それぞれの妃達
「あ!」
維月が叫んでがばっと起き上がった。となりで寝ていた維心はびっくりして飛び起きた。
「なんだ、どうした?!」
外はもう明るくなっている。維月はお腹を押さえて維心を見た。叫んでしまったことを後悔しているようだ。
「あ、あの…維心様、驚かせてしまって申し訳ありません…。」
維心は気遣わしげに維月の肩を抱いた。
「よい。どうした?悪い夢でも見たのか?それなら良いが。」
維月は首を振った。
「わ、私…昨日は油断をしてしまいましてございます。もう何十年も気を付けておりましたものを。つい心地よく微睡んでしまって…。」
維心は眉を寄せた。
「良いではないか。それがなぜに問題なのだ。」
維月は悲しげに腹に手を当てている。維心はまさかと自分も手を当ててみた。
「…子か。」
維月は頷いた。
「はい…。ずっと私が気を付けていたから、亮維以降はお子は出来ておりませんでしたのに。」
維心は苦笑した。
「良い。我らの子が何人出来ようが我は良いのよ。なのに父上があのように多過ぎるとか申すから、これ以上はと言っておっただけであるからな。」と腹の気を読んだ。「やはりこのように早くわかるのは、女の気よの。この腹の子は女だ。紫月の時を思い出すの。」
維月は頷いた。何年も排卵させずにいたのに無理があったのかもしれない…といっても、これは月の命の卵みたいだけれど。
維心は楽しげに笑って維月を抱き締めた。
「また名を考えねばならぬな。ほんに子の誕生は久しぶりよ。この40年ほどなかったからの。楽しみであるな…娘か…。」
維月はどうしようと思っていたが、維心が思いのほか嬉しそうなので、いいかなと思った。願わくば、亮維みたいに難産ではありませんように。
一方、蒼も朝を迎えていた。
東の対は一番最初に日が入って来る場所。朝の光に目を覚ました蒼は、隣に眠る華鈴を見た。日の光の中で見る華鈴も、またとても美しかった。やはり、神の50歳は、まだ外見が人の20歳になるかならないかであった。この歳で命の危機に何度も耐えて、しかも一族を皆殺しにされ、その殺した相手に嫁ぐことになり、やはり駄目だと殺されかけ…。
それを思うと、不憫でならなかった。せめて、これからは正妃には出来ない分、大切にしてやらなければと蒼は思った。
華鈴が、目を覚まして、気配に気づいて蒼を見た。
「…目が覚めたか?」
蒼が言うと、華鈴は恥ずかしそうに掛け布団にもぐりこんだ。
「はい…蒼様。」
蒼は微笑むと、襦袢を着せかけてやり、腰ひもを結んでやった。そして自分も襦袢を着ると、寝台から降りて、今度は袿を着せて、華鈴に手を差し出した。
「さあ、こちらへ。」
華鈴は素直に従って、蒼の手を取った。蒼は部屋のバルコニーから外へ出た。
冬の冷たい風からは気の膜で守ってやり、肩を抱いて、蒼は北の方を指した。
「オレの宮はあちらの方角ぞ。その名の通り、十六夜という実体化した月も降りて来る宮だ。オレの母は人の世にあった時にオレを生んで、それが今の龍王妃である維月なんだ。」
華鈴は驚いた。だから、蒼様は王妃様に似ておるのか。蒼は続けた。
「オレには、瑤姫という正妃がいる。彼女は維心様の妹だ。その他には妃は居ない。子は二人。」と華鈴を見た。「オレの宮は、出来たばかりで、人の世で生活をしていた神達や、半神の受け入れをして居場所を提供しているのだ。なので、華鈴にも人の世というものを少なからず学んでもらわねばならない。抵抗はないか?」
華鈴は力強く頷いた。
「我は、なんでも学びまする。きっと蒼様もお役に立つようになりまするゆえ。お教えくださいませ。」
蒼はその健気な様子に微笑んだ。
「急がずとも良い。ゆっくりと慣れて参ればよいゆえに。」
華鈴は、思いも掛けず、優しい蒼を見つめた。神の世にも、このようなかたがいらしたなんて。神の王は、お兄様もそうだったが、龍王も、皆とても恐ろしくて、とても自分の言いたいことが言える雰囲気ではなかった。なのに、この蒼様は、とてもお優しくて、そして気が柔らかく、安らぐ気がする…。
華鈴は、蒼に寄り添った。蒼は驚いたような顔をしたが、その肩を優しく抱き寄せた。
「蒼様…我は、幸せでございまする…。」
蒼は、そんな華鈴の顔を上げさせ、口付けた。瑤姫に対する愛情が無くなったのではない。だが、自分は確かに華鈴も大切にしなければならないと思う…これも愛情なのかもしれない。
「大切にするゆえな。毎日は一緒に居られないかもしれないが…なるべく傍へ参るゆえ。」
華鈴は頷いた。元より正妃が居られる所へ妃として入るのだ。たくさんのことを望んでいるのではない。だが、この王はとてもお優しくて、きっと、会いたくてたまらなくなるような気がする…。
「はい、蒼様。」
二人は昇って行く日をそこからしばらく眺めていた。
蒼が出発前の挨拶に維心の居間へ華鈴と共に行くと、ちょうど洪が来て維心と話して居るところだった。維月が維心の隣で、微笑んで蒼に言った。
「まあ、蒼。この度はおめでとう。」
維心も機嫌良く言った。
「ほんにの。めでたいことが続くと気も明るくなるというものよ。」
蒼はあまりに維心の機嫌がいいので、何事かと問うた。
「維心様には大変にご機嫌のよろしいご様子ですが、いかがなさいましたか?」
洪が微笑んで言った。
「お子がお出来になりましてな。此度は皇女であられまする。」
蒼はえ、という顔で維月を見た。
「でも母さん…」
維月は苦笑した。
「少し気を抜いてしまって。でも、明維も晃維も紫月も宮を出て居るし、部屋はあるし、侍女も余ってるから。」
維心は頷いた。
「久しぶりの子の誕生よ。我も楽しみにしておる。維月の子なら、何人おってもよい。」
蒼は微笑んだ。
「おめでとうございます、維心様。私もこれから、華鈴を連れて宮へ帰ります。」
それを聞いた華鈴が、つと進み出て膝をついた。
「龍王様。大変にお世話になりました。これよりは蒼様にお仕えし、月の宮へ参りまする。」
維心は頷いた。
「主も数奇な運命であるが、蒼は良い王ぞ。これからは穏やかに過ごすがよい。」
華鈴は頭を下げて、蒼を見て微笑んだ。蒼も微笑み返し、頷いた。
「では、失礼します。李関を待たせておりまするゆえ。」
維心は頷いた。蒼は華鈴と共に頭を下げて、出て行った。
「思ったとおり、蒼様はお優しいかたゆえ、華鈴殿もことのほかお幸せそうなお顔でいらっしゃいましたな。我も安堵致しました。」
洪が二人を見送って言った。維月も頷いた。
「あの子も頑固だから、どうなるかと思ったけれど…あの顔ではとても華鈴を気に入ったようね。よかったこと。」
維心は維月を見た。
「さすが主の子よの。我も安堵したわ。瑶姫のことはあるが、あれは元々神であるからな。当然のこととわかっておるわ。今までが好運であったのよ。あれほど大きな宮の王が、妃が一人とはあり得ぬことゆえ。」
維月は少しむくれた。
「まあ維心様…この龍の宮の規模をお忘れですか?私はただ一人の妃でありまするのに…。」
維心は慌てたように言った。
「おお維月よ、我は特別であるのよ。我の言うことは絶対であるぞ。主しか我は望まぬ。他を連れて来る勇気のあるものはこの宮にはおらぬ。我らの幸せを阻む者は、我が全て消してしもうてやるゆえな。安心せい。」
洪は身震いした。維心なら本当にやると知っているからだ。維月も今はそれが冗談ではないのを知っていた。
「維心様、そこまで望んでおりませぬ。何も殺さなくても…。」
維心は首を振った。
「主は甘いの。我は本気ぞ。」と腹に顔を付けた。「我の娘はどうであるかの。緋月という名はどうであろうか。」
維月は微笑んだ。
「まあ…まだ10ヶ月ほど先のことでございまする。」
維月はそんな維心の髪を手ですいた。
「良いのよ。早いに越したことはない。維月に紫月、そして緋月よ。」
維月はフフと笑った。
「維心様ったら…。」
洪は居心地悪げに咳払いをした。
「あー王、我はお邪魔なようでございまするゆえ、もう失礼してもよろしいでしょうか?」
維心は面倒そうに洪を見た。
「なんだまだ居ったのか。下がって良い。」
洪は呆れたように頭を下げると、居間を出て行った。
月の宮では、蒼が臣下の出迎えを受けていた。華鈴が心持ち緊張した面持ちで、蒼の腕から降り立って、月の宮を見渡した。とても新しい美しい宮で、華鈴はそのしっかりとした作りに驚いた。臣下の一人が進み出た。
「王、お帰りなさいませ。」
蒼は頷いた。
「今帰った。」と華鈴を見た。「これは臣下の翔馬だ。龍の宮で言うと洪のようなものだな。何かあれば相談すると良い。」それから、翔馬に言った。「我が妃、華鈴だ。よろしく頼む。」
翔馬は頭を下げた。
「華鈴様。よろしくお願い申し上げまする。なんなりと、お申し付けくださいませ。」
華鈴は、緊張気味に返礼した。
「よろしくお願い致しますね。」
瑤姫が、奥から出て来た。
「蒼様、お帰りなさいませ。」
瑤姫は頭を下げた。蒼は瑤姫に手を差し出した。
「瑤姫、これへ。」
瑤姫はまた、緊張気味にこちらへ歩いて来て蒼の手を取った。
「華鈴、我が正妃、瑤姫だ。」と瑤姫を見た。「瑤姫、華鈴だ。今日から南の対へ入る。よろしく頼む。」
華鈴は頭を下げた。
「よろしくお願い申し上げまする、瑤姫様。」
瑤姫は軽く返礼した。
「こちらこそ、およろしくね、華鈴様。」
蒼は、瑤姫に言った。
「では、オレはこれから華鈴を対へ案内して来るゆえに。後ほど居間へ帰る。」
瑤姫は少し驚いた顔をしたが、頭を下げた。
「はい、蒼様。」
もしかしたら神の王とは自ら案内などしないのかもしれない。蒼は思ったが、華鈴をいきなり放り出す訳にも行かず、華鈴の手を取って、南の対へと歩いて行った。
南の対は、炎嘉の為に建てさせた、鳥の宮に似せた建物であった。ここなら、華鈴もくつろげるのではないかと思ったのだ。思った通り、華鈴はとても気に入ったようだった。
「まあ…蒼様、こちらはとても懐かしい心地がいたしまする。父上が使っていらしたのですか?」
蒼は頷いた。
「炎嘉様はこの対全体を使っていたのだが、主はこの半分であるからな。少し手狭かもしれないが。」
華鈴は首を振った。
「そのような…とても広々とした作りでございます。ありがとうございます。」
蒼は頷いた。そして侍女達を見た。
「これらが、主の世話をする侍女だ。これからは何なりと申しつけるとよい。」
「はい。」
蒼は、このまましばらくは傍に居てやりたかったが、瑤姫のことが気になる。なので、華鈴に言った。
「では、我は戻る。また、夜に参るゆえ。」
蒼は、南の対を出た。これからどういう風に通うのか、考えなければならないな。とりあえず、瑤姫の機嫌を伺いに行こう。
蒼は、これから始まる生活に、少し不安を感じていた。




