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 今にして思えば、という言葉を使うことが多くなったのは、大人になるにつれてだ。

 それは当然の話で、生きれば生きる程悔やむことはたくさん出てくるのだから今にして思えばという言い訳くらいさせてもらわないと、やりきれない思いばかりが募ってしまって生きていけない。

 情けない限りで、私は今やもう学生時代も終えているし社会人としてだって落伍している気がする。あの複雑怪奇が連続した事件から、もう二十年近くの時が過ぎている。

 私は最近、昔のことばかり思い出す『今を生きれない』人間になっていて、どこか現実をしっかりと歩んでいる気分が毎日毎日しないし、そしてどうしたら『今を生きれる』人間になれるのか、という方法すらもとうの昔に忘れてしまった気がする。

 私は今、毎日を実に殺伐と生きている。仕事はあるし給料もある程度あって、結婚だってすることが出来た。そう、経済的な余裕を持っているし、それなりに普通に生き延びることも出来ている。少なくとも飯を食うのに困ることは無いのだから、きっと、人間的には私は及第点をもらってもいいと思う。それだけの努力は、毎日かかさず行ってきた。

 だからこそ。これまで努力して生きてきたという自覚があるからこそ、今の、どこか地に足がついていないような空虚な毎日が悲しかった。空しかった。こんなことはあまり大声で言えることでもないから、仕方が無いので時々、自動販売機に愚痴をこぼしていたりする。何も答えてくれないことが嬉しかったりするのだ。下手に言い返してくる他人よりは、よっぽど気持ちよく愚痴れる存在なのが、自動販売機。むなしいにも程があるということは、そりゃそうだ。

 故郷にはしばらく帰っていない。私は都会に現在住んでいて、故郷にはしばらく帰っていないのだ。

 めっきり暑い夏空。仕事途中の、昼休み。

私は公園のベンチで缶コーヒーを啜りながら、今、久国はどうしているのだろう、とか、ウーパールーパーがまた出現したりしないかなだとか、鉄くずバベルをもう一度拝みたいな、だとか、故郷の家族や親族は元気だろうか、とか、みんな元気かな、とか。

 いろいろなことを考えたりしながら、かつての『不穏な気配』の思い出に入り浸っていた。

親族の家宅が一つ残らず悪臭に満たされることから始まり、鉄くずバベルの塔を登ったり、学校であり得ない光景を目の当たりにしたり、口裂け少年が実は久国の少年時代だったり、家族や親族が文房具になったりウーパールーパーになりたいと言い出したり、空に巨大なウーパールーパーが現れたり、幼い少年時代の姿に戻っちゃったり、力士たちの部屋に飛び込んだり……。

 今にして思えば…また今にして思えばと言ってしまったが…あの二十年前のひと夏は、本当に夢みたいな出来事の連続だった。大人になって何の変哲も無い毎日を送り続けていると、あの出来事が現実のものだったなんて、信じることが出来なくなる時がある。記憶力の自信は、無い。

 時々思うことがある。

 やはり、これも今にして思えば、なのだが。

 あの複雑怪奇な事件たちは、全て『香田』が仕組んだ出来事だったのではないかと、思ってしまうことが、あるのだ。

 もちろん、そんなこと普通はあり得るはずがない。学校中を混乱させたり、ウーパールーパーを空に出現させたり、私の親族家宅に悪臭を振りまいたり。そんなことは、普通は出来ない。

 だけど、香田がいなくなってからの世界が平凡そのものに変わってしまったことも事実だ。あの日、香田に剛速球で投げられて彼女と別れた瞬間から、たしかに私の世界はつまらなくなった。どこまでも平凡で、どこまでも普通。どこまでも、平和。

 昔からどんなことにも自信を持てやしなかった私だが、その空想が現実なのではないかと思うことは度々ある。

香田が全ての発端だったのではないか。

 馬鹿げているけど、少し自信がある。その妄信が現実だということに私は『自信』があるのだ。

 本当に馬鹿げているから、自動販売機にしかそのことは話していない。彼はいつも、何も感想を言わず黙り込んだまま肯定してくれる。私のくだらない妄信を確信へと深めてくれている。

 自動販売機に話しかけるってのは平凡な行いではないかもな、その行為はかなり平凡じゃないから、私にとっての一番の非凡な行為だ。非日常だ。

 今にして思う。あの時、香田を置いていかなければ、私は愚痴ばかりをこぼす空しい人間などになったりなんてしなかったのではないだろうか、と。

 悲観にくれている途中に、携帯電話が鳴った。電話をしてきた相手の名前を見れば『久国』だった。

 なんて久しぶりなんだ懐かしい、と私は胸を高鳴らしながら、携帯電話の『通話』ボタンを押す。

 そしてゆっくりと携帯電話に耳をつけると、

「おい、お前今どこにいる!?」

 やけに興奮している久国の声が、やかましく飛び込んできたのだった。

 

 


「あ。お帰り」

 急いで帰宅した私に、妻が軽く何か話しかけてくるが、ほとんどその内容は頭に入ってこない。黒スーツを急いで脱いで、箪笥の引き出しから私服を取り出して自分でも驚くほどのスピードで着替えた。早着替えをこの年になってマスターしたぜ、と思いつつ「ちょっと行ってくる」などと詳細を一切伝えないまま、私は妻に手を振って、自宅を飛び出した。

 夕焼けの中をひたすらに走り、すぐくたばりそうになったが諦めず懸命に走り、私は駅に驚くほどの速度で到着。自己記録を更新したぜ、という適当なことを思いながら切符を買って、電車に飛び乗った。

 ガタンゴトンと揺られながら私は、普段睡魔と闘うのが基本の電車行進の中で、しかし一度たりとも眠気に襲撃されない。脳みそがハッキリと活動していて、血液が半端なく躍動しているのがわかる。眠れるわけがないし、眠るつもりもない。

 夕焼けが沈んだ頃、電車はようやく私を目的地へと届けてくれた。

自動扉が開くのが遅いことに苛立ちながら、私は久しぶりに故郷へと足を降ろしてみせる。

空調が効いていた電車と野外のホームの気温の差に気だるさを感じつつも、血液の躍動が止まることは無かった。

間髪を入れず、再び私は走り出す。ホームを下り、故郷の懐かしく変化が無い道をひたすらに駆け抜ける。若くない身体がいくら悲鳴を上げようとも立ち止まろうという気分にならないことに喜びを感じながら、私は目的地へと急ぐ。昔何度も足を運んだその場所へと。

見上げれば、夜空を翔けている満月。そしてその手前に、たしかに黒々とした影は、存在している。

その黒々とした影は二十年前、宙に浮かんでいるだけだった。私は何度もあの影を目撃していたけれど、その正体はわからなかったし、宙に浮かんでいるだけだったのだから、あの頃は気にもしていなかった。だけど今は、あの黒々とした影の麓こそが、私の目的地である。

飛ぶようにしてあの目的地へと辿り着きたかったのだが、体力は失われていているものだから、長いこと走り続けた反動が襲い掛かり、いきなりカクンと膝が折れて地面に手と膝をついてしまった。

「もっと運動しておけばよかった」

まったくもってこれも『今にして思えば』ということなのだが、今は後悔してる場合じゃないと思えた。とにかく、目的の地へと急ぎたかった。気持ちばかりが焦るのだった。

気持ちばかりが空回りしてしまっていることに憤りも感じながら、しばらく地に伏していた。時々通りすがる車が私のことを不審者だと思っているのかと思うと悔しかったのだが、私はしかし、やはり身体がふにゃふにゃになってしまっているらしくて、膝を動かしたくても本当、動く気配をマジで見せてくれない。

悔しさに涙さえも浮かび上がりそうになる。だが泣いてたまるか日本男児、私は目的地へと赴くんだ、こんなところでへたばってたまるものか、と脳裏で叫び続けることで涙を堪えていた。

そんな時。



…うひひひひ…


 

私は自分でも予想外な勢いで首を動かし、俯いていた顔を持ち上げた。首をおかしくしてしまうような不吉な音が鳴ったが、しかしそれどころではなかった。卑屈な笑い声が、懐かしすぎたのだ。

ゆっくりと確かめるように、唇を動かす。

「…口裂け少年」

幼い時の久国が、目の前に突っ立っていた。私はその出会いに対して感動を胸に秘めながら、しかし喜びの感情を素直に表すことも難しかったので、鼻をむずむずさせながら言葉をひたすらに選んだ。かつての香田のように、気の利いた言葉を平然と相手に伝えることは出来ないだろうかと、脳みそをフルに回転させていた。そうやって自ら率先して手探りで努力を行えば、自然と香田の元へと近づくことが出来るのだと、『自信』を持って二十年前へと近づくことが出来るのだと思えた。

それはすなわち、空白だった二十年を埋め込むことと同義だとも思う。

自分でもいろいろと混乱してて、ちょっと今、訳がわからなくなっていたりもするのだけれど。

だけど夜の暗闇の中で、目の前には口裂け少年に変わっている久国。そして月の手前の黒々とした影。久々に帰ってきた故郷。

全てを取り戻せるような気がする。

私は、今夜だけ、二十年前へと再び垣間見えることが出来る気がする。

「久国。俺のことも、あの頃に戻してみてくれよ」

 私は微笑んだ。すると彼も、卑屈ではあったが微笑みを返してくれた。

 そして膝を折ったままへたばっている私の元に、彼は歩いてやってきてくれる。

 久国は月を背負い込んでいる。地面にくたばっている私を、彼は見下ろしながら、優しい言葉を掛けてくれた。

「戻すのは簡単なことだぜ。香田に会いに行けるんだもんな。俺たちで」

 口は裂けない。口裂け少年の癖に。

 私は僕に変わりながら、彼に引っ張り上げられた。幼くなった僕の体は、彼の細い腕でも簡単に持ち上がった。僕も不思議なことに膝はもう全然痛くなくて、どこまでも走れるような気分だった。

 久国は水着一丁。僕は制服姿で。

 夜のとばりを突き抜けて。月に向かって地を蹴った。



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