企み
次の日の朝、維心は目が覚めて、いつもと違う天井に驚き、そして昨夜の事を思い出した。
そうだった…我は妃を迎えたのだ。
実際には、もうとっくに妃であったらしいのだが、今の自分にしてみれば、初めてのことだった。しかし、自分の体も心も覚えているようで、全く違和感はなかった…そして、400年後の自分は、このような幸福の中に居るのだと思うと、嬉しかった。
隣りを見ると、昨日の朝と同じように維月が眠っていた。
そして、思った。きっと、自分はその前の夜もこうして過ごして、あの朝を迎えていたのだ。なのに、何もかも忘れてしまっていた。維月の悲しげな表情を思い出すと、維心はいたたまれなかった。なぜ、こんなことになってしまったのか。早く、維月と出会って愛し合った経緯を思い出したい。維心は焦る心を抑え、眠る維月にそっと口付けた。
維月が目を開けて、維心を見て微笑んだ。維心は言いようのない気持ちが湧きあがるのを感じた。これが愛情というのだろう。我は、本当に維月を愛している…400年後、間違いなく心の底から望んで婚儀に挑んだのだろう。そして、それがどれほどに幸福であったのか、維心には想像出来た。子が次々に出来たのも道理だ。
「目覚めたか?」維心は言った。「我は主に無理をさせたのではないか…?」
維心はためらいがちにそう言った。維月の知る自分がどうだったのかわからない。どちらにしろ、自分は全くの初めてのことであったからだ。維月は頬を少し赤く染めて、下を向いた。
「あの…記憶を無くされる前の維心様も、同じような感じでありましたので…大丈夫でございます。」
維心は安堵して頷いた。自分はきっと、いつの日もかわらないのだ。
「では…起き出す前に、今一度だ、維月。」
維月はそれはそうだろうと思った。維心様はそうだったから。記憶があろうとなかろうと、維心様は維心様なのだ。
そして、起き出したのは昼前だった。
炎嘉は、鳥の宮で外を眺めていた。
ここの部屋は、黄色い膜に覆われている。これは、以前にも見た…仙術で作った、気を遮断する膜だ。
「父上」炎嘉が振り返ると、炎翔が立っていた。「第一段階は、とりあえずうまく行きましてございます。龍王は、全ての記憶を奪うまでは無理であったものの、400年前まで記憶が退行したとの報告がございました。」
炎嘉は頷いた。
「あれの記憶となれば、なかなかに無理であろうの。しかし400年となれば、月の記憶もあるまい。それで主らは、どうするつもりであるのだ。」
炎翔は厳しい顔で頷いた。
「我に賛同する他の宮の者達で、今協議致しておりまするゆえ。父上の気がすることがわかれば、気取られてしまいまする。ですので、あと少しこの膜の中でご辛抱くださいませ。」
炎嘉は頷いて、炎翔が出て行くのを見送った。そして、また窓の外を眺め、ここに来ることになった時のことを思いだした。
炎嘉は、月の宮で、とにかく王に育てようと蒼にべったりと付いていろいろな指南をしていた。
維月に会いたい気持ちは変わらなかったが、それは土台無理な話だ。維月が我にその身を許したのは、我が全てを忘れて転生し直す為に、死すると思ったからのこと。あのようなことが、これからあるかと言われれば、あるはずはなかったからだ。
維心の守りは思っていた以上に固い。維心は命を懸けて維月を愛し、守っている。それは昔の維心では考えられないことだった。
その日も、炎嘉は仕事を終えて、ぶらぶらと宮の外へどちらともなく飛んでいた。
表向きは寝る前の結界の外の監視だったが、炎嘉は散歩の気分であった。なぜなら、ここの月の守りを破れる神など、維心の他に居ないからだ。
ふと、結界の近くに覚えのある気を感じ、炎嘉は興味からそちらへ飛んでみた。何人かの神が、結界の外で立ち往生しているようだ。炎嘉は、月の守りを破って入ろうなど、よほど田舎者の神であるな、とその上に舞い降りた。
「…この結界は破れぬ」炎嘉は言った。「月が作ったものだ。誰にも破れぬわ。」
その神は、慌てて炎嘉を見上げた。
「父上!」
炎嘉は驚いて目を凝らした。
「…炎翔。なぜにこんな所におるのだ。」
炎翔は今にも泣き出しそうな顔で言った。
「ああやはり!まさかと思うておりました。しかし、龍の宮を探っておる我が間者が確かに父上を見たと…今は月の宮へおわすと…」
炎嘉は地上に降り立った。
「主、我を探して参ったのか。」
炎翔は頷いた。
「はい。父上に、何が何でも鳥の宮へ戻って頂きたく、お願いに参ったのでございます。我は…父上にお話ししなければならぬことがたくさんございまする。」
炎嘉は頷いた。さもあろう。今は維心の世。我の治世に天下を二分していた頃はもう遠い。その記憶が新しい炎翔にとって、我慢ならぬこともあるだろう。
炎嘉は首を振った。
「炎翔よ。我はもう主の父ではない。転生した際、龍になってしもうたのでな。炎嘉の記憶を持った、龍であるのだ。鳥の宮へ帰る訳にはいかぬ。そもそも、帰るとは言わぬな。もう炎嘉ではないゆえ。」
炎翔は炎嘉の足元に膝間づいた。
「父上!我は…父上がお帰りにならなくても、挙兵する気でおりました。どうしても、我慢がなりませんでしたので…。」
炎嘉は驚いて眉根を寄せた。
「何を申す。維心には勝てぬぞ。奴はたった一人で鳥族を滅する力を持つ。その上、月まで付いておるのだ…とても叶う相手ではない。」
炎翔は頷いた。
「わかっておりまする。月と維心殿が諍いを起こした際には、地が震え、多大な被害が出申した。あれを目の当たりにした神は全て、龍王に逆らおうとは思いませぬ…しかし、やらねばならぬのです。長く押さえつけられて来た、虎族も我に加担してくれる所存。例え我ら滅ぼされようとも、龍の数を減らすことは出来申そう。王がたった一人生き残っても、もはや王ではないゆえ。我らは、そこから崩して参りまする…父上、こればかりは、もう退けませぬ!」
炎嘉はその覚悟に、維心が月と結んだ時に激昂した自分を思い出した。炎翔は一族の威信を懸けて戦おうとしているのだ…止めても聞くはずがない。
「…誠、鳥は滅ぶぞ。我はもはや龍だ。主らに同情することはない。」
炎翔は下を向いた。
「…はい。しかし、父上は父上であらせられまする。どうか我らの所へお戻りくださり、我らの助けとなってくださいませ。」
炎嘉は迷った。しかし、これは認める訳には行かない…。滅ぶと分かっているのに、その道に突き進んで行くなど。
「炎翔…我には出来ぬ。主らが滅び行く様を見るなど。」
炎翔は顔を上げた。その目は、赤く光っていた。
「大丈夫でございまする。我らは、簡単には滅びは致しませぬ。龍王には弱点がございます。子もそうでありまするし、何より、たった一人の正妃も同じくです。我ら、そこから奪って参りまする。龍王は、身の内より崩れて参りましょう。」
炎嘉は愕然とした。それは…維月を消すということか?
「主…罪もない妃を殺すつもりか。」
炎翔は首を振った。
「いいえ。そのようなことは致しませぬ。我が妃に迎えまする。さすれば、どれほどに悔しがりまするか。幸い、あの妃は美しい。我は、殺すようなことは致しませぬ。」
炎嘉は驚愕して立ち尽くした…炎翔になんと言えばよいものか。しかし、維月だけは巻き込みたくはない。これを維心に言う訳には行かぬ。維月…。
「…我に時間を。」炎嘉は言った。「否なら鳥の宮へは参らぬ。受けるなら、近日中に参るゆえ。」
炎翔は頭を下げた。
「お待ち申し上げておりまする。」
炎嘉は、維月に話したかった。自分が鳥の宮へ行く前に、どうしても会いたかった。炎翔が維心から、維月を奪い取って来れるとは思ってはいなかった。だが、万が一ということもある。確かに維月を守る為には、我はどうするべきなのか…。
思った通り、維心は維月と話すことは、会うことすら許してはくれなかった。炎翔の企みを、維心に話すことも出来た。しかし、やはりあれは前世で自分の世継ぎと定めた息子。それを売り渡すことは、炎嘉はにはどうしても出来なかった…そして、一族の威信に懸けて命を張ろうとしている、その心に抗うことは出来なかった。
炎嘉は、その夜、鳥の宮の炎翔の所へ向かった…そして、全てを知ったのだった。
「…維心、今度ばかりは、主も手こずるであろうぞ。」
炎嘉は気遣わしげにつぶやいた。
月は出ていたが、炎嘉には気付いていないようだった。
将維が維心の居間へ行くと、父が母を大事そうに腕の中に抱えて座り、婚儀の折りのスナップ写真を見て話している所であった。将維は驚いて言った。
「…父上!まさか、記憶が戻られたのですか?」
維心は目を上げて将維を認めると、首を振った。
「いいや。それで、維月に婚儀の折りの話を聞いておったのよ。」と維月を見た。「母はとても美しいの。記憶にないのが口惜しいものよ。」
将維は肩を落とした。
「さようでございまするか…。」
しかし、二人の様子はいつもと変わらず仲睦まじい。父は記憶がないにも関わらず、昨日とは考えられないぐらい母にべったりと寄り添って、記憶がある時とさほど変わりなかった。維月が将維に言った。
「それが…今朝心をつないでみたのだけれど、私の中にある維心様の記憶を移そうとしても、どうしてもだめで…十六夜が碧黎様に記憶を取られた際は、これでうまく行ったのに。」
維心は顔を曇らせた。
「維月の記憶の中の、我の記憶を見たが…確かに我の記憶だと思うのに、それが自分のものとして定着せぬ。十六夜の時とは、違う力で、おそらくは抜き取ったのではなく封じておるようだな。この封を解かねば、我の記憶は戻るまい。」
将維は頷いた。
「それを聞いて合点がいきました。十六夜から知らせて参ったのは、領嘉と話し合った結果、これは仙術である可能性が高いとのこと…神には仙術は良く知られておりませぬ。ゆえに、我らにはその気配を気取るのが遅れた可能性がございます。父上の結界も抜けたとして、この宮の中で何かの痕跡はないものかと探しました結果、庭に小さな魔法陣が描かれておったことがわかり…急ぎ消し申したが、あれは力を発動させるだけのもので、術を解くには何の役にも立たなかったようでございまするな。」
「仙術?」眉を寄せて維心は立ち上がった。「その場所へ案内せよ。」
将維は驚いたが、頷いた。
「はい。どうぞこちらへ。」
将維は先に立って、居間から庭へ出る戸を抜けて歩いた。維心は維月を見ると手を差し出し、維月はその手を取って、維心に従って歩いた。
しばらく歩くと、将維は自分の足元を示した。
「この辺りにございました。」
そこは木々の間の少し空いた空間で、地面には擦ったような跡があった。将維達がこれを見つけて、消した跡なのだろう。維心は魔法陣のあった場所から宮のほうを見た。良く見ると自分達の寝室に向かって、真っ直ぐに向かう位置にある。維心はそこに手を翳して目を閉じた。
回りの空気が維心を中心に渦を巻いて湧き上る。そしてしばらく後、その空気の流れが止まった頃、維心は顔を上げた。見ている方向は、南だった。
「ー鳥か。」
維心は言った。将維は驚いた。
「しかし、父上、今は鳥はなんの動きも無く…炎嘉殿のことがあってからは、特に厳しく気を探っておりまするが、むしろ気が少ないぐらいで。」
維心は尚も南の空を見た。
「…今は一度炎嘉が亡うなって、炎翔が継いでおると聞いた。それから我は、主と炎嘉の娘との縁談を、炎翔の代になってから蹴っておるのだそうだの。」
将維は頷いた。
「…はい。我が断り申した。父上は好きにすればよいと申されて、正式に断りの触れを出された。」
維心は尚も考えている。そして、西の方角を見た。
「…そうか。」と維月の手を取った。「居間へ帰ろうぞ。ここではもう、視ることはない。」
将維は何がわかったのかわからなかったが、黙って父の後に従って歩いた。
居間へ入ると、維心は自分の定位置に腰掛けて、維月を引き寄せた。将維はその前の椅子に座って、父に問うた。
「父上、何か手がかりがございましたでしょうか?」
維心は頷いた。
「これは、仙術を操る者。そして鳥と、虎の気を感じる。仙人が掛けた術ではない…おそらく、神が仙術をどこかから学んで、使っておるな。あの魔法陣を描いたのは鳥よ。主にはわからなんだか…鳥の宮から続く、怨嗟の念よ。我は、何かに恨まれておるの。ま、心当たりは多過ぎてわからぬが、正攻法で来ては我を倒せぬゆえ、遠回しに来ておる可能性がある。確かに不利ではある…ここの所の世の動きが全く我にはわからぬからな。400年前の記憶しかないゆえ。」と首を傾げた。「しかし解せぬ…仙術とは厄介な。将維、仙術に詳しいものは…領嘉といったか?」
将維は頷いた。
「仙人について修行しておりましたものです。」
維心は頷いた。
「こちらへ来るよう伝えよ。早急に対策を立てねばならぬ。我らも、仙術を学ぶ必要があるぞ。」
将維は頷いて立ち上がった。
「はい、すぐにこちらへ来るように申し付けまする。」
将維の後ろ姿を見送りながら、維心は物思いに沈んだ。記憶はないが、王であることに変わりはない。なんとかせねばならぬ。
維心の緊張した面持ちに、維月は手を握った。
「維心様…。」
維心はハッとして維月を見た。そうだ、今は維月が居る…。
「維月…案ずるでない。我は大丈夫よ。」と抱き寄せた。ホッとする。「主は我が守るゆえの。安心せい。」
そうしている間にも、月の宮へと使者は飛んだ。
この時の月の宮の様子から書いた、新シリーズ、新迷ったら月に聞け~神なんて聞いてねぇ!が、4月1日から始まります。明人という人の世で育った龍の月の宮でのお話です。また告示しますが、よろしくお願いいたします。




