懸念
維心は維月を腕に抱いて横になりながら、寝台の天蓋の天井を見て言った。
「…我は炎嘉に頭が上がらぬな…昔からであるがな。」
維月は目を開けた。
「炎嘉様は、何と申しましてもやはり良い人…いえ神であられるのですわ。維心様のご心配をなさっていらして…私は、炎嘉様に捕えられていた時、それをよく感じました。私が維心様の想い人でさえなければと、苦しんでいらしたから…。」
維心は、思わず維月を抱く手に力を入れた。
「我も、やつの想い人が主でさえなければと思うわ。唯一の長年の友であるからの…お互いをよく知っておるのだ。」とため息を付いた。「複雑な気持ちであるのよ。あやつもそうであろうて。」
維心の言葉は、ふと途切れた。炎嘉のことに思いを馳せているのだろう。妃を取り合っても、やはり親友であることには変わりない。そんな友達っていいな…と維月は思って、維心の胸に顔を摺り寄せた。維心はふとそれに気付いて、微笑すると維月の髪に頬を寄せて、そしてまたため息を付いた。
「維月…将維のことよ。」維月はピクリと動いた。「あれのことを言わずにいてすまぬ。十六夜に聞いたのだな。」
維月は頷いた。
「はい…あまりにも維心様が将維を警戒なさるので、問いましたらそのように…。まさか、ほとんどが維心様で、私は命の一部しか使われていないなんて、思ってもおりませんでした。私が生みましたのに…。」
維心が頷いた。
「あれには言えなんだ。我とほとんど同じであるなどと…なので主を求めるのも道理ぞ。わかっておるが、我は認めることが出来ぬ。心が狭いと言われようとも、主は我のものぞ。」と、維月の頬に触れ、顎を持ち上げた。「そうであろう…維月よ。ただ一度でも、身を許すことは許さぬ。炎嘉の時も、十六夜にふいを突かれておらねば、我は許さなんだ。維月…頼む。我は主を誰にも触らせたくないのだ。我は主以外を抱いたりはせぬだろう?主以外は求めぬであろう?本当に愛しておるのだ…誰に求められても、一夜でも主を手離しはせぬ。」
維心は維月に口付けた。維月は言った。
「維心様…でも将維は、ただ一度きりと…。それで他に妃を娶ると…。」
維心は身を起こした。
「ならぬ。」目は真剣だ。「それでは本当に、心底主を愛してしまう。そうなると、二度と主以外は愛せなくなる…忘れられぬからだ。心殺して他に妃を娶ったとしても、ずっと心の底で主を求めることになる…それが将維にとって、幸福だと思うのか?我なら耐えられぬ。もしもただ一度だけ十六夜に主を許されていたとして…あの夜だけで主を抱けぬなど…生き地獄のようなもの。おそらく無理にでもさろうて再び主を奪っておったであろうぞ。それならば、触れられぬほうが良い。主を身に覚えぬほうがよい…。」
維月はその言葉に、頷いた。それでなくても、私は将維と同じ宮の中に住んでいるのに。もしも何度も…なんてことになったら…血が繋がらなくてもさすがにいけないだろう…。
維心はホッとしたように、維月に上から口付けると、再びそのまま体を重ねた。
二人はまた元のようにベッタリと仲睦まじく、時に回りが目のやり場に困るほどに、維心は維月を傍から離さなかった。傍からというよりも、身から離さないと言う方が良いほど、しっかり腕に抱き、片時も離れなかった。
維月が東の対へ、臣下の妻が子を生んだというので、祝いに行くと言って立ち上がった時、維心は一緒に立ち上がって言った。
「わざわざ主が行かずとも良いではないか。向こうにこちらへ来させればよい。」
維月は苦笑した。
「まあ維心様、あちらは子を生んだばかり、私は祝おうてやりたいのでございまする。王妃としてそれぐらいはよろしいでしょう?」
維心は首を振った。
「祝うのはよい。だが、向こうから来られるようになってからでよいではないか。」
祝いの品を持って付いて行くはずの侍女が困っている。維月はため息をついた。
「維心様…なぜにそのようにご心配をなさるのですか?大丈夫でございまする。こうして侍女も付いて参ります。何かあることはありませぬ。」
維心はそれを見て、しばらく黙っていたが、渋々頷いた。
「…何かあればすぐに我を呼ぶのだ。維月…わかっておるな?我は…」
維月は維心の頬を撫でた。
「わかっておりまする。私には維心様だけでございまする。」
維心はそれを聞いてそっと維月の唇に口付けると、身を離した。
「何かあれば我に知らせるように。」
維心は侍女に言い渡すと、出て行く維月を見送った。自分が王でさえなければ、どこにでも付いて行くものを。維心はそう思いながら、いらいらと自分の定位置に腰掛けた。
王が行くと、その者だけが特別扱いになってしまう。なので、軽々しく動くことが出来ないのだ。不便なその身に、維心は舌打ちをした。
久しぶりに奥の宮から出た維月は、侍女と二人で祝いの品を届けた後、少し北の庭を歩いた。二人で楽しく話しながら歩いていると、ふいに目の前に将維が立っていた。驚いた維月は、また着物の裾を踏みそうになった。
「ま、まあ将維、驚いたわ。いきなり立っているんだもの…声ぐらい掛けてくれたらいいのに。」
「楽しげに話していらしたので」と将維は言った。「少しご遠慮しておりました。ご機嫌はいかがでいらっしゃいますか。」
維月は微笑んだ。
「ありがとう、とてもいいわ。こちらの庭は久しぶりですもの。」
将維は頷いて、侍女を見た。
「主は少し下がっていよ。」
侍女は少し驚いて維月を見た。しかし、将維は維心の次に権限を持つ。維月がその命令を阻むことは出来ない。侍女は一瞬戸惑ったが、将維だからいいだろうと判断したらしく、頭を下げて下がって行った。
それを見送ると、将維は言った。
「こちらへ。」
将維は維月に言って、先に歩いた。維心と一緒だ。人の後ろを歩いたことがないから、先に歩くことしか知らない。維月は一瞬ためらったが、後に付いて歩いた。しばらく歩くと、奥に滝が流れていた。そこが寒さで凍って、縦に紋を描いて美しい形になっている。維月はそれを見て、歓声を上げた。
「まあ!南は凍っていなかったの…ここは影になっているから?とてもきれいだわ。」
小さな滝は、氷の柱になって、そして少しちょろちょろと流れている水がまたキラキラとして美しかった。将維は微笑した。
「数日前に見つけたのです。とても美しかったので、お見せしたいと思っておりました。」
維月はそれを見て、もと傍で見たいと思い、滝の横へと足を進めた。
「まあ、こういう風になっているの…。」
後ろ側は、空洞になっていた。その様がおもしろくて、維月はそこへ手を伸ばした。
「いけません」将維は維月の手を取って遮った。「あまり身を乗り出しては落ちてしまいますよ。」
維月は叱られたような気がして、しゅんとした。将維はため息をついて、維月を抱き寄せた。
「…ほんに目が離せないかただ。父の懸念がよく分かり申す。」
維月は驚いて、身を離した。維心様にいけないと言われた。将維はこのままだと、本当に私を愛してしまうと…。
「将維…いけないわ。他に妃を迎えると言っていたでしょう?私は維心様の正妃なのだもの…。」
将維は頷いた。
「それは、あなたが私に身を許してくださればと申したはず。まだそれは叶えられてはいないでしょう。」
維月は将維に背を向けた。
「…それは、出来ないわ。私もただ一度ならと思ったの。でも、神は一度愛してしまうと忘れられなくなるのでしょう?そんなことをしたら…今度こそあなたは私を本当に愛してしまうかもしれない。そんなことになったら、苦しいのはあなたなのだから。今なら、そんなこともあったと、軽く思い出す程度で終わると思うの。あなたが愛するのが、私であってはならないわ。」
将維は、維月の肩を掴んで自分の方を向かせた。
「…もう、遅い。」将維は険しい顔で言った。「我はもう二度、あなたに口付けた。あんなことをしたのは、もちろんあなたが初めてだ。父にだってわかっているはず…だから我から何としてもあなたを遠ざけようと…我は遠くからお姿を眺めるだけでも良いものを。このようにされたら、余計に想いは募るもの。父もそれを知らぬはずはあるまいに。」
将維はまた、維月に深く口付けた。維月は慌てて身を退こうともがいた。でも、あまり気を乱すと維心様が気取って来てしまう。将維が悪いのではないのに…!維月は一生懸命、体を退いた。
やっと解放されて、維月は自分を抱き締めるようにすると、言った。
「将維…お願い。維心様にとっても、やっと安らぎの時が来たの。あなたが出来た時は、本当に喜んでくださった。小さな時から可愛がっていらした。このようなこと、いけないわ。あなたは私のかわいい将維なの。わかって。私は…維心様の所へ戻ります。」
維月は着物の裾を踏まないように思い切りたくし上げて、そこから出て走って行った。将維は止めようと思えば止められたが、それを止めず、見送った。
維月が出来るだけ平静を装って、維心の居間へ急いで戻ったが、そこに維心は居なかった。
維月はこれで気の乱れを気取られずに済むとホッとして、侍女にお茶を頼んで椅子に腰掛けた。これがずっと続くなら、私は奥宮から出られなくなってしまう…もしくは、維心様と共でなければ、出掛けることもままならなくなってしまう。あの子は、遠くから眺めているだけでよいと言っていたのに。それなら、きっと、控えめなあの子なのだから、きっと一度きりで本当に私を想い切ってくれるのでは…?その一度きりが無いばかりに、それを待つばかりにあんなに私を求めるのではないのかしら…。
維月がそう思っていると、ふいに声がした。
「よお。」
維月はびっくりして頭を上げた。十六夜だった。
「十六夜…驚くじゃないの。どうしていつもこんなに急なの?」
維月が胸をなでおろしていると、十六夜が言った。
「あのさあ、言いたかないけど、ヤバいんじゃねぇのか?」維月がびくっとした。「だってあいつは維心と同じぐらい力があるんだよ。龍としての力は下かもしれねぇが、あいつには陰の月の力もあるんだからな。まあ、無敵に近いわな。陰の月の力は、オレも打ち消されちまうから抑えられねぇしよ…あいつは幸い素直で性格は真面目だ。それに律義だ。オレ、思うけど、一回だけでも相手してやったらどうだ?でなきゃ維心と戦争になるかもしれねぇぞ。維心はあいつに勝てねぇかもしれねぇ…月の力ってのは神にとっちゃ天敵だからな。」
維月は十六夜を見た。見てたのか。って言うか、いつも気になる時だけこうやって来るんだから。見てて知ってるくせに無視したりするくせに。
「でも…維心様はダメだと言うの。だからこれは、私だけのことじゃないのよ。」
「そりゃあいつはそう言うだろうよ。」十六夜は言った。「オレだってダメなぐらいなんだからな。まあ、オレは体の繋がりどうのこうのとこだわりはねぇから、よくわからないんだけどよ。このままじゃ譲位もままならねぇじゃねぇか。将維はお前を留めるぞ。維心はそれを考えるから、譲位出来ねぇ。だが、あいつの力は満ちて来ている。時間がねぇ。将維を維心と同じ、親父殺しの汚名を着せたくないだろうが。」
維月はうつむいた。
「どうしてこうなったのかしら。私の気ってそんなにフェロモン出してる?」
十六夜は苦笑した。
「わからねえ。龍にはたまらないらしいぞ。オレは別にお前の気がどうので惹かれた訳じゃねぇしなあ。神はよくわからねぇんだよ、昔から。」
「…とにかく、口を出すな、十六夜。」維心の声が割り込んだ。「これは、我のことだ。」
維月は振り返った。維心が立っている。頬に小さな切り傷があった。
「維心様!」
維月は懐から懐紙を出して、それをぬぐった。十六夜が眉を寄せる。
「…そうはいかねぇ。維月が関わりなければオレもほっとくが、維月を取り合ってるんだろうがよ。ケンカばっかりしやがって。連れて帰るぞ、永遠に。」
維心の表情は険しくなった。
「主まで敵に回すつもりはないわ。」
維心は椅子にどっかりと座った。着物の裾が何ヵ所か切れている。
「いったい、何をしてらしたの?」
維月が心配げに言った。維心がわずかばかりでも、傷を受けるなど今までなかった。
「将維と訓練場に居たのさ。」と十六夜が言った。「お前が走り去った後、見てた維心はすぐにそこへ降りて、将維を連れてった。立ち合い出したからどうなるかと思ったが、こいつらは自分の力を知ってる。気を使わずに斬り合ったのさ。それを見てオレはここへ来たんだ。」
維心は眉をひそめた。維月に知られたくなかったらしい。維月は、やっぱり維心が気取って、北の庭へ来ていたのだと思った。そして、わずかながら、将維には維心に傷を付けるだけの能力を付けているのも知った…十六夜が言うのは、このためなのだ。
「ふん、主が来ておるのを感じて、こちらの会話も聞いておったから油断したのよ。それがなくば、こんなことはない。」
維心は言って横を向いた。それでも、まだ成人していない将維が…。維月は、口を結んだ。
「維心様、やはり私は将維と約して参ります。」維月は言った。「あの子は約束は絶対に違えない。私はそれを知っております。本当に一度きり、私はあちらへ参りますわ。」
維心は維月の腕を掴んだ。
「ならぬ!十六夜があのような事を申したせいで、主までそんなことを。我はあいつに負けはせぬわ!」
維月は首を振った。
「なりませぬ。このままならば、私は本当に月へ帰りますわ。この体を捨て、十六夜のようにエネルギー体になり、たまに月の宮へ降りる生活を致します。私を取り合って、今はこれで済んでおりますけれど、先はどうなるか分かりませぬ。維心様、どちらかお選びくださいませ!」
維心は言葉に詰まった。十六夜も、維月もじっと維心を見ている。維心は首を振った。
「そのような…選べるはずはないではないか。主が月に帰ってしもうたら、もう会うことは叶わぬ…。しかし将維に主を許す事など、我には出来ぬ…。」
十六夜はため息をついた。
「オレは50年もお前に維月を許して来たんだぞ?一回ぐらい、自分の分身に許してやれ。嫌なら今すぐ維月を連れて帰る。それで、この体を捨てると維月が言うなら、この人の体は塵に返して、オレは月で維月と背向かいでよろしくやるさ。元々そうなるように作られた命なんだからよ。お前は月でも眺めてろ。まあ、維月は裏側だから、お前からは見えねぇけどよ。」
維心は黙って、途方に暮れた目で維月を見た。維月は息を付いて、維心の髪を撫でた。
「維心様…王であるのだからお分かりになるでしょう。このままでは宮も乱れまする。将維は維心様なのですわ。愛情を掛けて育てられた維心様は、きっとああいう風にお育ちだったのです。そして、維心様は生まれ変わられても私を愛して下さるのです。私は将維を見て、そう思いましたわ。記憶がなくても、私を見つけてくださる。だから、共にあの世に逝って、そして転生することになっても、きっとまたこの世で私を見つけて愛して下さる確信が出来ましてございます。それにきっと…私達は前世もこうして一緒だったのかもしれませんわ。私が生まれて来るのが遅れてしまって、お待たせしてしまったのかも…。」
維心は、そうかもしれぬ、と思った。400年前の自分も、一目で維月を愛した。ならば自分の分身も、また維月を愛して当然なのだ。ただ、後に生まれただけで…。
「…わかった、維月よ。」維心は言った。「しかしあれは我に腕を斬り付けられて、今は動けぬ。話して来て構わぬが、今日は無理だ。」
維月は驚いた。そうだった。維心が少しでも傷を受けているということは、将維が重症を負っていてもおかしくない。
「…では、話して参りまする。」
維月は急いで居間を出て、将維の対へ走った。




