舞い散る
翔馬は、緊張気味に座っていた。王に顔色が悪いと言われた時にはギクリとした…それはそうだろう。
翔馬はじっと、維心を見ていた。龍王は、やはり強大な気をその身の内に秘め、それは隠そうともこちらの身に伝わって来るほどのものであった。
時にこちらへ訪問していたのを目にしていたので、慣れているつもりであったが、こうして傍近くに座っていると、ビリビリと身に感じるその気は、翔馬の体をまるで金縛りにでもあっているかのように固くさせた。
ふと、龍王が酒の席の戯れか、妃の膝に頭を乗せて横になったのが見えた。酒に酔っておるのかもしれぬ。翔馬は、そっと蒼に寄るフリをして、そちらの席へ行った。
蒼が振り返る。
「…おお翔馬。飲んでるか?」
翔馬は頭を下げた。
「はい、王よ。」
蒼は酒瓶を差し出した。
「飲むが良い。」
翔馬は手近な杯を手に、蒼に酒を注がれて頭を下げた。杯に口を付けながら、翔馬は心ここに非ずであった。先日蒼の使いで隣の神の宮へ出掛けた時のことが浮かんでいた。
翔馬は、蒼から隣の神の注文で来た人の世のCDを届けに出掛けていた。
無事に渡し終わり。帰り道を急いでいると、物陰から何かが翔馬目掛けて飛んで来た。急な事に驚いた翔馬が身を伏せると、目の前には、手負いの虎が二頭、立っていた。翔馬は驚いた…確か、虎族は、龍王に滅ぼされたのではなかったか。
相手は、見る間に人型を取ると、翔馬に対した。
「…主、我が一族の血をひく者であるな。話しに聞く、翔馬であろう。」
片目を失っているその虎は、値踏みするような目で翔馬を見た。翔馬はたじろいた。
「確かに私は虎の半神でありまする。ですが、母は私を捨てて参って行方知れず。確かなことは、私も知りませぬ。」
相手は頷いた。
「あれには訳があるのだ。主の母は瑠依。我の妹よ。我は律。兄は王であった…先の戦で龍に討たれた。」
翔馬は膝を付いた。これは虎の王族ではないか!
「律様。何も存知ませず、ご無礼を致しました。」
相手は頷いた。
「良い。知らぬは道理よ。我も知りながら主を放っておいたは確かな事。だがな、王族の姫が人などと暮らしておるのを許す訳には行かなんだのでな。だが…あれはずっと主の状況を見ておったぞ。月の宮へ受け入れられたことを知った時は、それは喜んでおったものよ。」と、表情を暗くした。「だが、病を得て昨年亡くなったがの。戦を経験せずに済んだのは、せめてもの幸いであった。」
翔馬はその事実に衝撃を受けた。我は、母に捨てられたのではなかったのか。律は続けた。
「虎で生き残ったのは我と、この軍神、真のみ。我らは勝てる見込みがなくとも、龍王に一矢報いてからでなければ死ねぬ。我らが鳥と謀って龍族をじわじわと滅しようとしたことは、今思うと間違いであった。勝機があると思っていたのではなかったが、少しは龍にダメージを負わせることが出来ると思うておったのよ。龍王の守りは仙術にまで及んでおり、全ての記憶を封じるはずが400年分しか封じられなかった…この時、失敗と認めれば良いものを、鳥の王は少しでも封じられたのは重畳だと言いおった。そして暴走してしもうたのよ…それには我が一族も巻き込まれた。当然と言えば当然であるがな。負けは負けよ。弱い者は淘汰される。それが神世であるからの。」と息を付いた。「主に頼みがある。主は月の宮の重臣。龍王に容易に近付けるはず。これで、龍王を、例え一掻きでもよい、傷を付けることが出来れば、奴はそこから身の内に入り込む邪気で蝕まれ始める。」
翔馬は、小さな短剣を渡された。
「その後は我らに任せよ。もし、仕損じたら、龍王を外へおびき寄せるのだ。我ら、刺し違えても良い、龍王と戦わねばならぬ。主の母の血族のためぞ。今、一族の恨みを晴らすのは主に掛かっておる…その血の命ずるまま、刺すが良い。」
翔馬はただ黙って律の目を見た。確かに自分の目に似ている…これは叔父に当たるのか。そして、一族の最後の生き残りだというのか…。
「…律様。私にどこまで出来るかわかりませぬ。軍の指南なども全く受けておりませぬゆえ。しかも相手は龍王でございます。」とその短剣を握り締めた。「やってみまする。しかし、期待にお答えできるとは思えませぬ。」
律は頷いた。
「外で待っておる」と律は言った。「奴をおびき寄せよ。我らはそれで満足よ。」
翔馬は、そこで二人に頭を下げて、その場を後にした。手にはその短剣を握り締めていた。
「翔馬?」
呼び掛けられて、翔馬はハッとした。蒼が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「ああ…王。何か?」
蒼は眉を寄せた。
「やはり顔色が悪いな。休んだほうがよい。」
翔馬は首を振った。
「そのような。大丈夫でございます。」
蒼は、気遣わしげにこちらを見ている。翔馬は、心が痛んだ。この王は、自分をとても頼りにして、重用してくれていた。力の弱い自分なのに、いろいろ知っているからと重臣に取り立ててくれ、宮のことを任せてくれて、自分は神の世で、生きる場を見つけたと毎日生きることが楽しくなった。…それなのに、裏切ることが出来ようか。虎の血は流れている。だが、今まで放って置かれた身ではないか。それを、利用できるからと、こんな時に使おうとするなんて、理不尽ではないのか。
翔馬は、それでも迷っていた。確かに、龍王は非情だとも思う。全て老いも若きも斬り捨てて、葬り去ったのだと聞いたーそこまでせねばならぬのか。それは、自分の血が虎でなくとも、おそらく思ったはずのことだった。
そして自分は、ここで酒を飲んで妃にもたれて眠っておるとは。今も苦しむ同族のことを思うと、翔馬は袖の中にある短剣を、握り締めて小刻みに震えた。
ーいざ、それを抜こうとした時、龍王を膝に乗せている、王妃が声を立てて笑った。
翔馬は驚いて短剣から手を離した。
「まあ十六夜、そうではないのよ。」王妃は言った。「維心様はね、他人のことばかり考えて行動なさるのよ…自分のしたいことなんて、後回しにしてしまわれるわ。全ては、皆のため。王だからって。だから私は、気が気でないのよ。」
と大事そうに膝の龍王の髪を手で梳いた。十六夜はフンと鼻を鳴らした。
「知ってる。だがな、今は好きなことしてるんじゃねぇかよ。」と龍王を睨んだ。「いつまで寝てやがるつもりだ。」
維月は自分の口に指を立てた。
「しー!十六夜ったら、維心様はゆっくりできる時がないのよ?少しは分かってあげて。」
翔馬は思った。もし今龍王に斬りつけたら、この王妃は間違いなく王を庇うだろう。少し傷がついても、身の内より蝕まれると聞いた。これは、蒼の母。自分が最初に会った、神の世界への道を作ってくれた神の女。それに仇成すことは出来ない…。
翔馬は、短剣を完全に手放した。駄目だ。自分には出来ない。あまりにも、この神達には恩義がありすぎる…そして情もあり過ぎるー。
翔馬は、全てを話そうと決意し、座りなおして蒼に額づいた。蒼はびっくりした顔をした。
「翔馬?」
蒼は目を丸くして翔馬を見た。すると、ずっと横になっていた維心が、言った。
「…そうか、刺さぬのだな。」横になったまま、こちらを見て起き上がろうとした。「何やら迷うておるようだったので、待っておったのよ。のう、義心。」
振り返ると、遠くに居たはずの義心がすぐ傍で座って控えていた。その義心は頷いた。
「はい、王よ。」
翔馬は悟った。そうか、全て見抜かれていたのか。維月がきょとんとした顔をして維心を見た。
「まあ維心様!狸寝入りでしたの?」
維心はバツが悪そうに維月を見た。
「いやいや、途中まではうとうとしておったのよ。だが、良くない気配を感じての。伺っておったのだ。」
維月は膨れた。
「まあ!黙って話を聞いてらしたなんて、お人がお悪いこと!」
維月はぷいと横を向いた。維心はますます困った顔をした。
「維月、悪気はなかったのよ。この場合仕方がないであろう?怒るでない。」
翔馬は座り直して額づいたまま、どうしようかと思ったが、蒼に短剣を渡し、言った。
「…私の血族の者、虎の王族でございました。母は瑠依、病でもう亡くなっておるとのこと。その兄にあたる律という神と、真という軍神に、この刀で少しでも良いから傷をつけよと…さすれば身の内に入り込む邪気で蝕まれ始めると。そのように頼まれましてございます。」
維月がそれを聞いて袖で口を押えた。維心は座りなおして、蒼からその短剣を受け取った。
そして鞘から抜くと、じっと見た。
「…うむ。これもまた仙術よの。呪いのようなものか。」と鞘に戻した。「して、しくじった場合はどうせよと申した?」
翔馬は答えた。
「外へおびき寄せよと」と翔馬は頭を下げたまま答えた。「龍王に一矢報いたいと。」
「ほう。」と維心は立ち上がった。「では、行くかの。」
維月も立ち上がった。
「何を申されます?!何をして来るかわかりませぬのに。」
維心は維月を見た。
「大丈夫だ。我は少々のことでは討たれることはないゆえ。」
維月は激しく頭を振った。
「駄目です!」と十六夜を見た。「十六夜!付いて行って!」
十六夜はめんどくさそうに言った。
「え~?オレが行ってもどうせやることないんだけどよ。こいつ一人でなんでもやっちまうからよ~。」
「我がお供いたしまする。」と義心が立ち上がった。「律殿も真も我の知る者。所詮王の敵ではありませぬゆえ、我が始末致しまする。」
維心は首を振った。
「よい。やつらは我を狙っておるのだ。我が引導を渡してやろうぞ。」と飛び上がった。「すぐ、戻るゆえ。」
見る見る維心が小さくなって行く。維月が叫んだ。
「維心様!」と義心を見た。「行って!義心!」
「は!」
義心は即座に飛び上がり、維心の後を追って行った。
維月はそれを、不安そうに見送ったのだった。
律は、月の宮から少し離れた野で、散り行く桜を見ていた。今頃は、虎の宮の桜も、主の居ない事も知らず咲き乱れているだろう。去年の今頃は、皆で花見をした…瑠依はそれを最後に、病で世を異にした。
律は元より、翔馬が龍王を刺せるとは思っていなかった。ただ、最後に己の出生のことを教えておきたかった。瑠依は最期まで、我が子を心配して逝った。それを知らせてから、向こうへ行きたかったのだ。
…遠く、龍の近付く気が感じられた。
「…真。」律は言った。「来たようだな。これで我らの願いも叶うというものよ。」
真は隣で膝をついたまま頷いた。滅多に宮から出ることのない龍王と、対峙するなど無理だと思っていた…だが、あの強大な気は、間違いなく王のもの。律は呟いた。
「…感謝するぞ、翔馬。」
その龍は、黒髪に青い瞳の整った顔立ちの王だった。とても残虐と音に聞こえる龍王には見えない。だが、その見たこともないほど強い気は、これが確かにそうだと教えていた。相手は言った。
「…律よ。我を呼んだそうだの。わざわざ呼びつけるとは、虎とはいつの時代も大柄なものよ。」
後ろから、見覚えのある龍が追い付いて来た。あれは忘れもしない、兄の王を討った軍神、義心だ。龍王はそちらを振り返った。
「なんだ、来たのか義心。」
義心は頷いた。
「維月様の命でございまする。」
龍王は鼻を鳴らした。
「ふん、主はあれの言う事は絶対であるの。」
と、律に向き直った。「義心には手出しはさせぬ。」
そして、地に降り立って、刀を抜いた。
「さあ、来るがよい。二人共に我に向かって来ても良いぞ。」
律と真は刀を抜いた。だが、真は言った。
「我は、王を討った義心と対峙しとうございまする。」
維心は頷いて言った。
「義心、真の相手を。」
「は!」
義心も地に降り立ち、刀を抜いた。
律が、一番最初に思いきったように維心に斬りかかった。
それが合図のように、真も動き出し、刀のぶつかり合う金属音が響き渡った。維心は、律からの一太刀一太刀を、軽く払うように避け、時に斬りつけた。律にはわかっていた…闘気の感じられない今、龍王は我に加減している。わざと打ち合いになるよう、こちらの動きに合わせて動いている。まるで剣術の指南を受けているような感覚に、律は憤った。
「龍王!情けは無用ぞ!本気で我を討て!」
維心はフッと笑った。
「我に一矢報いたいのであろう。隙を見つけよ。」
龍王は我の左を襲わない。それは、左目を失っているのを知っているからだ。律は自分の力の無さに腹が立ち、気を立ち上らせて本能のまま、龍王に向かって刀を突き入れた。
龍王は、ハッとした顔をした。そして、それを頭を横へ反らして避けると、髪が一房、ハラリと落ちた。龍王はニッと笑った。
「…ようやった。」と刀を横に向けた。「あちらで皆に自慢すれば良いぞ。」
それは、一瞬だった。
気が付くと律は、地に膝をついて前のめりに倒れた。見る間に自分の回りに血だまりが出来て行く。見えなかった…斬られたのか…。
義心が維心の横に来て膝をついたのが見えた。真も逝ったか。
維心は言った。
「あちらには皆居るであろう。何もかも忘れて転生出来るゆえ。次はしがらみなどのない生を選ぶのだぞ。」
律は悟った。これは本当の王なのだ。我らを楽にするため、わざわざここへ自ら赴いて来たのだ…。
「礼は、言わぬ。」律は途切れる息の間から言った。「だが…主のこと…本当の王だとわかった…。さらばだ。」
そして、息も微かになり、やがて、気は抜け去って逝った…。
維心は、義心に言った。
「供の軍神に、虎の宮の墓所へ運ばせよ。」
義心は頭を下げた。
「は!」
維心は、月の宮に向けて、戻って行った。




