二人目の妃
蒼は、いつになくイライラしていた。
洪は、特に慌てることもなく、そこに膝間付いている。蒼に呼ばれた十六夜が、ようやく月から降りて来た。
「なんだよ、蒼。オレにだって休息は必要なんだ。で、なんだ?洪がなんでここに居るんだよ。」
蒼はキッと十六夜を見た。
「…十六夜、何も言わずに結婚してくれ。」
十六夜は目を丸くした。
「何言ってんだ。男同士で何が出来るってんだよ。いくら維月の息子ったって、今はオレの息子だろうが。」
蒼は首を振った。
「違う、龍の宮に居る華鈴とだ。将維の気が強すぎて妃には出来ないんだよ。他の兄弟も急いで調べたらしいけど、皆やっぱり維心様と同じで気が強すぎるらしい。」
十六夜は唖然としている。
「…で、なんでオレに話が来るんだ。どっかの宮にでも仕えりゃいいじゃねぇか。」
蒼は首を振った。
「あのな、この前の戦で死んでなきゃならなかったんだよ。それが将維が妃にするからと命拾いしたけど、嫁げないから…このままじゃ殺さなきゃならない。だから、十六夜がもらってくれたら丸く収まるんだ。」
十六夜は事態を悟って表情を険しくさせた。
「…あのなあ、オレは月なんだ。この体はエネルギー体だ。神と結婚なんておかしいだろうが。だいたい維心がオレにそんなことを言って来るはずはねぇ。知ってるからだ。」と蒼を見た。「これはお前に来た話だろうが。それをオレに押し付けようとしやがって。だいたいな、オレは維月以外ならわざわざ月から降りて来ねぇんだよ。女に必要を感じねぇって言ってるだろうが。相手に悪いと思わねぇのか。」
蒼はキッと十六夜を睨んだ。
「オレだってせっかく穏やかに過ごしてるのに後宮が乱れるようなことはしたくないんだよ!瑶姫以外に必要感じないのは十六夜と同じだ。何人も妃をめとるつもりもない。」
十六夜は言った。
「だったら断ればいいじゃねぇか。維心が直接言って来なかったのは、お前が断れるように考えたからだろう?」と洪を見た。洪は頷く。「ほら見ろ。自分が嫌だからって、オレに押し付けるな。オレは誰とも結婚なんかしねぇ。」
蒼は訴えた。
「だけど断ったら華鈴は処刑されるんだぞ?なんでそんなに簡単に言えるんだ!」
十六夜はフンと横を向いた。
「オレには維月が居れば何も要らねぇんだ。だから結婚はしねぇ。お前もしたくない。だったら断るしかないんじゃねぇのか?お前はあっちもこっちもいい顔したがり過ぎなんだよ。」
蒼は憤った。
「どうしてそんなに軽く言えるんだ!命を軽く見すぎじゃないか!」
十六夜は、蒼を鋭い視線で見た。
「…蒼、お前は戦場を経験してねぇ。あの場を見たら、自分の大切な多数を守るためには、敵対する多数を淘汰する神の世の理が見える。オレには出来なかったが、維心は迷いもなくやった。そうやって今の世を作って、龍族を守って来た…お前もこの先神の世で皆を守るなら、その必要が出て来るかも知れねぇ。維心のおかげで今大平なんだと忘れるな。自分の手を汚さず統治するなんざ、土台無理な話なんだ。何のための王でぃ?炎嘉も維心も多数を手に掛けて来たんだ。お前だけ手を汚さずに居られるはずなどないんだ。」十六夜は目を伏せた。「あの戦で、将維も自分の手を汚した。お前は軍神ですらねぇ。幸い華鈴を手に掛けるのはお前じゃねぇ。嫌なら嫌だと言えばいい。覚悟ぐらい見せろ。」
蒼は言葉を失って歯を食いしばった。オレは、人だった。望んで王座に就いたのではない。なのに、多数を守るために、命を散らせと言うのか。
「…無理だ。十六夜だってわかってるだろう。オレは望んで王になったんじゃない。人だったんだよ!どうしてオレだけこんな目に合うんだ!」
それを聞いて、洪が悲しげに下を向いた。それを見た十六夜は言った。
「…維心が望んで王座に就いたと思うのか?炎嘉は?将維は?…皆、王なんて望んでないんだよ。だが誰より力を持っている以上、自分が守らなきゃ誰が守るんだ。頼る者がいる以上、やるしかなかったんだ。お前まだそんなこともわかっちゃいねぇのか。」
洪が見かねて言った。
「蒼様、王はぜひにと申されておる訳ではありませぬ。王妃様が華鈴の命が奪われることを大変不憫に思われて、何か助かる手立てはないのかと王に問われて、仕方なくこの方法をお話になったのでございます。なので蒼様が絶対に無理だと申されるのなら、お断りして頂けるように、わざわざ我にこちらへ来させたのでございます。それは確かに十六夜様が娶られても差し支えはございませぬが、このご気性でそれは絶対に叶いますまい。蒼様、お望みにならないのなら、我に否とご返事くださいませ。華鈴殿は元より、もう死するお覚悟はとうに出来ておられまする。おそらく、将維様がお手に掛けることになられましょうが。」
蒼は黙り込んだ。どうしたらいい…結婚して50年、波風も立たずに幸せにやって来たのに。こんなことを瑤姫に話すことは、オレには出来ない…。しかしもし、娘の瑞姫がこんなことになっていたら、何としても生き延びて欲しいとも思う…。華鈴も炎嘉の最後の娘だった。それも昔の戦を終結させ和睦をするために作られた、将維と縁組させるための命…。それが、また戦で命を散らされるなんて。そんな思いをするために生まれて来たなんて…。
先程から、カーテンの影に瑤姫の気配がする。きっと聞いているのだ。蒼は眉根を寄せたまま、洪に言った。
「…時間を。数日中にお返事に参りますると維心様にお伝えしてくれ。」
洪は驚いた顔をした。蒼は横を向いた。今は冷静に判断できない。
「それでは、そのように我が王にお伝え致しまする。」洪は頭を下げた。「失礼いたします。」
蒼は頷いた。洪が出て行ったのを確かめると、十六夜を見た。
「…十六夜も、ちょっと一人にしてくれないか。」
十六夜は黙って頷くと、月に帰って行った。
謁見の間の横のカーテンが震えている。蒼はそれを見て言った。
「…瑤姫。」カーテンが止まった。「これへ。」
瑤姫は、そこからゆっくりと出て来た。目からは涙がこぼれて落ちている。蒼は瑤姫の手を取って、自分に引き寄せた。
「…聞いていたのだな。すまない。オレには、断れないかもしれない…。」
瑤姫は蒼の腕の中で首を振った。
「わかっておりまする。蒼様はお優しい。だからこそ、私もこうして嫁いで参りました。それにお兄様がおっしゃるのなら、私も逆らうことは出来ませぬ。神の世のことは、私もよく存じてございます…。」
蒼は窓から見える空を見上げた。王としても責務。オレには維心様ほどの力も実績もない。王としての能力もない。維心様ほどの権限もまた、ない…。何としても妃を娶らないと、言い切れるだけの力がない。
「明日、龍の宮へ行く。」蒼は言った。「正妃は主だ、瑤姫。なので憂いるでないぞ。これからもこのようなことが起こるかもしれない。それでも、正妃は主なのだから。」
瑤姫は頷いた。
「はい。わかっておりまする。蒼様、私は覚悟致しておりました。蒼様が王座に就かれた時から…。」
龍の王族であった瑤姫が、王の意味を知らぬはずはなかった。知らなかったのは、王である自分だったのだ。蒼は、それを恥じた。
「瑤姫…愛してるのは、主だけだ。」
瑤姫はただ、頷いた。王が心ならずも妃を迎えるのは、仕方のないこと。なのに何がこれほどまでに悲しいのか…。
蒼はため息をついた。妃を迎えるのがこれほどまでに気が重いことだとは、知らなかった…。
月の宮からの使者が龍の宮に着いたのは、その日の夕方であった。維心は謁見の間でそれを聞き、しばらく黙ったが、わかったと答えて使者を帰した。そして、維月の待つ居間へと急ぎ戻った。
「お帰りなさいませ。」維月がいつものように穏やかに微笑んで迎えた。「ご政務はいかがでありましたか?」
維心は微笑して維月を腕に引き寄せた。維月の気は、我を和ませる…。
「政務が済んでから、月の宮の使者が来たので会っておった。」
維月は顔色を変えた。
「…蒼からの返事でありますか?」
維心は頷いた。
「あれは、受けると言って参った。明日の夕刻、こちらへ来る。そして次の日、妃となった華鈴を連れて帰る。」
維月はホッとしたと同時に、重苦しい気分になった。蒼は、きっと悩んだに違いない。そして瑤姫…。これがもし自分なら、どれほどにつらいだろう。維月は自分で言い出したことなのに、複雑な感情にどうしていいかわからず、下を向いた。維心はそれを見てため息を付いた。
「維月、つまりはこういうことであるのよ。全てに良いようには出来ぬ。何かを捨てねば何かを守れぬ。優先順位が何であるかを常に自分の中に持っておかねば到底判断できるものではない。主も蒼も人であった。ゆえに命を何より優先する。将維のこともそうであったろうが。主は我と将維が諍いを続けた場合の命のリスクを考えた。ゆえに自分を犠牲してでも収めようとした…我は何より主を優先した。我は主の気持ちがわかるつもりでおるぞ。蒼の気持ちもな。あれは瑤姫よりも命を優先したのよ。もしも我なら、主を取って相手を殺したであろう。それが人と神との価値観の違いだ。」
維月は顔を上げた。
「維心様…私は間違っていたのでしょうか?」
維心は首を振った。
「いいや。主にとってはそれが正解であろう。我にとっては…今回ばかりはわからぬな。我だって、わからぬことぐらいあるのだ。」
維月は維心に抱きついた。
「でももしもこれが私であったなら…きっととてもつらかった…。維心様の愛情が自分にあることはわかっていても、きっとつらかった。瑤姫にそんな思いをさせてしまって、私は…。」
維心は維月を抱き留めながら、ため息を付いた。
「あれは神の王族ぞ。蒼に嫁いだゆえ、今までこのようなことがなかっただけのこと。元より王のことはあれのほうが良く知っておるわ。蒼も断ろうと思えば出来たが、しなかった。命を優先したゆえ。」と維月の顔を上に向かせた。「我はの、何より主を優先するゆえ主が嫌がっておるのに他の命など知らぬと言う考えであるのよ。なのでこのようなことは起こらぬ。前に学んだの?我ら王は欲しい物は何を殺しても手に入れる。重い責務の、それが報酬であるからだ。考え方の違い、少しはわかったか?」
維月は頷いた。
「はい…。」
維月は心持ち落ち込んだ様子で頷いた。維心は維月に口づけ、抱き上げた。
「そのような顔をするでない。もう決まったことぞ。洪にも申し伝えた。」とじっと維月の目を見つめた。「我がその憂さを晴らしてやろうぞ。いつもまでも気に病むでない。複数妃がおっても、慣れてくれば案外と普通に回るのだと炎嘉が昔言っておったぞ。主は我のことだけ考えていよ。我には他に妃は居らぬ。」
維月は無理に微笑んだ。維心は奥の間へと維月を運んで行った。




