11.檻
週末の雨は、トウヤを閉じ込める。
自宅という檻の中、朝も夜も暗いままのリビングで。
室内を満たす雨の音と、幻想の雨に濡れながら。
間断なく響く雨の音に、聴覚が麻痺していく。
込み上げてくる吐き気に、視界が歪んで全てが形を失っていく。
思考は白く濁って、頭が考えることを拒否していた。
「あなた」
自分でない誰かを呼ぶ声が、何度も何度も耳元で木霊する。
それは降り続く雨の音にも似て――。
昼も夜もなく、いつ寝ていつ起きたのかも分からない。
薄暗い中、重い瞼を上げた視界に映るのは、波打った白いシーツだ。
自分以外の誰かの息遣いに、視線を先へと動かせば、疲れたように眠る母の顔があった。
目の下に、薄く隈が出来ている。
雨は、まだ、窓の外から忍び寄るように濡れた音を響かせている。
室内は暗いまま、慣れてきた目で周囲を見遣れば、そこは両親の寝室だった。
ぞわり、と、嫌な感触が内股を伝う。
小さく息を吸い込んで、湧き上がってくる吐き気を押さえ込んだ。
母を起こさないよう、細心の注意を払ってベッドを抜け出す。
薄い布団の布地が、汗ばんだ肌にへばり付いて、肌を毛羽立たせた。
時計の音が、小さく時を刻む。
見れば、時間は午前4時前だった。
ベッドの傍らに立ったまま、身につける物を探してトウヤの視線が彷徨う。
片付いて、物の少ない室内は、散らかる物の存在を許すことなく、黙り込んでいる。
ふいに背後で衣擦れの音が聞こえた。
弾かれたように振り返れば、視界の先、母がゆっくりと寝返りを打つ。
掛けられた布団が捲れて、白く骨ばった肩が闇の中に浮かび上がる。
俄かに、雨の音が大きくなる。
肝が、ぎゅっと音を立てて冷えた。
全身が痺れたようにかじかんでいくのに、強く拳を握り締めて、息を詰める。
足音を響かせぬよう、トウヤは母の眠る寝室を後にした。
自分の部屋までの道のりを、暗闇の中で辿る。
窓すらない廊下に、ヒタヒタと、自分の足音が重い音を残した。
片手を壁につけたまま、自分の部屋まで辿りついて、ドアを押し開ける。
部屋に染み付いた、己の匂いが、肌に残る母の匂いを消していく。
電気を点ける気にはならなかった。
そのまま、ベッドに突っ伏すように倒れ込んで、何度も深呼吸を繰り返す。
手に触れたタオルケットの乾いた感触を手繰り寄せて、自分の身体を包み込んだ。
翌朝、晴れた空が顔を覗かせれば、母は全てを忘れて「おはよう」と言うだろう。
それでいい、とトウヤは口の中で繰り返した。
もしも思い出してしまったなら、母は、もう二度と母には戻らないかもしれない。
沁み出してくる不安が、雨の音に滲んで広がる。
ベッドのスプリングに沈んでいきそうな自分を感じて、トウヤはきつく目を瞑った。
瞼の裏に浮かぶのは、やはり、橙色の色彩だった。
何を思って、雨に立ち向かうごとく、天を仰ぐのか。
否、そんな事はどうだって良いのかもしれない。
ただその強さを写した姿に、焦がれる。
助けてくれ――、と。
雨を睨み佇む少年の姿に手を伸ばす。
声は、呟きにすらならずに、トウヤの口の中で唾液の泡になっただけだった。