賊
領嘉は、十六夜と共に、自分が修行した場である、断崖の上に立つ、彎の房へと飛んでいた。
ここは十六夜も通ったことがある所だと言っていて、それは領嘉には意外だった。彎は意外にも、社交的だったのだろうか。
今回の龍の王の記憶喪失は、記憶を仙術で封じたものであるらしい。それならば、それを解く方法があるはずなのだ。
領嘉が知る限りでは、掛けた術者が死んだ時点で解けるということは知っていた。しかし、誰が術を掛けたのかわからない今、それを解こうとしたら、反対の術を見つけてその術を打ち消すしかない。
記憶を埋め込む術は知っていたが、その術ではどうも無理なようだった。
「だが、お前も知らない術が、果たしてあるのか?」
十六夜が領嘉に言った。領嘉は頷いた。
「もちろん、たくさんあります。全てを覚えるのはなかなか難しいことなのです…それこそ、先人が残した、無数の術があるのですから。ただ…基本は、術を掛けた本人に解かせるか、または本人すらも解けない術もあります。そんな術を解こうと思ったら、本人を殺すしかないのです。」
十六夜は驚いた。
「自分でも解けないような術を掛けるってか」と首を振った。「バカじゃねぇのか。仙人ってのは、さすが元人だな。殺されちまったら、元も子もないのによ。」
領嘉は苦笑した。
「…そこが浅はかというか、知らないで掛けてしまう者もたくさんいると聞きます。新しい術を見つけると、それを試すのに夢中で、解くことを考えずにとりあえず何かに掛けてしまうとか…やはり、それは元人の浅はかさですかね。しかし、今回は神が掛けているのでしょう。人も神も、愚かな者はやはり愚かなのですよ。」
領嘉が覚えのある房の中を懐かしく歩き抜けると、慣れた様子で階下の書庫へ降りて行った。ここに、たくさんの仙術を描いた巻物がおさめられており、彎が亡くなったと聞いた時には、貴重な書物をすたれさせてはいけないと、領嘉もいくつか持ち出していた。しかし、まだ残っていたはず。
領嘉は目の前に広がる巻物の山を想像してそこに降り立って、呆然とした。そこには、何も残っていなかったのだ。
「…ふん、わかりやすいじゃねぇか。」十六夜が言った。「間違いねぇ。誰かがここの巻物をそっくり持ち出しやがったんだ。領嘉、お前が持ち出したのはどれぐらいだ?」
領嘉はショックから立ち直りながら言った。
「…おそらく、全体の三分の一ぐらいでした。それでもかなりの量でございましたので。」
十六夜は頷いた。
「じゃあ残った中に、記憶を封じるような仙術もあったってことだな。」
領嘉はまた頷いた。
「はい。私は自分が知っている術のものは、持って行きませんでしたので。気を遮断する膜も…おそらくはあったはず。」
十六夜は頭を抱えた。
「また厄介な術だな!他にあるのか。」
「初歩の辺りですのでね」領嘉は考えた。「吸い込む花もそうです。あれで他の場所にさらうことが出来る。花でなくても良いのです。他の人型とか…」
十六夜は焦った。
「それは…オレの姿でもってことだな。」
領嘉は怪訝そうに頷いた。
「ええ。でもどうして?」
「維月だ」十六夜は言った。「オレや維心の人型なら、寄ってっちまう。紫月だって、お前の人型なら寄ってくだろうが。」
領嘉は十六夜が何を言いたいのかわかった。
「つまり、簡単にさらわれてしまうってことですよね。」
十六夜は頷いた。
「今度の相手は油断ならねぇ。どうしたものか…特に気を遮断する膜は困ったもんだ。」
領嘉はあっさり言った。
「ああ、あれは破る方法があるんですよ。」
十六夜は手を振った。
「オレだってあんなもん、教えられなくても破れるよ。」
領嘉は首を振った。
「違います。遠くに居て気を探れない時でも、そこに膜があるのかどうか確かめる術あるんです。遠隔操作で破ることが出来る…そこに行って物理的に破壊するより、よっぽど効率的です。」
十六夜は激しく食いついた。
「お前、なんでそれ早く言わねぇんだよ!来い!帰ってそれをオレに教えろ!」
領嘉は十六夜に引っ張られて、仕方なく帰って行った。
月の宮では、蒼が十六夜を待ち構えていた。
「十六夜!遅かったな。領嘉、すぐに龍の宮へ行ってくれ!」
領嘉はびっくりした。
「ええ?!龍王は記憶を失われているんでしょう。」
蒼は首を振った。
「400年前までの記憶はあるんだよ。維心様は術の向きとかを読まれて、鳥と虎が関わっていると言われている。仙術が使われているのも感じ取られた。それで、急ぎ領嘉に来てもらいたいと、将維から言って来たんだ。」
領嘉は頷いたが、十六夜が不満げに言った。
「今からオレが仙術教えてもらおうと思ってたのによ。」と領嘉を見た。「オレも行く。」
蒼はため息を付いた。
「じゃあオレは残る。どっちかがここに残らなきゃいけないだろう。しっかり話して来てくれよ、十六夜。」
十六夜は頷いて、帰って来たばかりなのに、また領嘉と共に龍の宮に向けて飛び立って行った。なんだか、胸騒ぎがする…さっき、領嘉にあんな話を聞いたせいだ。
十六夜は領嘉をせっついて、飛べるだけ早く飛んだ。
日が暮れつつある。
維月は、居間から庭の方の空を眺め、十六夜と領嘉が到着しないか気忙しげに見ていた。
維心がその後ろ姿に言う。
「…主は、月を愛しておるのか。」
維月はびっくりして振り返った。記憶のあった維心は、決して聞かなかったことだ。なぜなら、心をつないで知っていたからだった。維月は、頷いた。
「維心様…私の記憶をご覧になって、ご存知でいらっしゃいますでしょう。十六夜とは、幼い頃から共にありました。ですので、維心様をとても愛しておりますが、十六夜が心から消える事はありません。」と、維心の目を見た。「申し訳ございません…。」
維心は首を振った。
「良い。知っていて主を求めたのが我であったのだ。その記憶は無いが、見たのでどう判断したのかは知っておる。おそらく…今の我でも同じように判断したであろう。」と、維月の手を取った。「今の我ですらこのように主を愛しておるのだ。まして記憶のあった我は、どれ程に愛しておったのか。主は記憶のない今の我にとって、まだ二日前に会ったばかりの感覚であるのよ。なのに、これほどまでに執着する気持ちを抑えられぬ。30年以上を共にしていたのだから、想像も出来ぬ想いであったはず。維月…これからも我と共に。例え記憶が戻らずとも、我と共に居てくれ。愛しておるのだ。」
維月は涙ぐんだ。
「はい。死するも共にとお約束した仲でございます。維心様が寿命を終えられる時、私の月の命を切り離して頂くお約束。ずっと共に居りまする。愛しておりますから。」
維心は驚いた。そんな約束をしていたのか。不死の身でありながら、我について参ると…。
「おお維月」維心は維月を抱き寄せた。「知らなかった。そのようなことすら、我は忘れておるのだな。必ず、記憶は取り戻そうぞ。永久に共に居る約束、必ず思い出そうぞ。」
維月はその胸の、変わらぬ暖かさに安堵して、しばらくそうしていた。維心様は記憶を失っても私を愛してくださる…。
ふと、維心が何かに反応したのが見えた。維月はその視線の先の、庭を見た。
十六夜が、庭に立ってこちらを見ている。きっと、維心と維月がこんな風に抱き合って立っていたので、入れずにいるのだろう。維月は、そちらへ戸口を開けて話し掛けた。
「十六夜…ごめんなさい。もう着いてたなんて気付かなくて…。」
十六夜は、じっと黙って無表情にこちらを見ている。維月は維心と目を合わせた。自分が来るとわかっていながらこんな風にしていたので、怒ったのかもしれない。
維月は苦笑して、十六夜に歩み寄った。
「十六夜…?怒ってるの?」
維月はハッとした。なんだろう、気が感じられない。十六夜には、暖かい気があったのに…。
「維月!」聞き慣れた声が頭上から降って来た。「離れろ!」
維心が居間から飛び出したのが見えた。維月は声の方に顔を向けて、そこに十六夜と領嘉を見た…腕を何かに掴まれた感覚と共に、後は真っ暗で何もわからなかった。