10.拒絶
次の日も、その次の日も。
空が雨雲を忘れたように、その週は快晴が続いた。
グラウンドは白く煙り、乾いた砂が土ぼこりとなって生徒達の足元で舞い上がる。
陽射しは柔らかく空から降り注ぎ、全てが間延びした長閑さに包まれていた。
仮初めでもいいと思う。
ほんの少し、明るさの増した家の中、母と自分と。
そこに弟の姿も、父の姿も見つけられなくても、まだ母の姿がある。
トウヤにとって、母はたった一人の、最後の家族なのだから。
失くしていく痛みを知っているから、もうこれ以上、大切なものを失くしたくはない。
母が、大事だ。
たとえ、その瞳が時折、自分を通り越して別のものを見ていたとしても。
雨に冒されたその虚ろな瞳の中に、トウヤの存在が見当たらなくても。
じっとしていれば、雨は通り過ぎる。
身体の奥底に沁み込んだ雨水が、背筋を毛羽立たせるように蠢いて、黄色い胃液を逆流させたとしても。
雲ひとつなく晴れ渡るこの空のように、仮初めの穏やかさが続けばいいと思う。
青一色の視界を、小さな黒い影が横切っていった。
目で追えば、飛び込んでくる陽光の眩しさにぎゅっと眉間が絞られる。
高く空を飛んでいく影は、鳥だろうか。
さんさんと注がれる熱を含んだ太陽の光を掌で遮りながら、黒い影の行方を探しても、すでにどこかへ行ってしまったのか影は見当たらなかった。
放課後の喧騒がグラウンドから風に乗って上がってくる。
熱を取り込んだコンクリートがジワジワと背中を温めるのを感じながら、トウヤは影を探すのを諦めて翳していた手を退ける。
寝転んだ身体の横に腕を落ち着けると、指先に何かが触れた。
見遣れば、隣には橙色の頭。
同じように仰向けに転がって、太陽の光を体中で浴びている。
閉じられた瞳は動かない。
放課後の屋上で、二人して転がる。
青空の下、言葉を交わしてから3日間、毎日こうしている。
特に何を話すでもなく、もちろん、示し合わせたわけでもなく。
ヤジマ カイジは、毎日顔を見せるトウヤを歓迎するでもなく、疎むでもなく、いつもちらりと視線を向けるだけで、特に何も言うことはない。
ふわりと屋上を駆けた風が、少年の橙の髪をそよがせる。
太陽の色だと、トウヤは思った。
「…その髪、戻さへんのか」
トウヤの穏やかな声は、遠く聞こえてくるグラウンドの喧騒に紛れてしまいそうな程に静かなものだ。
すぐには返ってこない返事。
しかしトウヤは、少年が目を閉じているだけで、眠ってはいない事を知っている。
しばらく横から眺めていると、少年の瞼が薄く開いた。
そのまま顔ごとトウヤの方へと向いた少年と、近い距離で目が合う。
互いにしばし言葉無く見詰め合って、ややあって少年の片眉が下がった。
緩慢な動きで顔は再び太陽へと戻される。
「――あんた、変なやつやな」
返答ではなく、ぽつりと呟かれた言葉に、トウヤは軽く肩を竦めるだけだ。
「そうかもしれん」
再び、視線だけが戻ってきた。
「あんたと俺は他人。ダチでもないし、クラスメートでもないし、俺はあんたの名前も知らん」
「せやな」
「やのに何で、あんたはココにおるんや」
脳裏に焼き付いた雨の中の少年の姿と、目の前にいる少年の姿が軽くだぶる。
「…あの雨の日、何してたんや」
トウヤの言葉に、少年の顔が顰められた。
「だから…」
「汚いモンって何」
立て続けに聞いたトウヤの表情は、真剣だ。
興味本位というにはその瞳の色は深く、どこか必死な思いが篭められている。
トウヤ自身、答えに何を期待しているのか分からなかった。
ただ、雨を睨み据えていたあの瞳の意味を知りたかった。
顰めっ面の少年の表情が、僅かに揺らいだ。
「――そんなんが知りとうて、ココにおるんか」
ますます表情を歪めて、どこか怒ったような響きの言葉が発せられる。
「意味分からん。あんた、やっぱ変や」
「変でも構わん。…俺は、もっかい、あん時のお前が見たい」
真っ直ぐに、トウヤの目は少年を見つめる。
ほんの僅か、少年の淡い色の瞳の中に、あの時の強さが甦った気がした。
しばらくトウヤの真剣な目を見返していた少年は、口をへの字に結ぶと息を吐き出した。
「…ほんま、変やで。あんた」
ふい、と少年の視線が逸らされた。
トウヤの瞳から逃れるように、そのまま目が閉じられる。
固く結ばれた口元が、何よりも拒絶を示しているようで、トウヤもそれ以上言葉を発せない。
これ以上踏み込んでくれるな、と。
少年は言葉無く、全身で語っているようだった。
週末は、今までの青空が嘘のように、天気は下り坂だった。
土曜は朝から激しい雨が降り続いて、太陽の匂いを根こそぎ奪い去っていく。