も見ることが出来ぬ所へ帰さねばならぬのかと思うてしもうての。…心配せずとも、維心は術が解けて、記憶を取り戻した。鳥も虎も完全に滅ぼされ…今は龍の軍神達が敗残兵を探しては討っておる。」
維月はもっと聞きたかった。今神の世がどうなっているのか、全くわからない。
「それでは…今は戦は終わっているのでごさいますね。」
炎嘉は頷いた。
「あの夜のうちにな。維心は術が解けて気を失う前に、虎の制圧も命じておった。次の日には全て終わっておったわ。今は、崩れた二つの宮の片付けと、戦で亡くなった鳥や虎達の弔いをしておったの。やつはそういう所は…きっちりとしているゆえ。」と維月に歩み寄った。「もう、龍に逆らおうなどという奴は居らぬ。あれだけの神を、たった一晩で滅ぼしたのだ。誰も勝てるはずはない…それに、従っておれば守ってくれる。もう神世は、安泰であるな…。」
維月は炎嘉に肩を抱かれ、身を固くした。例え神世が略奪社会であったとしても、私はそれには従えない…私が愛して、共にと望んでいるのは維心様と十六夜。炎嘉様は嫌いではないけれど、これは愛ではない…。例え毎日のようにこの身を奪われようとも、心は、変わらない。人の頃、同じことを経験している。愛していた月…。愛はないが、人柄が好きだった人の夫…。だから、私は耐えられる。
炎嘉は維月が横を向いたのを、自分の方へ顎を持って向かせ、唇を重ねた。例え、今は想ってくれなくとも良い。ただ、傍に置きたい…。
炎嘉はそう思いながら維月を抱き寄せ、潮騒を聞いていた。
龍の宮は、安泰どころか大混乱を呈していた。
正妃が居ないー。維心が夜も昼も無く、ただ維月を探すからだ。本当は将維も探しに出たかったが、戦の後の王の責務はかなり多い。それを将維まで宮に不在となると、誰も処理をする者が居ないからだ。
父は、帰って来てもすぐに出て行ってしまう。母を思うと、じっとしていられないらしい。十六夜も月に戻り、必死であの広い視野で探しているようだが、母の居場所はようとして知れなかった。
あれから三週間が経とうとしている。父は、全く眠っていなかった。領嘉から習った膜の術を破る仙術で、しらみつぶしに探っている父は、明らかにやつれていた。
「将維様」呼ぶ声に、将維は振り返った。洪が立っていた。「たくさんの責務、大変なことと存じまするが、妃にお迎えになられると申された華鈴様のお部屋が、まだ仮のままになっておりまして…。」
将維は忘れていたと思った。あの時、記憶のない父から華鈴を守るには、ああ言うよりなかった。だからと言って、放って置く訳にもいかぬ。将維は頷いて、立ち上がった。
「忘れておったわ。我の対の東に、確か空き部屋があったの。そこではどうか。」
洪は困ったような顔をした。
「ですが将維様のお部屋からかなり離れてございまする。だいたい、妃は先に迎えられたかたより手前から並べてお部屋を与えられるものでございまするぞ。」
将維は顔をしかめた。
「我はそう何人も妃を娶るつもりはないゆえ。後は正妃ぐらいであろう。良い。そこにせよ。」
洪は仕方なく頷いた。
「では、そのように。それから、これから一度お目通りを。傍に付く侍女も決まりましてございます。ここへ戻られてから、まだ一度もお会いになっておらぬのでしょう。」
将維は面倒なことを抱えたなと思ったが、仕方なく頷いた。我らはあれの一族を滅ぼしたのだ。顔ぐら見に行ってやらねばならぬ。
将維は、洪について自分の対へ戻った。
そこは、維心が皇子の頃に使っていた、宮の南の対であった。広く、いわば小さな宮のような作りになっていて、他の皇子達が、本宮に部屋をいくつか与えられているだけなのに比べると、将維は王位継承者として遇されているのがわかる。
将維が洪に促されるまま、仮に与えられているという北の部屋へ、足を踏み入れた。ここは、本来なら将維の友などが来た際に泊める場所になる部屋であった。
華鈴が、将維が入って来たのを見て慌てて頭を下げた。侍女達が後ろに下がって頭を下げる。洪が言った。
「では華鈴様、将維様より、東のお部屋を賜りましたので、急ぎ準備させまして後ほどご案内致します。」
華鈴は軽く頷いた。それを見た洪は、将維を見た。
「では、我はお部屋のほうを侍女達に申し付けて参りますので。」
将維が頷くと、洪は満足げに出て行った。
将維は困ったが、仕方なく華鈴を促して椅子に座るように言った。
「…主にしても、不本意であろうが」将維は自分も椅子に座るなり、言った。「あの時の父上は、ああでも言わねば主を消しておった。龍ばかりの宮で窮屈であろうが、辛抱してもらいたい。」
華鈴は、首を振った。
「戦は仕方のないものでございます。我は元より王族であったので、覚悟はあり申した。でも、将維様に救って頂きました命、精一杯尽くしてまいるつもりでございます。」
将維は驚いて華鈴を見た。気は落ち着いている。本当に恨んではいないらしい。…確かに、戦になれば殺すか殺されるか。こちらにも少数だが死んだ龍がいる。その結果がこうなのだから、仕方がないと言い切れる華鈴が、思ったより気の強い女なのだと将維は思った。
「まあ、無理はせずともよいゆえに。我も忙しい身であるから、そうそうこちらへも参れぬであろうしの。それに、正式に妃に迎えるのはもっと先になるかと思う。それまでは安らかに過ごせば良い。」
華鈴は頷いて、将維を見た。
「…お疲れのご様子でございまする。お務めはお忙しいのでしょうか?」
将維はため息をついて椅子に持たれた。
「母の行方がまだわからぬ。父が探しに出て参って帰って来ぬので、我が全て引き受けねばならぬ。」
華鈴は、眉を寄せた。
「あの…お優しそうな王妃様でございまするね。」と華鈴は首を傾げた。「宮で…確か膜の中へ篭められておったような気がいたしまするが、宮が堕ちたとき、見つからなかったのでございまするか?」
将維は頷いた。
「そうか、主は母を見たのだな。」と、少しでも手がかりをと思い、言った。「様子はどうであったのか?」
華鈴は考え込んだ。思い出そうと眉を寄せている。
「我はそうそう近寄らせてもらえませなんだが…確か、お兄様が妃に迎える申されたら、父上が我が迎えると言って…それで、父上のお部屋へ連れて参られましたの。膜の中でございましたが、我は父上の気が読めるので…。」
将維は驚いて、華鈴を見た。
「炎嘉殿の気が読める?」
華鈴は頷いた。
「はい。鳥族には鳥族同士の周波数のようなものがありまして。父上は転生なさせて龍におなりでしたが、我は娘であるし、その気を読むのは難しくございませんでしたの。」
将維は立ち上がった。
「華鈴、我に付いて参れ。父上に会いに参る!」
将維は父に念を送った。
《父上!華鈴が炎華殿の気を読みとれまする!すぐにお戻りを!》