失踪
龍の宮では、新年の挨拶に来る神の王族達でごった返していた。
毎年のことなのだが、維心が地を平定してからというもの、皆こぞってやって来るようになったのだ。平定したと言っても、維心が力で押さえ付けている状態には変わりないので、本当の意味の平定ではなかった。維心は日々、本当の平和というものを作り出す方法を模索していた。
蒼が謁見の間に入って来たのを見て、維心は目を丸くした。
「なんだ蒼、主も同じように挨拶に来る者で、宮は大変なのではないのか。我の所になど来ていて良いのか。」
蒼は苦笑した。
「月の宮は年末年始は出入り禁止にしました。宮で預かっている龍達もこちらへ里帰りさせたいし、正月ぐらい皆にゆっくりしてもらいたかったので。早くから挨拶は不要と言っておいたのですよ。」
維心は椅子にそっくり返った。
「なんとのう、我もそうすればよかったわ。昔より決まっておることであったので、正月は挨拶を受けねばならぬものだと思い込んでおった。来年からはそうしようぞ。良い事を聞いたわ。」
と、隣の維月を見た。維月は微笑んだ。
「蒼は人であったので、そういう所は柔軟でありまするわね。私もこれが王妃の務めと思うておりました…でも、もうお部屋へ帰りたいですわ。よろしいでしょう?」
維心は維月の手を掴んで、首を振った。
「ならぬ。我がここにおるのに…」と少し不機嫌に言った。「戻るなら、共に戻ろうぞ。あと少しの間ゆえ。辛抱せよ。」
維月は不満げだったが、新年早々口答えもいけないと思い、頷いた。それを見て維心は満足げに笑うと、蒼を見て言った。
「さて蒼、我は早く済ませてしまいたいので、主は我の居間へ行って待っておれ。早よう終わらせて参るゆえの。」
蒼は頷いて、頭を下げて謁見の間を出た。出る時に振り返ると、母の維月が恨めしげにこちらを見ていた。
結局、話は長くなり、時間が押して、維心は仕方なく維月を居間へ帰した。蒼を待たせているし、維月は部屋へ帰りたがっているしで、仕方がなかったのだ。
やっと面倒な挨拶が終わり、維心が居間へ向けて早足に歩いていると、呼び止める声がした。
「維心!」
維心は振り返った。自分を呼び捨てにするものは、そう多くはない。なので、振り返る前にそれが誰なのか、維心は知っていた。
「炎嘉」維心は立ち止まった。「主、来ておったのか。」
炎嘉は頷いた。心なしか、疲れたような顔をしている。
「維心…頼みがあるのだ。」維心が眉を寄せるのを構わず、炎嘉は続けた。「維月と話させてくれ。」
維心は即、首を振った。
「駄目だ、許さぬ。主、何を言っておる?我は維月と話すどころか、顔を見せるつもりもないゆえに。」
炎嘉は食い下がった。
「我は…今どうしても話さねばならぬのだ。迷うておることがあって…どうしても…」
維心は頑なに首を振った。
「ならぬ。あれは主の妃ではない。我の正妃よ。」と、力を抜いた。「…炎嘉よ。わかっておろう?主が我の立場でもこのように言うたと思うぞ。何を迷うておるのだ?我で良ければ聞くがの。」
炎嘉は、悲しげに維心の目を見つめた。
「…それが出来れば苦労はせぬ。主は我の友であるが王であるからな。」と踵を返した。「無理を言うた。これで帰るゆえ。」
維心は炎嘉を追うように足を踏み出した。
「何を言っている…王では何がいけないのだ。」
しかし、炎嘉は振り返らずに立ち去った。
そして、次の日から、炎嘉は姿を消した。
「では最後に話したのは我であるのか。」
維心が自分の居間で、十六夜に言った。十六夜は頷いた。
「そうだ。それ以降は誰にも目撃されてねぇ。オレに探せない気なんてないはずなのに、炎嘉の気が探れねぇんだ…どこに居るのか見当もつかねぇ。」
「我もよ」と維心は言った。「探ってみるものの、全く掴めぬ。どこへ消えたのか…すっきりせぬ。」
じっと下を向いて考え込む維心に、十六夜は問うた。
「いったい、最後に何を話してたんだ?それにヒントがあるんじゃねぇのか。」
維心は首を振った。
「あれが原因とは思えぬ。維月と話したいと我に頼んだ。我は断った。迷っておることがあると言った…我で良ければ話を聞くと言った。だが、我が王だから話せぬと言うた。それだけよ。」
十六夜は頭を抱えた。
「お前も話ぐらいさせてやりゃあいいじゃねぇか。それでもっとわかったかもしれねぇのに。けちけちするなよ。」
維心は険しい顔をした。
「我と主とは基準が違う。普通王妃は奥に篭って誰にも会わさぬもの。それを我はここまで妥協しておるのよ。これ以上無理であるわ。」
十六夜は眉を寄せて唸った。
「ほんとにお前はこと維月に関しては臨機応変さがねぇんだよ。ったく!」
維心は横を向いた。
「それだけ大事であるのだ。維月に関してはあっちもこっちも敵だらけなのだからな。」
十六夜はため息をついた。確かにそうなんだが。
「とにかく…あいつがどこへ行こうと勝手なんだが、何の目的で居なくなったかが問題なだけなんだ。あいつは唯一お前に立ち向かえる神だった。転生したって気の量は変わっちゃいなかったからな。もしも何かに巻き込まれてでもいたら…と思うと落ち着かねぇよ。」
維心はそれを聞くと座り直し、視線を斜め下へ向けた。
「…これが我であったなら、連れ去られたのでも監禁されておるのでもないな。己の意思で行ったのよ。つまり炎嘉は己の意思でどこかへ身を隠した。それならば、見つかる訳はあるまい…我が本気で隠れて、他の神に見つかる気がしないのでな。」
十六夜はフンと鼻を鳴らした。
「相変わらず自信だけはあるな、維心。まあその通りだから仕方ないけどよ。それなら尚更目的がわからないだけに、しばらく警戒しなきゃならねぇぞ。特に維月を」と、維心の隣でうとうとしている維月に聴こえるように、そちらを向いて言った。「しっかり守ってなきゃならねぇな。今度ばかりはよ。」
維月はハッと起きて、ばつが悪そうに十六夜と維心を見た。維心は困ったように維月を見た。
「維月、新年の行事ばかりで疲れたかもしれぬが、しっかりせよ。己をしっかり持たねば…今度こそ、我の居らぬ間に、誰かに唆されるようなことがあってはならぬぞ。主の同情心にかこつけて、近付いて来るやつもあるやもしれぬゆえ。」と十六夜を見た。「やはり我から離さぬほうが良いの。」
十六夜は頷いた。
「違いねぇ。オレは月の宮を守らなきゃならねぇからな。維月は頼んだぞ、維心。」
維心は真剣に頷いた。
「任せておけ。月の宮の防衛は、仮に炎嘉が向かって来るとしたら役に立たないと見た方が良い。あれが作った守りであるので。あとは主が作る月の結界のみであるな。まああれは我ですら破るのに手間取るものだ。気を抜きさえしなければ大丈夫であろうよ。」
十六夜は、上り始めた月を見た。
「…さて、戻るか。蒼がイライラしてるだろう。それじゃあな、維心、維月。」
二人は、立ち上がる十六夜を見た。十六夜は、いつものように居間の窓から飛び立って行った。
それを見送りながら、維月は月を見上げた。
「何か大変なことが起こるのでございますか…?私には平穏な世しか見えておりませぬのに。」
維心は維月の肩を抱いた。
「何かが起ころうとしておるのは確かであるな。炎嘉が失踪するということは、それなりに問題のあることなのよ…我が居なくなるのと同じようなものであるので。あれは愚かではない。思いつきでこのような事をする奴ではないのでな。」
維月は不安げに維心を見上げた。
「まさか炎嘉様が敵対するようなことは…戦になりまする。」
維心は息を付いて頷いた。
「そうであるな、しかし、我はヤツには負けぬ。ヤツを討とうと思うたら簡単に出来る…我の懸念は、その際に出る犠牲を如何にして無くすかということよ。なりふり構わなんだら案ずることもないが、回りの事を考えるとの。」と維月と同じく月を見た。「戦は避けねばならぬ…。」
維月は、いくら強いとはいえ、回りの心配ばかりしている維心が、戦場で隙を見せないとは限らないと思い当たって、ぞっとした。維月は思わず知らず震えて来る身を自分で抱きしめ、震えを止めようとした。
維心がそれに気付いて、維月を抱き締めた。
「どうした?心配は要らぬぞ。主の身は必ず守るゆえの。」
維月は維心を見上げた。維心はその瞳が、予想以上に憂いを帯びていたので、驚いた。
「何を憂いるのだ。我がおる限り主の身は安心であるぞ。」
維月は首を振った。
「そうではありませぬ。維心様…戦場などに行かれては嫌でございます。私は心配で…。」
維心は苦笑した。
「維月よ…前に初めて地に会いに出掛けた時も、主はそのように我に申して困らせたの。我らは闘神であるのだ。本来は戦う為に生まれた神。案ずるでないぞ。我は他の神には負けぬ。負けたことがないからの。十六夜ですら、我を抑えるのに手こずったほどよ。」
維月はやっぱり、それでも嫌だった。じっと待つのがどれほど苦痛かわからないのだわ…きっと男のひとには…。
維月が何も言わずに横を向いてしまったので、維心は困って抱きしめる手に力を込めた。
「維月…怒るでない。我は王よ。皆を守るために戦わねばならぬ。それが責務よ。わきまえてくれぬか。」と顎に手を掛けて顔をこちらへ向かせた。「さあ、機嫌を直すのだ。まだ諍いが起こるとは決まった訳ではないぞ。我に笑顔を見せよ。」
維月は、浅くため息をついたが、仕方なくほんのり微笑んだ。維心は苦笑して抱き寄せ、唇を寄せながら言った。
「ほんに愛想笑いの下手なものよ。その憂さを晴らしてやろうぞ。」
維心は維月に口づけて、いつもように自分の部屋へと連れ帰った。