それぞれの世の女2
維月は、新年の行事が終わってすぐに、月の宮へ帰る許可を維心に求めた。このまま放っておくわけにはいかない。そもそもなんとかうまく行っていた蒼と瑶姫がこんな風になったのは、華鈴をあちらへ娶らせた自分の非でもあると維月は思ったからだ。
維心は渋った。
「維月…主が気にすることではない。あれは間違いなく瑶姫の非であるゆえに。」
維月は首を振った。
「維心様、でも、両方の世を知っておるのは私でございますわ。話だけでも、早々に聞いてやらねばなりませぬ。」
維心は眉を寄せた。
「維月よ…主はわかっておらぬのよ。人の世の女というのはの、いくら早くに嫁いでも、ある程度は親元を離れて生活をする。仮に働かなくとも、学習に学校とやらに一人で通うであろうが。一人で考えて行動することを学び、己で判断することを学ぶ。友も親から与えられるのではなく己で見付ける。」
維月は頷いた。それはそうだけれど。
「神の世の王族はの、ずっと宮で侍女達にかしずかれて過ごす。何も己ですることはない。決めるのは着物の柄くらいのものよ。友も親を訪ねて来た王が連れて来た子達だ。そうして育つので、親の与えた知識しかない。己で学ぼうともしない。我が子達は主が育てたので、誰もが、紫月ですら自律した考えであるがの。ゆえに、己で生きて行く術など何も知らぬ。誰かに守られかしずかれなければ、生きて行くことは敵わぬのだ。考えることがまず出来ぬからの。王族の女で主のような者は稀であるのだ。」維心はため息を付いた。「…であるので、己の命を守り、安穏な生活を約束しておる王の言うことは、己の意思など関係なく聞くことが大前提であるのよ。それ以外、なんの役にも立っておらぬのだからの。炎嘉も言うておったであろうが。子を育てるは乳母、身の回りの世話は侍女、妃がしておるのは王を癒すことのみ。それすら出来ぬのに、守る意味などないであろう。」
維月は食い下がった。
「ですが維心様、それは愛のない結婚でありましょう?蒼と瑤姫の間には、愛情が確かにありました。ですから蒼も、瑤姫が気の進まぬ時は無理強いすることもなく、それでも大切にして参ったのでありますから…。」
維心は困ったようにため息を付くと、維月に手を差し出した。こちらへ来いということだ。維月はその手を取って、横に座った。
「維月…主の気持ちはわかるぞ。人であったゆえの。だがな、神の世では違う。普通の神ならまた違うが、王の妃であるのだからな。人の女は、それはたくさんのことを、家でこなしておると聞く。食事を作り、子を育て、着物を洗い、家を片付け、その上外へ稼ぎに参っておるものまでおるというではないか。そのうえ夫のことまで全て癒していたら、それは身がもたぬであろうから、瑤姫のような振る舞いも仕方がないと言えるのだがな。主はそれをやっておった時期があったのだから、わかるであろう?神の妃は退屈だと、この宮に来てからも、子は育てるわ、我のする宮の行事の用意も主がしておるわ、我は楽になって良いがの、主を求めるのを、少し気が引けることもあったわ。ゆえに、よく仕えてくれておると申すのよ。」
維月は顔をしかめた。そう言われてしまうと、どうしようもない。確かに、人の女に比べると、王の妃はとても楽だ。なんでも侍女がやってくれるし、自分が疲れているなら任せれば済むので、仕事をさせてもらっている自分ですら、なんて楽なのかしらと思う…。それなのに、王妃様それは私がいたしますので王のお側にと、日に何度言われることか。維心様の傍に座っているだけだったら、何のために自分が居るのかわからないと思ってしまうのが、人であった自分の考えなのだけど…ああ、なんだかわからなくなって来たわ。
「維心様…私は維心様の正妃であるので、瑤姫は妹でありまする。蒼の妃であるので娘でもあります。どちらにしろお話しをさせてくださいませ。」
維心は眉をひそめて維月を抱き寄せた。
「……。」
維月は、困った。維心は、瑤姫うんぬんより、月の宮へ自分を帰したくないのだ。だが、こちらへ瑤姫を帰さないと言った手前、呼ぶ訳にも行かない。なので、黙ったのだ。どうしよう…。
「維、維心様…。」
維心は固く抱き締めた腕に力を入れた。これ以上は、怒らせてしまう。
維月は考えた。どうにかして月の宮へ帰って、瑤姫に会うことは出来ないか…。十六夜に頼めば簡単なのはわかっているが、維心に許しを得ないまま、こちらを出て行くつもりはないし…。
維月は、間近に見える維心の頬に口付けて、身を摺り寄せた。維心は驚いたような顔をしたが、黙っている。維月はさらに維心の首に腕を回すと、唇を寄せた。維心は戸惑い、何かあると思いながらも維月を拒むという考え方がやっぱり無いので、その唇を受けた。しばらくずっとそうやって口付けていると、維心は維月を抱き締めて言った。
「維月…奥の間へ参ろうぞ。」
維月は身をすり寄せたまま頷いた。維心は満足げに頷くと抱き上げて立ち上がった。歩きながら更に維心が唇を寄せると、維月は言った。
「維心様…お願いがございまする。」
維心はピタリと止まると、眉を寄せた。
「…里帰りはさせぬ。」
維月は抱き上げられた状態で維心に頬を摺り寄せた。
「ですから…私をお連れくださいませ、維心様。一人で参るのは、私も心もとないのでございます…。」
維心は黙った。今度の沈黙は、迷っているような沈黙だ。維月はもう一息だと、袖で口元を押さえた。
「…やはり、お忙しいので、私などに構っては頂けませぬのですね…。」
悲しげに横を向いて目を伏せると、維心は気遣わしげに維月を見て、奥の間の寝台へ降ろした。
「そのようなことはないぞ。我はいつなり、主の為に時間を取っておるではないか。」
「……。」
維月は寝台に横になったまま、袖で口元を押さえて横を向いて目を伏せたまま黙った。維心はその手を除けて、維月に寄り添った。
「維月…」維心は困ったように維月の顎をこちらへ向けた。「我はこんなに主を想っておるではないか…そのような顔をするでない…。」
維月は悲しげな目で維心を見た。維心は困って、言った。
「…わかった、我が連れて行ってやるゆえに。」維心は維月の頬を両手で包んだ。「明日、参ろうほどに。のう、我と共に参ろうぞ。」
維月は頷いて微笑んで、維心の首に手を回した。維心はホッとしたように上から維月に身を預けた。
「ほんにもう…主には勝てぬ。勝てぬぞ、維月。わかっておっても、言いなりになってしまうわ。」
維心は言いながら、維月に口付けた。維月はこれで月の宮へ行ける、と安堵して維心に身を預けた。
次の日の昼頃、軍神達に回りを囲まれた維心は、維月を抱き上げて、控えている洪に言った。
「では、行って参るゆえ。緋月を頼むぞ。将維に政務は頼むようにせよ。」
洪は頭を下げた。
「はい。瑶姫様のこと、くれぐれもよろしゅうにお取り計らいのほど、お願い申し上げまする。」
維月は、洪も瑶姫のことを気にしているのを知っていた。華鈴をあちらへ勧めに行ったのは、自分であったからだ。その折、蒼が最初渋っていたのもよく知っていた。それでも受けてもらった上、中で乱れているとなれば、責任を感じてもおかしくはない。
維心は言った。
「…我は何もせぬ。維月が是非にと申すから参るだけでの。瑶姫のワガママは我は許さぬのは変わらぬゆえ。」
維月は洪に言った。
「とにかく私が話して参ります。収められるかはわからないけれど。」
洪はまた頭を下げた。
「よろしくお願い申し上げます、王妃様。」
維心は構えた。
「参る。」
維心が飛び上がり、軍神達はその後に続いて、月の宮へ向かった。
途中、維心の機嫌が悪くならないように、維月は散々維心にベッタリとくっついてちょっかいを掛けた。
「こら維月…そのようなこと、この状態では止めよと申すに…。」
蒼が出迎えた時には、維心は困ったようにそう言いながらも機嫌良く着地して来る所であった。維月はクスクスと笑っている。何も知らない蒼は、相変わらずベタベタと仲の良い二人に、一体何をしに来たのだろうと思って見ていた。
維心は名残惜しそうに維月を降ろすと、蒼に向き合った。
「出迎え大儀であるの。この度は維月がどうしてもと申すので連れ参った。」
蒼は頭を下げた。
「維心様には、あれからお伺いも出来ておらず、失礼致しております。まずは、維心様の対へお入りになり、お休みくださいますよう。」
維心は頷いて、維月の手を取ると歩き出した。維月が蒼に言った。
「蒼、あれからどう?私は話しに来たのよ。あの子の母でもあるし…。」
蒼は少しホッとした。
「母さん…よかった、ただ遊びに来たのかと思ったよ。瑶姫は奥に篭って誰にも会わない。新年もだから、仕方なく華鈴を横に臣下の挨拶を受けたんだ…ますますギクシャクするのに。どうしたらいいのか、オレにはもうさっぱりでさ。」
維月は深刻そうに頷いた。維心が心持ち不機嫌に蒼を見た。
「今日は我は主に教えねばならぬことがあるぞ、蒼よ。神の王とはどのように振る舞うべきなのか、よく学ぶがよい。宮の格が下がるような王であってはならぬ。」
蒼は、それを言おうと思っていたのかと合点して、頷いた。
「はい。よろしくお願いいたします。」
維心の対へ入ると、維心は自分の定位置にすわり、蒼はその前の椅子に腰掛けた。維月はまたも少し気分を悪くしている維心をそのままにして、蒼と二人きりにするのは心配で、蒼が居るのも構わず立ったまま、座っている維心の首に腕を絡めて抱き寄せると、その頬に口付けた。
「…維心様、では私は失礼してお話を済ませて参りますわ。」
維心は蒼が居るので少し困ったような顔をしたが、維月に腕を回し、言った。
「着いたばかりぞ。もう参るのか?」
「まあ…早く終わらせなくては帰れませぬゆえに」と維月はクスッと笑って、今度は唇に軽く口付けた。「維心様もお早く終えてくださいませね。」
維心は頷いた。
「また維月、今日はどうしたのだ?我はそう時間を取らぬぞ。主のために早よう済ませるゆえな。」
維月はフフと笑った。
「維心様が私の無理を聞いてくださったので、嬉しいのでございまする。そんなにも想ってくださるのかと…。」
維心は愛おしげに維月を見た。
「なんでもないことよ。早く戻るのだぞ。早よう宮へ帰ろうぞ。」
「はい、維心様。」
維月もまた愛おしげに維心の髪を撫でると、部屋を出て行った。それを見ていた蒼は思った…そうか、母さんは無理矢理維心様を説き伏せてまでここへ来たのだ。だから、維心様の機嫌を損ねないように、蒼が困らないように、わざと維心様にベッタリと接しているのだ。
それを知ってか知らずか、維心はかなり機嫌を直して、蒼に向き合った。
「我が妃の頼みぞ。手短に済ませようぞ。」
蒼は母に感謝して、真剣な顔で維心に向き合った。それにしても母さん、すっかり王妃らしくなって…やはり王妃は、ああでなければならないのだろうな…。
蒼の考え方が改まり始めた。
維月は、瑤姫の部屋へと回廊を急いでいた。維心にああ言ってしまった手前、遅くなる訳には行かない。着物の歩きにくさを呪いながら、維月はひたすら早足で歩いていた。
ふと、何かが目の前に舞い降りて来た。
「きゃ!」
維月は慌てて立ち止まる。相手は維月を抱き留めた。
「おおっと、おいおい、何を急いでるんだ?オレに挨拶もなくよ。」
顔を上げると、十六夜が立っていた。
「十六夜!」と回りを見回した。維心はいない。「ごめんなさい、今日はゆっくり出来ないの。2月に帰って来るから、いいでしょ?」
十六夜は驚いたように両眉を上げたが、ため息を付いた。
「維心だな。お前、苦労するなあ。どうせ帰るなとか言われたんだろ。」
維月は気ぜわしげに頷いた。
「そうなの、無理に連れて来てもらったから、早く戻らないと。それでなくても最近、瑤姫のこととなるとご機嫌が悪くなって、侍女達も臣下達も困ってるのよ…私はご機嫌を取る係だから、損ねる訳に行かないの。ここに帰って来る2月までには、これを解決しておかなきゃ。」と十六夜を見上げた。「だから行くわね。」
維月は十六夜に軽く口づけて走り出した。
「瑤姫にゃ闇の気配は感じねぇ。話せばなんとかなるだろうよ!頼んだぞ、維月!」
十六夜がその後ろ姿に叫ぶと、維月は親指を上に向けて見せて走り去って行った。




